2話 魔界の王子ハーディラ
気がついたら朝になっていたようだ。このふかふかおふとんは良く眠れる。良いマットレスは生活の質を爆上げするって言うけど本当だったんだな。
「うーん。出たくない」
辛い社畜生活からようやく解き放たれたのだ。もう少しだらだらしたい。だけど、解決しなければいけないことがある。
「しかたないな……」
ひとまず整理してみよう。あのWeb小説、確かこんな話だった――大賢者と呼ばれた老女と勇者一行が魔王を封印した。だが、その際に老女は体が縮み幼女になってしまう。そしてその後彼女は人間の国の王子といちゃこらしたりしつつ、自分の体の変化について調べるのだ。その原因は不完全な魔王の封印紋にあった。封印を完全な物にするために動き出した彼女らと、封印を解こうとするファラーシャは出会い、戦うことになる。
この戦いが結構あっさり終わっちゃったのが僕は不満だったんだけど。異世界恋愛ファンタジーだったから、さほどそこには力入れてなかったのかもしれない。
それはともかく。ファラーシャの死を回避する為には、魔王の封印を解くのを諦めて貰わなくては。もしくはあの人間たちに接触するのをやめさせる。
「どうしたらいいのかな……」
ふかふかのお布団に包まれながら、僕は寝返りを打った。と、そこで静かに扉がノックされた。入って来たのは昨日の獣耳メイド。確か名前はシルク。人狼だ。くすんだ金髪を二つ結びの三つ編みにしていて、ふさふさの耳と尻尾がある。
「おはようございます。ジュアル様。お加減はいかがですか」
「うん。もう大丈夫だよ」
「よかった……! では朝食の時間なので起きてくださいませ」
「ううん……もっと寝ていたい」
「駄目ですよ。私がファラーシャ様に叱られてしまいます……」
くすくすと笑いながらシルクが僕の頬を撫でる。た~~の~~し~~!!
やだコレ楽し過ぎだろ。寝起きに獣耳メイドといちゃいちゃするだとか。
シルクは僕を優しく起き上がらせ、洗面器の水で顔を洗うと拭いてくれる。さらには手取足取り着替えまで手伝ってくれる。いいんだろうか……いや、いいのだ! 僕はショタだし、王子なのだから!
「御髪を整えますね。ああ、なんて柔らかくて……つるつるするする……」
シルク、何か息が荒くないか? まあ、それは置いておいて、僕は朝食のメニューが気になっている。
「ねぇ、シルク。朝ご飯は何かな?」
「スクランブルエッグとベーコン、それからサラダとパンですよ」
聞く限り普通だ。いや、油断するものか。
「何の卵? ベーコンの素材は?」
「えっと……コカトリスの卵とマジックボアのベーコンです」
あ、魔物……そっかあ、そういう感じかあ。まあセーフかな。食べてみて無理なら考えよう。
「さ、お時間です」
「うん」
シルクについて、僕は食堂へと向かった。
「遅い!」
食堂に入ると、ファラーシャが不機嫌そうに腕を組んで座っていた。
「ごめんなさい、お姉様」
「いいから席に着け、ジュアル」
そう声をかけてきたこの人は……ハーディラだ。我ら魔王の子たちの長兄。灰銀の髪をオールバックにして、深い緑の目の下には濃いクマがある。座っていても長身なのが分かるし、細身ではあるが圧が凄い。
「失礼しましたハーディラお兄様」
僕が席に着くと、朝食が運ばれてくる。シルクの言った通り、スクランブルエッグとベーコンだ。
「熱で倒れたそうだな」
スクランブルエッグの匂いを嗅いでいると、こちらを見ないままハーディラが聞いてきた。
「はい」
「軟弱者め」
「すみません……」
怖い。前世の職場のグループリーダーを思い出す。十歳も年下だったが、やたらと偉そうで、人のあら探しが自分の仕事と思っていそうな奴だった。
「ハーディラ、説教は後にしろ」
尖った声を出したのはファラーシャだった。彼女の前にはスープとジュースだけが並んでいる。あ、朝から固形物は受け付けないタイプか。僕をかばって、というよりは単に朝はイライラしているみたいだ。
それからはまるでお通夜みたいにして黙って食事を続けた。食欲は地の底だけどお残しは良くないからね、食べるよ。コカトリスの卵はちょっと大味だったけど食べられた。マジックボアのベーコンは普通に美味しかった。
「私は先に行く」
僕が食べ終わる前にハーディラは席を立った。
「ジュアルがまだ食べているだろ」
ファラーシャがじろりと彼を睨む。
「決裁書類が溜まっているのだ。……父上がいればこんな面倒なことにはならないのだがな」
ハーディラがため息とともに吐き捨てた。そうか、このやつれた顔色は魔王封印のしわ寄せって訳か。
「お兄様、がんばってください……ね?」
自分が美ショタだと自覚している僕はこくりと首を傾げて哀れな兄に声をかけた。どうですかこの上目遣い。
「……」
ハーディラは返事こそしなかったものの、わずかに頬を緩めると僕の頭をわしっと撫でて食堂を出て行った。
「確かに父上がいればなぁ」
ファラーシャもため息をつく。
「そういうものなのです?」
「ああ、父上のスキルが無いせいで、魔族領にもめ事が増えているそうだ」
魔王のスキル。それは魔族を従わせるスキルだ。本来、魔族には協調性なんてものはない。己の欲望の限り、奪い、殺し、蹂躙する。それが魔族。生き残るためには非情であれ、と言われている。唯一、そんな魔族を束ねられるのが魔王のスキルだ。いや、それが出来る者が魔王とでも言おうか。そのスキルの前には魔族たちは平伏し、己の身を投げ出す。
だが、それはこの魔族領の秩序の元であったのだ。ハーディラは秩序の壊れた魔族領のもめ事の仲裁にひっきりなしに対応しているのであろう。
「大変そう……でも、兄様はしっかりしてますから、次に魔王になったら安心ですね」
僕がそう言った途端、ファラーシャは拳でジュースのグラスを握り潰した。
「なんだと!?」
「えっ!? だって長男ですし、責任感もあるし……」
そう答えると、ファラーシャはガン! と両足を食卓の上に乗っけた。行儀悪いよ。
「魔力ならば私の方が高い! スキルを得れば支配者にふさわしいのは私だ! 父上だってそれは分かっているはずだ!」
「ご、ごめんなさい」
反射的にあやまると、ファラーシャはふん、と鼻を鳴らして食堂を出て行った。
「はあ……怖かった」
僕はずるずると椅子の背にもたれて、嵐が去ったことに安堵した。