光魔法と聖女
「あぁ、それは光魔法の授業ですね」
下校後にメアリーに話を振ると、アッサリと回答がもたらされた。
「やっぱりかー!」
ジェーンは思わずベッドに大の字にダイブする。
「光魔法って、五行の理から外れるんでしょう?
いまいちピンとこないけど、いったい何なわけ?」
「お嬢様、解説してもいいのですが、その態勢のまま聞かれますか?」
「…………」
淡々と窘めるメアリーの言葉に、ジェーンはベッドの端にちょこんと座り直した。
「よろしくお願いします」
「まず五行の理は理解されていらっしゃいますよね?」
「もちろんよ。
自然界にある分子に、自らの生命エネルギーを使って働きかける」
一種の氣功のようなものだと捉えている。
外を歩けば風は吹いているし、水だって湿度と考えれば理解できた。
土や火、雷だって、地面や火山、雷雲を思えば、確かに存在している。火山や雷雲となると縁遠くも感じたが、摩擦による火起こしや静電気をイメージすれば呑み込めるというものだ。
それに生命エネルギーを……というのは、この世界特有の不思議な感覚ではある。
「はい。ですが、光魔法は生命エネルギー自体に働きかける力、と定義されています」
「なにそれわからん」
「そうですよね」
メアリーは、自分の手を見つめた。
「私もその感覚が掴めず、発現できずに終わりました」
「……それって、感覚が掴めれば使えるようになるものなの?」
「えぇ、一応は。
ともあれ、聖女は呪いの他者や生命エネルギーに働きかけることで、作用・浄化するとされています」
ジェーンは腕を組んで考えた。
「なるほど。それで、医術は聖女頼りなのね」
病人の自然治癒力を増進させるとか、毒物の作用を停止させることができるわけだ。
例の社交界での毒殺未遂。
咄嗟に吐き出させたことは正解だったのかもしれない。
毒の効果を十割とすると、その手前。吸収率が七割、または三割なのかで、回復速度が変わる。
アルフレッドから聞いた「こんなに早く回復するなんて」というのは、そういう理論が成立しそうだ。
「だけど……毒物の分子はさまざまに異なるはず。
さすがに、そんなの把握しきれないでしょう。
光魔法や聖女ってそんなに万能なわけ……?」
ジェーンは独り言のように、つらつらと考えを口に出した。
これがウイルスや生物兵器なら、それ自体の生命エネルギーを断つということで、まだうなずける。
でも、化学化合物なら? そんな分子構成なんて専門家でもない限り把握できないはず。
ジェーン自身、靴底をすり減らしたり、監視カメラを凝視したりと、刑事としての捜査ならやってきた。
それでも科学的な検証は鑑識や科学捜査班、または法医学者なんかの専門家マター。化学や物理の科目なんてちんぷんかんぷんだった。
この世界では、感覚頼りでなんとかできるというのか。
「そもそも、ジョイラスという男は、どうしてあんな人目のある場でミドルトン公爵を狙ったのかしら……」
「お嬢様?」
思考にふけってしまったが、メアリーに声をかけられハッと我に返る。
「ご、ごめんなさい。えっと、なんだったかしら」
メアリーは小さくため息を漏らす。
「魔力に長けた者は、生命エネルギーを多く持っています。
なので、訓練によって覚醒できるとも言われているのです」
「でも、メアリーはできなかった……のよね?」
この話題は、本人にとって気持ちのいい話ではないかもしれない。
そう思いながら、おそるおそる聞いてみる。
「そうですね」
メアリーは顎に手を当てて考えた。
「私は、特に人を助けたいとか思わなかったからかもしれませんね」
「……どういうこと?」
「よくわからないのですが、他者の生命エネルギーを感知すると、それに共鳴するように発動するらしいです。
ですが……」
メアリーはふっと遠くを見つめた。
「まあ、なんといいますか。
子どもの頃から魔法を操るのは面白かったのですが、だからといって神童扱いされ、周りから勝手に聖女候補にされても、別に他人に興味なんてなかったので。
そんなのチヤホヤと崇めたてられたい人たちに任せておけばいいんです」
あくまでも平坦な口調で言ってのける。
ジェーンは思わずぽかんと大口を開けてしまった。
「……思ってはいたけど、メアリーってなんていうか」
「性格が悪いと思いますか?」
ジェーンは渋い顔をして、しばし黙り込む。しかし、スッと立ち上がった。
「いいえ。いっそ清々しいわ!
