ノーサム伯爵邸での決意
社交界から帰るなり、レイヴンはノーサム伯爵夫妻の私室に乗り込んだ。
レイヤー・ノーサム伯爵も、コゼット夫人もガウンを着て寝支度に入っていたが、風魔法による伝達のおかげで、屋敷での出来事は伝わっていたようだ。
ジェーンはひとしきり怪我を心配され、早々にソファに座らされた。
(旦那様にも奥様にもご心配おかけしてしまって、申し訳ないわ)
「それより、父上、ジェーンを魔法学園へやるのは反対です!」
「今さらどうしたの言うのだ」
「ジェーンには、光魔法が発現したかもしれないのです。
王宮に取られてしまいます!」
取られるとは大袈裟な。命を取られるわけでもなかろうに。
まったく以て、義姉離れできない乳姉弟である。
「ふむ、光魔法とな……」
レイヤーは感心したように顎を撫でた。
「それに……」
レイヴンは拳を握りしめて、言い淀んでしまった。
「ほかにも何か気になることが?」
「いけ好かない男が、ジェーンと同じ年に入学します」
「「「…………」」」
ジェーンも、レイヤーも、コゼットも、思わず目を丸くしてしまう。
ジェーンが、何を言いたいのだろうか、と小首を傾げていると、夫妻は顔を見合わせてクスクスと笑い出した。
「ジェーンと離れるのが淋しのね、レイヴン」
コゼットがまなじりを下げた。
「さ、淋しいとかではなく……」
「あーなんだ……レイヴン、お前の気持ちもわからんではないが、既に手続きは終えている。
私が後見人となったんだ。今さら撤回したとなったら、私の面目が立たないだろう」
「ですが――!」
「なんだ、お前の気持ちはその程度のものなのか?」
「…………」
言い詰められ、レイヴンは黙ってしまう。
ぐるりとジェーンのほうを振り向くと、
「学園で、あの男と絶対仲良くしないでよね!
ほかの男に目移りするのもダメだからね!」
と叫び、部屋を駆け出してしまった。
「……どういうこと?」
ジェーンには、レイヴンの言動の意味がまったく理解できなかった。
「さて、ジェーン」
レイヤーは優しく語りかけた。
「はい」
ジェーンは背筋を伸ばす。
「今日は大変活躍したと聞いている。だが、あまり粗野な態度を取るのはおよしなさい。
何より、怪我をしてまで君が手出しすることではなかろう。
なぜそんなことになったんだね?」
すべて筒抜けのようだ。
「申し訳ありません。目の前のことに、その……」
「ん?」
「パ、パニックになってしまって!
以降、気をつけます。というか、目立つことは嫌いなので、大丈夫です、はい」
「なら良いんだがね。
コゼット、ジェーンを部屋まで送ってやりなさい」
「とんでもございません。このくらいの怪我、歩けますから!」
「ジェーン」
窘めるような口調に圧を感じる。
「君の後見人は私なんだ。
ノーサム伯爵家の後ろ盾がある者として、淑女らしい振る舞いを心掛けなさい」
「……はい」
「わかったならよろしい」
*
自室に戻ってベッドに寝そべったジェーンは、うーん、と低い唸り声を漏らした。
淑女らしい振る舞い。
これがどうにもジェーンの性分に合わないのだ。
記憶が戻る前からレイヴンと屋敷中を駆け回っていたし、戻ってからは逮捕術や制圧のシミュレーションもするようになった。
魔法があるので、捕縛にあたって、より良い手段はないものかと試したこともある。
ついでに、書庫にある法令関係も読み漁った。
〝現代〟日本における『警察官実務六法』みたいなものがなかったのは残念だ。
(あったところで、いずれにせよ女貴族には、聖女以外の仕事らしい仕事はないのだけれど)
一応、高位貴族の従者として仕えることはある。
ジェーンの母もそのパターンだ。
だが、大抵は結婚してしまえば家に入るもの。
母の場合は生家が貧しく、母乳もたくさん出たため、乳母として残ったのだ。
今はノーサム伯爵から年金を受け取り、両親ともに近くの小さな屋敷で暮らしている。
ジェーンが伯爵家に残っているのは、ノーサム伯爵夫妻の好意によるものだ。
おかげで、レイヴンと一緒に高位貴族と遜色ない教育を受けられた。
(それでも、書庫があったのはラッキーだったわね)
前世の記憶が戻ってからしばらくは、脳内が混乱していた。
書物による情報がなければ、どの知識が今の常識なのか、判断がつかなかっただろう。
「それにしても、今日のレイヴンは何か変だったわよね。
普段は誰に対しても分け隔てない子なのに、いけ好かない男、だなんて」
あまりの美貌に嫉妬したのだろうか。
やはりまだまだ子どもである。
ジェーンはぼんやりと窓の外を眺めた。
月は、〝現代〟と同じように空に浮かんでいる。
「魔法学園に行くまで、あと三カ月……かぁ」
王都にある全寮制の学園。
育った伯爵邸を離れるのは少し寂しいけれど、いつかはそうなるのだ。
「刑事、頑張ってたんだけどなぁ。
女でも、騎士や法曹関係に就ければいいのに……」
今は考えても仕方ない。
だけど、今回の事件だって真相が気になってしまう。
どうしても急き立ててくるこれは、きっと性分であり、職能であり、本能なのだ。
この記憶があれば、何かできるかもしれない。
大都市に行けば、道は開けるだろうか。
ぐっと唇をかみしめながら、ジェーンは瞼を落とした。




