禁書2―セドリックとジェーン3ー
「なるほど。
つまり、知っているものもあれば、知らないものもある。
君の知識と異なる部分もある、と」
時計が十九時を告げる頃、ジェーンとセドリックは本日の結論に入った。
解読は、まだほんの少ししか進んでいない。
「はい。といっても、私の知識はごく一部のものでしかないはずです」
そもそも足で稼ぐタイプの捜査官。専門が違うため、細かい点はわからない。
だけど、そんなことは言えない。
何とか説明できるのは、そのくらいだ。
「しかし驚いたな。
禁忌のキノコは知っていたが、それも君の言う毒だったとは」
呪いの次は、禁忌か。
「そうですね。禁忌とはすなわち、食べないように、と言い含めるための教えかもしれません」
「ふむ……」
セドリックはしばし考えてから、続ける。
「食事に毒のキノコを混ぜられたら、死ぬな」
「量によりますが、種類によっては、はい」
ジェーンは慎重に、だが誤解を与えないように答える。
安易に否定して、王子の身に何かあってはたまったものではない。
「ジョイラスが用いた毒は南洋の植物から採れるのだったな。
呪いや禁忌に関する事件……毒の出所を辿れば、足跡を追えるのではないかと思ったのだが……」
それを聞いて、ジェーンはようやくセドリックが禁書を持ち出したことに合点がいった。
毒という概念がなくても、呪いや禁忌という形で伝わってきたのだろう。
そのうえで、作為的に用いるという概念が欠落しているのだ。
それはそれで安全なのかもしれないが……。
「中にはその辺に群生しているものもありますから、毒だけを手掛かりに辿る線は無理ではないでしょうか。
というより、そのくらい殿下ご自身でこの禁書を調べればよかったのでは?」
「毒というものは、君からもたらされた情報だ」
「あぁ……」
そういえば、そうだ。呪いの水ではないと言い出し、毒という言葉を使ったのもジェーンからだった。
面倒くさいことから逃れようとして、自爆しているではないか。
「そして、毒について知る私を野放しにできない、と」
ジェーンが諦めたように言う。
「その通り」
「いい性格をしていらっしゃいますね」
「国を守るのが王家の使命だ」
途端に声のトーンが低くなる。まるで何万回と口にしたような、あまりにも言い慣れた言葉。だけど、そこには魂が籠っている。
ジェーンは固まってしまった。
「先ほど、ミドルトン公爵領が担っている役割について尋ねたな?」
「え、あぁ、はい」
禁書に当たっていたため、急に話を引き戻されて声を上擦らせる。
「近隣国とは友好関係を築いているが、ミドルトン領が落ちたら、攻め入られる可能性はある」
「攻め……せん、そう……ですか?」
「それ以外に何がある」
セドリックは鼻で笑った。楽しんでいる様子の一切ない、冷笑だ。
「広大な領土、潤沢な資源、貿易の要、我が国の国庫はミドルトン領といっても過言ではない。
間者の流入も防がねばならない。つまり、軍事力の拠点でもある」
「……」
「北国のお嬢様には、刺激が強かったかな」
「……いえ、そういうわけでは」
ただ、前世で戦争に遭ったことがなかっただけだ。
犯罪者とは対峙しても、国と国との争いなんて、肌で感じることはなかった。
言い淀むジェーンを、セドリックはしげしげと見つめ、違和感を抱いた。
これだけの知識も知恵もありながら、なぜそこに思い至らなかったのか、と。
やはり、これまで披露した話は、誰かに渡された「台本」なのだろうか。
とはいえ、即興劇であるなら、あまりにも的確に打ち返してくるのは、道理に合わない。
「戦争は、起こるのでしょうか」
「ノーサム伯爵家では、どの程度の歴史を?」
「……魔法学園の内容についていける程度には」
「なら、わかるだろう。ここ数百年のあいだ、我が国が攻め入られたことはない。
しかし、領土を拡大するために侵攻したことはある。
その拠点となったのもミドルトン領だ。
歴史上、諍いの途絶えた時期などない」
「はい」
「侵攻にあたり、血が流れなかったことがあると思うか。
いつ何時、どこから寝首を掻かれるか、わかったものではない。
国内でさえ、決して安泰とはいえん」
「……」
ジェーンは俯いてしまった。
「アルフレッド様は……」
セドリックは、突如ジェーンから出てきた名前に目をしばたたかせる。
「アルが、どうした?」
「親切に接してくださるのに、そんな重い任務を担った公爵領の時期ご当主なのだと、改めて考えてしまいまして……」
おや、とセドリックの中で、為政者ではなく個人的な好奇心が疼き出す。
しかし――
「第三王子である私の前で言う言葉か?」
と、呆れてしまう。
「あ。そ、そうですよね。殿下こそ、国の……あれ?」
ジェーンからひょうきんな声が漏れた。
「どうした?」
「王位継承権があることは存じているのですが……王族の方とご縁があるとは思わず、あまり世情に詳しくないもので」
目を泳がせている。
「あーでも、関わりたくないので知らなくていいです」
「王位継承順か」
「知らなくていいです!」
