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第三十四話 悪女と聖女の狭間で

 


 ノクスが客室にやってきたのは五分後のことだった。

 がちゃりと扉を開けてやって来た彼は「待たせた」と言って顔をあげ、


「あ、お疲れさまです。騎士様たちの様子はどうでした?」


 ピタリ、とテレサを見て固まってしまう。


「なんだそれは」

「それとは?」

「服だ。さっきのドレスはどうした?」

「着替えました。こちらは進水式用のドレスです。似合っていますか?」


 テレサが着ているのは月白色の肩出しドレスだ。

 ワンピースのようにひらひらしたスカートにはフリルが重ねられ、袖口は広い。

 背中に羽が生えたら妖精のように見えるだろうと自負している。


(ふふ。我ながらなかなかのものじゃない?)


 しかし、ノクスの反応は芳しくなかった。


「……露出が多いな」

「え?」

「肩も胸も足も出し過ぎだ。余計な虫が集まるだろ」

「えぇ……これくらい普通ですよ?」

「ダメだ。着替えろ」

「この一着しか持ってきていませんが」

「……」


 ノクスは思案して、はたと指を鳴らした。


「オペラグローブがあるだろう。それを付けろ」

「まぁそれくらいなら構いませんが……」


 肘を隠すほど長い白い手袋にはオパールが散りばめられている。

 少し派手過ぎてテレサの好みではないが、これでノクスのいう露出は減らせたはずだ。


「こちらで構いませんか?」

「……正直まだ多いが」

「もうっ、まだ多いんですか?」

「……まぁ、いい。夜会の時は俺の傍を離れるなよ」

「以前自分から離れた人が言うこととは思えませんね」

「あぁ、分かってる」


 ノクスはテレサの手を取り、口元を近づける。

 上目遣いの夜色の瞳が熱を帯びて、真っ向からテレサを見つめた。


「だからもう、離れない」

「……っ」


 顔面偏差値が高すぎるノクスの破壊力にテレサは顔が真っ赤になった。

 爽やかなベルガモットの香りが鼻腔をくすぐる。

 甘いささやきはまるで愛の告白のようだ。

 ただ離さないと言われているだけなのに、どうしてこんなに胸が高鳴るのだろう。


(勘違いしてはだめよ、テレサ! これは契約夫としての義務を果たすってことなんだから!)


 テレサは手を振り払った。


「夫として当然のことです。自分から言い出したのですから契約を果たしてくださいね」

「……うむ」


 テレサは窓の外を見た。


「そろそろ進水式ですね。行きましょうか?」

「そうだな」




 ◆◇◆◇




 湾岸に集まった大勢の観衆たちが見守る中、サンタ・ベルク号の進水式が行われた。陸と船を鮮やかな魔力の糸で繋ぎ、甲板からセリ出た板に公爵が立っている。


「サンタ・ベルクの安航とブルーマン公爵家の繁栄を願って。今ここに舞踏会の開会を宣言する!」

『オォォォォォォォォォォォォ!!!』


 割れんばかりの拍手と歓声が湾岸線に響きわたり、魔力の糸が切って落とされた。陸の束縛を切られたサンタ・ベルクは船縁に大きな光の翼を広げ、ゆっくりと陸を離れていく。観衆に見送られた公爵や甲板に残る選ばれた選民たちは優雅に手を振り、陸としばしの別れを告げた──。


