社交界での事件1
〝前世の記憶〟を取り戻したのも、馬車から落ちて後頭部を打ったときだった。
乗っていた馬車の車輪が石に乗り上げた途端、ドアが開いてしまったのだ。
ドアにもたれ掛かっていたのも運が悪かったといえよう。
それから二年が経ち、十四歳になったジェーンは乳姉弟のレイヴンの付き添いとして、初めての社交界に連れて来られた。
レイヴンはノーサム伯爵家の一人息子。
貧乏貴族出身のジェーンの母が彼の屋敷に仕えていて、小さい頃からよく遊んだものだ。
初めての社交界とはいえ、主役はレイヴン。
ジェーンは早々にカウチに座り、ふわふわに膨らんだドレスの下で、脚を組んで前世の最期に思いを馳せていたのだ。
(さすがに非番の日に痴漢確保したら、すってんころりん、頭を打って死にました……じゃあ、殉職は無理だよなぁ)
女だてらに着々と手柄を上げていたというのに、親には申し訳がないし、何とも情けない終わり方である。
あの日も、結婚式というハレの場だった。
華やかな社交場に、なにとはなしに前世を重ねてしまっている。
この記憶は何かしら役に立つものではないのか、と思ってノーサム伯爵家の書物を片っ端から漁ったこともあるが、王族の治める階級社会には関係なし。
騎士団や法曹機関はあるものの、女の出る幕はない。
何よりも、魔法ありきの社会ということで、前世で培った捜査方法なんて意味をなさないのだ。
難があるとすれば、魔法頼りで科学や医療の発展が乏しいことが挙げられる。
(女で活躍できるとしたら、聖女様くらいなものだけど、私には関係ないもんなぁ)
人は生まれながらに、五行の魔法を持っている。
土、水、火、風、雷。
まんべんなく平均的に使える人もいれば、どれかが突出している人もいる。
そして、五行に属さないのが光魔法を持つ聖女様というわけだ。
ジェーンの場合はどの魔法もとにかく平均値。騎士団にも法曹機関にも縁はない。
(役に立たないのに、なんで前世の記憶があるんだろう)
「ジェーン!」
「あらレイ、皆さまへのご挨拶は終わったの?」
見上げると、そこにはひとつ歳年下のレイヴンが眉根を寄せ、腰に手を当てていた。
茶色い髪にグレーの瞳、まだ幼いけれど端正な顔立ちなのだから、あまり顔にしわを刻んでほしくないのだけれど。
「あら、じゃないよ。ジェーン。君がいないから探したんだ」
「そうは言うけど、私の出番じゃないでしょう。
伯爵家一人息子が親の同伴なしの独り立ちなんだから、使用人の女が一緒にいたら迷惑になるわ」
「僕はジェーンを使用人だなんて思ってない」
十三歳ともなれば、義姉離れをしてもいい頃だというのに、すっかり懐いてしまっている。
ジェーンは膝に肘を置いて頬杖をついた。
「ダメよ。身分は身分なんだから。
私だって、あなたに付いて回ってご令嬢方からやっかまれたくない」
「関係ないよ。今日はミドルトン公爵と、そのご子息も来てるんだ。姉さんも一緒に来て」
「こら。姉さんと呼んではいけません、って何回も言ってるでしょ」
ぐいと腕を引かれて立ち上がるも、小言は止めてやらない。
まだまだお子様で、どうにも聞き分けがないのは困ったものだ。
腕を取ってエスコートしようとするのは避けて、レイヴンの一歩後ろをついて行く。
「ミドルトン公爵というと、南東部に領地がある交易の要を担っている方よね?」
「そうだよ。うちみたいな北部では、羊毛や機織りが主な産業なんだから、輸出のためにもミドルトン公爵家とは関係を維持しておきたいんだ。
だから、ジェーンも僕の関係者としてきちんと挨拶しておかないと」
「私が出張ったところで何の役にも立たないでしょうに」
(まあ、ノーサム伯爵家にお世話になっている身として、ご挨拶しないのは失礼か)
◇
