第六話 残酷な振る舞い
野心家の教皇との話し合いはすぐにまとまった。
なにせ公爵である。王族の親戚である。
これでテレサがノクスとの子供を孕んでくれたら、教会の影響力は一気に増す。
公爵家も味方にできれば万々歳。
もはや教会の政権復帰は達成されたようなものだーー。
(などと考えてるんでしょうね、あのジジイ。させないけど)
王都にある公爵家に竜車で向かいながらテレサはほくそ笑んだ。
(私たちの関係は一年で終わる。その間に終わらせてやるわ)
テレサは教皇の弱みを握っている。
いや教皇だけではない。枢機卿も大司祭も末端の司祭に至るまで、彼らが不正をした証拠はすべて文書に認めて証拠を握ってある。テレサはこれを然るのちにノクスへ渡すつもりだった。
(うふふ。今のうちに夢を見ていればいいわ)
◆◇◆◇
ノクスと契約を結んだ翌日である。
麗やかな日差しがテレサの門出を祝福している。
嫁入りにはちょうどいい天気だ。
あらかたの引き継ぎを済ませてテレサは私室の荷物をまとめた。
幸いにもテレサの私物はそう多くない。
トランク三台になった荷物を公爵家の馬車に乗せ終わると、五年間暮らした教会ともおさらばだ。教会の者たちが見送りに出てくる中、何事もなくテレサの嫁入りは終わろうとしていた。
「待ってください。僕はまだ納得いきません!」
教会の目の前で馬車に乗り込むテレサの手を童顔の司祭がつかんだ。
聖女付き秘書官であり司祭のマッシュだ。
童顔の彼はテレサの嫁入りを声高に叫んだ。
「聖女様、お考え直しください! あなたは騙されています。相手はあの悪名高き暗黒公爵ですよ!?」
「もちろん知っていますよ、マッシュ。何か問題が?」
「問題しかないでしょう! せっかくまとまりかけていた話を白紙にして、先方にも迷惑をかけて……これは。これじゃあ、聖女様が尻軽女だと吹聴されてしまうじゃありませんか!」
「ふぅん」
一見こちらを慮った言葉。
しかしテレサはすぐに彼の真意を読み取った。
「なるほど。マッシュ、侯爵との縁談をまとめたのはあなたですね?」
ぎく、とマッシュの肩が跳ねた。
やはりそうかとテレサは得心する。
今回の縁談が白紙になって一番損をするのはマクラなんとか侯爵だ。
教会に面目を潰された彼の怒りはこの話を持ってきた男に向かうだろう。
すなわち、目の前で蒼褪めているこの男のところに。
(調子に乗るなって釘を差したこと、もう忘れちゃったのかしら)
虫を見るような目で元秘書官を見るテレサ。
「と、とにかく僕は反対です!」
追い詰められたマッシュは止まらない。
テレサにどう思われようとも目先の危機を回避するために必死のようだがーー
(……いい加減、鬱陶しいわね)
ため息をつき、テレサがその手を払い除けようとした時だ。
二人の頭上に闇が広がった。
「おい」
ノクスだった。
闇そのものと錯覚するほど黒い男の目には怒りがあった。
「俺の妻に触れるな。下郎が」
「え?」
抜刀一閃。
目の前に血飛沫が広がった。重い音が落ちる。
ぴゅうぴゅうと大量の血が噴き出し、瞬く間に血溜まりが出来る。
「え?」
マッシュはおのれの腕を見た。
先ほどまでテレサの腕を掴んでいた手はーー無惨に落ちていた。
「う、腕が、腕がぁあああああああああああああああ!」
けたたましい悲鳴が上がる。
吐き気をもよおすほどの血臭。
ひた、ひたと、赤い領域が地面を塗り替えていく。
「閣下、一体何が──!?」
神の領域である教会敷地内での蛮行。
シスターや神官たちから悲鳴が上がり、聖堂騎士たちが公爵を取り囲む。
「公爵様、これは一体何の真似ですか!」
「それはこちらの台詞だ」
暗黒騎士ノクス・アーカイムから黒いオーラが立ち上る。
瘴気が彼の魔力に呼応として黒々と光っているのだ。
ノクスは聖堂騎士たちを睨みつけながら言った。
「たかが一介の司祭ごときが聖女の道を阻もうなどと何事か。それを放置するお前たちもお前たちだ。聖女が往く道は神の道。主の御心に沿わない司祭こそ切って捨てるべきであろう。その剣を俺に向けることが本当に正しいのか?」
「……っ」
詭弁だ、とテレサは思う。
ノクスは無神論者。
一ミルも神を信じていない癖に言葉巧みで神を弄しているだけだ。
だが、神を奉じる聖堂騎士たちには効いたらしい。
彼らは苦虫を噛み潰したような顔で引き下がると、マッシュを運び始めた。
「よし、行くぞ」
「ちょっと……」
「あれくらいの怪我、どうせすぐにくっつくだろう」
「そうかもしれませんけど」
ノクスは有無も言わさずテレサを竜車に乗せる。
狭い車内だ。自然とノクスの正面に座ることになる。
ノクスが合図をすると、竜車は音を立てて走り始めた。
「どうしてあのような真似をされたのですか?」
「先ほど言った通りだが」
「あんな真似をすれば身共たちの婚姻に反対する輩が出てきます。そうなったら計画が水の泡です!」
「ふん」
ノクスは鼻で笑った。
「俺は俺の呪いを治療するためならどんなことでもする。たとえ忌み嫌われようともな」
ニヤァ、と黒い笑みを浮かべる。
テレサはドン引きだった。
(こ、この男、イカれてるわ……!)
自分の目的のためなら人の腕を容赦なく斬り落とす残酷さ。
悪辣に公爵としての権威を振るう彼は噂通りの悪漢だ。
(ちょっと失敗したかしら……)
かといって今さら引き返すことはできない。
破談にした侯爵の件もあるし、この婚約は教会側にとっては望外のものだ。
王族の親戚である公爵家と結びつくことは教会にとって莫大な利益となる。
「俺はこんな男だ。一年間、付き合ってもらうぞ」
テレサはため息をついた。
「そう悪辣に振る舞わなくても、今さら逃げはしませんよ」
「ほう? 覚悟は出来ているということか」
「聖女となった時から、この身は神に捧げております」
「唾棄すべき神だな。滅ぼしてやりたい」
テレサは車窓の窓を開けた。
吹きすさぶ風が白髪をまきあげ、彼女は髪をおさえる。
「それでも暴力はいけませんよ。これからは気を付けてくださいね」
「……善処しよう」
「そこは確約するところです」
「ふん」
「まぁでも……いえ、なんでもありません」
聖女様には秘密がある。
聖女様は血を見るのが嫌いだ。
簡単に人の腕を落とす奴は絶対に好きになれないけど──。
(ふふ。ちょっとスッキリしたわ)
そう、思ったのだ。