第二十七話 初めてのデート
翌日。
朝食の席でテレサは居心地辛さを感じて仕方がなかった。
「……きょ、今日のパンも美味しいですねぇ」
「そうだな」
サク、と焼きたてのパンを頬張る。
麦の香りが鼻腔を突き抜け、ふわふわとした食感が楽しい。
聖女だった時もこんなパンは食べられなかった。
パン職人を褒めてあげたい気分。
──正面からノクスにじっと見られていなければ。
夜色の双眸がテレサをじ~~~っと見つめている。
片手でパンを頬張りながらもその視線はテレサから逸らさない。
テレサはとうとうしびれを切らし、「あの」と抗議を申し立てた。
「先ほどからそのように見られると落ち着かないのですが」
「気にするな。俺のことは路傍の石と思ってくれていい」
「公爵様をそのように思えというのは無理があるのでは」
(ほんとに何なのかしら……いつも用があるならハッキリ言う人だし)
なにせ人の話を信じずに聖騎士の腕を切り落とすような男である。
即断即決を地でいくのがノクスだと思っていたが、
「……やはり似てないな」
「はい?」
「こちらの話だ」
どうにも煮え切らない態度である。
食事を終えたあと、テレサは公爵家の夫人教育を受けた。
現在の社交界事情、流行、派閥の力関係、家の歴史など……。
貴族院時代を思い出しながら受ける講義の内容は新鮮だ。
けれども、こんなところにもノクスが側でじっと見てきて──
(いつもは居ないのに、何なの!?)
テレサは頬を引き攣らせながら水を向けた。
「公爵様、お仕事はどうされたのですか?」
「今日は執務だ。ここでも出来る」
テレサはぷっつん来た。
我慢に我慢を重ねていた堪忍袋の緒が切れてしまった。
「いい加減にしてくださいませ。何か用があるならハッキリとおっしゃってください」
面食らうノクスにテレサは頬を膨らませて鼻先に指を突き付ける。
「聖女にも我慢の限界があります。そうもじっと見られては気になって仕方ありません!」
ノクスはたじろいで、
「いや、これはお前がおかしなことをしないか監視するために……」
「でしたら護衛騎士でも何でもつけて監視させればいいでしょう?」
「お前の傍に男をのさばらせろと?」
「え?」
「ぁ、いや……ごほん」
ノクスは咳払いした。
言いづらそうに目を逸らした彼は口を開こうとして、
「──話は聞かせてもらったわ!」
ドドーン!と勢いよく扉を開いたのはノクスの母であるレイチェルだ。
腰を両手に当てた彼女はビシ、とノクスを指差す。
「ノクス。そんなに心配なら二人でどこかに出かけていらっしゃい?」
「「は?」」
「どのみち、そんなんじゃ仕事にならないでしょう」
「いやだが……というかいつまで居るつもりなんだ?」
「あら、いけない?」
「いけないこともないが……」
レイチェルは元々、親族披露宴のために公爵領から王都までやって来ていたのだ。その披露宴が終わった以上、早々に帰ってもらいたいのがノクスの本音だろう。二人がわだかまっていた頃は明日にも帰ると公言していたレイチェルだが──
「領地のことは家令に任せてあるから大丈夫よ。それより、こんな状態の二人をこのままにしておけないわ。それともテレサさん、私とお茶する? あるいはお出掛けでもいいけど」
「はぁ。身共は構いませんが──」
「ダメだ」
ノクスはぴしゃりと言った。
「お前は俺と出かける」
「……………………はい?」
◆◇◆◇
(どうしてこんなことに……)
テレサは公爵家の馬車に揺られながら泣きたい気分だった。
正面に座るノクスは相変わらずこちらを見つめている。
テレサはぎこちない笑みを浮かべながら言った。
「レイチェル様にも困ったものですね。こんな風に背中を押されるなんて」
「まぁ余計なお世話ではあったが……」
珍しくノクスが擁護した。
「きっかけにはなったな」
「なんのですか?」
「別に」
相変わらず言葉にしない男である。
テレサが小さくため息をつくと、夜色の目がちらりとこちらを見た。
「それとも、こんな呪われた男と出かけるのは嫌だったか?」
「まさか、そんなことはありません」
テレサは静かに首を振った。
「思えば旦那様と街に行くのは初めてですし、楽しみですよ」
「……そうか」
「それで、今日はどちらに向かうのですか?」
「どこへ行きたい?」
テレサは意外に思った。
(どこへ行きたいのか聞いてくれるのね……)
正直、ノクスは自分勝手に女を連れ回すタチだと思っていた。
今日は疲れるだろうな、と予想していただけに、思わぬ気遣いに嬉しくなる。
「そうですね、では救貧院へ行くのはどうでしょうか」
「聖女としての仕事か?」
「仕事と言いますか……身共が行きたいのです」
「……まぁいいだろう。では、そのあとは俺が行きたい店について来てもらう」
「はい」
王都は治安が良いものの、鉱山などの落石事故、魔獣との戦いなどで親を失う子供も少なくはない。そういった者達の受け皿となり、彼らが公爵領に貢献できる人材に育つよう、救貧院はちょっとした治療院のような大きさになっていた。三階建ての石造りの建物はまるで要塞のようだ。
「……すごい。こんな大きな救貧院は見たことがありません」
「公爵領が支援している院だ」
ノクスは頷いた。
「親を失った子供たちは未来が定まっていない、いわば人材の宝庫だ。後ろ盾をしてやれば恩を感じて忠誠を誓ってくれやすい。これを活用しない手はない」
今の時代、子供の未来は親の職業で決まると言っても過言ではない。
農家の息子は農家になるし、文官の息子は文官になる。
もちろん例外はあるが、大多数の人間は親の仕事を継ぐものだろう。
ノクスはそういった者達に教育の機会を与え、公爵領にとって有益な人材となるように育成しているのだという。
(言い方はアレだけど、すごいことよね。言い方はアレだけど)
貴族は血筋や家柄を重視する者が多い。
政治や領地の運営に関わる者はすべて貴族出身じゃなければ我慢できない──そんな者達もいるなかで、孤児を積極的に教育しようとするノクスは革新的と言える。
(言い方はアレだけどね!)
この男、根は善良なのに色々と拗らせている節がある。
テレサがジト目で見ていると、ノクスは「なんだ」と半目を向けて来た。
「何か言いたいことがあるのか」
「公爵様はツンデレですね」
「は?」
「こっちの話です」
行きましょう、とテレサは救貧院の門をくぐるのだった。




