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痘痕の光  作者: 星来香文子
翡翠の簪

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失踪(二)

 その日、桜子は楓と小梅こうめという女童と警護の者数名を連れて、山寺に来ていた。

 妃選びで選ばれるための願掛けである。

 願い事が叶うともっぱらの評判であるこの寺で、その姿を誰にも見られることなく一人で百八回経を唱えるというものであった。


 本来なら、もう少し早い日程で行われるはずであったのだが、予定していた日は天候が悪く、とても山を登れるような状況ではなかった。

 ずるずると延びて、前日のこの日しか時間がなかったのである。

 当初の予定では葵も連れて行く予定ではあったのだが、葵には妃選びの間に使う部屋に不備がないか、女房として姫たちが入る前に三日ほど過ごして確認する役割があった。


 経を唱えるのは桜子本人がやらねばならぬことで、付き添いの者達は特にやることはないし、必ず葵でなければならないわけでもない。

 そこで葵の代わりに、小梅を連れていったのだ。

 山寺は安全な場所であるし、桜子が御堂にこもっている間、他の者達は終わるのをただ待っているだけであった。


 今朝方まで降っていた雨が嘘のように、よく晴れて、暖かい春の日差しが心地よい。

 楓が僧坊で僧侶たちと世間話をしている間、小梅は内側から錠のかけられた御堂の障子扉を背に座って、扉越しに聞こえる桜子の声を聞きながら、ついうとうとしてしまう。

 頭が落ちそうになって、ぱっと目を覚ますと、小梅は自分の頬をばちんと叩いた。


「危ない危ない。寝ちゃダメ! 葵ねえさまに怒られてしまうわ」


 自分に喝を入れるために、そう言い聞かせた。


「…………でも、退屈なのよね」


 小梅はまだ十歳。

 大人達の話には入っていけそうもないし、ただ終わるのを待っているのは実に退屈であった。

 葵からは絶対に扉の前から動いてはいけないと言われていたが、今が何回目の経なのかもわからない。

 早く終わって欲しいなぁと思い始めてすぐのことである。


「あ……」


 なんとなく振り返って障子扉を眺めていると、ちょうど自分の目線の端に小さな穴が空いているのを見つけた。

 退屈で仕方かがなかった小梅は、その小さな穴に左目を押し当て覗き込んでしまう。


 金色に輝いている立派な観音菩薩の前に座っている桜子の後ろ姿が見えて、うちの姫さまは後ろ姿だけでもお美しいなぁと思っていると、突然、白い光がその綺麗な後ろ姿を包み込んだ。


「え……?」


 一瞬、カッと強く光ったかと思うと、小梅の左目は強烈な違和感を覚える。

 視界はぼやけ、歪み、そして、光を失った。


 すぐに穴から目を離したが、すでに遅い。

 自分の手で左手目に触れてみると、ぼろりと何かが転げ落ちる。

 ぐしゃりと嫌な音を立てて、床に転がったそれを右目で確認し、それが何かわかった途端、小梅はその場で気を失った。


「————小梅? どうしたのですか?」


 突然倒れた小梅に気がついた楓が駆け寄るが、床に伏したまま、小梅は動かない。

 仕方なく抱き起こそうとした楓の手に、べたりと真っ赤な鮮血がつく。


「ひっ!」


 小さく悲鳴をあげると、()()()()()()()()()()()と目が合った。



 * * *


「それで、姫さまはどこへ行ったのですか?」


 お役目を終えて、東宮から戻ってきた葵は楓から事情を聞いて驚いた。

 妃選び前日に、候補である姫が行方不明になったなんて、前代未聞の大事件である。


「それがわからないから、困っているのではないか!」


 楓も、他の女房たちも、どうしてこうなったか、全くわからない状況なのだ。


「姫さまは御堂から一歩も外に出ていないはずなのに、どこにもいらっしゃらなかったのです! 突然、消えたのですよ!」


 御堂には内側から鍵がかけられていた。

 桜子が直接、自分で閉めたのを楓は音で確認しているし、寺の者が医者を呼びに行っている間、楓は小梅を抱いてその扉の前にいたのだ。

 誰も出入りしていない。


 経を唱える声が聞こえないことに気がついて、声をかけた時にはすでに中から返事はなかった。

 小梅と同じく、障子の穴に気づいた楓が中を覗き込むと、そこには誰もいなかった。


「内側からしっかりと鍵がかけられていたのです。僧達が蹴破って中に入りましたが、御堂内には他に出口はありませんでした。何が起きたのか、きっと見ていたのは小梅だけです。けれど、あの子は目を————」


 小梅は一命をとりとめたが、顔の左半分にぐるぐると巻かれた包帯姿は痛々しい。

 かなり出血したため、小梅は夜になってもまだ目を覚ましていない。

 小梅が目覚めてから、一体何があったのか詳しく聞くつもりではいるが、鍵のかけられた密室状態の部屋から、どうやって桜子が出たのか、自ら出たのか、何者かに連れ去られたのかもわかっていないのだ。

 ただ忽然と、桜子は消えてしまったという事実だけがそこにある。


「……どうして、こんなことに」


 こんなことになるのなら、自分がお役目を終えて戻ってくるまで待っていて貰えば良かった、と、葵は後悔する。

 そうなると、少しばかり出発時間が遅れて、屋敷に戻ってこられるのは夜になってしまうからと、気を使ったのがいけなかったのだと……


 大切な姫は行方不明、自分の代わりに行かせた女童は大怪我をして、まだ意識が戻っていない。

 葵は眉間にぐっとしわを寄せながら、ただ青い顔でおろおろとしているだけの女房たちを一瞥した後、改めて訊ねた。


「妃選びは明日ですよ? どうするのですか?」


 明日の昼前には、東宮殿へ出発しなければならない。

 だが、その肝心の桜子がいないのでは、話にならない。

 桜子の父である当主は一刻も早く探し出せと私兵を総動員させて山寺の周辺を探させているが、夜が更けてもなんの手がかりも得られていなかった。


「どうと言われても……私たちにできることなんて……」


 いつも一番しっかりしているはずの楓までもが、ひどく混乱しているようで、まるで頼りにならない。

 もともと他の女房たちも、誰かがはっきりとやるべき事を提示しなければ、何もできないような人達だ。

 これは自分がどうにかしなければならないと、葵は思考を巡らせる。


 ————総動員で探しているのに見つからないということは、山ではなく、どこかに匿われている可能性が高い。

 きっと、妃選びに姫さまを参加させないために違いない。

 それなら、犯人は他家の手の者かしら?


 他家が関わっているなら、橋を越えて他家の領地にいる可能性がある。

 すでに殺されているなんて最悪の状況は、考えたくもなかった。

 他家の領地まで捜索の手を伸ばすとなると、私兵を動かすわけには行かない。


「楓さま、当主さまは今どちらにいらっしゃいますか?」

「当主さま……?」


 葵が当主の居場所を気にする理由がわからなくて、楓は訝しげな目をしていたが、葵の次の発言によって、すぐにその目的に合点が行く。


「他家による妨害の可能性があります。当主さまに帝へ直訴していただきましょう。他家の領地を調べる許可と、妃選びの延期を」


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