禁書3―メアリーー
自室に戻り寝巻に着替えたジェーンは、メアリーに髪を梳いてもらいながら、ぷりぷりと頬を膨らませた。
「まったくとんだ食わせ者よね。
新たな情報が欲しければ王家に嫁げ、だなんて。
それってつまり人質ってことでしょう。
飼い殺しなんてまっぴらごめんよ」
歴史の授業なんかで、似たような話があったように思う。
協定のために妹を嫁がせたり、幼少期の次期当主を抱え込んだり。
時代も人物もすっかり忘れたが、子どもを人質に取るなんて、という衝撃だけは覚えている。
「のんびり過ごしてきたこの国が、そんなひっ迫した状況だなんて思わないじゃない」
「お嬢様、あの……」
「なになに? メアリーは最近まで学園にいたのだから、いろいろと知っているわよね?」
鏡越しに、目を輝かせる。
「いえ、そうではなく……」
メアリーは思ったのだ。
レイヴン、アルフレッド、そしてセドリック。これでジェーンに惚れた男性は三人か、と。
かねてからの男性二人は伯爵家、公爵家の嫡男、セドリックに至っては第三王子で王位継承権すら持っている。
ノーサム領とミドルトン領とでは、爵位や規模、主要都市といった格の違いはあれど、どの縁談も、普通の令嬢なら喉から手が出るほど欲しいはずだ。
むしろ、どんどん規模が大きくなっている。まさか王族まで手なずけるとは……。
なのに、なぜこうも、異性からの好意に気づかないのだろうか。
「朝から夜まで頑張られていますので、お疲れかと思います。
ゆっくり休んでくださいませ」
「そうねぇ」
ジェーンは唇に指を当てた。
「ホシを上げるまで落ち着かないのよねぇ」
「ホシ?」
「うん。ホシ」
犯人を示す警察用語だが、ジェーンはこのくらいのぼかし方なら怪しまれないと踏んだ。
「金色の縦に巻かれた小さいホシと、どこにあるかもわからないでっかいホシを捕まえるの」
「……いつからメルヘンになったのですか?」
「あぁ、ホシって言うとそう思う?」
ジェーンは眉をハの字に下げて笑った。
あまり気が進まないということだけ、メアリーは察した。
「そのお星さまを捕まえないと、お嬢様はどうなるのでしょう?」
「小さいホシは、私が苛々するわね。あと女の子を泣かせることになる。
でっかいホシはね……」
ジェーンは鏡越しではなく、体ごと振り返った。暗い顔をしている。
「メアリーにも、迷惑かけちゃうかもしれない。
それこそ、命に関わるような。ごめんなさい」
メアリーには、返す言葉が思い浮かばなかった。
「私がセドリック殿下の人質になれば、みんなの安全は保障されるのかしら……」
言いながら、ジェーンは鏡台の椅子から立ち上がった。
メアリーとは目を合わせようとしない。珍しく、心の底から悩んでいるようだ。
「あの、お嬢さま……」
「ん?」
思わず声をかけてしまったが、何と言って慰めればいいの、言葉が見つからない。
人付き合いを避けてきたツケが回ってきている。
「お嬢様が、おっしゃいました。
人の人生を誰かが勝手に決めるのはおかしいと。歯向かった私は、誇りを持つべきだと。
私は、その……嬉しく、思いました」
ジェーンは、ほぅっと息を呑む。
少し立ち呆けになったまま、ふわりと、梳いたばかりの髪を揺らした。
「ありがとう、メアリー。
そうね。私だけの問題なら、そうしたいところだわ。
けど、私のせいで大好きな人たちを苦しめたくないの」
様子が違う。
少女が急に大人になったような、そんな雰囲気。
かねてから規格外なところはあったが、それでもまだ、伸び伸びとした少女だった。
それだけ輿入れのことが響いたのだろうか。人質ではなく、ただの求婚だと告げたほうがいいのか。
それでも――
「じゃあお休みなさい、メアリー。下がっていいから」
「はい。お休みなさいませ」
メアリーには、政なんてわからない。
聖女なんて制度に巻き込まれず、市井で平々凡々に暮らせれば良いと思っていた。
侍女用に誂えられた部屋でベッドに腰かけ、自分の両手を見つめる。
どういうわけか、魔力は群を抜いていた。
稀代の使い手だと褒めそやされた。
自他ともに、それは事実として認めている。
「お嬢様のために、できることってないのかな……」
敬語の抜けた、生まれ持った言葉で呟いた。




