第二話 呪いと癒し
ルミリオン王国はくろがね山脈の東に位置する国家だ。
神から魔を滅する力を授けられたこの国ではくろがね山脈を超えてやってくる魔獣の対処に苦慮していた。年々強大になっていく魔獣、流出する人材、物資の不足、財政の失策……長く平和な状態が続くこの国は魔獣の対処を騎士に押し付け、あまつさえ予算を削ろうとしているのだと、テレサを連れた騎士は熱く語った。
「必要なところに予算を振らないなんて馬鹿げています! 聖女様もそう思いませんか」
「えぇ、そうですね。確かに……」
王都から竜車を走らせて草原を走ること五時間。
毒々しい沼地をのただなかに聳えるのは王国騎士団の砦だ。
国防を担う大事な砦だけあって、城壁には弓衾や大砲が設置されている。堀は深く、底にはびっしりと槍が敷き詰められていた。落ちたら串刺しである。造りだけ見れば堅牢な城なのだが……
「失礼ながら、オンボロですね……」
「そうなんです……」
竜車を降りたテレサは砦を見上げながらつぶやいた。
城壁は風雨で削られ、得体の知れない骨や剣が刺さっている。
弓襖は潰され、城郭は遠目から見ても分かるほどに汚れ切っている。
廃城ーーそう言われてもおかしくないほどのオンボロ具合であった。
「身共はスラム街で治療をしたこともありますが、あれに勝るとも劣りません」
「反論出来ないのが心苦しいです。すべてはーー」
「予算を割り当てず、自分たちの利益だけ考えてる貴族たちが悪いと、そんなことを言ってはいけませんよ。騎士様。あなたの隊長様も貴族様なのでしょう?」
「それは、そうですが。隊長は……」
騎士は何かを言いかけてやめた。
テレサは訝しげに目を細める。
そういえば、今から治療する団長とやらがどこの誰かは聞いていなかった。
「騎士様。隊長様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「それは……治療に関係がありますか?」
「特にありませんが」
「では急ぎましょう。隊長の命を救ったら好きなだけ紹介できますから」
はぐらかした。
どうやら言いたくない事情があるらしい。
まぁいいか、とテレサは思う。
騎士がどのように思っているか知らないが、別にテレサは治療する人間を区別したりしない。命は万民に平等であるべきだ。高貴なる者には大いなる義務を。自分は自分の仕事をするだけである。
「聖女様をこんなところに案内するなんて……」
「まったく。野蛮な騎士たちにも困ったものです」
テレサに付いてきた教会の司祭たちを視線で黙らせる。
身を挺して国を守る者たちに言うべきことではない。
やはり連れてくるべきではなかった。
聖女にもなると一人で行動するのも難しいのが悩ましい。
(……それにしても暗い雰囲気ね)
城内には包帯を巻いた騎士たちがそこかしこに座り込んでいた。
剣や槍を抱えてうつむく瞳には戦争末期の諦念と絶望がたたえられている。
聖女を見た彼らは様子を見るように立ち上がり、ぞろぞろと後ろに続く。
「こちらです」
騎士に案内されたのは血と薬品のツンとした匂いがただよう大部屋だった。
たくさんの傷病患者がベッドに寝かせられ、うめき声をあげている。
「う……」
「これは……おぇ……」
「あなた達はそこで待っていてください」
口元を抑える司祭たちを置いて、テレサは躊躇わず中に入った。
騎士が案内したのは一番奥ーー多くの者に囲まれたベッドだ。
「聖女様をお連れしました! 道を開けてください!」
「聖女……? 本当に来たのか?」
「教会の犬がなんでこんなところに」
「信用していいのか?」
テレサはほおを引き攣らせた。
こちとら、竜車に五時間も揺られてやってきたのである。
見るからに教会への嫌悪感が滲んでいるが、そこまで言うか。
テレサを連れた騎士は語気強く言った。
「もう聖女様しか残されていません。一か八かに賭けるべきです」
「……」
騎士達が顔を見合わせる中、
「せっかく来てくれたんだ。任せてみよう」
ベッドの横に立つ金髪の男が言った。
テレサに向き直った彼は胸に手を当ててぺこりと頭を下げる。
「聖女様、よろしくお願いします」
「最善を尽くします」
金髪の男がベッドの脇に避ける。
寝かされた男の姿が露わになり、テレサは息を呑んだ。
ーーひどい状態だ。
全身に巻かれた包帯には血が滲んでいる。
右足はあらぬ方向に曲がり、桃色の骨が露出している。
そのすべてがどうでも良くなるほど深刻なのが、彼の体の内部だった。
「……瘴気に犯されていますね」
皮膚が紫色に染まっていた。
紫の中には黒い斑点があり、不気味な光が灯っている。
魔獣が持つ瘴気にやられた症状ーーずいぶんと長い間、放置されていたようだ。