ジェーンは話を切り上げようと、慌てて立ち上がった。
「王都にいれば、すぐ耳に入るさ」
「……きっとそうなのでしょうね」
がっくりと頭を垂れる。
「次はいつにする?」
「……お忙しいのでは?」
「構わない。なにせ、第“三”王子なのでな」
嫌味たっぷりの言葉に、ジェーンは思わず物理的に耳を塞ぐ。
「止めてください!」
「ははは!」
何がツボなのか、ジェーンにはよく読めない人だと思った。
だけど、ジェーンとしても禁書を読み進めたいのは事実だ。
今のところ、なぜ封じられたのか、推察すらできない。
この国の成り立ちも掴めず、最後まで読んでも、結局毒物に関する知識しか得られないかもしれない。
「ほかにも、封じられた書物はあるのですか?」
「ほう。それを聞いてどうする」
「申し上げたとおりです。この国のことをもっとよく知りたいと。
政府機関や思想の成り立ちがわからないんですよ」
だから、調べるしかない。情報を集めて、仮説を立てて、検証して、そのうえで何ができるか。
もっとも、前世だって歴史をさかのぼれば、女性に身分や権利がなかった時代はある。
自身が生きていた時代だって、国や地域によってさまざまだ。
この国だって、それだけのことかもしれない。
そんなのおかしいと主張するほうが、異端なのかもしれない。
「女性の仕事が聖女しかない、だったか?」
「はい」
「やはり不思議なことを言う。考えたこともなかった」
では、この活動に、意味はないのか。
そう諦めかけて、目を伏せたときだった。
「私も王宮内を見ておこう」
「……へ。いいの、ですか?」
「禁書となっていなくとも、国の成り立ちについての資料ならあるはずだ。
為政者として、私も学ばなければなるまい」
まるで叱られた子どものように、セドリックは首をすくめる。
暗く淀んでいたジェーンの顔が、にわかに気色ばむ。
「ありがとうございます!」
ジェーンはピンと背筋を伸ばした。その勢いで、赤い髪がしなやかに揺れる。
鼻の穴が膨らみ、口元もニヤニヤとしている。
決して上品とも美しいともいえない、貴族らしからぬ表情。
それなのに、晴れ晴れとしたまぶしい笑顔に、彼女の周りだけ光度が増したようだった。
ちくり、とセドリックの胸に何かが刺さった。
何かわからない。それでも、この光を、誰にも見せたくないと思った。
親友の顔が脳裏をかすめるも、すぐに思考の奥に追いやった。
それよりも、今目の前にいる娘を、もう少し翻弄させたい気持ちが、むくむくと湧いてくる。
「だが、問題はあるかもしれないな」
セドリックは神妙な面持ちで切り出した。
「問題……」
「知ることを許されるのが、王族に連なる者のみという場合だ。
もしくは王のみということもある」
「そうですか。それならば仕方ありませんね」
「そこで、君に提案できるとすれば、ひとつだけだ」
疑わし気に、こちらを見た。
「王家に輿入れできるとしたらどうする?」
「……はい?」
「君が望むなら、私の妃として迎えよう」
「……」
潮が引いたように、瞼が半分落とされる。
「嬉しくないのか」
「なんで嬉しがると思うんですか?」
「普通の令嬢なら喜んで飛びつく話だろう」
「反逆者扱いしておきながら?」
「ははは! また一本取られたな」
ジェーンといると、いつも以上に笑うことが多い。
生まれながらに定められた王族としての在り方。
いつでも悠然に、泰然に、公正かつ公平に。
民のためにあらんとすべし、それが我々の使命だと。
それでも、時には深く気に入るものもあるものだ。
一方で、ジェーンは細く深い息をつくと、すげなく言った。
「お戯れが過ぎます」
足を一歩下げ、スカートを指で摘まんで頭を下げる。
「王太子殿下に対して、無礼な態度ばかり取ってしまい、申し訳ございません」
淡く彩られた視界が、急激に色褪せる。
こんな態度は、面白くない。
「本日は下がらせていただきます。
どうぞ、殿下もごゆっくりお休みくださいませ」
剝ぎ取りたい。ジェーン自身が嫌悪する、身分差という仮面を。
だけど側におけば、仮面をつけさせることになる。
「そうか。わかった」
別室で控えている従僕を呼ぶと、すぐに出てきた。
壮年の近衛兵。幼少期からセドリックの側を離れたことのない一人だ。
彼ならば安心して任せられる。
ソファの背もたれに片肘を置きながら、去っていく背中を見つめた。
赤い髪が、揺れる。
次第に眉間に力が入っていく。
「あぁ。アルもこういう気持ちなのか……」
そのまま、背もたれに頭をもたげた。
「間者であってくれたほうが、よかったな」
そうであれば、とんだ人心掌握術だ。
腹の探り合いのほうが、有意義な時間を過ごせそうだ。
だけど、どういうわけか確信している。ジェーンはシロだと。
あまりにも忖度がなさすぎる。
ただひたすらに、実直なだけだ。
親友の恋心など一時のものだと思っていた。ミドルトン公爵家とは家格が違いすぎる。
だが――
「親友の婚姻を、私は祝福できるだろうか」
その独りごとは、ソファの中に埋もれていった。




