第四十九話 急報
王都特務騎士団の休憩所はどんよりしていた。
そこらにワイン瓶が転がり、騎士団にあるまじき酒気が漂っている。
中央のソファには近寄りがたい黒衣の男が天を仰いでいた。
「おい、隊長どうした……? あんな姿見たことないけど」
「なんでも奥様と喧嘩したらしい」
「マジかよ。あの隊長をあそこまで凹ませたのか?」
「普段は誰よりも規律を重んじるひとが……聖女様こえぇ」
普段は彼を慕う部下たちもあまりの落ち込みように言葉も出ない。
遠巻きにノクスを見守る者たちが多いなか、一人の男がノクスの背後に立った。
「はぁ……」
「おい、さっさと仕事戻れ。書類溜まってんぞ」
幼馴染であり親友のミシェルはノクスの頭上に手刀を落とす。
ノクスはぼんやりとした様子で頷いた。
「あぁ」
「こっちの書類ミスってるからな。あとで直しとけよ」
「あぁ」
「うんこ食べるか」
「あぁ」
「俺と結婚するか?」
「殺すぞ」
「あ、直った」
ギロリとミシェルを睨んだノクスは体を起こした。
机にある酒瓶を手に取り、口元に持っていくが、一滴しか残っていない。
ミシェルは呆れたように言った。
「言っとくが、休憩室で酒は禁止だからな。分かってんだろうな」
「普段飲んでるやつに言われたくない」
「そうかよ。そうだな。お前が口酸っぱく言ってたことだけどな」
「そういう日もある」
「なら、今後は女と喧嘩した奴だけ酒を飲んでもいいように規律を変えるか」
「喧嘩か……」
ノクスは再びソファに身を預け、手の甲で目元を覆った。
「喧嘩すらさせてもらえなかった」
「やっぱ聖女様のことなのか?」
「……まぁ」
この男の心を拘わせるのは聖女テレサのことくらいだ。
ミシェルの推測に図星を突かれたノクスはばつが悪くて目を逸らした。
「結局あのひとはアリア・ランデリスと無関係なんかねぇ」
「……分からん」
それはノクスの正直な思いだった。
五年前に死亡した記録のあるテレサ・ロッテ。
五年前に表舞台から姿を消したアリア・ランデリス。
そして五年前にルナテア教の修道女となった聖女テレサ。
状況証拠を元に考えれば、アリアがテレサの名を借りて聖女になったと考えるのが妥当だ。過去が謎に包まれている聖女テレサも、他人と入れ替わったと考えればすべて説明がつく。
だが証拠がない。
「エンシオ先輩も嘘をついてる感じはなかった。つーか、この手の仕事で嘘をつくひとじゃねーしな。少なくとも、あのひとから見た聖女テレサがアリア・ランデリスじゃないことは確かだ。問題は先輩が何らかの魔法にかかってる場合だが……」
「それはない。魔力反応がなかった」
魔法を行使した際は必ず魔力反応が残る。
それはすべての魔法に共通する原理であり、絶対の真理だ。
魔力反応が残らない魔法など魔法ではない。別のナニカだろう。
「クラインの証言もあるしなぁ。容疑は晴れねぇって感じかね」
「……そうだな」
「あ」
ミシェルが何かを思いついたようにソファの後ろから身を乗り出した。
「つーかよ、魔力紋を照合すればいいんじゃね!? 洗礼式の時に残っていたアリア・ランデリスの魔力と今の聖女様の魔力を照合すれば一発だろ! うわなんで思いつかなかったんだ!? 早速行ってーー」
「もうやってる」
「あ? そうか。まぁそうだよな。どうだった?」
「……さぁな」
ノクスは懐にある手紙を意識した。
この中にはアリアとテレサの魔力を照合した結果が入っている。
今朝イェーガーから渡されたソレに、ノクスはまだ手を付けていなかった。
「お前さ」
ミシェルが葉巻に火をつけながら言った。
「もし聖女テレサがアリアだったらどうすんだ?」
「そんなことはありえない」
「もしもの話だよ。捕まえるのか?」
現在、騎士団内におけるアリア・ランデリスの立ち位置は微妙なところだ。
当初はアリア事件で領民百人を殺した悪女として指名手配していたが、ブルーマン公爵の失脚によってアリア事件は貴族らの陰謀であったことが分かっている。つまりアリア事件におけるアリアは冤罪をかけられただけの被害者だ。ブルーマン公爵失脚の影響はさまざまなところに出ており、騎士団はいまだに捜査と証拠整理に追われているが……それはさておき。
ここ最近王都を賑わせている事件は話が別である。
貴族たちの不祥事が露見した場には必ずアリア・ランデリスの文字が書かれていた。
「まぁ軽く挙げれば、器物損害、殺人未遂、脅迫、窃盗……他にも色々罪状はあるわな。あとは、ブルーマン公爵殺害の容疑か」
「奴がテレサと同一人物かよりも、先立って問題を解決しなければならない」
ノクスは息をついた。
落ち着き払った声は先ほどの憔悴していた時と打って変わって静かだ。
普段の調子を取り戻した親友に隣のミシェルはやれやれとため息をついた。
「そうだな。今の問題は……」
「奴が次に狙うのは誰か、だ」
ここ最近の事件の黒幕が悪女アリアと仮定する。
