第五話 契約結婚
「……結婚? 誰が? 誰と?」
「お前が、俺と」
ノクスはテレサと自分を指差して、
「結婚といっても契約結婚だ。話を聞いてくれるとありがたい」
「……契約結婚」
テレサは少しだけ肩の力を抜いた。
「びっくりしました。公爵様が身共に懸想したのかと」
「なぜそうなる」
「さして珍しい話でもありませんし」
聖女として活動するテレサは男性の肌に触れる機会が多い。
身体ごと密着することはないものの、手を触れたり顔が近づいたりすることはままあるため、治療した男性にそういった勘違いをされることは多かったのだ。
「ごほん。それで契約結婚でしたか」
「あぁ。お前にもメリットがある話だと思う」
「贅沢を言えば、身共は結婚そのものを避けたいのですけど」
そもそもテレサが修道女になった目的の一つが結婚回避だったのだ。一介の修道女から聖女に成り上がれば教会上層部との軋轢は避けられないと思っていたが、まさか民衆の指示を集める修道女を還俗させてまで教会が政界にご執心だとは思わなかった。
「だがこのままでは結婚は避けられない。そうだな?」
「……そうですね」
教皇の野心は絶対に止まらない。
南部の大貴族マクラなんとかに一体どれだけの金を貰ったのか。
(私は売り物ということね)
貴族の真似事のようなことをする教皇には報いを受けさせる。
そう決意しながら、テレサはノクスを見上げた。
「契約結婚と言いましたね。あなたと結婚することで得る身共のメリットは何でしょうか?」
「まず一つ。女好きで愛妾を何人も囲っているようなクズと結婚するより俺のほうがマシだという点。次に、俺はお前を愛する気が一切ないということだ」
テレサは苦笑した。
「求婚する女性に対して、ずいぶんな物言いですね。身共、感動しました」
「聖女の行使する『奇跡』には処女性が不可欠だと聞いた。お前には好都合だと思うが?」
「あぁ……」
そういえば、そういうことになっているんだったか。
「俺はお前を愛さない。当然、夫婦の務めもしないし、行動も強制しない。最低限の公務だけはこなしてもらうが……それ以外は基本的に自由にしていい。お前の行動を縛りつけもしない。今まで通りに過ごすことも可能だ」
「身共の自由は保証されるというわけですね」
「そうだ。クズと結婚すればこうはいかないだろう」
女好きで愛妾を何人も囲っているマクラなんとか侯爵だ。
既に出来上がっているヒエラルキーの中に放り込まれたテレサは虐めを受けるだろうし、何より好色な男に飽きられるまで体を貪られるに違いない。そんなのは死んでもごめんだ、とテレサは思う。想像しただけで吐き気がしてきた。
「身共のメリットは分かりました」
テレサはひと呼吸おいて水を向けた。
「それで、アーカイム卿のメリットは何でしょうか? あなたも身共と同じように面倒な結婚を避けたいとか?」
「いや、違う。呪い持ちの俺に結婚の話など来ない」
テレサは失言を恥じた。
『ノクス・アーカイムは触れた物を腐らせる呪い持ちである』
彼の事情は知っていたはずなのにあまりに無神経な物言いだった。
その呪いのせいで彼がどんな目に遭ってきたのか想像出来るだろうに。
(素肌で触れられない……当然、女性に触れたこともないのよね)
テレサは素直に頭を下げた。
「失言でした。申し訳ありません」
「別にどうでもいい。それより俺のメリットの話だが」
ノクスは黒い手袋を外して素肌を見せた。
青紫色に変色した不気味な肌。
まるで腐りかけの死体のような有様は見るだけで痛ましい。
「これが何か?」
「お前にこの呪いを治してほしい」
「……はい?」
「そう訝しむな。言葉通りの意味だ」
ノクスは自分の手を持ち上げて言った。
「俺は自分が触れたあらゆる物を腐らせてしまうせいで医者にもまともにかかれなかった。この服や、特別な包帯だけは機能していたがな。医者の手を腐らせてしまってはミイラ取りがミイラになるようなものだ」
「まぁ、そうですね」
「だが、昨日お前が治療してくれた時はこの呪いが緩和した。人に触れても、腐らなかった」
どうやら事故があったらしい。
ノクスの完治に感極まった騎士が彼の素肌に触れてしまったのだ。
