裂かれた教科書の指紋2
放課後、個室の談話室を貸し切ってくれたのはセドリックだった。
校舎内のためメアリーはいないが、顔を突き合わせているのは昨日と同じく、ジェーン、アルフレッド、セドリックの三人だ。
「集めてきたが、これが何だと言うのです?」
アルフレッドは複数の紙をジェーンに手渡した。
そこには、一枚ずつクラスメイトの名前が書かれている。
アルフレッドに頼んだのは、こんな内容だ。
*
「女生徒の皆さんに、この紙に名前を書いてもらってください。
そのさい、おまじないを伝えてください。
紙を触るのは一人一枚のみ。そして、この液体に指を浸してからハンカチで軽く水気を取り、指を押し当ててサインをする、と。
効能は……恋だと気を持たせすぎてしまうので、善人ならば幸福が訪れ、悪人なら罰せられるだろう、あたりにしておきましょうか」
「その液体は、毒、ではないんですよね?」
「違いますよ」
手に持っていたコップをアルフレッドの鼻に近づけた。
「果実?」
「はい。なので、安心してください」
そう言って、ジェーン自身が指を差し入れ、ペロリと舐めた。
「ね?」
「……」
「そのあいだ、私は図書室で大人しくしています。
よろしくお願いしますね」
「わかった。君を傷つけた犯人が見つかるなら、やってみよう」
別に傷ついていないのだが、それで請け負ってくれるなら構わないと思って放置した。
*
「それで、その紙はいったいなんだと言うのだ?
ただ女生徒の名前が書いてあるだけではないか」
セドリックが覗き込んできた。
「ふふ。私の教科書を引き裂いた人物を〝あぶり出す〟のですよ。
アルフレッド様、残っている紙に、女生徒がやったように、その果実水で指を押しつけていただけますか?」
訳がわからないと言いたそうだったが、アルフレッドは言われる通りに指先を押し当てた。
「ありがとうございます」
ジェーンはその紙を受け取り、風魔法でよく乾かしてから、指先に火魔法を点火する。
紙の下に火を差し入れると……。
「指紋が浮かび上がってきた!?」
セドリックが驚いて声を上げる。アルフレッドも目を剥いている。
「そうです。柑橘系の果汁は、乾いた後に火で炙ると染みを残すのです」
小学生の理科の実験のようなものだ。
食堂に行って皮をもらって潰したのだが、集めるのには骨が折れた。
途中から、見かねた料理人たちが絞り器を使って一気に絞り出してくれた。
この世界でも、昔は家紋の代わりに指紋がサインとなっていた。
一人ひとり指紋が違うのは知られている。
おまじないと言ってアルフレッドから持ちかけられれば、十代の女の子なら乗ってくると思ったのだ。
結果は上々。
次々と指紋が浮かび上がってくる。
だが、アルフレッドは心配そうに目を細めた。
「果汁を使えば、指紋が浮かび上がるのはわかりました。
だが、君の教科書を裂いた人物は、果汁など使っていないはずです」
「それは当然そうですね」
「では、結局のところ、誰が君の教科書に触れたのかは……」
「大丈夫です」
ジェーンは集めて来たチョークの粉、美術室で拝借した真新しい綿と柔らかい筆をテーブルに乗せた。
スカーフを開いて、教科書も取り出す。
「これは惨いな……」
セドリックが顔を顰めた。
「はい。ですがこれだけ念入りに引き裂いてくれたのですから、必ず手で押さえたはずです。指紋だって残っています」
言って、ジェーンは綿にチョークの粉をまぶし、教科書の表面にポンポンと乗せていく。
続いて筆でそっと払った。
「これは――!」
またもや声を上げたのはセドリックだ。
「はい。こうやって、粉を使った指紋の採取方法もあるのです。
本来なら転写して、採取した指紋と重ね合わせることで人物を特定するのですが……」
この世界では器具が足りない。
教科書も分厚いので、重ねて光にかざすことも難しいだろう。
そもそも、何人分も紙を重ねていたら、粉が落ちてしまう。
「横に突き合わせて似ている指紋を推察する、くらいしかできませんが、ある程度容疑者は絞り込めるかと」
「興味深い。これも、君の言う夢のお告げかい?」
「…………そんなところです」
あまり手のうちを明かしたくない。
だが、どうしても刑事の職能が働いてしまう。
指紋採取は鑑識の仕事ではあったが、いったいどれだけ助けられたことか。
教科書に残っている指紋は複数人分あるようだが、一つひとつ照らし合わせていくしかない。
「さて。やりますか」
ジェーンは袖をまくり上げ、火魔法の灯りで手元を照らした。
左手に教科書、右手に指紋をあぶり出した紙を持ち、背中を丸めてぐっと前のめりになる。
瞬きも忘れるほどじっと見つめ、一枚ずつ紙を仕分けていく。