アリアが狙っていたのはアリア事件に関わった貴族であり、貴族の権益を不当に拡充していた者たちである。その筆頭がブルーマン公爵だった。
「公爵なき今、アリア事件に関わった貴族は虫の息だ」
「主だった者たちは失脚したしな……次に狙うのは……」
王族。ジゼルとクリスティーヌだ。
同時に答えに至ったミシェルは「いやいや」と首を振った。
「さすがに悪女アリアでも王族は……」
「無理だろうな」
ノクスは同意する。
ブルーマン公爵の事件以降、ジゼル一派は何十人もの騎士を周りに置き、どんな時でも他人を近づけさせないという。その警護は国王並みに厳しい。
「王族の警護を破るのは不可能だ。そもそも王族には魔法無効化の力がある」
「まぁ直接害しなくても、社交界の場で暴露するなりやり方はあるが……」
「悪女アリアが直接本人を害することはこれまでの事件で明らかだ」
とはいえアリアの正体がわかっていない以上、王都の事件の主犯とブルーマン公爵を害そうとしたアリアが同一人物かも定かではない。それはアリアを捕まえて尋問しなければ分からないことだ。最悪、複数犯という可能性もある。絶対に直接接触するとも限らないのだ。
「王族を狙うとしたら、どうやって警備を突破しようとするかだな」
二人の推論はそこで止まる。
魔法の無効化。
それは王権を裏付ける絶対者の理法だ。
あれを突破出来ようものならこの国は数百年も維持出来ていない。
「馬鹿馬鹿しい。書類仕事してたほうがマシだな」
「……」
ミシェルが諦めたように肩をすくめた。
「お前もあんま考え込むなよ。ただまぁ、いざって時は備えておいたほうがいいと思うぜ。その時になって、取り返しのつかねーことになっても困るだろ?」
「……あぁ」
ミシェルが休憩室を出ようとすると、初老の執事が飛び込んできた。
ノクスを見たイェーガーはほっと胸を撫で下ろす。
「よかった、旦那様。ここにいらっしゃいましたか」
「……イェーガー。職場には来るなと言ったはずだが」
「それどころではありません、旦那様。至急お伝えしたいことが」
ノクスとミシェルの間に緊張が走る。
職務に忠実な元傭兵執事がこうも焦るところは見たことがない。
よほどの緊急事態なのかとノクスは身構えた。
「何があった」
「クリスティーヌ王太子妃が奥様を訪ねていらっしゃいます」
「は?」
第一王子派の旗頭が中立派の長を訪ねてきた。
ソレ自体は問題ではない。
もちろん、あらかじめ来訪を知らせていないことは問題だが……。
影響力が不足している派閥が大貴族を引き抜こうとすることは珍しくはない。
しかし、タイミングが大問題だった。
「おい、おいおいおいおい、マジかよ。マジなのか?」
ノクスと同じ結論に至ったのか、ミシェルは口元を押さえる。
ーー悪女アリアが次に狙うのはジゼルとクリスティーヌだ。
これまでの事件でそれは明らかだし、確定している事実でもある。
だが、ジゼルとクリスティーヌには国王並みの厳しい警護が張り巡らされており、彼らに近づくことは愚か、近づくことすらままならない。悪女アリアにも打つ手はないはずだった。
さて、ここに一つの疑惑がある。
(もしもテレサの正体がアリア・ランデリスならーー)
巷で世間を騒がせている連続不祥事事件。
アリア事件を発端としたその犯人が第一王子を前にしたらどうするか。
テレサがアリアであれば、どうするか?
第一王子が人を口説くために警備を下がらせることは想像に難くない。
また、聖女テレサにそこまでの警戒を抱くことも難しいだろう。
まだテレサ=アリアだと確定したわけではない。
状況証拠と推論が出揃っただけだ。
それでもーー
「まずい……」
ノクスは全身から血の気が引くような思いだった。
弾かれたように身を起こしたノクスは休憩室を飛び出した。
「ノクス! あぁクソ、おい暇な奴全員集まれ! 今すぐ公爵家に出動だ!」
「え、でも自分今から非番……」
「んなもん返上だばかやろー! さっさと来い!」
騎士団の詰め所を出て口笛を吹く。
厩舎から飛び出してきた愛竜の背に飛び乗り、ノクスは竜腹を蹴った。
目指すは公爵家。そこで行なわれる可能性のある、最悪な未来を変えるためーー
「頼むから、何かの間違いであってくれ……!」
◼️◼️◼️
同時刻。
アーカイム公爵家の屋敷には王都の紋章が装飾された竜車が止まっていた。
ゆっくりと扉が開かれ、降りてきたのは金髪の二人組だ。
その片方の女性が、門前に立っていた白髪の女性に目を丸くし、ふわりと微笑んだ。
「お出迎えありがとうございます、テレサ様」
「ようこそいらっしゃいました。クリスティーヌ様、そしてジゼル殿下」
テレサ・ロッテは優雅にカーテシー。
祝福の風が彼女の背後から吹き抜け、雪色の髪が舞う。
上級貴族に劣らぬ所作を魅せた彼女は花がほころぶように笑った。
「お会いできる日を心待ちにしておりました」




