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第五十話  告白

 

 クリスティーヌには秘密がある。

 リガロ男爵家に生まれた彼女の正体は隣国から落ち延びた姫君だ。

 皇位継承戦に負けた彼女は暗殺から逃れ、彼女は従騎士の家族を頼り、リガロ男爵家の養子になった。このことを知るのはブルーマン公爵と王族の一部だけだ。真実を知った時の国王の顔は今でも忘れられない。


(でも、わたくしの後ろ盾だったブルーマン公爵はもういない……)


 ブルーマン公爵の後ろ盾があったからこそ、クリスティーヌはジゼルの王太子妃になれたのだ。彼が居ない今、クリスティーヌはおのれの価値を証明しなければならなかった。


 もしも失敗すれば、自分は男爵家に戻されるだろう。

 そんなこと、絶対に耐えられない。

 この崇高にして高貴なる姫たる自分が、下民と変わらないような生活をするなんて。


(だから、今はーー)


「お出迎えありがとうございます、テレサ様」

「ようこそいらっしゃいました。クリスティーヌ様、そしてジゼル殿下」


 ルミリオン王国王都。公爵家の門前。

 聖女テレサが見せる上品な仕草にクリスティーヌは目を細めた。


(今はこの女が持つすべてを、搾り取ってあげなければ)


 クリスティーヌは笑顔を浮かべる。


「こうしてまた会えて嬉しいわ」

「身共も同じ気持ちです。クリスティーヌ様」


 何も知らない馬鹿な女は呑気に笑った。

 第一王子派が危機的状況にあるいま、こうして会うこと自体が公爵家にリスクのある行動だと分かっているのだろうか。「こちらです」と案内しながら前庭を歩くテレサの後ろ姿を見て、クリスティーヌはジゼルと顔を見合わせた。二人同時に「ふ」と笑う。


(これならチョロそうだわ)


 仕事中毒の夫がいない時を狙って正解だった。

 聖女は何も知らずにクリスティーヌたちを歓待しようとしている。


「それにしても驚きました。突然いらっしゃるものですから」

「ごめんなさいね。どうしてもテレサ様とお話がしたかったの」

「……ふふ」


 クリスティーヌは怪訝そうに首を傾げた。


「テレサ様、なぜ笑ったのですか?」

「申し訳ありません。他意はないのです」


 テレサはゆっくりと首を振る。


「ただ、身共はずっと思っていたんです。クリスティーヌ様とお友達になれればと……今日こうして共にお茶が出来るということは、もうお友達と言えるのではと思うと、嬉しくて」

「これまではアーカイム卿がそばに居たしな」


 ジゼルが口を挟んだ。


「卿が居ない今、遠慮なく話が出来るだろう」


 暗にノクスとテレサの立ち位置の違いを確認しているのだ。

 否といえばテレサはノクスに従順で味方にするのは難しくなるが、肯定すれば今この時ほどチャンスはない。果たして、テレサはーー


「そうですね。夫は少し、頭が硬いので……」

((ーー来た!))


 クリスティーヌとジゼルは目を合わせた。


(これなら……)


 ノクスが聖女テレサを溺愛しているのは周囲の目から見ても明らかだ。そのテレサが自分たちの味方をすると言ってくれれば、ノクスも折れざるを得ないだろう。テレサが味方になるということは、教会も味方になるということ。野心家の教皇のことだ。政権への参加をちらつかせれば乗ってくるに違いない。


 いける。

 聖女テレサを、ひいてはアーカイム家を味方につけることが。


「こちらです。急なご来訪でしたのでご用意もできていませんが……」

「十分です」


 案内されたのは王族を迎えるのに相応しい貴賓室だった。

 部屋にある調度品や家具の一つ一つが王族のそれと遜色ない。

 ただ、豪華な部屋も大勢入ると手狭だ。

 テレサと侍女それからクリスティーヌやジゼル。

 その背後には十五人の騎士たちが周囲を警戒している。


「騎士様たちにもお茶をお出ししたほうがいいでしょうか?」

「気にしなくても大丈夫です。お構いなく」

「そうですか?」


 冗談とも本気とも取れない言葉で聖女は笑う。


「それにしても大所帯ですね。大変ではありません?」

「まぁな。それでも外せない事情がある。分かるだろ?」

「もちろん、事情は存じております。ただ……」


 聖女テレサは愚鈍であっても馬鹿ではない。

 それがクリスティーヌとジゼルの共通認識だ。

 彼らは聖女を利用しようとは考えても油断はしなかった。


「お友達のお茶会でこれは、少し大袈裟ではないかと思いますが」


 味方をして欲しければまず信用させてみろ。

 ジゼルやクリスティーヌにとって公爵家が王族に指図をするなどもってのほかだが、今は彼女の言葉に抗えないほど切羽詰まっている。クリスティーヌはジゼルを見た。彼は頷く。


