最終話 ありったけの願いを
「お前がルナテアか」
「そう呼ばれることもあるね」
ノクスは周りを見渡した。
地平線まで続く青い空。
雄大ではあるが、いつも見ている空と比べてどこか不気味だ。
不確かな足元が抜けていつ落ちてもおかしくないように思える。
「ここはどこ」
「どこでもないよ。君の心の中であり、世界であり、宇宙でもある」
「ずいぶん持って回した言い方をするやつだ」
「いやぁ。ここに人間が来るのは久しぶりでさ。正直はしゃいでる」
玉座に座りながらルナテアは子供のように足を揺らす。
「もちろんここで力を与えて干渉はしてきたけども。やっぱりこうして直接人に会うと感慨深い者があるね。お茶でも飲む? それともコーヒー派?」
「無駄話をする気はない」
ノクスは神の話を切り捨てて言った。
「単刀直入に言う。あいつの魂を返してくれ」
「あいつって誰?」
「テレサ……いや、アリア・ランデリスの魂だ。貴様の元にあるのだろう」
にぃ、と白い口元が弧を描く。
「そうだね。ここにいるよ」
ルナテアが手を広げると、そこに光の玉が生まれた。
「君が望むのはコレかい?」
「……そうだ」
ノクスは慎重に頷いた。
アレが本当にテレサの魂であるか分からないが、今はここで頷いておく他なかった。
「彼女は自ら望んで魂を差し出したんだ。復讐を叶える力と引き換えにね」
「……分かってる」
「まぁ別に、返してあげてもいいんだけど」
「!」
ノクスの反応を楽しむようにルナテアは続ける。
「だけど願いを叶える代償が必要だよ。君は何を差し出せるのかな」
「貴様を奉じるための神殿を作る」
「おぉ〜」
アーカイム公爵家の力を使えば国内外に神殿を作ることは可能だ。
教会派になればルナテア教の影響力が増すかもしれないし、宗教家が政治に介入する唾棄すべき時代になるかもしれないが、テレサを取り戻せるなら無神論者から宗教家への転身も辞さない覚悟だった。
「いいねいいね。僕を奉じる人が増えるのはいいことだ」
「ならばーー」
「でもそれって代償じゃなくて対価だよね」
何かを叶えるには代償が必要となる。
代償と対価は似ているようでまったくの別物だ。
「代償は何かを犠牲にすべき者だよ。君が僕の存在を広めるのはいいことだけども、君自身が何を失うんだい?」
「それはーー」
「プライドとか、名誉とか。そんなことを言ってるんじゃないよ」
「……」
「だから却下。僕は代償無しに願いは叶えない」
「では何を望む」
ルナテアは嗤った。
「そうだねぇ。なら君には一生呪いを背負ってもらおうか」
「呪い……」
ノクスを二十年以上にわたり苦しめてきたもの。
どんな手を使っても呪いを解くと誓い、テレサの手で治癒された呪いを。
「君は生涯、愛する人に触れることが出来ない」
「……」
「もちろん、体を交えることも出来ない。普段の生活は手袋で構わないけど、アリアに触れることも許さない。もしも触れたらその瞬間にアリアは死に至る」
愛する人を助ける代わりに愛する人に触れることが出来なくなる。
顔に触れることも手を繋ぐことも、口付けをすることさえも。
それこそが願いの代償だと、ルナテアは嗤った。
「これなら願いを叶えてあげる。さぁ、どうする?」
「分かった。それでいい」
ルナテアは一瞬沈黙して、
「……一秒も考えないとか、本気かい?」
「俺はあいつが幸せになってくれるなら、それでいい」
本当なら、自分が幸せにしたかった。
彼女のそばに自分以外の男が居るなんて考えるだけでも頭がおかしくなりそうだ。
テレサの笑った顔も、優しい言葉も、全部自分にだけ向けられて欲しい。
それでも。
「たとえ俺が側に居られなくても、あいつが死ぬよりは良い」
自分はもう彼女に救われた。
今度は自分が彼女を救う番だ。
「あいつが生きて、幸せになってくれるなら。それでいいんだ」
「……」
ルナテアは探るようにノクスを見ていた。
「……嘘がない。心の底からそう思ってるのか」
「願いの代償がソレだと言うなら、早くしてくれ」
ルナテアは玉座に背中を預けて天を仰いだ。
「つまんない」
「は?」
「つまんない。つまんないなぁ。僕はさ、もっと葛藤するところが見たいんだよ。大切な人を助けるためになんでもするという馬鹿が、自己保身に走って葛藤するところが見たいんだよ。それが人間の醍醐味って奴だろ?」
「……」
「なのに一片の迷いもなく言い切るなんてさぁ。つまんないよ」
混じり気のない純粋な悪意。
ルナテアのやっていることは神というよりも悪魔だ。
一体コレは今までどれほどの人間を狂わせてきたのだろうーー。
「じゃ、いいよ。返してあげる」
ルナテアの持っていた光の玉が空に昇って消えた。
これで本当にテレサは目覚めるのだろうか。
ルナテアは不安を隠せないノクスを指差し、
「覚えておくといい、ノクス・アーカイム。君の献身と自己犠牲は確かに神の問いに勝った。でも、過ぎた自己犠牲は時に人を傷つける刃となる」
世界が歪む。青ぞらが徐々に遠ざかっていく。
ノクスは慌てて叫んだ。
「待て、まだ代償をーー」
「それは僕からの餞別だよ。アリアにはずいぶん役立ってもらえたからね」
「……!」
「君たち二人がいつまで側に居られるのか……見物させてもらうよ」
暗転。
水の底から一気に浮上するような感覚がノクスを襲う。
そしてーー
「……!?」
一瞬の浮遊感のあと、ノクスは礼拝堂に居た。
魔法陣の周りにあった聖遺物は粉々に砕け散っている。
ぼんやり体を見ても忌まわしい呪いの気配はしなかった。
「……そうだ、テレサはっ」
ノクスは礼拝堂の扉を蹴破るように開けて、三階に走った。
「旦那様ーー」何か言いかけた筆頭執事に目もくれず、彼女の私室へ。
ばん! と扉を開けると、そこにはーー
「ぁ」
雪の妖精が、ベッドに座っていた。
粉雪を散りばめたようなふわふわした雪色の髪が風になびく。
神が作った彫刻細工のように整った容姿。
儚げな雨色の瞳が意思を宿し、ノクスを見ていた。
ベッドのそばにいる主治医とレイチェルが道を開ける。
妖精が口を開いた。
「だんなさ」
「……!!」
ノクスは飛び込むようにテレサに抱きついた。
ぎゅっと背中に手を回して存在を確かめる。
あれほど冷たかった体は温かく、心臓の鼓動が確かな脈を打っている。
「よかった」
「……旦那様」
「よかった。お前が生きてて、本当によかった……!」
万感の想いで抱きしめるノクスにテレサのまなじりに涙が浮かぶ。
「旦那様、身共は」
「いい。もういい」
嘘をついていたことも、すべてを隠していたことも。
彼女が悪女アリア・ランデリスであることもどうでもよかった。
謝罪の言葉を封じたノクスは体を離し、テレサの目を見て言った。
「もう、どこにも行くな」
「……っ」
「ずっと俺の側にいろ。二度と離さないからな」
テレサはぎゅっと唇を噛み締めて、俯く。
そして満開の花が咲くように微笑んだ。
「はいっ」
次回、エピローグです。




