特別授業2
ニーナから声をかけられたのは、授業が終わってすぐだった。
「ジェーン様、ご迷惑をおかけして申し訳――」
「待って」
ジェーンは言葉を遮った。
いったい何回頭を下げれば気が済むというのだ。
「あのね、あなたなんでもかんでも謝りすぎよ」
ニーナは上目遣いに、前髪のあいだからジェーンを見つめる。完全におびえている。嫌がらせをした後ろめたさもあるのかもしれない。
「私だって事を荒立てたくないのよ。それでなくても、面倒くさいことになっているし」
脳裏に彫刻のような美貌と、鍛えられた体躯のニヤついた顔が浮かんだ。
とはいえ、特別授業の真っ最中にしゃしゃり出てしまったのは、痛恨の極み。
「けど……なんていうのかなぁ」
ジェーンは組んだ腕の上で、トントンと指先を叩く。
「まあ。率直に言って苛々するわね」
ビクッと、ニーナの肩が盛大に跳ねた。
「あなたに対してじゃない。こういう状況によ。
でも、あなたも煮え切らないって思っちゃう」
「申し訳……」
「だからそれよ!」
ピシッと、ジェーンはニーナの鼻先に指を当てた。
「いちいち謝らないで」
「……」
「あの金髪縦ロールが、あなたをどういう扱いしてるのかなんて知らないけど……」
フッ、と指先に鼻息が触れた。
ジェーンは、おやっ、と思って手を引っ込める。
「……金髪縦ロール?」
くっ、と喉の奥が揺れた。
「名前を出すのはどうかと思ったのだけど……。
でも通じるなら金髪縦ロールでいいわね。
とにかく、彼女に気を遣いすぎなのよ」
「ですが……」
ジェーンは、あ~と唸りながら、先日の審判のときを思い返す。
「領地での権利か何かだっけ?」
「……」
「それを握ってるのが、金髪縦ロールの実家なのよね?
でも、あなたが聖女になれば、そっちのほうが尊重されるわけだし、彼女も何も言えなくなるんじゃない? 力を見せつけるんじゃダメなの?」
「それは、なんと言いますか……」
ようやくおずおずと話し始めた。
「あの方は、自分より目立つ人がいたとしたら、すぐさま圧力をかけるかもしれません。
卒業までは、私が我慢すればいいのです」
「うわぁ……」
シャーロットはシャーロットで、単純に性格が悪い。だが、ニーナのほうも、これでは自らターゲットになりにいくようなもの。
これまた都合よく誂えられたものだ。
そういう性分が本人に合っているのであれば、口を挟む余地はないのだが……。
「あなたがそれでいいならいいけど、私はちょっと心配しているのよ」
「しん、ぱい?」
「あなた、私の教科書のとき、いの一番に名乗りを上げてくれたじゃない。
だから余計に嫌な目に遭ってなければいいけれど、とはね」
「……」
ニーナは視線を逸らした。肯定のサインだろう。
「遭ってるのね」
この状況をひたすらに我慢しているだけなのかもしれない。
「ねえニーナさん。
いきなり女子グループを抜けろ、なんて言うつもりはないし、あなたたちをかき乱すつもりもない。
でもね、嫌な目に遭っている人がいたら、それも人の悪意があるのなら……私、どうしても気になっちゃう性格なの」
これでも元刑事ですから。
「だから、耐えられなくなったら……というか、耐えられてるの?」
ニーナは両手でぎゅっとスカートを掴んだかと思うと、にわかに震え出した。
(あ……)
気づいたときには、ニーナの瞳から一筋の線が伝い落ちた。
(あっちゃぁ~)
ジェーンは横を向いて天井を仰ぐ。
「申し……うぐっ」
正面から見ないようにしながら、口癖のように発するニーナの口を手で塞いだ。
どうしてこうも面倒くさいことに関わってしまうのだ、と思いながら、ジェーンはため息をつく。
気を落ち着けるまで、数秒。
ゆっくりとニーナのほうに向き直った。
できるだけ、優しい声で。
「ねえ。無理はしないで。
私に何かできるとは思えないけど、つらいときに話を聞くくらいなら、ね?
アルフレッド様も気にしていらしたわ。
彼のほうが頼りになるかもしれない」
にこりと微笑むと、口を押えられたままのニーナは目を大きく見開く。
何か言おうとしているのが、掌に伝わってきた。そっと手を外す。
「なあに?」
「……して?」
「ん?」
「どうして……?
あんな、酷いことを、したのに……」
はらり、と零れたところで、涙腺が決壊した。次から次へとあふれてくる。
「まあ、実行犯なのは否めないわよね」
ニーナはまたも体を強張らせた。
「ただなんていうか……」
凄惨な現場を見ると、一周まわって図太くなるものである。
惨殺遺体や焼死体、血だまりもさることながら、糞尿やら腐敗臭やら、うじ虫のわいたあれやらこれやら。
犯人の殺意や狂気、悪意は自身に向けられたものではないし、今回の嫌がらせの類は性質が違うのも理解している。
閉ざされた<学校>という場所での人間関係。厄介なことこの上ない。
ただ、人間は暴走するとどこまでも止まらないのか、とどこかで悟る。そうすると、ちょっとネジが飛んでしまうのだ。
任務遂行のためには、いちいち騒ぎ立てていられない。被害者のため、遺族のため、未来の犯罪者を出さないため、市民のため、殉職した仲間のため……。なのに、しまいにはうっかり線路に落ちて――。
「私はちょっとタフというか、あまり細かいことは気にならないの」
「細かいことなんかでは……!」
「あなたがそれだけ反省しているなら、私はそれで充分よ。
金髪縦ロールみたいに、まったく反省してない輩には腹が立つけどね」
言って、ジェーンは肩をすくめた。
「……」
「ゆっくりお話したいところだけど、今日はこのあと用があるの。
特別授業のときだけでもいいから、気楽にしてちょうだい」
ニーナの視線はまた床を向いてしまった。
気持ちはわかる。特定の女子グループにいながら、いきなりライバル視していた相手と仲良くなんてできないだろう。
特にこういう外界と切り離された場所にいる、未成熟な若者は厄介だ。
いずれにせよ、特別授業では同じ班なのだ。
少しずつでも心を開いてくれたらいいな。
「じゃあ、またね!」
今無理に引き留めても仕方ない。
ジェーンは、あえて明るい声で手を振り、歩み出した。
その背中を見つめながら、ニーナはもう一度、スカートを握りしめた。