「うーん、いい天気ですねぇ」


 海を割って進む潮騒の音が耳に心地いい。

 すんとした潮風が肌を吹き付け、ねばついた感触が非日常感を楽しませた。

 海は広い。海は初めて。地面がゆらゆら揺れていい感じ。


「……そうだな」


 硬い声音にテレサは首を傾げた。

 こんな時、彼なら貴族たちの贅沢を揶揄していそうなものだが。

 どうしたんですかと声を懸けようとして隣を見上げ、


「旦那様!?」


 ノクスがすごい蒼褪めた顔で口元を押さえていた。

 紫色と見まがうほど顔色が悪い。今にも吐き出しそうな顔だ。


「もしかして船酔いですか?」

「……酔ってない」

「どう見ても酔ってるんですが」

「貴族共の醜悪な様子に吐き気を催しているだけだ」

「それダメなやつ!」


 テレサは周りを見渡した。

 帯剣こそ許されていないが、公爵家の騎士団が辺りを巡回している。

 テレサはその中から見知った顔を見つけて声をかけた。


「クライン様! クライン様! こちらに来てください!」


 クラインはノクスの治療を願いに神殿に来ていた若手騎士だ。

 若い騎士はこちらを見て目を丸くした。


「奥様? どうしたんです……ってわぁ! 隊長大丈夫ですか?」

「うるさい黙れ死ね」

「死にかけの人に言われたくないですが!」


 クラインはため息をついた。


「申し訳ありません、奥様。隊長は自分が部屋に運んでおきます」

「そうして頂けますか?」


 普段は暗黒公爵と恐れられるノクスも、こうなってしまっては形無しだ。

 後のことはクラインに任せ、テレサはクリスティーヌの茶会に行かねば。

 ちょうど、甲板の向こうに居たクリスティーヌがこちらに気付いた。


「テレサ様、ごきげんよう」

「ごきげんよう、クリスティーヌ様」


 華やかな金髪を美女は宝石をちりばめた赤いドレスを着ている。

 金をかければ綺麗だとでも思っているのだろうか、この女は。

 どこに居ても目立つ王太子妃はにっこりと笑った。


「ちょうど一緒に行こうと探していたの。一等級のレストランを予約しているわ。行きましょう?」

「えぇ、ぜひご一緒に……」


 テレサが行こうとすると、がし、と手首を掴まれた。

 力強い手だ。

 振り返れば、死にそうな顔のノクスがテレサを掴んでいた。


「旦那様?」

「……行くな」


 消え入りそうなハスキーボイスが耳朶を打つ。

 引き寄せられたテレサはノクスの腕に抱きすくめられ、肩に顔がうずめられる。

 ベルガモットの香りを纏わせた声が耳元に囁かれた。


「一緒にいろ」

「…………」


 テレサは迷った。


(ここで足止めを喰らうのは計画外なのだけど)


 惑わされるな。

 やるべきことをやれ。

 悪女(アリア)だった頃の自分がノクスの手を振り払おうとして──


(でも、放っておけないわよね)


 テレサは仕方なさそうに微笑んだ。

 船酔いだけはテレサの魔法でも治せない。安静にするしかないのだ。

 ノクスの頭を優しく撫でて、クリスティーヌに向き直る。


「申し訳ありません。夫が船酔いしてしまったようで……」

「まぁまぁ」


 クリスティーヌは目を瞠っていた。


「あのアーカイム卿が……」

「せっかく誘っていただけたのに、申し訳ありません」

「いいのよ。お大事にしてね。アーカイム卿がそんな風に甘えるなんて。これは良い土産話が出来たわ」


 テレサがノクスに肩を貸し、右からクラインが肩を貸す。

 二人揃ってクリスティーヌに背中を向けて、二人は客室に戻った。

 ノクスをベッドに寝かせると、クラインが「それじゃ」と一礼する。


「自分は念のために薬貰ってくるんで。奥様は隊長についててもらえますか?」

「分かりました。ごめんなさい、シュナイダー卿も楽しんでたのに」

「いやいや、隊長がこんなに弱ってる姿なんて滅多にないですからね。仕方ありません」


 では、とクラインが居なくなる。

 二人きりになった室内でノクスの呼吸だけが響いた。


「……」


 一拍の間を置き、ノクスが口を開いた。


「……すまん」

「何がですか?」

「情けないところを見せた」

「何を言ってるんですか。人間、誰にでも弱みはあるものです」


 テレサは微笑み、ノクスの頭にタオルを乗せた。


「頼ってくれていいんですよ。契約結婚とはいえ、夫婦ですから」

「……なら」


 ノクスが薄眼をあけてテレサを見た。


「お前も俺を頼れ」

「……旦那様を?」

「それが夫婦というものだろう」

「……そうですね」


 テレサは微笑んだ。

 そんな時は来ないと知りながら。


「じゃあ身共が困った時は助けてもらいますね」

「あぁ、全力で叫べ。助けてやる」


 ノクスは薄く口元をあげて目を閉じる。

 安らかな顔を窓から差し込む光が照らし出した。

 テレサはノクスの頭を撫でて微笑んだ。


「仕方ないひとですね」


 計画とは何もかも違う。予定通りにいかない。

 ノクスがこんな風に縋ってくるなんて予想もしていなかった。

 これから夜に起こすことに備えて準備をしなければならないというのに……。


「本当に、仕方ないひと」


 この安らかな時間が、心地よく感じていた。


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