第三十九話 アリアの真実②
余命一年。
あと一年しか、生きられない。
「そうなのね」
アリアはいまいち実感が沸かなかった。
昨日まで元気に走り回っていたし、体の調子が悪いと思ったこともない。
むしろ、よく寝たおかげで調子がいいくらいだった。
でも死ぬ。必ず死ぬ。
あっけなく、突然に、どうしようもなく死ぬ。
(そっか……そうなのね)
正直、理屈では分からない。
けれど心はどこか納得していた。
祖母も心臓の病で亡くなっていたから。
けれども、両親は納得しなかった。
「何とかならないのか!?」
「昨日まで元気でなんともなかったのよ!」
「こればかりはどうにも……」
ランデリス伯爵家付きの医者は申し訳なさそうに言った。
「心臓の病は自覚症状がなく、突然引き起こされることが多いんです。余命一年と言いましたが、正直、次に再発したら生きていられる保証はありません。私には、これしか言えません」
「……っ」
「本当のことを言ってくれてありがとう、先生」
泣きそうな顔で俯く両親とは裏腹にテレサは穏やかだった。
貴族相手に媚を売り、平然と嘘をつくこともあるなかで、この医者は本当のことを真摯に伝えてくれた。その誠実さに報いることがランデリスに生まれた者の義務だと思う。
「お父様、お母様、ごめんなさい」
「そんな……お前が謝ることでは」
「私、二人の子供に生まれて幸せだったわ」
「……っ」
いつ死ぬかも分からないなら、言いたいことは伝えておこう。
まだ死の実感が沸く前に、怖くて震えてしまう前に。
「でも、この調子じゃ王太子妃にはなれないわね」
アリアは窓の外を眺めながら寂しそうに呟いた。
「頑張ったんだけどなぁ」
高貴なる者には大いなる義務を。
アリアは貴族として生まれ、最高の環境で教育を施され、最高の食事を与えられ、最高の家族に恵まれた。これらは全部、ランデリス領に住まう者たちに与えられた祝福だ。アリアは人生を懸けてランデリス家に報いる義務があった。余命一年の体では、彼らの役にたつことはもう出来ないだろう。両親に孝行出来ないまま死んでしまうことが、申し訳なくて仕方ない。
「お父様、お母様」
アリアは両親のほうを見て唇を噛んだ。
「ごめんなさい……役に立てなくて……」
「もう謝るな」
「不出来な娘だった、よね?」
「そんなことない」
両親は一心にアリアを抱きしめた。
「あなたは、私たちの自慢の娘よ」
「俺たちまだ諦めていない。絶対に手を尽くすから」
「うん……」
全身を通じて温もりが伝わってくる。
抱きしめる力は強くて痛いけど、それは彼らの愛情の大きさだ。
受け止めきれくらい愛されていると分かって、自然と頬が緩んでしまう。
「ありがとう、お父様、お母様」
両親の後ろで顔を背けている兄が見えた。
「お兄様、泣いてるの?」
「ばか。俺が泣くものか」
エンシオはぶっきらぼうに言った。
「お前は絶対に死なない。だから俺は泣かないぞ。俺だけは泣くものか」
「……うん。そうね。お兄様らしいわ」
アリアの病気の件は父から直接国王に伝えられた。
アリアのことを気に入っていた国王と王妃は彼女の余命がわずかであると知って残念そうではあったものの、王太子妃の役目をこなすことは出来ないと判断し、秘密裏に婚約破棄の手続きを進めることになった。
◆◇◆◇
「アリア・ランデリス。貴様に婚約破棄を言い渡す!」
貴族院の卒業披露宴で、ジゼルはここぞとばかりにランデリス家を貶めた。
今までのアリアの小言に仕返しをするように、彼はしてやったりという顔を浮かべていた。
正直、信じられなかった。
完全な嘘で他者を貶め、自分の利益のために王族の品位にもとる行動をとる。
自分が支え続けてきた第一王子の暗愚ぶりに言葉も出なかった。
それに従う男爵令嬢もそうだ。
高貴なる者には大いなる義務を。
ランデリス家の理念と真反対の思想を持つ者達がそこにいた。
「このように年下の女を虐めるなど……恥を知れ、アリア!」
(こんな、ことって……)
自分のことは、いい。
あと一年で死んでしまうのだから貶めるだけ貶めればいい。
けれども、こんな場で婚約破棄したらランデリス家はどうなる?
(うちの立場がない。病気で娘を亡くす家に、社交界は優しくない)
アリアは王子の手綱を取れなかった愚女として知られるだろう。その女を育てたランデリス家は無能の烙印が張られ、父も母も職をおいやられる。近衛騎士団に推薦が決まっていた兄は、夢を諦めるしかない──
「国王陛下は……陛下はご存知なの?」
「もちろんだ。そうじゃなきゃこんな公衆の場で婚約破棄など言わないさ」
「私の領地は……どうなってもいいというの?」
「貴様が罪を犯したせいだろう」
「罪? 下級貴族の作法を注意したことが罪なの? あなた、王族として恥ずかしくないの?」
ジゼルの額に青筋が浮かんだ。
「衛兵! その女を連れて行け! 然る後に裁判にかける!」
「はっ!」
「私に近付かないで!」
アリアの足元に魔法陣が煌めき、地面から生えた無数の茨が兵士たちを遮った。
悲鳴が上がる。兵士たちの怒号、狂騒じみたざわめきが舞踏会場に満ちていく。
茨の結界の中、雨色の瞳は烈火のごとく燃えさかり、ジゼルを睨みつけていた。
「殿下、今一度お考え直しください」
「くどい。こんなもので俺たちを閉じ込めたつもりか」
ハ、と鼻で笑ったジゼルが言った。
愛する人を腕に抱えた彼は手を掲げる。
「魔法を無効化出来るから、俺たちは王族なんだ」
「……っ」
ガラスが割れるような音が響き、アリアの茨は光の粒子に還った。
王権魔法。
この国にいる限りすべての魔法を無効化する、王族の特権。
「──確保!」
「うぐっ」
茨の魔法が消えたと同時に、アリアは兵士たちに取り押さえられた。
地面に押さえつけられた彼女はうめき声をあげ、手を縛られてしまう。
「さらばアリア。貴様とはもう二度と会うことはないだろう」
「……っ」
ジゼルは浮気相手を抱きながらさっそうと去って行く。
その背中を見つめ、怒りが臨界点に達した。
許さない。
許さない。
許さない。
王子の暴走を止められない王家も。
王子の心を奪って暗愚にした男爵令嬢も。
噂を都合よく利用して自分を貶めようとするジゼルも。
「絶っっっ対許さない! この私にこんな真似をしてタダで済むとは思わないことね。絶対、絶対泣かす! 許してくださいって泣き縋ってくるまで、絶対泣かしてやるんだから!」
「ははは! 出来るものならやってみろ! 貴様に出来るものならなぁ!」
口元を布で覆われた、アリアの急速に意識を手放した。
身体から力が抜ける。視界が徐々に暗くなっていく。
ぼんやりとした視界の向こうに、ジゼルの背中を焼き付けていた。
いつか。
絶対、必ず、こいつらを泣かしてやる……!




