第七話 公爵家のメイド
アーカイム公爵家の屋敷は貴族街の郊外にある。
三階建ての豪華な建物には一流の庭師が整えた前庭があり、本邸の四隅には四つの主塔がある。門の前には公爵家の騎士たちが駐在し、ここへ近づく者たちを牽制していた。
(まるで要塞ね)
玄関から中にはいるともの寂しいホールがテレサを迎えた。
冷たい大理石の床が大階段まで続いている。
左手には食堂、洗面所、風呂場、右手には礼拝堂らしき十字の紋章もある。
(礼拝堂があるのね……閉鎖されてるけど)
わざわざ扉に板を張り付けているあたり、よほど封鎖したい事情があるのか。
それとも、これもノクスの教会嫌いの表れだろうか。
テレサが苦笑していると、ずらりと揃った使用人たちが一斉にお辞儀した。
『おかえりなさいませ、旦那様』
「あぁ」
不愛想に頷いたノクスは大階段を登った。
階段の途中でテレサを紹介する。
「紹介する。今日からこの屋敷で生活する聖女のテレサ・ロッテだ。お前たちも名前くらいは知っているだろう」
ざわ、と使用人たちがどよめいた。
しかし続く言葉は爆発のような驚きで迎えられる。
「今日から俺の妻になる」
「「「!?」」」
「皆、公爵家の使用人に相応しき態度で接するように」
使用人たちはどよめいていたが、
「……返事は?」
さすがに公爵家の使用人たちだ。
教育が行き届いた彼らはすぐに感情を抑えてお辞儀する。
『かしこまりました、旦那様』
「テレサ、挨拶を」
「はい」
テレサは聖女の笑みを浮かべた。
「皆さま、ご紹介に預かりました。テレサ・ロッテです。なにぶん平民出身ですから至らないことは多いかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたしますね」
そう言って深々と頭を下げる。
こんな時は初対面の印象が大事だ。いくら聖女だからといって高飛車な女だと思われたら今後の契約妻生活が危うくなる。そんな計算が功を制したのか、使用人たちの反応は悪くない。
「あれが聖女様? ずいぶん謙虚な方ね。噂通りだわ」
「貧民出身ということだけど、所作もしっかりしてるわね?」
「旦那様が結婚なんて……というか、出来るの?」
テレサは地獄耳である。
囁くような使用人たちの声もバッチリ聞こえていた。
「ごほんっ、げふんげふん」
下品な会話をする奴はお前か、と視線を送る。
にこりと笑うと、使用人はサッと顔を青褪めさせた。
(上々かしらね。謙虚もいいけど舐められたらおしまいだし)
修道女生活でもあった、女社会の面倒臭さ。
少しでも自分より下だと思われたら急に優しくなったり、態度が悪くなる。
テレサがしっかり牽制すると、使用人たちは声を揃えて頭を下げた。
「「「よろしくお願いいたします、奥様」」」」
「さて、お前の身の回りの世話をする侍女だが……」
「身共に決めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
ノクスは間を置き、「よかろう」と頷いた。
「お前の身の回りを世話する女だ。前の二列にいる者から好きな侍女を選べ」
「それでは……」
テレサは行儀よく並ぶ使用人の中で一番若い少女に目をつけた。
年の頃は十七、八だろうか。
栗色の髪を二つくくりにした少女はアーモンド形の目でテレサを見上げている。
「あの子にお願いしたく存じます」
「ふむ」
ノクスは顎に手を当てた。
「構わんが、エマはまだ新人だ。公爵夫人の世話をするには少し教育が足りないかもしれない」
「身共と年の近い子のほうが何かと安心できると思いまして。頼もしい先輩方もたくさんいらっしゃることですし」
「……まぁ、お前が良いなら構わんが。フリーダ、サポートしてやれ」
「かしこまりました、旦那様」
一人だけ他の使用人とは違うホワイトプリムをつけた女性がお辞儀する。
おそらくメイド長だろう。
「エマ」
「はいっ」
ノクスに呼ばれた少女は元気よく前に出てきた。
「聞いての通りだ。お前には妻の身の回りの世話をしてもらう」