アルフレッドもセドリックも、黙ってその様子を見守った。
窓からの陽光が次第に傾き、地平線の向こうに溶けていく。
それ程に時間は掛かった。
「終わったー!」
ジェーンが天井を仰いだときには、すっかり日が暮れていた。
集中していたせいで肩はバキバキ。首をぐるぐると回した。
「わ。もうこんなに暗くなってる。メアリーを待たせていないといいけれど……」
窓の外を見て独り言ちた。
「それで、結果は?」
セドリックが切り出した。
「あ。はい。こちらの女生徒たちの指紋が残っていましたね」
ジェーンは五枚の紙をセドリックに差し出した。
だが、その前にアルフレッドがひったくるように手に取った。
一枚ずつ名前を確認していく。
「アルに心当たりは?」
水を向けられて、アルフレッドは小さくため息をついた。
「あるようだな」
「はい」
アルフレッドはチラリとジェーンに視線を送り、すぐに逸らした。
「いずれも我が家と取引があるか……縁戚関係の申し出があった家の者です」
「なるほど。アルに振られた腹いせに、ジェーン嬢へ嫌がらせをしたというわけか」
セドリックは鼻で笑って腕を組んだ。
「彼女たちには、ミドルトン家から制裁を下します」
「ま、待ってください」
制裁という穏やかでない言葉に、ジェーンはテーブルに手をついた。
「彼女たちの行為は確かに器物損壊罪……えぇっと、許されることではありません。
ですが、家同士まで波紋を広げるのはやりすぎではないでしょうか」
「だが、犯人を捜し出したのはジェーン嬢ではないか」
セドリックもアルフレッドに同調する。
それはジェーンの望むところではない。
「限度があります。
彼女たちには反省を促し、二度とこのようなことをしないと誓わせる。
その程度でいいではありませんか」
「ふむ……」
セドリックは考えるように口元に手を当てた。
ジェーンはスカートのポケットから生徒手帳を取り出す。
「えぇっと。校則では、規約違反は懲罰室か、停学、退学となっています。
ですが、他人の持ち物を壊すことへの言及はありません。
なので、まずは反省を促す。
それが優先されるべきではないですか?」
「……そんなものを覚えているのか」
セドリックが驚いて口を開ける。
「はい。規則は規則です。
守らなければ、秩序は乱れてしまいます」
とはいえ、中には「ほかの生徒の勉学の妨げとなるべからず」とあるのだから、懲罰室行きもあり得るかもしれない。
「なるほど。ジェーン嬢の話も一理ある。
しかし、彼女たちを呼び出したところで、シラを切るだろう。
何か罰に値する行為を捏造するか……」
その言葉に、ジェーンはカッとなって立ち上がった。
「それはダメです!」
語気荒く睨みつける姿に、セドリックもアルフレドも、虚を突かれたように黙って見上げた。
「セドリック殿下は、国の頂に連なるお方。
そのようなお方が、罪をでっち上げるだなんて、何をお考えですか。
罪なき罪は冤罪です。
弱い立場の人間を、上の人間がつるし上げる。
そのような横暴は、やがて暴君となりかねません!」
音のない部屋に、静寂が満ちる。
「ふっ。言うではないか」
やがてセドリックは口角を吊り上げた。
「こんなに真正面から叱られたのは、子どもの頃以来だ。
面白い。確かにジェーン嬢の言う通りだ。
私が命ずれば、この者たちをどうとでもできる。
しかし、罪なき罪は冤罪、暴君、とな」
「……出過ぎた真似なのは覚悟しております。
ですが、不正も許されがたい罪だと、私は信じます」
「気にするな。実に愉快だ」
そう言って、セドリックは目を瞑って体を反らした。
「そうだな。ジェーン嬢がここまで粘って犯人を絞ったのだ。
私が権力を笠に処分を下すというのは釣り合わないな。
君もだぞ、アル」
「承知しました」
「今日はもう遅い。解散して、明日この者たちを呼び出すことにしよう。
話はそれからだ」
「……はい。ありがとう、ございます」
ジェーンは強張った声で言い、教科書をスカーフに包み始めた。
「明日の服装をどうするつもりなんだ。スカーフは持って帰りなさい。
この部屋の鍵は私が預かるから、誰も立ち入ることはない」
言われてみれば、それもそうだ。
スカーフをせずに登校したら、変に思われてしまう。
「お気遣い感謝いたします」
「アル、彼女を送って行くんだぞ」
「わかっております」
あぶり出しでの指紋検証は、実際に結構テストしたのですが、水気が多いとベタっとなってしまい難しいです。
ここではうまくいったと思っていただけると嬉しいです!
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