「なぜここまで放置を……」
言いかけて、テレサは患者の顔を見る。
それですべてを察した。
「『暗黒騎士』ノクス・アーカイム」
「……ご存知でしたか」
「えぇ、まぁ」
知っているもなにも、顔見知りである。
向こうはこちらのことなんて覚えていないだろうが、まだアリア・ランデリスとして生きていた頃に何度か舞踏会で会っている。誰とも関わらず、周囲を威圧し、無理やり連れてこられた感が満載だった男は仏頂面で壁の花になっていたものだ。
「噂が多いお人ですからね」
王族の親戚であるアーカイム公爵家は武闘派と名高い。
くろがね山脈の麓に領地を構える彼らは国防を担っている重鎮だ。
その中でも歴代随一と呼ばれる剣士がノクスだった。
曰く、敵国の捕虜を残虐な拷問にかけた。
曰く、婚約を申し込んだ女の腕を切り落とした。
曰く、金に物を言わせて平民を従わせた。
ーー曰く、ノクス・アーカイムは人を腐らせる呪いを持っている。
呪いというのは比喩ではない。
実際、彼が素手で触れたものは錆びた鉄屑のように腐り落ちてしまうのだ。
「この包帯は誰が? 触れても平気でしたか?」
「はい。まぁ、少し火傷はしましたけどね」
金髪の騎士が肩をすくめる。
その視線がテレサの後ろに向かった。テレサを連れてきた騎士だ。
言ってなかったのか、と咎める視線に騎士は恐縮したように肩を縮こませる。
「言えば、来てくれないかと思いまして」
「……あとで説教だ」
「聖女様、お願いです。団長を助けてくれませんか?」
騎士は泣きそうな声で語った。ノクスが戦場が怪我をしたのは強大な魔獣に怖気付いた自分を庇ったせいだと。怪我をしたノクスは百人以上の騎士団を守るため、一人魔獣の軍勢の中に取り残されたのだと。
「もう手の施しようがありません」
金髪の騎士の後ろから顔を出したのは軍医だ。
くたびれた様子の彼はノクスをちらりと見てため息をついた。
「そもそも直接触れることすら出来ない呪い持ち……さらに大量の瘴気を浴びて呪いが加速しています。聖女がどんなに神聖力を持っていようと、神から癒しの力を与えられた存在であろうと、この方を治せるとは思えません」
「身共を甘く見ないでください」
その場にどよめきが走る。
テレサがノクスの肌に触れたのだ。
「聖女様、直接触っては呪いが……!」
「関係ありません」
熱い。
瘴気が体を焼こうとしているのが伝わってくる。
「身共は自分で見たものを信じます。噂がどうであろうと関係ありません」
(手に魔力を纏わせて、再生しながら治療しないと)
両手をノクスの心臓の上に当てる。
「《神の祝福がありますように》……!」
「おぉ……」
傷だらけの男の身体が発光し、魔法陣が煌めいた。
視界が白い光で満たされる。
きらきらとした光の粒が乱舞し、蝶のように空を舞う。
闇が薄くなる。毒素が消える。傷口がぐぉおんと再生していく。
露出していた骨が時間が巻き戻るように体内に戻り、神経と神経を繋いでいく。
やがて光が収まる頃には、ノクスの呼吸が落ち着き始めた。
「ふぅ……」
テレサは額の汗を拭い、状況を見守っていた騎士達に振り向く。
「峠は越えました。あとはお医者様でも治せる範囲でしょう」
わっ、と騎士たちが歓声を上げた。
怪我人として横たわっていた者達もが抱き合い、喜びをあらわにしている。
それだけでもノクスの慕われ具合が伝わってくるようだった。
(ふぅん。この男がねぇ)
社交界では嫌われ恐れられ避けられていたこの男が。
現場の騎士達には慕われていることにテレサは不思議な感慨を抱いた。
「聖女様、ありがとうございます! ありがとうございます!」
「すげぇ。騎士団付きの神官ですら匙を投げたってのに」
「これが聖女の癒しの力なのですか……?」
テレサは耳を大きくし、癒しと口にした男に振り返る。
癒しの力。
ルナテア教会が世間に浸透している理由がこれだ。
教会は神聖術と呼ばれる癒しの力で人々を癒している。
病人や怪我人に神の力を施すその技術は門外不出で、限られたものしか使えないのだ。
「えぇ、そうです。これが神の祝福です」
テレサは左手を胸に当てて、シスターのごとく説法を解く。
「聖女などと呼ばれていますが、身共は神にこの身を捧げた巫女。神を信じていれば必ず応えてくれます。いえ、神の代弁者である身共が断言いたしましょう。あなた達のそばには、いつも神がいます」
それ神聖なる力だ。祝福だ。
貧富の差もなく万民を広く癒せと神から賜った託宣である。
「これからも何かあれば身共を頼ってくださいね」
「聖女様、万歳!」
調子のいい司祭達が聖女を讃える言葉を投げうつ。
水面に波紋が広がるように、「万歳!」「万歳!」「万歳!」と聖女賛歌が響くのだった。