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課題初日のいさかい

 翌朝、ダイアナと共に宿を出ると、空にはほんのりと薄暗い雲がかかっていた。

 山の向こうなんて真っ暗だ。

 雨季、この感じではいつ雨が降り出してもおかしくない。


 ぼんやりと前世の梅雨や盆地の暑さを思い出させる。

 といっても、この地域は前世日本のような、肌にまとわりつく湿度は感じないのだが。


 集合場所に向けて歩いて行くなか、ふっと雲が途切れて、光が射した。


 それと同時に現れる、後光を背負った金髪の麗人。


 今日も今日とて、金髪に天使の輪っかができるような美しさに、ジェーンは胸やけを覚えた。


「ジェーン、おはようございます」

「ア、アルフレッド様、ごきげんよう」


 笑顔を作りつつも、なんとはなしに、顔が引きつってしまう。

 隣のダイアナに目配せすると、彼女は小さく会釈をして一歩引いた。


(うわぁ、これ、本当に〝恋仲〟の逢瀬(おうせ)とか思われてるのでは……)


 心の底からウンザリしつつ、ジェーンは口角の端をピクピクさせながら笑顔をキープした。


「男子生徒は別の宿舎ですよね? 課題も違うかと。何かご用でも?」

「いえ。ジェーンに会いたかっただけです。

 移動中はろくに会えず、ずっと気になっていました」


「…………」


 たしかに、よくよく言葉だけを考えてみると、ロマンチックなセリフに聞こえる。

 だが、そんな関係ではない。


「そうでしたか。ご心労をおかけしました。

 特に何か企てようなんて考えておりませんのでご安心ください」


「そういうことでは、ないのですが……」


 言いながら、アルフレッドが一歩にじり寄る。

 思わず片足を引いてしまった。


 ダイアナは口早に「お先に失礼します」とそそくさと立ち去ってしまう。


 待って、行かないで、助けてほしい。


 どんどん整ったご尊顔が近づいてくる。

 ぎゅぅっと目をつぶって後ずさるが、背中に壁が当たってしまった。


 ふわり、と髪が揺れる感覚がした。

 薄目を開けると……。


「ひっ」

「どうか、警戒しないでほしい」


 赤髪の毛先が、形のきれいな口元に寄せられて……。


 え、なに、なんなの、この状況!?


 エメラルドグリーンの瞳に貫かれて動けない。


「アル!」

 硬直したジェーンの耳に届いたのは、凛とした声だった。


 一瞬のうちに、目の前の顔に、不機嫌そうな色がにじむ。


「アル、こんな公衆の面前で逢引(あいびき)とは感心できないな」

「あ、あいびきなんかじゃありません!」


 ジェーンは大慌てで目の前の体をどんっと押して、声を上げる。


「……セド」

「アル、特別授業の生徒は課題が違うんだ。

 互いに移動しなければならない。迷惑をかけるつもりか?」

「君に言われるまでもない」


 王子と公爵家の嫡男が敬語なしでのお喋り。思いっきりプライベートモードだ。

 そんな状況も肝が冷えるから、目の前ではやめてほしい。


「愛しのジェーン嬢になかなか会えないのは同情するが、節度を弁えるんだな。

 ジェーン、君もだ」


「私は何もしておりません!」

 言いがかりもいいところだ。


「ほう。では、嫉妬に駆られた獣に追い立てられたか」


 声に笑いが混じっている。

 アルフレッドは突き刺すような瞳をセドリックに向け、全身に冷たい気配を漂わせた。


「セドが、約束を守れない男とは思っていない」


 約束?


「わかっているさ。だが、選ぶには本人の意志もある」


 何の話をしているのだ、この二人は。

 けど、やはり相変わらずけんかは続いているようだ。


 いい加減、偉い人たちの面倒事に巻き込まれるのは、ウンザリだ。


「あの、なんの話かわかりませんが、私を巻き込まないでください!」


 勝手に火花を散らす二人に、ジェーンは割って入った。


「お二人のような方がバチバチやってらっしゃると、一般人からすると怖いんですよ。

 私をネタに何をなさろうとしているのか、私の立場からはなんとも言えませんが……」


 なんといったら、うまく伝わるだろうか。

 ジェーンは、言葉を探して頭をひねった。


「監視下にあるのは、重々承知していると、何度も申し上げたはずです。

 ですが、ご身分の高い方の見世物じゃありませんし、お戯れにお付き合いする気もありません。

 ハッキリ言って……め・い・わ・く、です!」


「「…………」」


 二人は表情をなくして、ジェーンを見つめた。


「この遠征は、基本、団体行動。足並みを揃える必要があるでは?

