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第三十七話 暗躍する悪女

 


 オークション会場は騒然となった。

 国中から集まった貴族が血まみれの男を目にしたのだ。

 悲鳴とざわめきが海原のように荒れ狂う。

 主賓席にいるブルーマン公爵は騒然となったその場を収めようと声を荒立てた。


「何をしている! アレをさっさと下げんか!」

「そ、それが、迫り出し装置が動かなくなったようでして」

「なに……!? ならば人を動かせ! とにかくアレを衆目に晒すな!」


 ブルーマン公爵は何が起こっているのか分からないはずだが、今アレを放置しておくことが不味いことは誰でも分かる。この場を収めようと無理にことを動かすはずだ。それこそがテレサの狙いだとも知らずに。


「お待ちください!」


 舞台上に現れたブルーマン公爵の騎士たちに対して制止の声をあげる。

 無数の視線を集めたテレサは、怪我人を厭う聖女そのものだ。


「その方をそれ以上動かさないでください。死んでしまいます!」

「しかし……」

「その方がどういう理由でそこに居るのかは知りませんが、命よりも尊いものはないのです。そうでしょう? それとも、早く動かさないといけない理由でもあるのですか?」

「……」


 騎士たちが指示を仰ぐようにブルーマン公爵を見上げる。

 今ここで動かせば後ろめたい理由があると言っているようなものだからだ。

 テレサは忌々しそうな公爵の視線を確認して血まみれの男に近付いた。


「大丈夫ですか? 今治しますからね」

「う、うぅ……」


 その時だった。


「俺に触るなぁあああああああ!」

「きゃ!」

「テレサっ!!」


 突如として暴れだした血まみれの男にテレサは弾き飛ばされた。

 駆け付けていたノクスがテレサを受け止め、剣に手をかける。

 テレサは「ダメです」と言った。混乱しているだけだと。


「あの、身共は聖女です。あなたを治したいのです」

「治す……? ハッ、この身体はもう助からない。癒しの聖術など効かない病に侵されているからだ!」

「病……?」

「十年前、ランデリス領を滅ぼしかけた病のことだよぉ!」

『!?』


 激震が走った。


「どういうことだ、ランデリス領だと!?」

「アリア事件と何か関係があるのか!?」

「騙されるな。当時は国中で疫病が流行っていた! でたらめだ!」


 最後の言葉は第一王子のジゼルだ。

 発言力のある王子の言葉にその場がわずかに静まるものの、


「疫病……はっ、愚かだな。それこそがブルーマンの陰謀だとも知らずに」

「……陰謀だと?」


 ノクスが聞くと、男はガシャンと鎖を揺らした。


「そうとも! そこにいる男は大ウソつきだ!」


 男が睨みつけるブルーマン公爵に注目が集まる。


「あいつは先祖代々の遺産を使って各地で慈善活動を行っているというが、事実はまったく逆! こいつは疫病の元となる薬をばらまき、疫病で親が死んだ子供を引き取った孤児院で人身売買をしている! 今まで何人の子供たちが犠牲になったか分かるか!? ランデリス領もまた、新薬の実験台にされたんだ! この悪魔め! 死ね、死ね、死ね! お前に生きる価値なんてないんだよぉおお!」

「……は」


 それまで事態を静観していたブルーマン公爵が口を開いた。


「何かと思えば、事実無根だ。皆さま、そのような戯言信じてはなりませんぞ」

「黙れ黙れ黙れ! 貴様、貴様ぁ……!」

「身元不明の、なぜここにいるのか分からぬ男です。大方、私の事業で失敗した男が逆恨みをしたのでしょうな。厳重な警備をかいくぐって、なぜこの場に居るのかは調査が必要ですが……そのような下賤の者の戯言を真に受けるほど、我ら貴族は落ちぶれてはいまい?」