「は、はい! よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。エマさん」
「では部屋に案内する。こっちだ」
ノクスに案内されたのは三階にある公爵夫人用の私室だ。
オーク材の床は精緻な文様が描かれており、奥には簡素な寝台がある。
家具や装飾品は葡萄色で統一され、ソファの前には小さな暖炉があった。
そう豪華というわけではない。
けれども、統一感のある色合いはテレサ好みの部屋だ。
「まぁ、素敵な部屋ですね」
「あれ? 旦那様と奥様は同じ部屋ではないんですか?」
無邪気なエマが不思議そう首を傾げる。
ノクスは「ごほん」と咳払いした。
「一緒には寝られない。理由は知っているはずだが?」
「あ、そ、そうでした。申し訳ありません……」
ノクスの呪いのことだろう。
素肌で触れたものを腐らせてしまう呪いは誰と触れ合うことも許さない。
一緒に床を共にしようものながら寝ている間に腐り果てて死んでしまう。
「次はない」
ノクスは冷酷に言い放った。
彼は萎縮し切ったエマに背を向け、テレサを見て言った。
「俺はここで失礼する。俺の部屋は隣にあるから、何かあれば来てくれて構わない」
「かしこまりました」
ノクスが居なくなると、エマが安心したように息をついた。
「心臓が縮まりました……」
「見た目で誤解されやすい性格をしていますよね」
「はい……根が悪い方ではないと知ってはいるのですが……」
とほほ、と呟いたエマはすぐに気を取り直した。
「改めてよろしくお願いします、奥様。精一杯お仕えいたします!」
「はい、よろしくお願いします」
「でも、どうしてエマを選んでくれたんですか? やっぱり可愛いからですか?」
テレサは苦笑した。
切り替えが早い上にずいぶん自分に自信がある子のようだ。
「エマさんは自分で自分を可愛いと言っちゃうんですね」
「はい! だってエマは可愛いですから」
にっこりと笑うエマを見てテレサは微笑んだ。
ここまで潔いと逆に気持ちがいい。
それに、女に嫌われそうなキッパリとした性格が気に入った。
(やっぱり私の目に狂いはなかったわ)
アリア時代を含めれば結構な人間を見てきているテレサだ。
人を見る目には結構な自信がある。
「あ、それからどうかエマのことはエマって呼んでください。もしくはエマちゃんでも可です!」
「分かりました。それではエマと呼びますね」
「敬語も不要ですよ?」
「これは癖のようなものですから気にしないでください」
「そんなぁ」
テレサは目を眇める。
ノクスの言う通り、エマは侍女になるには教育が足りていない。
侍女は貴族の側仕えとして他の貴族と接することもある重要な仕事だ。
メイドのような下働きと違い、それ相応の血筋を求めることもある。エマには礼儀作法も所作もまだまだ足りないことがたくさんある。けれども、エマはテレサが求めるものを持っていた。
(新人だから、公爵家に染まり切っていないのよね)
先ほどエマが立っていたのはノクスが示した列の一番右端。
重要人物は中心に置くことが多いから、その時点である程度侍女間での地位が低いと分かる。加えてテレサがエマを選んだ時、周りの侍女たちはほんの僅かに顔色を変えていたーーまるで新人が選ばれるなんてと憤るように。
(さっきもそう。主であるアーカイム卿を『怖い』と評していた)
このことから、エマは屋敷内の勢力図とは無関係の位置にある。
上からの指示でテレサを虐めるようなことはしないだろうという判断だった。
(聖女とはいえ、平民出の女を公爵家の使用人が歓迎するとは思えないし)
貴族の屋敷とはそういうものだ、とテレサは思ってる。
安心して一年を過ごすためにも侍女くらいは気を許せる人がいい。
それに、表向きの言葉遣いが真の顔とは限らない。
「これからよろしくお願いしますね、エマ」
「はい! 可愛いエマにお任せあれです!」
聖女様には秘密がある。
聖女様は側におく者を選んでいる。
女社会の怖さを、身を以て知っていた。