嫌疑(二)
希彦の側仕えの男の話によれば、朝廷には帝直属の人探しやどの部署に任せるべきか微妙な事件などを調査する部署があり、希彦は若くしてその長を務めているらしい。
年齢はおそらく、私と同じくらいか、少し上といったところだろうか。
側仕えの男が小柄なせいか、余計に背が高く思える。
私の父も背が高い方だと思っていたが、その父が見上げるほどに希彦は大きかった。
父は茜と呪詛の話が全く結びつかず、驚愕の表情で希彦に詳細を訊ねる。
「呪詛? 一体、どういうことだ?」
「そのままの意味だ。呪詛は、紅玉領の得意芸だろう?」
「失礼な!」
「……呪詛をかけられたのは、中宮様である、と言ってもか?」
「……!」
中宮様と聞いて、父の顔色が変わった。
そして、一気に血の気が引いたように、黙りこくってしまった。
「かつて、中宮様を呪ったとして妃候補から外れた姫が紅玉領の出であったと聞いている」
その当時、呪詛に使われたとされる人形と同じものが、中宮様の寝所の側に密かに置かれていたらしい。
中宮様も、お付きの女房も当時のことはよく覚えていたようで、真っ先に疑われたのが同じ紅玉領出身で茜が宮中でのあれこれを学ぶために仕えていたのが橘の女御様だったそうだ。
しかし、女御様は「自分には関わりのないこと」だと完全に否定し、茜が当主家の女童であったことと、その当主家の北の方がかつての呪詛の犯人とされた私の母であることを話した。
そして、茜にその嫌疑がかけられたその日に不審火が起こり、茜が巻き込まれた——ということらしい。
「……それで、茜の背後にいるのが、私の母だとお考えなのですね?」
父が何も言わなくなってしまった為、私が代わりに希彦に訊ねた。
おそらく、橘の女御様とそのお付きの女房は、母の現状を知らない。
帝もそうだ。
だからこそ、この男はわざわざ帝の命を受けて、紅玉領へ派遣されたのだろう。
「いかにも」
「それならば、母本人に直接聞いてみるといいです。私がご案内しますわ」
私は希彦を、母の部屋へ連れて行った。
————母が呪詛だなんて、できるはずがない。
そう確信していたからだ。
* * *
屋敷の一番奥、母屋から見て北西にある離れ。
母がいるのはここだ。
四方を囲っている御簾の一つをあげると、あまり陽の当たらないこの離れに、年中敷かれた一重ねの白い棉布団が敷かれている。
そこへ横たわり、浅い呼吸を繰り返している女が母だ。その目は虚ろで意識があるのか、ないのか、起きているのか、眠っているのか、一見わからない。
「この通り、母はずっと、床に伏せているのです」
かつて、紅玉領で一番の美女と言われていた母は、まだ三十代にも関わらずげっそりと痩せ細り、腐臭のような嫌な臭いがする。
もう二年ほどこの状態だ。
顔や体のいたるところに奇妙な発疹ができては潰れ、滑らかだった肌には痘痕がいくつもできている。
原因はわからない。
医師によれば、おそらく体の内側にもできているのではないかという話だった。
持って残り数ヶ月というところらしい。妃選びが始まるまで持つかどうかも怪しい。
「こんな状態で、呪詛だなんてできるはずがありません」
「……なるほど」
希彦は、決して御簾を越えて中には入らなかった。
香を焚いて臭いをごまかそうとしているが、袖で鼻を塞ぎながら、起き上がることもできない母を一瞥してすぐに状況が理解できたようだ。
「母の世話は、私の周りにいる女房たちにはさせていません」
母の病は原因がわかっていない。
もし、周りにいる者たちにも伝染するようなものであったら、一大事。
私は妃選びから外されるだろうし、外されなかったとしても、ずっとそばにいてはこの酷い臭いが移ってしまうのは避けるべきだと、実の子である私自身、毎日見舞うことは憚られている。
それを私の女房になるはずだった茜が、私の知らぬ間に母に使われていたとは思えない。
「茜は裳着の後、私の女房となるはずでした。母の世話をしている世話をしている者以外は、ほとんどこの離れに来ることはほぼありません。梓————」
母の世話役として近くに控えていた下女の梓に母の体を少し起こすように促した。
母は耳が聞こえているし、一応、ゆっくりではあるが会話することは可能だ。
しかし、この通り誰かの支えがなければ起き上がることも難しく、呪詛などかけられるような状態では決してない。
「母上、こちらの方が母上に話を聞きたいそうです。話せそうですか?」
母はか細く消え入りそうな声で応える。
「ええ、大丈夫よ……はぁ、……どなたか来ているのね」
近頃、目があまり見えなくて申し訳ないと母は目を細めながら希彦が立っている方を向いた。
本当に醜くて、とても他人に見せられるような状態ではない。
よくこの状態でまだ生きていられるなと不思議に思うくらいだ。
「私は希彦。帝の命を受けて、調査に参った。夕顔殿、あなたに聞きたいことがある」
希彦が口にしたのは、母がこの家に嫁ぐ前まで名乗っていた名前だった。
「あなたが先の東宮の妃選びで行なった呪詛についてだ。誰から教わったのか、そして、誰かにそれを教えたか、だ」




