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第二十八話 『テレサ』を知る者

  救育所の門をくぐると、にぎやかな声が聞こえた。

  建物の前を走り回る子供たちの喧騒が耳に心地よく聞こえる。

 

  「あー、誰かきたー!」

  「あれだれー?」

  「きれいなひとがいるー!」

  「いんちょーせんせー! だれかきたー!」

  「おにがいる! こわいひと! にげろーーーーー!」

  「わぁああああああああああ!」

 

  きゃっきゃと騒ぐ子供たちは潮が引くように施設の中に入っていく。

 見事に連携のとれた様子にテレサはノクスを横目に笑った。


「おに、ですって。逃げられましたね?」

「気安く触られても面倒だ。このほうがいい」

「もう、自分に触って傷つかないほうがいいって素直に言えばいいのに」


 ノクスはムッとした。

 ふてくされた様子が大型犬のようで、テレサはまた笑った。

 しばらくそこまで待っていると、どたばたと音がしてシスター服を着た女性が飛び出してきた。


「こここ、公爵様!? なぜこんなところに!?」


 ノクスはテレサの頭に手を置いた。


「こいつの気まぐれだ」


 テレサはその手を払いのけた。


「人を猫みたいに」

「猫のようなものだろう」

「身共の認識についてお話をする必要がありそうですね?」


 ジト目でノクスを睨んでからテレサはシスターに向き直った。

 黄金色の髪をした女性はおっとりしていて、見るからに優しそうな雰囲気がある。母性を感じさせるシスターは「あなたは」とテレサを見て目を見開いた。


「もしや、聖女テレサでございますか?」

「お初にお目にかかります。聖女テレサです。猫ではありません」

「そんな猫だなんて……お初にお目にかかります! わたし、この施設で子供たちの面倒を見ております。シスター・ローザと言います。尊きお方に会えて光栄です」


 ローザと名乗った女性はテレサの前に膝をついた。

 両手で皿を作って天に掲げるようにする様は教会の最敬礼だ。


「この身にルナテア様の導きをありますように」

「月の導べに従いなさい。神があなたを導くでしょう」

「神に感謝を」


 最後にお皿を飲み干すような仕草をしてローザは立ち上がる。


「お二人のご結婚は聞いておりました。この度はおめでとうございます」

「ありがとうございます。猫扱いされている妻です♪」

「どうせ猫なら可愛げのある声で鳴いてみればどうだ」

「にゃー……って何を言わすんですか!」

「ふ」


 やいやいと言い合う二人にローザは微笑んだ。


「まぁ、ずいぶん仲が宜しいのですね」

「「よくない(よくないです)」」

「息もぴったり」


 くすくす、と笑うローザは、


「それで、ここへどういった御用で?」


 ノクスが顎をしゃくったのでテレサは進み出た。


「聖女としてお勤めを果たしにまいりました。重病患者や治らない怪我を負った者はいませんか?」

「まぁ! 聖女様のお慈悲をいただけるんですか!?」

「当然です。結婚したとはいえ、身共は悪女(あくま)で聖女ですから」

「それでは……こちらへお願いします」


 ローザに案内されたのは傷病患者用の離れだった。

 整然と並ぶ寝台の数は全部で三つ。

 扉を開けただけで強い薬草と消毒液の匂いが漂ってくる。


「……」


 どんよりと漂っている暗い空気の正体をテレサは知っていた。

 これは死の匂いだ。


「もう治せないと言われた方々がここには居ます。テレサ様、どうか……」

「分かっています。旦那様、そこでお待ちください」

「あぁ」


 テレサは右から一番手前にある寝台に近付いた。

 包帯でぐるぐる巻きになった青年と思しき男が横たわっている。

 テレサのあとに続いてローザがこっそり耳打ちしてくれた。


「彼はマロウ。魔獣との戦いで全身に火傷を負い、半月前から生死の境をさまよっています」

「彼の包帯を取ることは出来ますか?」

「可能ですが、あまり見ない方が……あの、本当にひどい有り様で……」

「問題ありません。わたしは聖女ですから」


 マロウの腕はひどいものだった。全身が蒼く晴れ上がり、皮膚が溶けてぐじゅぐじゅになっている。常に高熱を発しているのか、身体からは滂沱の汗が流れていた。


「し、すたー……おれは……」

「大丈夫ですよ。いま、治してあげますから」


 テレサはただれた手に躊躇なく触れて聖句を唱えた。

 彼女の足元に魔法陣が広がり、淡い光がマロウを包み込んでいく。


「……これが、聖女様の奇跡」


 ローザが感嘆の息をつく間にマロウの身体に変化が起こる。

 焼けただれた全身は見る見るうちに元の色を取り戻す。顔色が良くなっていき、熱が引き、呼吸が落ち着いて来た。ある程度のところで治癒を止めたテレサは「ふぅ」と汗を拭った。


「これで大丈夫です。あとは彼の治癒力に任せましょう」

「あぁ、聖女様。なんとお礼を言ったらいいか……!」

「聖女ですから。さぁ、次に行きますよ」


 それからテレサはあっという間にその場の全員を治した。

 包帯がとれて歩けるようになった患者をみて、満足げに息をつく。


「とりあえず、こんなところでしょうか」

「ありがとうございます……テレサ様、本当に……」

「あなたにお礼を言われる筋合いはありませんよ。困った時はお互い様です」


 ローザの肩に手を置くと、彼女な涙を浮かべて何度も頷いた。

 テレサは口元を緩め──ふらり、と足元がおぼつかなくなった。

 ──……がしっ


「おい」

「ぁ……」


 背中を支えてくれたノクスの手は大きく、女性にはない力強さがあった。

 ほんのりと頬を染めたテレサは気丈に微笑んで、


「大丈夫です。少しふらついただけですから」

「……そうか」


 治癒の力とて無尽蔵ではないのだ。

 聖女と呼ばれたテレサでもこれだけの大怪我を治せば気力を使いもする。

 そんなテレサの様子に、ローザは唖然としたように言った。


「聖女様は、私の友人のテレサにそっくりですね」

「え?」


 ドクン。


「すいません、ご存知ないですよね。ランデリス領に居た修道女のことなんて」

「……そうですね。自分と同じ名の修道女がいたなんて初耳です」


 今、自分は笑えているだろうか。

 表情筋を動かせているだろうか。

 声が震える。膝が震える。思い出して涙が出そうになる。


(テレサ……きっと、あなたもそうだったのね)

「同じ名の女性が人々に讃えられてる……なんだか、友人として嬉しいです」

「その女性はどうしたんだ」


 ノクスが口をはさんできた。

 ローザはゆっくりと首を横に振った。


「アリア事件の時に神に召されました」

「……そうか」

「でも、きっと同じ名前テレサも喜んでいると思います。あ、ごめんなさい。私ったら。テレサ様の功績はテレサ様のものであって、あの子のものじゃないのに」

「いいえ、身共の功績ではありません」


 テレサは微笑んだ。


「我々は共に神に身を捧げた女。すべては神の御心なのです」

「聖女様……」


 ローザは崩れ落ちるように膝を突き、両手を組んで祈りを捧げた。


「あぁ、主よ。この方をこの世にお遣わしいただけたことに至上の感謝を……」


 テレサはローザに背を向けて救育所を出た。

 晴れ渡る日差しが空から降り注ぎ、彼女を照らし出す。


「さぁ行きましょう、旦那様。身共たちのデートは始まったばかりですよ」

「……あぁ」


 ノクスは静かに頷いた。

 彼が自分の背中をじっと見つめていることに、テレサは気付かなかった。




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