第三十六話 血のオークション
運動のあとにはエールが良いというが、ダンスの後に飲むシャンパンほど美味しいものはないと思う。特に夏、汗をかいたあとに飲むシャンパンは怪しい薬でも入っているのかと思うほどに爽快で、喉が焼けるような味がたまらない。
ノクスとのダンスを終えたテレサはダンスホールに併設された休憩所でソファに座り、汗をかいた顔を手で仰いでいた。
「ふぅ。久しぶりに踊ったら疲れちゃいました」
「こういう場で踊ったことがあるのか?」
ノクスの言葉に、テレサは意味ありげに笑んだ。
「まぁ少し。聖女にも色々あるんです」
「色々ね」
「ほら、式典などでダンスをする時があるでしょう。ああいう時ですよ」
「相手は誰だったんだ。探し出して殺しておく」
「第二王子殿下とか……待って、今殺すって言いました?」
「相手が誰であろうとお前の腕を触っただけで極刑に値する」
「過激すぎる!? 握手もできないじゃないですか!」
「もし触ったら手のひらの皮を全部削いでやろう」
「絵面がひどいからやめてください」
この契約夫、過激すぎでは?
そんな他愛もない話をしていると、照明が落ちた。
「ーー皆様、お待たせいたしました」
ダンスホールの一番奥に舞台がある。
そこには燕尾服を着た男が立っていた。
年老いてなお威厳のある、品のいい顔だち。
鋭い眼光は世界一の財力をほこる公爵の持つ威光そのものだ。
第二十一代当主アーノルド・ブルーマン公爵。
「これより私が古今東西から集めた骨董品や遺物。さらにはご出席されたお歴々が出品された品々を公開し、オークションにかけたいと思います。落札されたい皆様はぜひ、番号札を掲げてご参加くださいますよう」
わぁあああ、と歓声が上がった。
この夜会に出席するものたちの目的の半分はこのオークションだ。
ブルーマン公爵が目をかけた品を家に置けば箔がつく。
また、それだけ価値のある物を落札できる財力をアピールできる場でもあった。
ブルーマン公爵が一礼すると、彼の足元にある地面に穴が空き、舞台の地下から迫り出し装置が動き始めた。やがて地下から上がってきたのは長方形の台。その先にガラスケースに閉じ込められたティアラがあった。
公爵から司会進行を引き継いだ燕尾服の男が拡声器を手に話しを始める。
「ここにありますのは東の亡国から出土した『黄金のティアラ』。かつて大陸一の美貌を誇っていたという女王がかぶっていた品でございます。公爵様がこれを家に置き始めてから次々と幸運が舞い込んだそうです。もしもこれから社交界での地位を築きたい方がいればご入札してはいかがでしょうかーーそれでは、十万ベリルからスタートします!」
次々と番号札を掲げて落札に動き始める貴族たち。
騒がしくなった周りを見てノクスは吐き捨てるように言った。
「……オークションか。くだらん」
「こういうのはお嫌いですか?」
「当然だ」
ノクスは頷いた。
「オークションと銘打っているが、所詮は貴族共が自分の財力を見せ付けるための娯楽だぞ。こんなものに何の意味があるというんだ。奴らは芸術の何たるかも理解せず、ただ名のある貴族が所有していたというだけで価値を釣りあげている。醜悪極まりない」
普段は寡黙なノクスも嫌いな貴族たちの愚痴には饒舌だ。
ここまで彼が嫌悪をあらわにするのは珍しいーーくもないか。
割といつも通りな契約夫の言葉にテレサは曖昧に頷いた。
「『誰』が出したかで価値が決まるなら、聖女が出せば価値は上がったでしょうか?」
「お前の持ち物か?」
「はい」
「ふむ」
ノクスは顎に手を当て、
「……いやダメだ。俺が許可しない」
「まぁ。なぜですか?」
「お前の持ち物だった物を他の男が所有するのは我慢できん」
「……はい?」
「ぁ」
失言した、と顔に出たノクス。
「いや……つまりだな」
「はい」
テレサを見つめながらノクスはもっともらしく続けた。
「『聖女』の価値とはその行いにあるのであって、物にあるべきではないということだ」
「何がつまりなのかさっぱり分かりませんが」
「そういうことだ。分かれ」
「分かりませんけどっ!?」
いきなり脈絡のないことを言ってどうしたというのか。
「旦那様、最近どうかされました? 様子がおかしいですよ」
「……誰のせいだと思ってる」
「はい?」
ちら、ちらとこちらを見たノクスは額に手を当てた。
深くため息をつかれる。テレサは意味もわからず首を傾げた。
二人がそんなやり取りをしている間にもオークションは続いている。
食事とワインをしながら周りの貴族と話していると、
「さぁ皆々様! 続いては本日最後のメインイベント! ブルーマン公爵が自ら世界の果てに赴いて手に入れた幻の品!『世界樹の涙』です! その輝きに魅せられませんようご注意くださいませ」
テレサは振り向いた。
壇上ではスポットライトの光が乱舞し、期待の品の登場を煽っている。
世界樹の涙。
確かたった一粒であらゆる病を癒す樹液の塊だったか。
強力な魔法触媒であることも知られ、その価値は国家予算一年分にも匹敵するのだとか。
(………さて、頃合いね)
テレサは立ち上がった。
「オークションも終わりですね。旦那様、身共たちはそろそろお暇しましょうか?」
「そうだな……いや待て」
「はい?」
「血の匂いがする」
「……」
テレサは目を眇めた。
(相変わらず勘のいいこと。まぁ当然ね、だって……)
壇上を見ると、迫り出し装置が『目玉商品』を運んでくる。
ソレは赤かった。
ぽたりぽたりと命の雫が零れ落ち、ソレの命を削っている。
「う、ぅう」
人だ。
血まみれの人間が、吊るされていた。
「きゃぁあああああああああああああああああああああ!」
甲高い悲鳴が上がる。
司会がぎょっとしたように目を剥く。主賓席の公爵が立ち上がる。
テレサは足を踏み出した。ノクスはテレサの腕を掴んだ。
「あの方、まだ生きています。旦那様、助けないと」
「待て。行くな、危険だ」
「いいえ行きます。身共はあの人を助けなければなりません」
テレサはノクスの腕を振り払って言った。
「身共は悪女で、聖女ですから」