むしろ忖度がなくて、好感を持てる」
先ほどと打って変わって弾むようなジェーンに、メアリーも告げる。
「お嬢様も、変わっていらっしゃいますよね」
「そうね。よく言われる」
ジェーンは、肩をすくめて笑ってしまう。
変わっているのは、メアリーだって同じだ。
ジェーンは目立ちたくないと言いつつ、すぐに事件に首を突っ込むけれど、メアリーはその真逆。
ベクトルは違うものの、自分を曲げないところは共感できた。
「ねえメアリー、あなたとは友達になりたいと思っていたけれど、もっと仲良くなれそう。
これからはもっと思ったことを言ってちょうだい。
私は不敬とかそんなこと一切思わないから。どうかしら?」
握手を求めて、手を差し出す。
メアリーはその手を見つめながら、侍女としての基本の姿勢――両手を体の前で組む――のまま、自分の両手を握りしめた。
手を取ることを迷っている。
いくらそう言われたからといって、出自が変わるわけではない。
メアリーとしても、ジェーンのことは、気取ったところがなくて好感を抱いている。
けれど、それ以前に、主人と侍女という立場がある。
「嫌、かしら?」
ジェーンは不安になって、上目遣いに問いかけた。
「いえ、そういうわけではないのですが……」
「じゃあ決まり!」
ジェーンはメアリーの手を両手でがしりと掴むと、ぶんぶんと上下に振った。
「…………」
メアリーは呆気に取られてされるがままだ。
そんなメアリーを、ジェーンはソファへと引っ張っていき、放り投げるように座らせた。
正面にジェーン自身もぼふんと座り込む。
「ねえ。そんな性格なら、侍女なんて嫌じゃなかったの?」
どう答えたものかと、メアリーは俯いてしまう。
「怒らないから教えて」
「いえ。あまり自分の気持ちを話すのは得意ではないのです。
ただ……」
「ただ?」
メアリーは天井を見上げ、諦めたようなため息を漏らした。
「魔法学園を卒業した平民に、これといった嫁ぎ先はありません。
同じ平民からは上に見られ、かといって貴族からは下に扱われる。
聖女になれなければ、身の置き場がないのです。
そうすると、女中として貴族に仕え、縁談を手配してもらう道しか残りません」
「そんな……」
ジェーンは気楽に話を振ったことを、にわかに後悔した。
前世の記憶を思い出してから、騎士も法曹機関の局員も男性のみと気づいて、「将来どうしたものか」とは思っていた。
公務員のような仕事が聖女に限られるとはいえ、まだまだ先のことだと思って、深く考えもしなかった。
「女性って……なんでこんなに不自由なの」
絞り出すように、吐き出した。
「そもそも、なんで聖女は女だけなの?
生命エネルギー云々いうなら、男性にだってできそうなものじゃない」
問い詰めるようなジェーンに、メアリーはきょとんと首を傾げた。
ジェーンの主張する意図がまったく伝わっていないようだ。
「魔法に長けた男性は、騎士団か法曹機関に入るものですよね?」
「…………」
それが、この世界の常識ということか。
もどかしい。あぁ、もどかしい。
「なんだか納得いかないわ。
それに、聖女の活動って命の危険があるんでしょう?」
「はい。前に申し上げたように、不審死が続く土地に派遣されたり、他には被災地、戦地に赴くこともありますから。
ですが、それは騎士団も同じです」
言われてみれば、それはそうか。
けど、職がそれしか選べないなんて、やはり理不尽だし、業腹だ。
「やりたい人にだけやらせればいいって、メアリーの気持ちもわかるわ」
「それは何よりです」
「で、女中として勤めるのは嫌じゃなかったの?」
「そうですね……」
メアリーはこの一年に思いを巡らせた。
「選択肢がなかったのはありますが、ノーサム伯爵家の皆さまは、使用人一人ひとりによくしてくださるので、やりたくもない仕事をするより、ずっといいですね。
お嬢様も見ていて飽きませんし」
それを聞いて、メアリーは安堵の息を漏らした。強張った体が弛緩し、顔がほころぶ。
ノーサム伯爵は誰にだって親切で、そして厳格な人だ。
その恩恵をジェーン自身が感じている。
もう一人の父のように、親愛と尊敬を抱いているからこそ、胸の中が温かくなる。
だけど――
「最後の言葉は褒められている気がしない」
と、がっくりと頭を落としたのだった。
それでも、ジェーンは腹の奥に、黒い濁りのような何かが落ちるのを感じた。
それは瞬く間もなく、体内を駆け巡る。
血管を通して、肉が強張り、皮ふを割かんばかりに暴れ狂う。
全身が熱い。
怒りだ。
納得いかないことへの怒り。
規則といわれてしまえば、それまでではある。
白か黒かで解決できないことだって、山ほど見てきた。
前世では、上の決定に納得できず、一人で管を巻いたこともある。
女だからと舐められることもあった。
それでも、もっと自由だった。
「やっぱりおかしいわよ。人の人生を誰かが勝手に決めるだなんて」
「そうでしょうか」
「そうよ! メアリーだって、聖女になるの嫌だったんでしょう!」
「……はい」
メアリーはバツが悪そうに下を向く。
その様子に、ジェーンはキッときつく目尻を吊り上げた。
「罪悪感なんて覚える必要ないわよ、メアリー」
メアリーは答えない。
「だって、どうしても嫌なことや許せないことって、誰にだってあるわ。
それに歯向かったあなたは立派よ。
むしろ誇るべきだわ」
メアリーは疑わし気に、上目遣いでジェーンを捉える。
「……私、もっと勉強しなきゃ。
この国のこと、制度のこと、それから――」
セドリックに渡された、禁書。
封じられた過去が、唐突に気になり出した。
渡されてから怖くてしまいっ放しだったけれど、自分ができるのはそれだ。
でも、メアリーのいる場所で開くことは躊躇われる。
何か方法はないものか……。
(あ……)
心当たりなら、ある。
とても頼りたくはない。
諸刃の剣かもしれない。
だけど、セドリックやアルフレッドに頼るのが、手っ取り早いのは間違いないだろう。




