第三十話 結婚指輪
アップルパイを食べたテレサたちは宝飾店へと竜車を走らせた。
なんでも公務に使う宝石が不足していてイェンツォに補充を頼まれたのだという。
執事が主にお遣いを頼むなんてと思ったが、追及しても無駄そうなのでやめておく。
「いらっしゃいませお貴族さま。お待ちしておりました」
「あぁ」
小さな宝飾店は店員三人が迎えてくれた。
テレサはノクスを見上げて首を傾げる。
「もしかして、予約していたんですか?」
「まぁな」
「なぜわざわざ。いつもの旦那様なら呼び出してそうなのに」
疑問に思ってたことを聞いても、ノクスは無視だ。
「頼んでいた品は用意してるか?」
「もちろんでございます」
店長らしきものがシルク布をかぶせたお盆に乗せて指輪を持ってくる。
ノクスはテレサの手を無造作に持ち上げて、押し付けるように着けさせた。
指輪についた透明な宝石が、ぽう、と月白色の光を灯す。
「これは……?」
「結婚指輪」
「は?」
思わず真顔で返事をしてしまった。
あまりにも似合わなさすぎるというか、そんなものを貰う理由がなくて。
だって自分たちは契約結婚だ。
彼はテレサを愛することはないと明言している。
ノクスは小声で言った。
「かりそめの夫婦でも形はあったほうがいいだろう」
「あぁ、そういうことですか」
なるほど、と納得する。
ノクスは丁寧な手つきでテレサから指輪を抜き取った。
「これは仮だ。サイズはあってるようだから好きな宝石を選ぶといい」
「えぇ……そんなのありませんけど」
先日の夜会のために着せ替え人形になったばかりだ。
その時に宝飾品は一通り貰っているし、必要最低限の量はある。
「あ、欲しいもの見つけました」
「どれでございましょう?」
店主の耳元に囁くと、彼は恭しく頭をさげた。
心なしか店員たちが生暖かい目で見ている気はするが。
やがて店員が運んできたのは雫形のイヤリングだ。
「これは?」
「サンタマリアアクアマリンはご存知ですか?」
アクアマリンの中でも透明度の高い石をそう呼び、最高級アクアマリンと知られている。
店員が持ってきたのは8カラットのアクアマリン。
誇張でもなんでもなく、これほどの石は他の店ではそうそうお目にかかれない。
「この石は持ち主に幸福を運んでくれると言われています」
テレサは店員からイヤリングを受け取ってノクスの耳に着けてやる。
黒一色で不気味な男だったノクスが、一気に品のある貴族に様変わりした。
(うん、ぴったり。私の見立てに狂いはなしね)
心の中で自画自賛しながら、テレサは笑う。
「石言葉は幸福、富、聡明。旦那様にぴったりの石だと思いませんか?」
「……」
ノクスは呆然とイヤリングに手をやり、唇を噛んだ。
「幸福など、俺には」
「まぁ、いけませんよ」
テレサは「ちっち」と指を立てて横に振る。
「旦那様、人間はだれしも幸福になる権利があります。それはあなたも例外ではありません」
「……」
「大体、あなたに呪いなんてないんですから、ありがたく幸福になっておけばいいんです」
これも神の御恵みです、と聖女らしく言ってみる。
茶化してはいるものの紛れもない本音の言葉にノクスは鼻白んだ。
「教会の説法は受けん」
「そうですか。なら、これも要りませんか?」
「いや」
イヤリングを外そうとした手をぴしゃりと払いのけられた。
「今後のためにもこれは貰っておこう。夫婦仲を偽装するのに有用だろうからな」
「本当に素直じゃない人ですね」
テレサは呆れたように苦笑した。
気に入ったなら気に入ったと言えばいい。
男が宝飾品を身に着けるのなんて貴族では珍しくもなんともない。
「それでは帰りましょうか」
「あぁ……いや待て。お前の指輪がまだ」
「ふふ。わたしはもうたくさん貰ってるので要りません」
長年の聖女生活ですっかり貧乏性が板についてしまい、豪華なものに身に着けていると落ち着かないのだ。逃げるように店を後にすると、秋の匂いを運ぶ風が足元を駆け抜けていった。夜が近い。仕事を終えて帰る職人たち、買い物を済ませて子供を連れる母子、店へと繰り出す酒飲みたち。平和な雑踏の中に足を踏み入れたテレサに、ノクスが追い付いてくる。
「おい」
「今日は色々なことがありましたけど」
テレサは二歩前にステップを刻んで、背中で手を組んで振り返る。
にっこり、と前かがみになって笑った。
「楽しいお出掛けでしたね、旦那様」
「……あぁ」
背後から夕焼けの光がゴルゴンの街を照らし始めた。
青色の屋根が燦然と輝き、テレサの影を大きく伸ばしていく。
振り向いたテレサは眩しさに目を細めた。
「あ、夕陽が出てますよ! 綺麗ですねぇ」
「あぁ」
ノクスは消え入りそうな声で言った。
「……綺麗だ」