 真に受けるなら貴族ではない、とブルーマン公爵は暗に含ませる。

 貴族たちは戸惑いと理解の間で揺れる。


 男は。

 男は、凄惨に嗤った。


「貴様がそう言うことは分かっていた」


 まるで不気味な託宣のようだ。

 妙に確信じみた男の言葉を皮切りに、どこからから雨が降ってくる。

 紙だ。紙の雨が降っている。

 ひらり、ひらりと、大量の紙が貴族たちの足元に落ちていく。


「これは……?」


 テレサはその中の一枚を拾い、口元を覆って見せた。


「これ、人身売買の売り上げ表だわ……!」

『!?』


 会場中に激震が走る。

 最初は汚いものを避けていた貴族たちも、テレサの言葉を皮切りに各々紙を拾い始めた。

 それらはすべて、ブルーマン公爵の汚職の証拠である。

 賄賂を受け取った相手、隣国の大臣との取引、国家機密の流出等々……。


 いわゆるブルーマン公爵家の裏帳簿。

 建国に大きく貢献したブルーマン公爵も言い訳できない証拠がそこにあった。


「これは……隣国に武器輸出だと!? 何を考えているんだ!?」

「見て! こっちは将校殺人をきっかけに戦争を引き起こす計画書よ!」

「奴隷売買の記録がこんなにも……慈善家の顔は嘘だったのか!?」

「おい信じるな! こんなものすべてでたらめだ! そうですよね、公爵!?」


 裏帳簿の紙きれはブルーマン公爵の足元にまで届いていた。

 それを拾い上げた彼はわなわなと唇を震わせ、消え入るように呟く。


「なぜ、これがここに」


 ニィ、とテレサは口元を吊り上げた。

 その、小さな小さな呟きは。

 隣にいる人間ですら聞き取れない呟き。

 それは拡声魔法によって会場中に響きわたった。


「え……」


 水を打ったようにその場が静まり返った。

 誰もかれもがブルーマン公爵の下へ視線を送っている。


 数百対以上の疑念と驚きの双眸を受けて、ブルーマン公爵は我に返った。

 咳払いをした彼はなんてことのないように肩を竦める。


「よく出来た偽造書類ですな。まったく手の込みようには呆れかえる」

「……」


 会場の空気は、それが単なる言い逃れでしかないと訴えるようだ。

 今やブルーマン公爵は裁きを待つ被告人に成り果てた。

 公爵は周りを見渡し、分が悪いことを認めたのか、唇をかみしめる。

 そして、


「ブルーマン公爵。これはどういうことだ?」


 この場で最も地位の高い男が口を開いた。

 ジゼル・オルブライト第一王子が公爵を睨んでいる。


「王子。これは……」

「我が国を売るとはどういうことだ、と聞いているんだが?」


 ジゼルもブルーマン公爵の悪行をすべて知っていたわけではない。

 第一王子派の後ろ盾である公爵に黒い噂があるのは知っていただろうが、決して追求しようとはしなかったはずだ。下手に機嫌を損ねて後ろ盾から外れられでもしたら、第一王子派の立場が揺らぐのだから。しかし、こうなってくると話は違ってくる。ブルーマン公爵が後ろ盾にある現状こそ、ジゼルの醜聞たりうる。


「誤解です。王子。これは……」

(仲間割れは大いに結構。でも、ここで捕まってもらっても困るのよ)


 その瞬間、爆発音が響きわたった。


『!?』


 ちかちかと点滅する照明、船が跳ねるように揺れる。


「なんだ!? 一体何が起こっている!?」

「皆さま落ち着いて! 落ち着いてください!」

「──ま、魔獣です!」


 ばん!と会場の扉を開ける声がした。

 混乱に混乱を呼び込む、駆け込んできた騎士の報告は火に油を注ぐ……。


「ま、魔獣が船に取りついています! 船底に穴が開いたようで」

「──特務騎士団! 招待客を順番に避難させろ!」


 狂騒が起こる直前、ノクスが怒号をとどろかせた。

 恐怖と混乱すら凌駕する、圧倒的な黒い魔力を立ち上らせる。

 その場の全員はノクスの威圧感にあてられて指先一つ動かせない。


「ブルーマン公爵家の者は魔獣の対処に当たれ。乗客が避難したのち、我々も魔獣の対処に加わる!」

「ですが……」

「黙れ! 今、この場は俺が仕切る、文句を言うやつは殺す!」


 一瞬の間を突いたのか、二階にも動きがあった。


「ブルーマン公爵、こちらに!」

「あ、あぁ」


 ノクスは貴賓席を見上げて舌打ちした。

 振り向き、声音を和らげてテレサの肩に手を置く。


「テレサ。お前はクラインと避難しろ。すぐに船を降りるんだ」

「旦那様は?」

「俺はやることがある。すぐに追いつく」

「でも……」


 テレサが躊躇っていると、クラインが背後に立っていた。

 クラインとノクスは目で会話し、ノクスが顎をしゃくる。


「クライン、行け!」

「奥様、こちらです! 隊長、お気を付けください!」

「言われるまでもない。この機会に捕まえてやる」


 ノクスが舞台袖から2階に駆け上がっていく。

 テレサは彼の後ろ姿を眺めながらミシェルに先導されて人波に紛れた。


 サンタ・ベルク号の廊下はひどい有様だった。

 ブルーマン公爵の騎士団や特務騎士団が貴族たちを先導し、避難用のボートへ導いている。その間にも爆発音が鳴り響き、煙の匂いが廊下まで充満する。調度品が壊れ、ガラス片が落ち、断続的な震動が船を揺らす。


 クラインは上司の妻を守りながら額の汗をぬぐった。

 熱い。どこかが燃えているのか。


「くそ。厄介なことになりましたね。奥様、大丈夫ですか?」


 クラインは振り向き、愕然とした。


「あれ?」


 サァ、と顔から血の気が引く。


「奥様……どこに行った?」




 ◆◇◆◇



 オープンデッキの廊下は嵐の前のような静けさが漂っていた。

 夜の月が廊下を照らし出し、寄せては返す潮騒の音だけが響いている。


 ーーだが。

 少し感覚を研ぎ澄ませば死の気配を感じとれるだろう。


 火傷するような熱と、煙の匂い。

 この船は恐怖と絶望を内側に押し込めた牢獄だ。


 まるであの時のようね、とテレサは思う。


「ようやく始まるわ。パパ、ママ……お兄様……」


 月明かりが彼女を照らし出す。

 影の中から出た彼女の髪は血のように赤く染まり、足元から茨が生え始めた。

 聖女の時の柔らかな瞳は消え、別人のように雨色の瞳を尖らせる。


「五年もかかったけど、もうすぐよ」


「奴らは絶対、泣かせてやるんだから」


「たとえ、みんなと二度と会えなくなっても──」


 テレサの脳裏に、五年前の記憶が蘇ってきた。



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