 なのに、国の次世代を担うような方々が、それを乱すなんて、言語道断ですわ!

 遊びのつもりなら――ッ」


(お家に帰りな!!)


 と言いかけて、なんとか言葉を呑み込んだ。


 さすがにそれは不敬罪に当たるだろう。

 前にやらかしたように、本音と建前が逆になるのは避けたい。


 けど、ジェーン自身はこの状況を、古代コロシアムの観客席に座る貴族と、殺し合いをさせられる奴隷のようなものに近い、と捉えている。


 身分の高い人間は、残酷にもそれで笑って飯が食えるのだろうが、試合会場に放り込まれたほうとしては、たまったものではない。


 現場をろくに知らない〝キャリア〟と呼ばれる警察エリートや、官僚だってそんな節はある。

 現場の人間が、どれだけ血反吐をはいて、必死に靴底を減らしているかなんて、想像だにしないのだ。


 人をダシにして、何が楽しい。

 やっぱり、ダイアナの言う〝恋仲〟なんて、周りのただの妄想、妄言だ。


「とにかく、人をネタにけんかして遊んでいるお暇があるなら、早く仲直りなさってください。

 お二人の空気は、ほかの生徒へ大きく影響します。おわかりですよね。


 セドリック殿下のおっしゃったよう、移動があります。

 私たち特別授業の人間は少し遠出をしますので、もう失礼させていただきますね」


 念を押してから、ジェーンはぷいっと顔をそむけた。

 赤い髪が風にたなびく。


「すまない。君を怒らせるつもりはなかったんだ」


 アルフレッドの焦りをはらんだ声を背中で受け止めながらも、ジェーンは振り返らなかった。


 ジェーンの姿を見送ると、アルフレッドは路傍(ろぼう)の壁に、ゴチンと頭を打ちつけた。

 その背中をセドリックがトントンと叩くが、アルフレッドは思い切り振り払う。


「セド、君はどこまで本気なんだ」

「何の話だ?」

「妃のことだ」

 間髪入れずに問い質す。


「言ったではないか。選択権は本人にある。

 だが、君の好意は伝わっていないようだな」


「君の気持ちはどうなんだ!」


 アルフレッドが声を上げると、セドリックはスッと目を細めた。酷薄な笑みが口元に浮かぶ。


「君に、何がわかる」

 低い声が漏れる。

「私が優先しなければいけないものは、わかっているな」

「国民」

「その通り」


 セドリックはそのまま、アルフレッドの肩に手を置いた。軽く。だけど、重圧を負った手で。


「国、ひいては国民こそが、私が最も守るべきものだ」

「……それは、立場の話だろう」


 セドリックは鼻で笑った。


「さすがセド。なんだ、よくわかってるじゃないか」

「アルの考えが、いや、感情がわからなくなってきた」


「だから焦っているのか」

「当然だ」


 焦燥感に満ちたアルフレッドに対し、セドリックはおどけたように肩をすくめた。


「この話はまた今度だ。

 我々も移動しなければ、遅れてしまう」


「なっ――」

「ジェーン嬢に言われたではないか。基本、団体行動だとな」


「…………」


 憮然としたままのアルフレッドに、セドリックは悠然と背中を向けた。

 アルフレッドは口の中で舌打ちをして、その後ろに付き従って歩みを進める。


 嫉妬に駆られた獣。


 まさにその通りだ。

 いつまでも警戒心を解いてもらえない。

 何を言っても伝わらない。


 幼い頃から親しい乳姉弟。


 そして――示された妃の座。


 何もかもが、及ばない。ただひたすらに煩わしい。


 こんなに苦しむなら、恋心など……。


 渦巻く黒い感情をやり過ごすように、アルフレッドは空を見上げた。


 高い山々に覆いかぶさるように、鉛色の雲が低く迫って来ていた。

 周りから隔絶され、身動きが取れないかのように。

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