4話 最初の試練
に、に、に、人間! 人間を食べるの!?
「だあああ! 駄目です! そんなの食べちゃ!」
僕は全力で皿から目を逸らしながら叫んだ。
「は、なんでだ?」
「なんでって……」
こちとら中身は人間だからだよ。とは、言えない。だが、抑えきれない忌避感はどうしようもない。
「言葉だって通じるし、み、見た目が近いじゃないですか。僕ら……」
「たまたまだろう。我らとは違う生き物だ。魔物も人間を食べる。何か問題でも」
「ぼ、僕が嫌なんです! お姉様も食べるのをやめてください!」
どうしても言わずにはいられなかった。ファラーシャにとっては唐突な弟の我が儘に見えるだろう。記憶を振り返れば過去の僕だって食べていたんだよ。認めたくないけどな。
「お前、熱を出してからなにかおかしいぞ」
「すっごく美味しい訳でもないでしょ!」
「そうだが……珍味なのだぞ。目玉は日持ちしないからな。人間を生け捕りにしなくてはならない。人間は魔族領の瘴気で弱って死んでしまうから、他の家畜のように飼って増やすこともできん」
ごくごく冷静にファラーシャが説得してくる。うう、でも好き嫌いとかじゃないんだよなぁ。
「どうしたら食べるのをやめてくれますか……?」
もうすっかり泣き声で、僕はファラーシャに懇願した。するとファラーシャは困ったように眉を寄せた。
「人間と関わるのもやめて欲しいんです。魔族がこんなんだから、人間は僕らを恐れるんだ。お父様が封印されてしまったのだって、そのせいじゃないか……っ!」
「ジュアル。それは人間にひれ伏せということか」
「そうじゃありません。共存すべきだと言ってます。もっと言えば、魔族領を良くする為に、利用すればいいんです。彼らから知ることは沢山あります。人間は魔族より弱いけれど、ちゃんと国ってものがある。物作りだって、絵や書物や学術だって優れてる」
僕の必死の説得に、ファラーシャはうーんと顎に手をやりながら思案した。
「お前がそんなに言うなら考えてやらんこともない」
「ほ、ほんと!」
「ああ。ただし……」
そう言ってファラーシャは立ち上がり、にやりと笑うと、びしっと僕に指を突きつけた。
「人間にお前の言うような価値があるか示せ。そうだな……とりあえずは、人間の作ったもので、人間の目玉より貴重で美味いものを持ってこい」
「う……美味いもの!?」
「そうだ。このおやつを超えるおやつをお前が用意できたら、私は人間の物を作る力を認め、食うのをやめてやってもいい」
「本当ですか!」
僕は文字通り飛び上がった。ファラーシャの顔をまじまじと見つめる。嘘や冗談を言っているようではなかった。
「お任せください。必ずや、お姉様のお気に召すおやつを手に入れてみせます」
僕は胸を張って、堂々と答えたのだった。
「シルク、買い物に出かけるから付き添ってくれない?」
「買い物……ですか?」
シルクの耳がピンと立ち、怪訝な表情をこちらに向けてくる。
「どこに……?」
シルクが妙な顔をするのも無理はない。城に来る出入りの商人はいるけど、城下に店なんかないものね。店どころか街らしいものもない。この魔族領の経済活動は貧弱で、ほとんどが物々交換だし、硬貨を使ったとしても人間の国のものだ。国の体を成してないのだもの。通貨発行なんてしている訳がない。
「人間の国に。シルクは人狼だから人間に化けられるだろう? 荷物持ちをして欲しいんだ」
「なるほど。承知しました。それで、何をお求めになるのですか?」
「……おやつだ!」
「おやつ」
シルクがぽかんとした顔をする。おやつを買いに人間の国まで。随分と酔狂なことに思えたのだろう。
「そ。安心して。僕は移動魔法が使える。夕食前には帰ってこられるよ」
そう言いつつ、部屋の机の引き出しを漁る。あった。引き出しの二重底に隠した僕のへそくり。これで人間の王都に行き、美味しいスイーツを買いあさってやる。
「そうと決まれば」
僕は鏡の前に立つと、自身に隠蔽魔法をかけた。魔族丸出しの角と尖った耳を隠す。そして目立ちすぎる紫の髪は無難な茶色に、赤い瞳は黒に。ついでに貴族然とした服もシンプルなものに。うん、どこからどうみても、ちょっと良いところの人間の子供って感じだ。
「シルクも早く変身して」
「かしこまりました!」
シルクが身震いすると、耳と爪と尻尾が引っ込む。よく見れば尖った牙が見えるけれども、人間の街中を歩くには問題ないだろう。
「それじゃ行くよ」
僕はシルクの手を握り、呪文を詠唱する。やがて僕らを光が包み、部屋から人間の国へと移動させた。
「おおっ。人がいっぱい!」
「そうですねージュアル様。美味しそうですね」
うわっ、シルクがよだれを拭っている。
「シルク、僕らは買い物に来たんだよ」
「わかっております。がまんしますとも」
人間の国――国の名はルベルニアと言う――の王都は大変な人出だった。この国は他国に抜きん出て国土も大きく、政治的発言力も軍事力も強い。大学や図書館、研究所などの施設も官民問わずあるし、芸術文化の中心地でもある。つまり、人間の力を見せつけるなら、ここでおやつを探すのが最適、という訳だ。
「で、どこで買えばいいのかな?」
「私、聞いてきます!」
シルクはスカートを翻し、通行人に道を尋ねた。
「二本先の通りがカフェやお菓子の店が多いそうです」
「よし、そこに向かおう」
そちらの通りへと足早に向かう。この通りは広場と広場を結ぶ通りで、市の中心部から城壁の門まで続く大通りだ。連なる高級店でショッピングを楽しむ貴婦人やカフェでお茶を飲む人、デートをしているっぽい男女、観光なのだろうか、大きな荷物でウィンドウを見る者もいる。もちろんスイーツを売る店もたくさんある。
「焼き菓子だ。美味しそうだなぁ」
さっそく店に入ると、甘ぁい匂いに包まれる。マドレーヌっぽいもの、フィナンシェっぽいもの、パウンドケーキっぽいもの。それからクッキー。
「何にしよう?」
「どうしましょうねぇ」
売り場のケースを覗き込み、僕たちが話し合っていると、お店の人が話しかけてきた。
「ぼっちゃん、何をお探しですか」
「贈り物を。姉に最高に美味しいお菓子を探しているんです」
「まあ、素敵ですね。試食してみますか?」
「はい!」
店員さんは小さく切ったパウンドケーキを僕らに食べさせてくれた。ナッツの香ばしさ、ドライフルーツの甘さ、それからスパイスの複雑な味。
「美味しいですねぇ、ジュアル様」
「うん。まぞ……こほん。故郷だとスパイスは貴重だものね」
マドレーヌっぽいものはバニラの香り、フィナンシェっぽいものはバターの香りが素晴らしい。結局、僕はそれらをセットで購入した。
「買い物完了ですね」
「う~ん。でも、もう少し見るよ」
焼き菓子は素晴らしく美味しかったけれど、ファラーシャの人肉食をやめさせるには今ひとつインパクトに薄い気がする。
「この通りを一周はしないと」
「かしこまりました!」
僕らは極上スイーツを求めて次の店へと向かった。
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