禁書2―セドリックとジェーン2ー
「長く続いた伝統、常識。あぁそうですかって感じです。
私は光魔法が発現したところで、聖女になんてなりたくないですね」
「待ってくれ。聖女は尊き存在で――」
「そういうところが、もう思考放棄なんです」
唸るように言うと、ソファに両手をついてぐったりと姿勢を崩した。
「私の性格で、反逆みたいな面倒くさいことに絡むつもりなんてないですよ。
けど、私の侍女は聖女候補生で発現しませんでした。
それで、貴族でもない、平民でもない、後ろ盾を得て結婚するしかない。
勝手に祀り上げて、勝手に居場所を奪って、そういう少数派はどこに行けばいいんですか。結婚するだけが正しいなんて何が面白いんですか」
「おもしろ……?」
セドリックとて、自身は王族の中でも快楽主義ではあると自覚しているが、生き方についてとかく考えたことなどなかった。
生まれながらにして民の頂に立たねばならない。
男は男であり、女は女。階級があり、規律と規則、戒律がある。不文律だって。
「殿下のお立場からはわかりませんよ」
たとえ王家に生まれていなくても、ジェーンの言いたいことはわからないのではなかろうか。そんなことを思いながら、顎に手を当てる。
「私の発言も、殿下への態度も、不敬罪に問いたければどうぞ。
でも、両親やノーサム伯爵家、領民たちへの安全は保障してください」
両手を丸めて合わせると、テーブルの上に差し出す。
罪人が縄で捉えられるときのように。
「そういうつもりは、ないんだが……」
セドリックは戸惑うばかりだ。
ジェーンは喋り疲れたのか、どんどんソファに沈んでいく。腕を下ろすと、こてん、と頭も背もたれに乗せてしまった。
「念のために聞くが……私が王太子だという認識はあるのだよな?」
「わかってますけど、たぶん殿下は……。
なんというか、取り繕うのが面倒くさくなりました」
何を言いかけたのだろうか。
それでも、
「ははっ、面倒くさいは、ないだろう」
と吹き出してしまう。
「外ではきちんとします。というか、関わるつもりもありません」
「それはそれで淋しいものだな」
「そうですか」
ふと、セドリックの脳裏に、親友の鎮痛な面持ちがよぎった。
「アルフレッドの前ではどうしているんだい?」
ひょい、とジェーンは首だけを上げる。
「アルフレッド様ですか? 他の生徒たちの手前、礼節は弁えていますよ」
「……それは難儀だな」
アルフレッドが、とは言わずにおいた。
「で、私は今どういう状況なんですか?
禁書を読んでいいんですか、読まないほうがいいんですか?」
「……君、性格変わりすぎじゃないかい?」
「これが素です」
――前世での。
「そうか」
セドリックは改めて腕を組む。
どこまで本人に伝えたものだろうか。
ここまで考えついたのは、本人の能力ゆえなのか、それともやはり裏に手を引いている者がいて「台本」を彼女に与えたか。
しかし、彼女の思想自体が、いまいち理解ができない。
「残念ながら判断材料が少なすぎてね」
ジェーンはため息を漏らした。
その反応を見るに、今の言葉で伝わったのだろう。こちらが彼女の察している通りに動いていることは。
「ちなみにミドルトン公爵が亡くなったら、この国はどうなるんですか?」
「これまた直球だね」
「いつまで腹の探り合いすれば気が済むんですか」
「はは、それはそうだ。また一本取られたな」
「……」
「わかったわかった。先に君の見解を聞いても?」
「私は貿易の要を担っていることしか知りません。
ノーサム伯爵領では農作物はあまり育ちません。羊毛や洋織物が主な産業です。
ですから、死なれたら困ります。輸出できません」
「ふむ」
「ノーサム領にとって、殺害なんてなんのメリットもありませんね」
「だが、ノーサム伯爵が、ミドルトン領を手に入れたら?」
問われて、ジェーンは考える。