会場に戻ると、高い天井にはふわふわと光が浮き、どこにいたって楽団の音楽が空気に乗って響いてきた。
火魔法と風魔法による演出だ。
音楽が耳障りなお喋りを遮ってくれるのはありがたいし、そのおかげでダンスフロアも盛り上がっている。
ミドルトン公爵の周りには人だかりができていた。
レイヴンは顔の前で掌を上に向け、風魔法を使って声を届けた。
器用なことである。ジェーンは魔法のコントロールがうまくできない。
ミドルトン公爵はレイヴンに気づくと、道を開けるように周りを促した。
「お初にお目にかかります。
わたくし、ノーサム伯爵家の長男レイヴンでございます」
「やあ。お父上から話は聞いているよ。
今日はご一緒ではないのかい?」
しっかりとした体躯に赤い頬。元は色白なのが日に焼けているといった具合だ。
「はい。一人で立ち回れない者に、家督は継げないと言いつけられました」
「なるほど。さすがノーサム伯爵。息子もそうすれば良かったかな」
ミドルトン公爵はそう言って、一歩後ろに控えていた少年に水を向けた。
彼がミドルトン公爵子息なのだろう。
促されるままに前に出て来たその姿に、ジェーンは目を見開いた。
柔らかそうな金髪に青い眼、白く滑らかな肌。
切れ長な瞳に鼻筋も整っていて、まるで一級品の彫刻ではないか。
紺色の礼服も上品さを引き立てている。
「初めまして。ミドルトン公爵家のアルフレッドと申します。
そちらのお嬢様は?」
宝石のような瞳がジェーンを捉える。
ジェーンは思わずひゅっと息を呑んでしまった。
「彼女は、わたくしの乳姉弟のジェーンです」
レイヴンが話を進めるため、ジェーンは慌てて片足を引き、スカートを指先で持ち上げた。
「はじめまして。ジェーン・マクファーレンと申します」
レイヴンと一緒に礼儀作法を習っていてよかった、とジェーンは胸を撫で下ろした。
というか、一人で立ち回るよう言われているなら、付き添いなんていらないではないか。
前世を思い出してからというもの、「刑事は目立つな」という性分が強まってしまい、こういう社交場は苦手なのだ。
「ふふ。可愛らしいお嬢さんだ。燃えるような赤毛が見事だね」
この赤毛も薄茶色の瞳も母親譲りだが、目立つから嬉しくはない。
「お、お褒めに預かり光栄です」
ミドルトン公爵が優しい眼差しを向けてくれるが、どもってしまう。
これではレイヴンの株を下げることになりそうだ。
早々に退散したい。
ミドルトン公爵はレイヴンと南北の情勢について話し始め、壁はないけど、壁の花状態だ。
(まあ、女なんてこんなものか)
給仕係がドリンクを運んできてくれたので、四人それぞれグラスを取った。
ミドルトン公爵はワイン、ジェーンたち三人はぶどうジュースだ。
「ジェーン嬢も十四ということは、アルフレッドと魔法学園で一緒になるのかな。
我が息子ながら、なかなか優秀だと思っているんだ。
困ったことがあれば、気軽に相談するといい」
「ありがたいご配慮痛み入ります。ですが、わたくしは学園に通う予定は……」
「姉さ……ジェーン何を言ってるんだい。入学手続きはもう済んでいるよ!」
「へ!?」
魔法学園への入学は、ある程度の爵位を持つか、優れた魔力があるか、あとはしこたまお金を積まなければいけない。
ジェーンにはまったく関係ないと思っていた。
まさか、ノーサム伯爵がお金を払ってくれたのだろうか。
小さい頃からレイヴンと変わらない教育を受けさせてもらったのに、そこまでしてもらうのは申し訳ない。
ジェーンの心の中にダラダラと脂汗が流れてくる。
顔から血の気が引いていくのを感じていた。
だが、それ以上にミドルトン公爵の顔色が急激に変わっていく。
呻き声を漏らして喉を押さえたかと思うと、パリン――と、手からグラスが落下して床で割れた。




