裂かれた教科書の指紋5
放課後。昨日の談話室にはジェーンとアルフレッド、セドリックのほかに、学生指導の教員が頭を突き合わせていた。
ローブをまとった初老の男性教員は、あぶり出しをした紙を手に取り、そこに書かれた名前を確認する。
「セドリック殿下、間違いないのですね。
この者たちがジェーン嬢の教科書を裂いてゴミ箱に捨てたということは」
「はい」
「ですが、誰かが見ていたわけではないのですよね?」
教員は疑わし気だ。
「彼女たちにはここに来るよう伝えてあります。
まずは話を聞いてみましょう」
セドリックが言うやいなや、ドアがノックされた。
入室を促すと、ぞろぞろと女生徒たちが入って来る。
「セドリック殿下、お呼びくださり光栄に――」
嬉々としていた金髪縦ロールの女生徒は、急に凍りつく。
ジェーンの姿を認めたからだ。
ほかに栗毛ソバージュ、赤髪ポニーテール、こげ茶のストレート、黒髪ショートと、この世界の髪型・髪色は多種多様だ。
五人とも身を強張らせている。
「皆さん、お掛けなさい」
教員が長机の窓際に腰かけ、ジェーンたち三人と、女生徒たち五人が対面するように座る。
女生徒たちは、机に置かれたズタズタの教科書から目を離せないでいる。
(こんなにわかりやすい被疑者なら、取調も楽だろうな。悪さなんかしなきゃいいのに)
ジェーンは内心呆れていた。
「昨日、こちらのジェーン・マクファーレンの教科書が、このように悪質な嫌がらせを受け、ゴミ箱に捨てられていたと申し立てがありました。
その件で皆さんをお呼びしました」
教員が切り出すと、金髪縦ロールがガタリと立ち上がる。
「わたくしたちがやったと仰るのですか!」
「お掛けなさい」
教員が圧を掛けると、金髪縦ロールはすごすごと席に着いた。
セドリックが話を引き継ぐ。
「君たちはミドルトン公爵家と縁がありますよね。
アルフレッドと共にいるジェーン嬢に嫉妬や対抗心を抱いたのでは?」
(ぬるい。そんな言い方では却って頑なになるだけだ)
「殿下、畏れながら申し上げます。
なぜ私たちが、そのような下級貴族に手出しする必要があるのでしょう」
栗毛が申し立てる。
(うむ。これは長丁場になるやつだ。
放課後だけで終わるだろうか)
「だけど、君たちはこの教科書を見て顔を強張らせていたではないか」
セドリックの言葉に、女生徒たちは顔を見合わせる。
「教科書がそのようにボロボロになっていたら、誰だって驚きますわ」
金髪縦ロールは強硬だ。このグループのボス的存在と見ていいだろう。
ジェーンは彼女の名前が書かれた紙に手を伸ばした。
シャーロット・フリン。商工業が盛んな地域を治める侯爵家の三女だ。
なるほど。アルフレッドと縁戚関係を望んでいた一人はこの人物か。
輸出入の要所であるミドルトン公爵家と、強い結びつきが欲しいのも頷ける。
平行線の会話を漫然と聞きながら、ジェーンはそう考えた。
「第一、証拠はあるのですか!
きっとその貧乏貴族が、私たちを貶めようとしているのですわ!」
血が上ったのか、シャーロットは机をバンと叩きつける。
侯爵家のご令嬢といっても、血気盛んである。
(証拠……あるんだけど、この世界では証拠能力にならないよなぁ)
採取した指紋との照合で容疑者を特定しても、それでは検挙に至れない。
なんとももどかしい感覚である。
「あなたも、殿下とアルフレッド様をたぶらかして、どういうつもりなのですか!
