第八話 使用人たちの嫌がらせ
「おはようございます、奥様! 朝ですよ!」
元気なエマの声に起こされてテレサは目覚めた。
顔を向ければ、カーテンを開けて日差しを取り込むエマと目が合う。
「エマ……?」
「奥様、昨夜はよく眠れましたか?」
「そうですね……身共は枕が変わっても眠れる質なので」
「すごいですね。エマは枕が変わると眠れませんよ」
くすくすと明るく笑うエマに癒される。
朝に弱いテレサだけど、良くも悪くも裏表のない彼女と接するのは心地よかった。
「エマは今日も可愛いですね」
「えへへ、よく言われます!」
エマは笑って、
「顔を洗うお湯を用意しますね。すぐに戻ってきます」
「えぇ、お願いしますね」
誰かに身の回りの世話をしてもらうなんて五年ぶりだ。
修道女になってからはずっと一人で寝起きしていたから、こうして誰かに世話をしてもらうことがむず痒く感じる。改めて思うと、アリアだった頃は本当に贅沢な暮らしをしていたものである。
寝起きの頭でつらつら考えていると、エマが戻ってきた。
トントン、と遠慮がちなノック。
失礼します、と入ってきたエマの顔色は先ほどと比べて悪い。
「エマ?」
「奥様……」
別人のように小さな声で呟き、エマは唇を噛んだ。
ゆっくりと歩いてきて、震える手で水桶を化粧台の上に置く。
そしてテレサのほうに向き直り、慇懃にお辞儀した。
「洗顔用のお湯をお持ちしました。奥様」
「ありがとうございます、エマ」
ーー明らかに様子がおかしい。
訝しんだテレサは化粧台に行き、すぐにその理由を察した。
水だ。
ひと肌ほどに温められているはずのお湯は氷水のように冷たかった。
使用人たちが冷遇されている主を虐める、典型的な嫌がらせだった。
「これは……」
見れば、エマは小動物のように小刻みに震えている。
ぎゅっとエプロンドレスを握っている様から彼女の恐怖が伝わってきた。
「エマ」
びくッ、とエマは肩を跳ねた。
「は、はい。奥様。あの、何なりと処罰を……」
「確認します。これはあなたの意思ですか?」
「違います! エマはこんなこと……ぁ」
エマは口が滑ったと言いたげに首を横に振った。
「申し訳ありません……エマの意思です」
「エマの意思ではないのですね」
「……」
嘘をつけないところも好ましい。
こんなことにはなったが、やはりこの子を選んでよかったと思った。
「家族ですか?」
「……」
上司が身分の低い使用人を脅す手段なんていくらでもある。
彼らにだって生活はあるのだ。
給料を没収などと言われたら従わざるを得ないだろう。
「病気の妹とか?」
エマは唇を噛んだ。
「いえ……みんな健康です。ただうちは大家族だから……エマの収入で七人分見ないと行けなくて」
「なるほど」
(よくもまぁ、こんなに使い古された手段を使ったものね)
テレサは呆れつつも話を聞いていく。
「身共と旦那様の不仲説でも囁かれていますか? 夫婦というからには初夜もなかったですし」
「いえ、それは……ご主人様の体質のこともあって、特に言われていないです」
ノクスの呪いのことは公爵家の内外でも周知の事実だ。
それに彼の部屋はテレサの隣にある。
この部屋にも彼の部屋に繋がる入り口があるくらいだし、初夜の有無で不仲を囁けるほど豪胆ではないか。
(だとすればやはりーー)
「アーカイム公爵家は教会を嫌ってる?」
エマは目を剥き、何かを言いかけて、やはり呑み込んだ。
少し間を置いてこくりと頷く。
「やっぱりそうですよねぇ」
テレサはしみじみとつぶやいた。
ノクス自身が教会嫌いなのだ。
公爵家の使用人たちがそうであってもおかしくはない。
(ルナテア教会の犬である聖女が誇り高きアーカイム公爵家の妻に収まるのは面白くない……といったところかしら。ずいぶんと浅ましいこと)
テレサは続いてエマを問い詰める。
「で、指示は誰が?」
「せ、先輩に言われて……」
「先輩とは?」
「……その」
「あぁ、分かりました。言わなくても大丈夫ですよ」
『先輩』が誰であってもやることは変わらない。
彼女たちがテレサを軽んじたのは事実なのだから。
「申し訳ありませんでした。奥様、すぐに水桶を変えてきます」
「いいえ、このままで結構です」
「奥様!?」
テレサはエマが運んでくれた水で顔を洗った。
本当に冷たい。雪を溶かして水にしたみたいだ。
さっぱりするけれど、起き抜けに浴びるには冷たすぎる温度。
「奥様、タオルを……」
「エマ、反撃と行きますよ」
「え?」
タオルで顔を拭くテレサにエマは困惑げだ。
「でも……」
「大丈夫です。身共に味方してあなたのお給料は減りません。それとも、あなたは自分から身共に嫌がらせをしたいですか?」
「そんなっ、エマだってこんなことしたくありません!」
「でしたら反撃しましょう。大丈夫。身共に考えがあります」
テレサは黒い笑みを浮かべた。
聖女様には秘密がある。
聖女様は、敵対する者に容赦しない。