「皆、下がっていろ」

「殿下、しかし」

「くどい。この場で妙なことをするほど愚かな女ではない。聖女テレサは我らが友だ」

「……かしこまりました」


 どのみち、騎士たちには聞かせられないような話をするのだ。

 テレサも侍女を引かせ、貴賓室は瞬く間に三人だけになった。


「お茶が冷めてしまいました。淹れ直しますね」


 テレサがお茶を淹れたあと、ほっと一息。

 クリスティーヌは単刀直入に言った。


「テレサ様、あなたの力を貸してくださらない?」


 テレサは驚いたように目を見開いた。


「これはまた、ずいぶん性急ことを運ぶのですね。クリスティーヌ様」

「あなたは公爵家で、聖女だもの。わたくしたちの思う以上にこちらの事情を知っているのでしょう?」


 もとより腹の探り合いをするような時間はない。

 一刻も早くアーカイム家を味方につけて社交界の影響力を取り戻さねば、ジゼルの立太子すら取り消しになってしまう。


「もちろん。それなりの見返りは用意するわ」

「構いませんよ。身共はお友達の味方です」

「まずはあなた達の家の……」


 ぱちぱち、と目をまたたく。


「え? いいの?」

「はい。そのつもりで今日お会いしたのですから」


 クリスティーヌは拍子抜けだった。

 アーカイム家は中立派で有名な武闘派貴族。

 明らかに貴族的な考えをするクリスティーヌ達とは相性が悪い。


「何を企んでいる?」


 ジゼルが訝しんだように言った。


「お前は俺たちに協力的すぎる。夫に何か言われたか?」

「身共は何も企んでおりませんよ」


 テレサはお茶に口をつける。


「ただ、殿下たちと手を取り合った方がより民の幸せに繋がるのではないかと思っただけです。せっかくこうして貴族になったのですから、その恩恵はしっかり民衆に還元されるべきでしょう?」


 ふわり、とテレサは笑った。


「身共は悪女(あくま)で、聖女ですから」

「……そう」


 クリスティーヌはお茶に口をつけながら息をつく。

 テレサの言葉が脳裏にある女を想起させた。


(似ているわ。わたくしに貴族の何たるかと解いてきたあの女に)


 アリア・ランデリス。

 第一王子の婚約者という民を支配すべき立場にいる女が、あろうことか『大いなる者には高貴なる義務を』なんて欺瞞を謳っているのを見て、クリスティーヌは小馬鹿にしたい気分だった。


 民とは高貴なる者のためにいる餌である。

 税金を捧げるために働く蟻であり、蜜を運んでくる蜂である。


 ちょっと甘い汁を与えれば両手をあげて崇拝する。

 都合のいい真実を与えれば何も考えず盲信する。

 それが民であり、貴族たちが支配する下民という存在だ。


『高貴なる者は大いなる支配を』。


 貴族の何たるかも分かっていないあの女が気持ち悪くて仕方なかった。

 だから、現実を教えてやることにした。


 大事に守ってきた領民たちを実験台にしてあの女がやったことに仕立て上げた。

 大好きな領民に責められているあの女の顔と言ったら!

 あの時ほど高揚したことはないとクリスティーヌは断言できる。

 むしろアリア・ランデリスという女はあの時のために生まれてきたのであろう。


(ムカつく。でも、だからこそ利用出来る)


 テレサ・ロッテ。

 なるほど聖女と呼ばれるだけあって慈悲深いのだろう。

 民を思いやり、民の暮らしのために生き、愚かにもせっかく授かった力を民に分け与えている。その生き方は神に愛されるに相応しい在り方だ。反吐が出る。


「いいわ。あなたを信用します」

「クリスティーヌ?」

「殿下、テレサ様は信じてよろしいかと」


 この女は理想を実現できると信じきっている底抜けのお人好し。

 アリア・ランデリスと同じ類の人間だ。

 恵まれた環境で、さして苦労もせずに育てられた彼女たちは自分に不可能がないと思っている。その気高い理想と自尊心を刺激してやれば、陰ながらに操ることは造作もないだろう。


「そういえば、ジゼル殿下は先ほどからお茶を召し上がっていないようですが」


 雨色の瞳が細められる。


「お口に合いませんでしたか?」

「いや……そうではないが」

「ジゼル様」


 ジゼルは先ほどからお茶に口をつけていなかった。

 それはテレサが何か企んでいるのではないかという警戒心ゆえだ。

 けれども、淹れたお茶を飲めない者を信用するというのも無理な話。


「別に、あなたを疑っていたわけではない」


 クリスティーヌの物言いたげな目。

 ジゼルはため息をついてカップを手に取る。


「どのみち俺に魔法は効かないのだからな。万が一これに魔法薬を垂らしていても、俺の体内で魔法が働き、魔法薬は無効化される。ハッ! 今まで、どれだけの馬鹿がこの体質に負けてきたか」