本来なら触れただけで周りの者を腐らせてしまう彼の呪い。
しかし治療後に限っては、その呪いが発動しなかった。
明朝になると元に戻っていたようだが……
「お前以外に考えられない。お前の癒しの力はこの呪いを癒す。継続的に治療すれば完治も出来るんじゃないか?」
「出来ますよ。そもそも、あなたのそれは呪いではなく病気ですしね」
「は?」
「貴方のそれは瘴気が身体に蓄積して魔力に染み込んでしまっているだけです」
瘴気。
くろがね山脈の向こう、棄界に住まう魔獣たちが帯びている穢れのことだ。
魔獣たちは放っておくと人が住む《地界》に降りてくるため、王国の剣たるアーカイム公爵が隊を率いて迎え撃っている。その際、彼らの血や魔力を浴びると瘴気が身体に蓄積してしまい、ひどくなるとノクスのようになってしまう。
(普通はこんなになるまで蓄積しないんだけどね)
なぜなら戦っている間に死ぬからだ。
ここまで蓄積するまで戦うには数千、数万の魔獣の瘴気を浴びなければならない。
(どんだけ丈夫で、強いのよ。この男は)
といっても、このまま放置すれば彼は死ぬ。
自覚があるのか分からないが、彼の身体は今もなお蝕まれている。
このまま放置すれば心臓にあるオドまで侵されて、体の芯から腐り果てるだろう。
「……初耳だ」
ノクスは目を丸くしたあと、責めるように言った。
「そんな重要なことをさらりと言うな」
「おや、周知の事実かと思っていました」
「今まで、どの医者に見せてもそんなことは言われなかった」
「そもそも触れることすら出来ないですしね。無理もありません」
医者とて万能ではない。
彼らは人体や病に関する知識を徹底的に頭に叩き込み、患者の症状に効く処置をしたり、薬を処方することが仕事だ。そもそもの原因が分からなければ、処方する『薬』も分からないだろう。
「……ずっと探していたんだ。これを治せる者を」
「あなたにとってもこの婚姻のメリットは十分というわけですね」
若干逸れてしまっていた話を本題に戻す。
ノクスは頷いた。
「メリットを補って余りある。何か欲しいものがあれば言え」
「うーん、特にありませんが」
テレサは首を傾げ、
「何か欲しいものが出来たら言いますね」
「あぁ。では、契約を?」
テレサは目を閉じて静かに思案する。
ーー悪い話ではない。
テレサは女好きで好色な年上クズ男から逃げることが出来るし、
ノクスはテレサの治療が目当てで恋愛感情を持っているわけではない。
互いが互いのもたらす利益で繋がれる関係。
それはテレサが聖女として目指すところとも都合が良いように思う。
では教会にとってはどうだろう。
こちらも問題ないはずだ。アーカイム公爵家は社交界での影響力こそ高くないが、王族の親戚であり、国内一の武力派閥を率いる軍事派閥の頂点に立っている。そこらの成金侯爵と繋がるより王家と密接に繋がる公爵家のほうが聖女を売る価値は高まる。
(問題は侯爵の面子だけど。まぁそれも大丈夫かな)
テレサはちらりとノクスを見る。
財力、権力、実力、どれをとっても侯爵に勝てる要素はない。
彼がひとこと口を挟めば成金侯爵はまたたくまに黙るはずだ。
(いえ、それどころか私自身の目的にも大きく近づくかも)
テレサは内心で浮き立つものを感じながら笑顔を浮かべた。
「分かりました。身共はあなたと契約します」
「そうか。細かい条件は書面に認めたいと思うが」
「お願いします。身共からの要望は……」
テレサとノクスが話し合った妥協点は主に五つだった。
1、ノクスはテレサの活動に関して口を挟まず、金銭的な援助を行うこと
2、ノクスとテレサはお互いを愛さないこと
3、夫婦の関係は持たない。但しテレサは最低限の公務を行う
4、テレサはノクスの呪いを完治するまで治療する
5、この契約はノクスの呪いが完治すれば終了とする
「治療までどれくらいかかる?」
「おそらく、一年ほどかと」
「分かった」
ノクスは仏頂面で頷いた。
「ならば一年、よろしく頼む。聖女テレサ」
「こちらこそよろしくお願いします。アーカイム卿」
こうして、テレサはノクスと夫婦の関係になった。
互いを利用するだけのニセモノの関係。
ここからどうなるかなど、考えもしなかった。