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第四十六話 完治と代償

 

「お待ちしておりました、旦那様」


 満月の夜、テレサはノクスを礼拝堂へ呼び出した。

 公爵家にある礼拝堂は長年封鎖されていたが、テレサがノクスの妻になって以来、使用人たちが毎日掃除し、今では公爵家でも一番空気が澄んでいる場所となっている。ノクスは祈りを捧げる場を見渡して嫌そうな顔をした。


「こんなところに呼び出してどうする気だ? 神に祈る気はないぞ」

「まぁ。まさかあれほどの『呪い』を受けても神に祈ったことがないと?」

「ない。そんなものに頼るくらいなら首を切って死んだ方がマシだ」

「強情ですね。あなたらしいですが」


 思わず微笑むと、ノクスは気まずそうに目を逸らした。

 足元を見た彼は礼拝堂の中心を見て目を見張る。

 普段は絨毯の道になっているそこはテレサが儀式の場として整えていた。


 半径三ミルの幾何学模様の陣が描かれ、等間隔に奇物が置かれている。

 黄金の球体、ルナテア神の像、一角獣の尾、髑髏、世界樹の枝……。

 統一感のないそれらが置かれたさまは、邪教の儀式の場を思わせた。


「悪魔でも呼び出すのか」

「身共は悪女(あくま)で聖女です。邪教と同じにしないでください」


 テレサは不服を申し立てると、指を一本立てて陣の周りを歩いた。


「これらは神と繋がりやすくするための神聖な陣です。知っての通り身共の力は神から授かったものですから、満月の力を浴びたこの陣を使うと力が跳ね上がります」

「ふむ」


 ノクスは顎に手を当てた。


「今日は治療と聞いていたが」

「だから、治療ですよ。旦那様の。これを使えば治療が一気に進みます。具体的に言えば」


 テレサがノクスの前に立った。

 契約夫の鼻先に指を突きつけた彼女は得意気に微笑した。


「今日、この場で、あなたの呪いを消し去ることが出来ます」


 ノクスは目を見開いた。

 唇をわななかせ、ぐっと拳に力が入り、声が震える。


「……今まで使っていなかったのは?」

「双方の身体に負担がかかるので、ゆっくり治していければと思っていたんです」


 身体に負担、と聞いたノクスの眉間に深い皺が刻まれた。

 夜色の視線がテレサの手を突き刺す。

 レイチェルとの一件でテレサが火傷負ったことを思い出したのだろう。


「それは、お前にも負担ではないのか」

「まぁ多少は」

「ならば断る」


 ノクスは断固とした口調で言った。


「お前に負担をかけるつもりはない。呪いが解けることが分かっているのならば急ぐつもりはないし、お前はもっと自分の身体に気をつけて治療してくれればいい」

「残念ながら、身共にものっぴきならない事情がありまして」


 テレサは肩をすくめた。


「身共の事情で申し訳ありませんが、治療を急がせていただきます」


 ノクスの表情は厳しい。


「その事情とはなんだ。言え。手伝ってやる」

「言えません」

「教会の事情か?」

「それも、言えません」

「……っ」


 ノクスは唇を噛んだ。


「夫に秘密ばかりするとは、悪い妻だな」

「何もかも打ち明けるのが夫婦であるとは思いませんので」

「……それでも断ると言えば」

「別に、この陣を使わずとも無茶は出来ますよ?」

「……」


 ノクスとテレサはしばらくの間睨み合っていた。

 自分の身を案じる契約夫の言葉は素直に嬉しい。

 けれども、テレサにとって自分の優先順位は一番下だ。


 もうすぐ来たるべき時が来る。

 ずっと引き延ばしにしてきた時がやってくる。

 その時になってノクスの治療が終わっていないなど、笑い話にもならない。


「……分かった」


 果たして、先に折れたのはノクスのほうだった。


「お前の体調が悪くなればすぐに中止する。いいな」

「問題ありません」


 テレサは微笑んだ。

 ノクスを椅子に座らせた彼女は背中から彼に抱きついた。


「おい」

「密着した方が治癒の力が高まるんです。あなたを愛しているわけではないので問題ありません」

「そういう問題……いやそれが問題だが……」

「治療行為ですから」


 テレサはノクスの肩に熱くなった顔を埋めて息をついた。

 背中を向けさせてよかった。こんな顔、絶対に見られたくない。


「……ふぅ」


 呼吸を整える。

 満月の光が二人を照らし出したその瞬間を狙った。


「《神の祝福がありますように》」


 光が乱舞する。

 治癒の陣が発光し、黄金色の球体が太陽のごとく空に浮かび上がる。

 世界樹の枝が伸びて繭のように陣を覆い、髑髏がカタカタと歯を鳴らす。


「……っ」


 ノクスの体から瘴気が溢れ出し、一角獣の尻尾が浄化していく。

 それはテレサの身体に多大な苦痛をもたらしていた。


(う、痛い……予想より遥かに……)


 少しずつ浄化していたつもりだが、ノクスの溜めていた瘴気は想像以上に多い。

 人に無茶をするなと言っておいて、これまで無茶したことがありありと分かる溜まり方だ。


(でも、今日ここで終わらせなきゃ。そうじゃないと、私は……)


 ぐっと唇を噛んだテレサはノクスを抱きしめる力を強めた。

 黒と白の光が衝突し、その境目の中でノクスが顔だけテレサを振り向く。


「おいテレサ」

「大丈夫です。大丈夫ですから」

「本当か? 本当に大丈夫なんだろうな?」


 あちらからはこちらの状況がよく見えていない。

 当然だ。テレサがそういう風にしているのだから。

 テレサは気丈な声を装ってみせた。


「大丈夫です! 身共は聖女ですから!」

「そんなことは分かっているが、しかし……」

「もうすぐです。もうすぐ……」


 髑髏が粉砕し、世界樹の枝は萎びて枯れ果てた。

 黄金色の球体は力を失って消え失せ、一角獣の尻尾が瘴気を吸い尽くす。


 すべてが治った時、ノクスの肌は人並みの肌に変わっていた。

 テレサはノクスの体を触診したあと、安心したように息をついた。


「はい、これで終わりです。今までお疲れ様でした。旦那様」

「……」


 ノクスは自分の体をしげしげと眺めていた。

 二十年以上付き合ってきた自分の体が人並みの体になっている。

 肌色を見るのも久しぶりだろう。テレサはその余韻に浸らせることにした。


「痛みがない……本当に治って……」


 ノクスが感極まったようにまなじりに涙を溜める。

 テレサが確認できたのはそこまでだった。


「なんと礼を言ったら……」


 くらり、とテレサの体が倒れた。

 ノクスはいち早く契約妻の体を抱き止めて目を剥いた。


「テレサ……?おい! テレサ!」


 身体が熱い。意識が朦朧とする。

 頭が痺れて何も考えられない。


「旦那様、どうかされ……奥様っ?」

「イェーガー! すぐにテレサを運び、医者を呼べ!」

「かしこまりました」


 それから三日三晩、テレサは高熱を出して寝込んでしまった。




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