傾国の赤髪
輿入れ……もとい人質の話を持ちかけられた翌日は、事件のオンパレードだった。
ひとつは事件とはいえない、刑事事件にも民事事件にもならない、私的な諍いといったほうが正しい。
だが、ジェーンにとっては一大事。
まずは朝、教室に着くなりアルフレッドがセドリックに食ってかかったのだ。
同じ教室ではあるが、セドリックは後方廊下側に座している。
窓からの外敵に備えられ、教室の入り口には護衛が待機できるからだ。
なので、普段窓側に座るジェーンたちは、近づこうとしなければそうできた。
「セド……リック殿下、どういうことですか! ジェーンを脅すなど!」
なのに、アルフレッドは臣下ということも忘れかけて、声を上げたのだ。
セドリックの席にバンと手をつき、覗き込む。
温厚で寡黙なアルフレッドの大声に教室中がざわめき立つ。
ジェーンはその後ろ、教室の扉のところで泡を食ったように大口を開けるほかなかった。
左右にいる護衛の殺気が怖い。
「脅す?」
セドリックは心当たりがない、といった具合に問い返す。
アルフレッドも、周りを気にしたのか、声を落とした。
「……人質など。彼女には何もしないとおっしゃったではないですか」
セドリックは目をしばたたくと、アルフレッドとジェーンの顔を交互に見やった。
そして、ポンッと手を叩く。
「なるほど。ジェーン嬢はそう受け取ったのか。それは誤解だ。
彼女はいたく勉強熱心だからな、王宮の書物を提供してもよいと提案したのだ。
だが、王族でなければ閲覧できないものもある。
だから王家に輿入れするなら、私の妃の座が空いていると言ったまでだ。
ジェーン嬢にその気はないようだから安心したまえ」
声を落とすこともなく、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
ジェーンの全身に鳥肌が立つ。
教室内にも動揺が走り、みんな何か口々に騒ぎ始めた。
(胃が……胃が痛い……)
「妃……」
低く冷たい声で、アルフレッドが責めるように言う。
それに対してセドリックは、
「アルフレッド、ここでそなたを不敬に取るつもりはない。
だが、場は弁えろ」
と、一括した。
その顔には、いつもの陽気さはない。ただただ無表情。
頂に連なる者の圧に、教室も水を打ったように静まり返った。
セドリックは顔を歪めるも、膝を折って頭を垂れた。
「大変なご無礼を、申し訳ございません」
「ふむ」
セドリックは大きくうなずき、いつもの嬉々とした顔に戻ると、席を立ち上がった。
入口で固まりっぱなしのジェーンのところへやって来て、彼女の手を下からすくうように取った。ダンスの誘いのように。
「誤解は解けたかな? 君を悪いようにしようとは思っていない」
ジェーンは酸欠の金魚のごとく、口をパクパクさせる以外動けなかった。
教室中が固唾を呑んで、この様子を注視している。
なんなら、廊下側からも視線を感じる。
(もう、いい加減にしてよ、この人たち!!)
めまいを覚えて、後ろ向きに数歩たたらを踏む。
それを、セドリックの護衛が機敏に動いて支えてくれた。
「どうしたんだい? 体調が悪いのか?」
「……いいえ。体調は万全です」
絞り出すように答えるのが、精いっぱいだった。
◇
噂は瞬く間に学園中に知れ渡った。
「あの子でしょ、アルフレッド様だけでなく、セドリック殿下にまで媚びを売るなんて」「とんだ成り上がり者ね」「分を弁えてるのかしら」
移動で教室から出るたびに、そんな声が聞こえてくる。
しまいには、「傾国の赤髪」という不名誉な二つ名がつくほどに。
そして……。
「なんでアルフレッド様だけでなく、セドリック殿下にまで監視されなきゃいけないんですか!
余計に噂が尾ひれをついてヒートアップするじゃないですか!」
何が楽しいのか、セドリック殿下にまで四六時中つきまとわれた。
護衛つきなので、ジェーンを先頭に、セドリックとアルフレッド、その後ろに護衛二人と、物々しい一行となっている。
「私の平穏がってお話しましたよね!」
「既に噂が広まってしまったんだ。
私が側にいれば、ジェーン嬢に手出ししようなんて輩も現れないさ」
ケロリと笑うセドリックだが、ただ単にこの状況を楽しんでいるとしか思えなかった。
「だったらいっそ放っておいてください。
何か仕掛けられても、格闘には心得があります。
そのほうが一人ずつ吊るし上げられて、さっさと片づきそうですわ」
「おやおや。ずいぶんと物騒なことを言うね」
その隣で、朝からずっと不機嫌なのがアルフレッドだ。
いつもの整った顔には深いしわが刻まれ、透き通るような肌も血流が悪いのか青黒くなっている。
飽きるまで放っておくしかないのかしら。
そんなことを思いながら足早に歩くジェーンの耳は、ひとつの単語……いや、名前を捉えた。
「レイヴン様もお気の毒よね。あんなあばずれと長年ご一緒だったなんて」
「レイヴン様も王都での地位向上を狙っているのかしら」
ピタリ、と足を止めて声のほうを振り返った。
二人の女生徒たちは、ジェーンの視線に気づくと足早に立ち去っていく。
「……」
ジェーンは、ぐっと奥歯を噛みしめた。
「ジェーン、どうしました?」
アルフレッドの問いかけに、「いえ」と短く答えて、また歩き出す。
自分だけならいい。
何を言われても、何も気にしない。
だからどうした、で終わりにできる。
だけど、大事な弟分まで悪く言われるのは、看過できない。
来年にはレイヴンも入学してくるのだ。
ジェーンが悪し様に言われ続けたら、レイヴンにどんな悪影響を及ぼすか……。
「私の考えが浅薄でした。
ですが、あなた方もですわ」
振り返って、セドリックとアルフレッドに吐き捨てる。
「来年には私がお世話になっているノーサム伯爵家ご長男が入学されるのです。
私に悪い噂がついて回れば、彼やノーサム伯爵家の印象も悪くなります。
それとも、そうやってノーサム伯爵家を貶めようと?」
護衛からはほんの少しの〝気配〟を感じたが、セドリックとアルフレッドは顔を見合わせだけだ。
何も返してこない二人に、ジェーンはプイと踵を返した。
取り残されたように、二人はしばし立ち止まった。
「……レイヴン、だったか」
セドリックが顎を撫でる。
アルフレッドは、さらに深く眉根にしわを刻んだ。
そんなアルフレッドの肩に、セドリックはぽんと手を置いた。
「……ここでなければ、この手を振り払っている」
護衛にも聞こえない囁き声。
「はは、そう怒るな」
セドリックも小声で返した。




