第四十話 アリアの真実③
そしてあの事件が起きた。
第一王子の背後にいたブルーマン公爵がランデリス領を実験台にしたのだ。
新薬の実験台になった村人たち百人は死に、ランデリス家は全員捕らえられた。
「わ、私のせいよ。ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい……」
「あなたのせいじゃない。気にしなくていいわ」
「こんなのは間違いだ。今に第二王子派の者達が助けてくれるさ」
父の言葉がまやかしに過ぎないことはアリアにも分かっていた。
確かに第二王子派はジゼルの凶行にいい顔をしていないが、ランデリス家を助けたところでメリットは薄い。ランデリス家はその理想のせいで財産もなく、領地に特筆した強みもない。むしろランデリス家が仲良く処刑されたあとに第一王子を弾劾するほうが、第二王子派にとっては都合がいいはずだった。
全部、自分のせいだ。
自分がジゼルに嫌われたから。自分が病気になんてなったから。
どうしてこうなってしまったんだろう。
ちゃんと、正しく生きていたかっただけなのに。
お父様やお母様の理想を体現する、いい娘で在りたかっただけなのに。
「はぁ、はぁ……うっ……!」
「アリア!?」
牢屋の地面は冷たくて、ごつごつしている。
寝心地は最悪で、地を這う虫のかさかさした音が耳元で聞こえる。
「アリア! アリア! しっかりしろ!」
「衛兵!! 頼む、どんなことでもする! 娘を助けてくれ! 医者を呼んでくれ!!」
「あぁ、アリア、気を保って……」
(いたい……いたい……いや……)
もういやだった。
自分のせいで愛する家族が処刑されてしまうことも。
正しく生きているひとたちが残酷な目に遭ってしまう世の中も。
痛い。
苦しい。
辛い。
頭がぼーっとする。
身体の感覚が徐々に失われて、視界も曖昧になる。
だんだんと、何も感じなくなってしまった。
痛みはやがて恐怖に変わった。
怖い。
怖い。
怖い。
(助けて……)
アリアはそれまで神様を信じていなかった。
ルナテア教会のミサもくだらないと思っていたし、運命は自分で切り開くものだと思っていた。
けれども、死を前にして初めて、誰かに縋ってしまいたくなった。
(神様……お願い……居るなら助けて……助けてよ……!)
『いいよ。助けてあげよう』
声が、した。
(…………誰?)
『君が呼んだんじゃないか』
くすり、と声の主は笑った。
『僕は神。あるいは全。あるいは宇宙、あるいは主。あるいは太陽。時にはルナテア。どれでも好きに呼ぶといい。君の強烈な想いに惹かれて僕はやって来た』
(神、さま……)
『君は何を望む? その病気の治療か? あるいは復讐できる力か?』
父の母も兄の声も、何もかもが聞こえない。
真っ暗闇のなか、光の道がアリアの前に照らし出された。
このまま闇に沈んでいくのか、それとも、啓示に従って道を往くのか……。
アリアの答えは決まっていた。
(すべてを)
『……へぇ?』
声の主は面白がるように言った。
『強欲だね。人間らしい。具体的には何を?』
(私を生かしてほしい。復讐する力が欲しい。私の家族を助けてほしい)
『わお、本当に全部だ。因果律を変えるの大変だなぁ。それだけものを望むなら、君は何をくれるの?』
(私のすべてをあげます。心も体も魂も全部、だから、すべてください)
『ふーん』
アリアは望んだ。
ジゼルやクリスティーヌを泣かせる絶対的な力を。
アリアは望んだ。
死の運命にある家族が幸せに生きる未来を。
(そのためなら、私はどうなってもいい)
家族が大好きだ。
世界で一番、家族を愛している。
家族の役に立つためなら、アリアは何をしてもよかった。
『いいよ。君の望む通りにしよう』
(ほんとう!?)
『あぁ。でも、何事もただってわけにはいかない。代償が要る』
(え……)
当然だ。
覚悟をしていたことだ。
アリアはごくりと唾を呑みながら聞いた。
(代償って……)
『君が何より大切にしている者。つまり家族だ』
(さ、さっきはみんなを助けるって!)
『助けるよ? その代わり、君は二度と家族に会えない』
(え……)
息が止まりそうになった。
『手紙のやり取りをすることも出来ない。家族は君を認識できず、アリアだと分かることもない。家族の中から、君は一生死んだ妹として認識される』
ニィ、とルナテアを名乗る神が嗤ったような気がした。
『家族を助けるために家族を失う覚悟が、君にはあるか?』
(あるわ)
アリアは即答した。
ルナテアが鼻白んだような気がした。
『いいのかい? 二度と会えないんだよ?』
(それで家族が助かるなら、安いものよ)
『もう一つ。僕は君の死の運命を引き延ばすだけで、死を覆すことは出来ない。さすがに因果律に怒られるからね。僕あいつ嫌いなんだ。というわけで、復讐を終えたら君は死んじゃうけど、いい?』
(期限はあるの?)
『まぁ、大体五年くらいかな』
(いいわ。十分よ)
迷いなく頷いたテレサ。
こちらを探るような気配をしたあと、ルナテアはため息をついた。
『はぁ~、つまんな。もっと葛藤するところが見たかったのに』
(悪かったわね。図太い女で有名なのよ)
『そのようだね。まぁいいさ。終わりの決まっている君の喜劇を、せいぜい楽しませてもらうとしよう。そうだ、名前が必要だね。アリア・ランデリスはここで死んだんだから。そうだなぁ、この前、僕に名を捧げた修道女がいたっけ。うん、決めた。今日から君の名はテレサ・ロッテだ』
こうしてアリアはルナテア神から力を与えられ、修道女になった。
人々を癒す力を惜しみなく使い、神の名をあまねく広める救世の使者となった。
病人がいると聞けば飛んでいき、癒した。
盗賊団がいると聞けば飛んでいき、茨で半殺しにして癒した。
疫病が流行ったと聞けば飛んでいき、癒し続けた。
癒して、助けて、癒して、救って、癒して、癒して、癒して。
再生魔法の酷使で髪は白く染まり、身体は痩せ細った。
いつしか、アリアは聖女と呼ばれるようになった。
そうして十分に力を溜めた時、ルナテア神の協力者が派遣された。
『うちの兄が迷惑かけたようで、申し訳ない。一緒に国の膿を出し切ろう』
こうしてテレサは聖女として活躍する傍ら、アリア事件に関わった者達を社会的に失墜させた。
悪女で、聖女として。
「もうすぐ、終わる」
無人のデッキを歩きながら、テレサは月夜に笑う。
「全部やり切って、気持ちよく死んでやるわ」




