第五十一話 お別れなんて許さない
ノクスが飛び込んだ時、貴賓室は散々たる有様だった。
中央のソファでは王太子と王太子妃が倒れ伏し、血溜まりを作っている。
毒杯を作ったテレサは笑みを浮かべ、騎士達が彼女を取り囲んでいた。
「テレサ……これは……」
「おかえりなさいませ、アーカイム卿」
状況把握に努めるノクスにテレサは言った。
「実は、身共はずっとあなたに秘密にしていたことがあります」
テレサがひた隠しにしていた過去。
それは予想通りでありながら、最悪の答えだ。
「あなたが探している悪女は私です」
頭が、理解を拒絶する。
点と点が線となり、明確な答えを浮かび上がらせながらもーー
ノクスは無知な子供のように戸惑っていた。
「何を……何を言ってるんだ?」
「言葉通りの意味ですよ」
テレサは胸に手を当てる。
「身共が、いえ。私がアリア・ランデリスなんです」
「第一王子たちは、お前が……?」
「はい。身共が毒を盛りました。あぁ、エマは何もしていませんのでお忘れなく」
第一王子の騎士が叫んだ。
「その反逆者を捕えーー」
「黙れ。今、俺がテレサと話している。邪魔をするな!」
「いやぁ、その道理は通らないんじゃないかな?」
騎士の中から一人の男が進み出てきた。
兜を脱いで現れたのは白金色の髪の青年だった。
「……あなたは」
彫刻細工のように整った美貌の持ち主だ。
見る者に穏やかな印象を与えるエメラルドの瞳が細められる。
「ヨハネス・オルブライト第二王子殿下……」
第一王子の騎士達がザ、と膝をついた。
まるで仕えるべき真の主を前にしたかのように。
「王子の御前だよ、ノクス。君は跪かないの?」
「騎士に扮していた男だ。何者かが第二王子に化けている可能性も否定できない」
「暴論だなぁ。君が幼い頃に暗殺されかけた回数でも教えてあげようか?」
「……」
「まぁいいさ。ひとまず、ソレを引き渡してくれない?」
ヨハネスはテレサを指差した。
「ソレは王族とその婚約者を傷つけた悪女だよ。君が長年追い続けてきたアリア事件の犯人であり、ここ最近王都を賑わせている犯罪者だ。特務騎士団として僕に引き渡すのが道理じゃないかな」
「……いきなり現れて、ずいぶん勝手なことを言うものだ」
ノクスは苛立ちを隠せなかった。
「テレサがアリア事件の犯人? ブルーマン公爵の失脚により、アリア事件はアリア・ランデリスに濡れ衣を着せたものだと判明している。王都の事件についても証拠は何一つない。それなのに彼女を引き渡せと?」
「うん。だってジゼルに毒を盛ったし。不肖の兄とはいえ王族だからねぇ」
へらへらと、世間話でもするようにヨハネスは言った。
「アリア事件が無くても、今、この場の状況だけでソレを拘束するには十分な理由だろう?」
「貴様……」
「良いのです、アーカイム卿」
テレサはノクスと第二王子の間に割って入った。
「身共が彼らを傷つけたのは事実です。殿下、いかようにも処罰を」
「おっけー。沙汰は追って下すけど、まぁ死刑だろうね」
「……っ」
あまりにも軽い口調にノクスはヨハネスに殴りかかりそうになった。
テレサに羽交い締めされても、ヨハネスは気にした風もなく腕を伸ばす。
「いやぁ助かったよ、計画がスムーズに運んで。ノクスとやり合うことになったら目も当てられないからね」
テレサは視線を鋭くして言った。
「言っておきますが、身共とアーカイム卿は既に離縁をしています。アーカイム家には何の咎もありません」
「はいはい。相変わらず小細工が好きだねぇ。どうせ死ぬのに」
「ーー待て」
ノクスはドスの効いた声で二人を制止する。
「聞き捨てならないな。計画通りだと?」
「うん」
「つまり、今この状況は貴様が描いた絵の通りと言うわけか?」
「そうだよー」
ギリ、とノクスは拳を握りしめた。
(そうか。そう言うことか)
真実の展望がノクスの前にひらけていった。
「ヨハネス……貴様か。貴様がアリアを手引きしていたな?」
にぃ、とヨハネスは笑みを深める。
それが答えだった。
「相次ぐ貴族達の不祥事事件で最も謎だったのが情報の入手経路だ。いくらアリア・ランデリスが元伯爵家だと言っても人脈には限りがあるし、そもそもアリア一人で成し遂げられる犯罪ではない」
間違いなく高位貴族の協力者がいる。
それも特務騎士団に足が付かないように細工できるほどの者が。
「貴様はアリア・ランデリスを利用したんだ。いかに悪徳貴族でも第二王子が動けば角が立つ。ブルーマン公爵が健在だった頃はなおさらな。だから貴族達の不祥事を暴きつつ、すべての罪をアリアになすりつけた。実行犯は貴様らの手のものだろう。実際にテレサが関与したのはブルーマン公爵と第一王子たちくらいではないのか?」
「すごい推理だねぇ。なんで僕がそんな面倒なことを?」
「国の膿をすべて吐き出し、悪徳貴族を粛清するためだろう」
第二王子は間抜けで遊び人のフリをしているが、事実はまったくの逆。
この男は国の現状を憂い、悪徳貴族を一掃する機会を窺っていたのだ。
そこに現れたのがアリア・ランデリスである。
復讐に燃え、あらゆる難事に対して実行力を持つ、伯爵家の末子……。
「そもそもテレサが第一王子を傷つけたタイミングに居合わせるのは都合が良すぎる。最初から共謀していたと考えたほうが自然だ」