何とか言ったらどうなの!」
「へ、私?」
一人考え込んでいたものだから、シャーロットに水を向けられ、ジェーンは呆けた声を出してしまう。
「ガキが喚いてんじゃねえよ、証拠は挙がってんだ」
(自らの行ないには、責任がつくものだと考えております)
心の声と、口に出た言葉があべこべになってしまった。
「あ……」
慌てて口を押さえるが、出てしまった言葉は取り消せない。
女生徒も教員も、そして隣に座る男性陣も、食い入るようにジェーンを覗き込む。
ヒートアップしていた室内は水を打ったように静まり返った。
「え、ええっと、失礼いたしました。
自らの行ないには、責任がつくものだと考えております」
取り繕うように、先ほど言おうと思っていた内容を口にするが、誰も何も言えなくなっている。
教員が仕切り直そうと咳払いをした。
「ジェーン嬢、証拠とは?」
「…………」
指紋採取の工程を説明してもいいものだろうか。
いや、常識や理が違うこの世界で、あまりいい選択とは思えない。
ジェーンが俯いていると、隣から助け船が出た。
「証拠はこれです」
アルフレッドが、あぶり出しの紙をテーブルに滑らせたのだ。
「私は昨日、彼女たちにまじないを伝えました。
善人には幸せが訪れ、悪人には罰が下ると。
悪事を働いたからこそ、彼女たちの指紋がここに浮かび上がったのです」
いけしゃあしゃあと嘘を並べ立てるが、今のジェーンにとってはありがたい。
女生徒たちの顔から、血の気が引いていった。
「まじないですか。なるほど」
教員はキッと女生徒たちを睨みつける。
「これについては、どう申し開きなさいますか?」
科学よりも、まじないのほうが効果があるらしい。
女生徒たちは意気消沈して身を縮めてしまった。互いに顔を見合わせている。
その中で一人だけ俯きっぱなしの子がいた。
黒髪ショートの女生徒だ。彼女はバッと立ち上がり、深く頭を下げた。
「申し訳ございません!」
ニーナ・ハーディス。ジェーンには覚えのない名前だった。
「シャーロット様に言われて、私たちがやりました」
「ニーナ! あなた、何を言い出すの!」
「申し訳ございません、シャーロット様。ですが……」
「そんな態度を取るのなら、あなたの家の商売停止をお父様に言いつけるわよ」
「そ、そんな……」
(あぁ、そういうことか)
ジェーンの心はどんどん冷めていく。
ニーナは貴族ではない。シャーロットの領地内にある裕福な商家の娘なのだろう。
力関係のせいで逆らえなかった、といったところか。
くだらない。
「ハァ……」
思わず態度の悪いため息が漏れてしまった。
またもジェーンに視線が集中する。
「権力のある人間が、それを笠に反抗できない者を従えて、悪事に加担させる。
それが正しい振る舞いなのかしら。
この場で悪事を認めたニーナさんのほうが、よっぽど立派だわ」
そう。シャーロットがやっているのは、ヤクザの下っ端グループやヤンキー集団のリーダー格と変わらない。
「ただの性根の腐った小悪党ね」
「な、なんですって。今の言葉取り消しなさい!」
「黙りなさい!」
シャーロットが喚くと、教員が一喝した。
「証拠は確かに確認しました。
今晩、あなた方は懲罰室で過ごし、頭を冷やしなさい。
己のしたことが正しいかどうか、きちんと悔い改め、反省文を提出してもらいます」
女生徒のあいだに動揺が走る。
ジェーンとしても、いきなり懲罰室行きとは驚きの判決だ。
「せ、先生、いきなり懲罰室は厳しいのでは。
私としては厳重注意くらいで……」
「いいえ、ジェーン嬢。この罰はあなたへの嫌がらせだけではありません。
我らが魔法学園は、この国の未来を担う若者たちを育成する場です。
あなたの言うように、徒党を組んで悪事を働く。
伝統ある魔法学園で許される行為ではありません」
そこまで言うと、教員は立ち上がった。
「私は彼女たちを懲罰室へ連れて行きます。
あなた方はお帰りなさい」
「先生、あなたのご判断にお礼申し上げます」
セドリックも立ち上がる。
「我が国の未来を繫栄させるために、今後ともご尽力ください」
その言葉に、教員が深々と頭を下げた。
「アルフレッド、ジェーン嬢行きましょう」
セドリックの先導で、三人は談話室を後にした。
ジェーンは、二人の後ろをトコトコと歩きながら、胸騒ぎを感じていた。
アルフレッドが振り返る。
「ジェーン、どうしたのです?」
「いえ、あの……シャーロット様のような猿山の大将然とした人間は、なかなか更生しません。
ニーナさんが、今後いじめの対象にならないか……」
夕陽が差し、床に伸びる影を見つめて、ジェーンは不安を吐露する。
「く……ははは!」
一方で、セドリックは声を立てて笑い出した。
「あんな啖呵を切っておきながら、ずいぶん繊細なことを言うのだね」
セドリックは指折り数え始めた。
「『ガキが喚いてんじゃねえよ』『性根の腐った小悪党』『猿山の大将』。
昨日は私に、暴君だと説教もしてくれたね」
改めて言われて、ジェーンはあわあわと口を震わせる。
「も、申し訳ありません! 言葉が過ぎました!!」
「いや、気にするな。君を見ていると飽きなくていい」
「以降、十分気をつけます」
ジェーンはしゅんと肩を落とした。
アルフレッドが一歩、ジェーンに歩み寄る。
「ニーナ嬢のことは、私と君とで、気にかけてあげればいい」
「アルフレッド様と私で?」
「あぁ。君のそういう真っ直ぐなところを、私は好ましく思っているんだ」
セドリックが短く口笛を吹いた。
だが、ジェーンは疑わし気に首を傾げる。
「それは、褒め言葉なのでしょうか?」
「…………」
言葉を失ったアルフレッドの背中を、セドリックは慰めるようにバシンと叩いた。
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