ノーサム伯爵の人柄としては、絶対にあり得ない。
だけどそれは身内贔屓の感情だ。
では、地理的にはどうか。遠すぎる。広大な土地を有する国の北と南の両極端。転移魔方陣がなければ、移動だけでいったい何日かかるのか。週単位かもしれない。
そもそも縁など何もないし、格が違いすぎるのに、支配できるはずがない。
「近隣だというシャーロット嬢のご実家のほうが喜びそうですけ――」
軽くなった口を、慌てて押さえる。
単なる当てずっぽう。国の重要人物に口から出まかせを吹き込んではならない。
「案ずるな。可能性は見越している」
「……はい」
さすがに調子に乗りすぎた、とジェーンは座り直す。
セドリックはテーブルにすいっと人差し指を置いた。
「政治というものは」
その目は、ジェーンを捉えたままで。
「いくつもの筋道を考えるものだ」
指はテーブルを滑り、縦に線を描いた。
「君を使い、ミドルトン公爵の救出をすることで、懇意になる」
鈍い眼光に、ジェーンは背筋に寒気を覚えた。
「もしくはミドルトン亡きあと、アルフレッドが領主となり、彼に君を嫁がせる」
今度は横に向かって指を動かす。
「……」
「いずれにせよ、君の救出劇は、ミドルトン公爵家とノーサム伯爵家の仲を取り持つこととなる」
「そ、そん――」
「違うか?」
ジェーンは言葉を遮られた。
圧だ。
今まで見せたことのない、王家に連なる者としての、他者を寄せ付けない圧力が、そこにはある。
家畜の鶏のような気分になった。
喉元を締め上げられ、鋭利な刃物が突きつけられている。
「どうした?」
目尻を下げ、口角を上げるセドリックに、ジェーンは言葉が告げなくなった。
それでも、言わなければいけない。
「……考えも、しませんでした」
「ほう?」
セドリックは膝に肘を立て、そこに顎を乗せる。
ジェーンは反論の余地について思案を巡らせる。何か、あるだろうか。
「君は、ノーサム伯爵はシロだという前提から入っている」
「……おっしゃる通りです」
これはまずい。
元刑事としても、失態だ。
先入観は、捜査を誤った方向へ導きかねない。
いやな脂汗が、全身を伝う。
完全に疑われている。ジョイラスなんて人物、風の噂程度でしか聞いたことがない。
それを証明するには――
「どうすれば、よいのでしょうか」
歯車が、どんどん悪い方向へと回り始めている。そんな気がしてならない。
だけど問わずにはいられなかった。
「君自身で潔白を証明することはできるかい?」
完全なる己の無罪を立証するとしたら、そんなのひとつだけだ。
「……ジョイラス氏の逮捕と、完全なる自白」
「そうだね。それができたら、疑う必要はなくなる」
「どこにいるのかも、どんな人物かも知らないのに」
ジェーンの顔が苦悩に歪む。
「だが、それが一番“手っ取り早い”と思わないかい?」
「……」
セドリックは、ノーサム伯爵への疑いは、既に排除しかけていた。
そもそもジェーンを実子の妻に迎えるために、養女縁組を白紙にした人物だ。今の話を真に受けている様子からして、ジェーン自身は何も知らされていないと見ていい。
ジェーンを使ったミドルトン公爵への接触や縁戚関係。
それを目論むなら、ジェーンがアルフレッドへもっと進んで働きかけるだろう。
アルフレッドから恋心を寄せられているのだから、あっという間に縁談もまとまるというものだ。
(だが……)
彼女の悪意への嫌悪感、何かしらを背負った覚悟。対して弱みはその周りへの過剰なまでの保護欲。
そして知識や知能が彼女自身に備わっているならば、それを使わない手はない。
「さて。この禁書はどうする? 開くかい?」
「……」
ジェーンは、顎を引き、改めて壊れかけた羊皮紙の束を見つめた。
一度目を閉じ、ゆっくりと開けると、セドリックを撃ち返すように見据えた。
「はい。もちろん」