「お見事! いやぁ、やっぱりアーカイム家は敵に回したくないよねぇ」
ぱちぱちぱち、と無遠慮に拍手をするヨハネス。
「全部分かっているようで何よりだ。さぁノクス。ソレを引き渡してくれる?」
「……」
「君なら分かるでしょ? ソレを引き渡せばすべてが丸く収まるんだよ」
第二王子とはいえ、正式な手続きを経ずに第一王子を排することは出来ない。
そもそもジゼルは立太子もされている正当な王位継承者なのだ。
実態がどうあれ、ヨハネスが手を下せば王太子の地位を簒奪したと見なされる。
必要なのは悪役だ。
一連の事件のすべてを手引きし、復讐に狂った悲劇の伯爵令嬢……。
これほど民衆が共感を抱く者も他にないだろう。
社交界に影響を及ぼさず、不穏分子を始末し、ヨハネスの地位を守れる。
「全部、分かってやったのか」
ノクスの問いはテレサに向けられたものだ。
すべての秘密を明かした彼女はゆっくりと頷いた。
「はい」
「捨て駒にされると分かっていて、それでもか……?」
「はい。元より身共は死すべき運命でした。復讐を果たし、家族の名誉を回復出来ると言うのなら、これ以上はありません」
テレサは儚げに笑った。
「身共の復讐は、もう終わりました」
その瞬間、テレサの足元に魔法陣が広がった。
月光にも似た光を受けてテレサの身体が発光する。
止まっていた時間が、動き出す。
「げほ、げほッ」
「テレサ!?」
身体をくの字に折ったテレサが咳き込んだ。
口元に手を当てた彼女の手のひらは真っ赤に染まっている。
「これは……」
「あーあ。時間切れか」
唖然とする周囲にかまわずヨハネスはつまらなさそうに言った。
「契約終了の合図だ。せっかちだね、神様も」
「どう言うことだ……」
「そのままの意味です」
答えたのはテレサだった。
すべてを諦めた表情をした女は言った。
「何度も言ったでしょう? 身共は神に身を捧げた聖女。復讐と贖罪のために神に力を与えられたのです。その目的が果たされた今、本来死すべき運命だった時間が動き出した……それだけのことです」
神に身を捧げた聖女。
ノクスはその言葉を聞くたびに単なる比喩だと思っていた。
敬虔な信徒であることをアピールする決まり文句であると。
だが違った。
実際に、テレサは神に身を捧げていたのだ。
「こうなると連れて帰る前に死んでそうだなぁ」
ヨハネスは他人事のように腕を組む。
「じゃあこうしよう! アリア・ランデリスはジゼルとクリスティーヌに毒を盛り、その罪を償うために自らその命を絶った。僕たちはそれを止めようとしたけど間に合わず、悲劇の聖女はここに散った……どう? いい筋書きじゃない?」
ノクスはヨハネスの言葉の半分も聞けなかった。
魔法陣が消える。崩れ落ちるテレサを受け止めて、静かに身体をゆすった。
「テレサ……?」
「……」
「テレサ、しっかりしろ。起きろ」
「……」
ヨハネスの指示の下、ジゼルとクリスティーヌが運び出される。
ノクスは荒れ果てた貴賓室で何度もテレサに呼びかけていた。
「冗談は大概にしろ……そ、その病も、神聖術で治せるんじゃないのか?」
「……いいえ」
テレサが唇を震わせた。
「身共には……もうそんな力はありません……」
「す、すぐに医者を呼ぶ! すぐに治るさ。だから」
「無理ですよ……国中の医者が匙を投げた病ですから……」
騒がしい周りの音が遠ざかる。
腕の中にいるテレサの存在感がどんどん希薄になっていく。
「嫌だ」
ノクスは思わずテレサを抱きしめていた。
「嫌だ。こんなのあんまりだ。なんでお前が死なないといけないんだ」
「私はアリアですから……悪女は、死なないと」
「そんなの関係ない!」
ノクスは思わず叫んでいた。
ずっと堰き止めていた感情が溢れ出す。
「お前がアリアでも、テレサでも! どっちでもいいんだ。俺は、お前だから救われた。お前がそばにいてくれたから、俺は人間のままでいられた。この家に帰ってくるのが、楽しみになったんだ」
「でも、私たちは契約結婚で」
ノクスは黙ってテレサを見つめた。
言葉よりも雄弁な想いが伝わり、次第にテレサの頬が緩んだ。
すりすりと、テレサはノクスの手に頬擦りをする。
「ありがとうございます……嬉しいです」
「礼を言うくらいなら、生きろ。頼むから生きてくれ」
白魚のような頬にぽたりと水滴が落ちる。
「お前が居ないと、俺はもう生きていけない」
テレサは仕方なさそうに微笑み、
「泣かないで」
「……」
「私は、もうとっくに死ぬことが決まっていたの。それが五年も先延ばしになっただけで……」
テレサの手から力が抜けていく。
「あなたと暮らせて幸せでした」
「あなたの気持ち、嬉しかった」
「あなたと夫婦になれて、よかった」
ごめんなさい。
ありがとう。
さようなら。
どれだけ叫んでもテレサは目覚めてくれなかった。
第二王子たちが去り、医者が容態を見て、首を横に振って。
ノクスの涙は、ただ無為に流れていくだけ……。
ばたん!!
突然扉が開き、ノクスは力なく振り向いた。
黒髪の貴婦人が立っている。
「母上……?」
「はぁ、はぁ……まだ、まだ終わってないわ」
レイチェル・アーカイムは懐から瓶を取り出して言った。
「絶対に助けるわよ。わたしたちの花嫁を!」




