第三十二話 悪女、始動
王宮の温室で開かれた茶会は豪勢なものだった。
長机に並んだお菓子の数々が甘い芳香を漂わせ、咲きほこる温室の花々が目を楽しませる。
宴席が見えると、長机の前に居並ぶ大勢の目がテレサとノクスを見た。
「アーカイム卿……暗黒公爵がなぜこんなところに」
「テレサ様が第一王子派と仲が良いというのは本当だったのか?」
第一王子派の長であるクリスティーヌの招待だ。
良くも悪くも注目を集めると分かっていたが、こうも注目されると居心地が悪い。
ただでさえアリア時代に知り合った人間が大勢いるというのに……
(バレてない、バレてない、バレてない……よね?)
テレサはアリアであることがバレたら処刑されることが確定している身だ。
けれども、テレサはこんなところでは死ねない理由があった。
(お願いだからバレませんように)
不安が鎌首をもたげていると、
「……堂々としていろ」
ノクスが耳元でささやいた。
支えるように背中に手を回し、仲睦まじい夫婦を演じる。
「お前は俺の妻だ。安心して守られていればいい」
(……この人の手、こんなに大きかったっけ)
すぅ、と。
不思議と胸にあった不安が消えていくような気がした。
テレサは顔をあげ、堂々と茶会の面々と向き直る。
上座の席に行くと、見目麗しい皇后がそこにいた。
太陽の光を受けて輝き金色の髪に、若々しい美貌。
国王が一目見て惚れたと言われている双眸は宝石のように透き通っている。
彼女の足元に膝をつくと、銀鈴の声音が耳朶を打った。
「ようこそ。アーカイム公爵、公爵夫人」
「「皇后陛下にご挨拶申し上げます」」
「お立ちになって。お互い知らない仲でもないのだし」
テレサと皇后は式典の時に顔を合わせたことがある。
その時にも軽く話をしていたし、堅苦しいのは好まない人だとも知っていた。
「お久しぶりです、イザベル皇后陛下」
「えぇ、聖女テレサ。また会えて嬉しいわ。あなた達が結婚すると聞いてびっくりしたのよ?」
「わたしも驚きました。神に仕えるこの身が人の幸せを頂けるなんて」
「幸せ。確かに……」
イザベルは意味ありげにノクスとテレサを交互に見た。
未だ、ノクスの手はテレサの背中に回されている。
傍から見れば二人は仲睦まじい夫婦そのものだ。
テレサは顔が赤くなるのを自覚しながら「ごほん」と咳払いした。
「おかげさまで、旦那様にもよくしてもらっています」
「ふふ。それはよかったわ。実は密かに心配していたの。クリスティーヌも、ずいぶんあなたのことを気にかけていてね?」
イザベルは斜めとなりに座っていたクリスティーヌに目を向ける。
クリスティーヌはおしとやかに微笑みながら頷いた。
「お二人は夜会でもとても仲良くしていたんですもの。わたし、すごく羨ましかったんです」
「そうね。夫婦とはかくありたいものよね。まさか公爵が茶会に来るなんて思わなかったもの」
過保護がすぎるんじゃないかしら?と暗に仄めかすイザベル皇后。
人のいい顔をしているが、この人こそ社交界を生き抜いてきた百戦錬磨。
言葉の裏に刃を潜ませた皇后の一撃に対し、ノクスはさらりと避けて見せる。
「なにぶん妻は社交界に不慣れなものでして。私がついておかねば心配で眠れないのです」
公爵家の立ち位置はまだ決めていない、と公言するノクス。
やはりこちらもこちらで曲者だ。
言葉足らずなところが多すぎるノクスだが、社交界に不慣れなわけではない。
イザベルは仕方なさそうに息をついた。
「まぁ、それもそうね。なにせ聖女テレサは女性が欲しくてたまらないものを持っているんですもの」
イザベルが見ているのは聖水で手入れをしたテレサの髪だ。
雪色の髪は女性の誰もが羨むほどの艶と光沢を放っている。
ほう、とイザベルが感嘆の息をついた。
「クリスティーヌに聞いていたとおりね。本当に美しいわ」
「ふふ。ここに居る人たちはテレサ様の秘密が知りたくて仕方ありませんね?」
無邪気に告げるクリスティーヌ。
要は敵に回したくなかったらその秘密を寄こせと言っているのだ。
(厚顔無恥。相変わらず図々しいこと。でも、いいわ。あなたの傲慢を私は許す)
テレサは微笑んだ。
「何も特別な物ではありません。皆さんが真似出来るものですよ?」
「まぁ。そうなの?」
「えぇ。少々、特別なお水を使う必要はありますが」
テレサは優雅にカーテシー。
「詳しいお話はお茶会の時にでも。あとがつかえていますので失礼いたしますね」
「えぇ、楽しみにしているわ」
侍従に案内された席に行くと、ノクスが小声でささやいて来た。
「おい。本当に奴らにそれを売るつもりか?」
「えぇ。もちろんタダでは売りませんよ?」
テレサは唇に人差し指を当てた。
「これを餌に皇后さまに暗黒領域との戦いの軍備予算を増やしてもらいます。それと公爵家の立場が中立派であることも公言してもらいましょう。どっちにしろ、彼らからすれば都合がいいはずです」
「……予算を」
前にしていた会話を思い出したのだろう。
ノクスがしみじみと呟いた。
「……俺のためか?」
「領地のためです。領地を守ることは公爵夫人の義務でしょう?」
権力を持つ者は下の者達を守る責任がある。
聖女であっても、公爵夫人であっても変わらない。
逆に言えば、権力を持っているのに領民を守れない領主に生きる価値はない。
「これで認めてくれますか、旦那様?」
「……いいだろう。許可する」
(よし。これで船上パーティーに招待されるのは確実よ!)
テレサにとって一番の関門なのがノクスだった。
彼が公爵の権限を使って社交界に出禁させられたらテレサに打つ手はなかった。
皇后からしてみてもアーカイム公爵家という強大な家門に中立でいてもらえるし、テレサの聖水も得られるのだから一挙両得だ。尤も、この件で一番得をしているのはクリスティーヌだけれど。
「……」
テレサがちらりと見れば、クリスティーヌは笑顔を返してきた。
もちろん私にも聖水をくださいますよね?とその顔に書いてある。
皇后に渡す以上、王太子妃である彼女にも渡さないわけにはいかない。
この件で何の対価もなく聖水を手に入れられるのはクリスティーヌだ。
(今は甘い汁を吸わせてあげる。でも見てなさい)
必ず、報いを受けさせる。