 ジゼルが一気にお茶を飲み干した。

 それは彼らが密かな友情を成立させるための儀式でもあった。


「これで俺たちは友人だ。そうだな?」

「はい、もちろんです」


 クリスティーヌはホッと安堵の息をついた。

 元より同じポットに入っているお茶なのだ。

 カップに細工している様子はなかったし、もしも毒が含まれているなら聖女テレサにも症状が出ていたはず。


「これからもよろしくね、テレサ様」

「こちらこそよろしくお願いします。クリスティーヌ様」


 そうだわ!とテレサが嬉しそうに手を合わせた。


「クリスティーヌ様、友人として、記念に教えて差し上げます」

「なにかしら?」


 ふふ。とテレサは無邪気に笑った。






「魔法なんてなくても、人は殺せるんですよ?」







 クリスティーヌは顔色を変え、


「殿下、急いで飲んだものを吐き出し」

「もう遅いわ」

「「がはッ……!」」


 ジゼルとクリスティーヌは同時に吐血した。

 べちゃべちゃべちゃ……! 吐き出した血が足元に血溜まりを作る。


「……っ」


 喉が焼けるように痛い。

 頭を鈍器で殴られたような痛みがする。

 クリスティーヌは蒼褪めた顔で口元を押さえながらテレサを睨んだ。


「なんで、殿下には毒が効かないはず」

「正確には魔法薬が効かないのよ。自然界で作られた植物毒なら普通に効くわ。この男だって普通の人間なんだから。常識でしょ?」


 先ほどと打って変わり、テレサの口調は尊大で威丈高だ。

 生まれながらにして上に立つ者が無知な者を嘲笑っている。

 それは貧民出身の聖女にはできないはずの笑みだった。


「あなた一体……」

「まだ分からないの?」


 ニヤァ、とテレサは嗤う。


「じゃあこれでどう?」


 テレサは耳に髪をかきあげた。


 そして変化が起こる。


 雪のような白髪がだんだんと血の色に染まり、ドレスすら黒に変化する。

 まるで葬式に参列する貴婦人のようだ。

 鋭い雨色の瞳は優越感と勝者の余裕が滲んでいる。


「貴様……なぜ……生きていたのか!?」

「ぁ……あ、なたは……どうして!」


 ジゼルとクリスティーヌは震撼し、その名を叫んだ。


「「アリア・ランデリス!!」」

「久しぶりね。クリスティーヌ、ジゼル。そしてさようなら」


 テレサは嗤った。


「あなた達が頼ってきたのは私だったの。残念だったわね?」

「いや……」

「その毒は生きながらに体を蝕むわ。存分に味わいなさい?」

(こんな、ところで……)


 一体なぜ。どうして。どうやって。

 アリアは死んだはず。死体を見た。別人?なんで。いつから?

 さまざまな疑問が泡沫のように浮かんでは消えて、クリスティーヌの意識が遠ざかっていく。



 ーーばたん!



「奥様、どうされました!? 今ものすごい音が……」

「殿下! 王太子妃様! 一体何が……」


 扉を蹴破るように飛び込んできた侍女と騎士は見た。

 ソファに力なくもたれかかるジゼルとクリスティーヌ。

 そして、返り血を浴びながら嫣然と嗤う、聖女テレサの姿を。


「あ、エマ」


 テレサは友人にでもあったような気軽さで言った。


「ねぇ見た? 見た? 頼みの綱だった女が実は目の敵にしていたアリアだと知ったこいつらの顔! めちゃくちゃ間抜けな顔していたわよ!? ふふ、あははははは! これよ! これが見たかったの! 宣言通り泣かせてやったわ、ざまぁ見ろっての!」

「お、奥様……?」

「これで終わりだわ。これで、全部……」


 第一王子が消えれば残された第二王子が立太子される。

 そうすればランデリス家の無罪も明らかになるだろう。そういう契約だ。


 今は隣国に落ち伸びている両親や兄も、故郷に帰ってこられるはず。

 ガタガタになった国は第二王子が立て直すだろうし、国の膿は出し切った。


 これで、すべての復讐は終わったのだ。


「あー、スッキリした!」


 テレサは子供のような顔で笑った。


「か、かく」

「──どけっ!!」


 第一王子の騎士たちが動き出そうとするなか、黒い男が部屋に飛び込んできた。

 騎士たちを押しのけた男はテレサと、倒れ伏す第一王子たちを見る。


「テレサ……これは……」

「おかえりなさいませ、アーカイム卿」


 テレサは微笑み、


「身共はあなたに秘密にしていたことがあります」


 告白する。


「あなたが探している悪女は私です」


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