嫌疑(四)
翌日になっても、母の体調がすぐれなかったため、私は希彦と一緒に呪詛のことを聞きに行くことになった。
あの人形を使った呪詛が、代々、母方の家に伝わるものだというのなら、母方の親類縁者であれば、呪詛のやり方を知っている可能性が高いか。
希彦一人で訊ねても警戒され、本当のことを話してもらえるとは思えない。
ほとんど交流はなかったとはいえ、妃候補である私が直接出向けば、何か手がかりが掴めるだろうと希彦は言った。
私たちが暮らす月和国————帝が治めるこの島国は、三つの川を隔て四つの領地に分かれている。
首都がある琥珀領の高山から流れ落ちる滝が合流して琥珀領の外側を囲う堀のように流れる大河。
その大河からさらに左右に広がるように二本の川が流れ、陸をほぼ同じ大きさの三つに割っている。
東の陸にあるのが私たちの一族が代々当主をしている紅玉領だ。
紅玉領は人間の横顔のような地形をしており、西側————川に近い地域は土地が低く、大雨が降るとすぐに川が氾濫するため、貴族が住んでいるのは川から遠い東側。
海沿いに密集していて、ほとんどの町が巖崖の上にある。
当主家の屋敷はその中でも一番東側にせり出した地域にあり、人間の横顔で例えるなら鼻の先の部分にあたる。
母の生家は一番北側の町にあった。紅玉領からすれば、一番宮廷に近い場所だ。
親戚とはいえ、新年の挨拶に祖父が挨拶に来ることはあったが、親戚づきあいはそれくらいだった。
母から生家の話はあまり聞いたことがないし、小さい頃に数度、母と訪ねたこともあった。
ところが数年前に叔父に代替わりしてからというもの、さらに疎遠になっていた。
正直、私が尋ねたところで誰が誰だかさっぱりわかりはしない。
それでも、向こうは私が娘であることはきっとすぐに気づくだろう。
何しろ私の顔は、あんな酷い顔になる前の母と瓜二つであるのだから。
古くから働いている女房や下男たちの多くが、私が成長するにつれて涙ながらにそう言っていたのだ。
「若い頃の奥様を見ているようで、なんだか涙が出る」と。
私の記憶の中の母も、確かに同じ顔をしていたと鏡を見る度に私自身がそう思うのだから、間違いない。
「……夕顔様……?」
現に今、こうして突然訪ねてきた私の顔を、最初に見た中年の下男が、まるで化け物でも見るかのように大きく目を見開いてそう呟いた。
屋敷の庭を掃いていた箒を手から離してしまうほど、心底驚いていたようだ。
「いえ、私は娘の撫子です。聞きたいことがあり、訪ねたのですが……今、叔父様はこちらにいらっしゃるかしら?」
「あ、ああ! 撫子様でございましたか!! 失礼をいたしました! 確認してまいりますので、少々、お待ちくださいませ!!」
下男は深々と頭を下げた後、そう言って慌ただしく屋敷の奥へ消えて言った。
「姪御が来たというのに、随分な驚きようだったな。まるで、幽霊でもみたような……」
希彦は不思議に小首を傾げていたけれど、にやにやといやらしい笑みを浮かべている。
何を面白がっているのかと、うっかりしかめ面になりそうだったが、感情を表に出しては負けだと私は感じていた。
「あまり交流がなかったものですから……母と間違えたのでしょう。無理もありません。今の母の様子からでは、とても信じられないでしょうけれど、ああなる前の母と私はよく似ているといわれていたのです」
「なるほど。それで、あのような反応だったのか……」
それにしても、と、下男が戻って来るまでの間、希彦は庭に一本生えた大きな木の方をじっと見つめながら、また小首を傾げる。
「あの木の下にいる娘も、撫子殿によく似ているが、この家の子供だろうか?」
「え……?」
私は希彦が見ている方向を同じように見た。
子供なんてどこにもいない。
「なんの話をしているのですか?」
「……おや、撫子殿にはあれが視えませんか? ということは、人ではない何かですね」
「……は?」
さっぱり何を言っているのかわからなかった。
人ではない何か……とは、一体なんだろうか。
希彦は木の方に近づくと、まるで木の下に本当に小さな子供がいるかのようにしゃがんで視線を低くした。
その子供と目線を同じようにしている風だった。私は何度も目をこすったが、誰もいない。
希彦が幹に向かって話しかけている。
そんな奇妙な光景だった。
「————……突然のことで、驚かれたでしょう」
「えっ?」
訝しげな表情をしていた私に気を使ったのか、それまで余計なことはほとんど話さず、護衛の役割を果たしているだけだった側仕えの男が言った。
「希彦様は、人の目には視えぬものが視える特別な目を持っておいでなのです」
「は……?」
ますます、何を言っているのかわからなかった。
詳しく聞こうとしたその瞬間、どたどたと大きな足音がこちらに向かって近づいて来た。
「撫子!! これは一体どういうことだ!!」
久しぶりに会った叔父は、眉間にぐっと深い皺を作り、顔を茹で蛸のように真っ赤にしてこちらに詰め寄って来る。
「まさかお前も、姉上と同じことをしたのか!?」
まだ、ここへ来た目的も、呪詛の話もしていないのに、叔父は激怒していて、絶叫した。




