第二十六話 テレサ・ロッテの正体
夜。
それは魔獣が活発化し瘴気の侵食が激しくなる魔の時間だ。
この時間になるとノクスは体に巻いた包帯を取り換え、痛みに耐えながら眠れない夜を過ごすことになる。だが、テレサが『呪い』の治療を始めてから、そんな習慣も崩れつつあった。
「包帯も綺麗なものですね。痛みもないのでは?」
「あぁ、ほとんどない」
「聖女様には感謝しなければいけませんね」
介助人のイェーガーから上着を受け取ったノクスは静かに頷いた。
聖女のおかげで毎夜苦しんでいた痛みから解放された。
誰もが匙を投げたノクスの『呪い』を彼女は勲章だと言い切ったのだ。
「何か贈り物などをしてはいかがですか?」
「贈り物……宝石か?」
「奥様が宝石を喜ぶとは思えませんが……」
「ふん、『奥様』か。お前も絆されたものだな、イェーガー」
「あの方の真心は本物ですよ。少なくとも聖女としての振る舞いは信じていいかと」
「……それで? その聖女の正体はわかったのか?」
テレサの嫁入りが決まってから、公爵家では彼女の素性を調査していた。
孤児だったテレサを教会が聖女として育て上げたーーなどということを真っ向から信じるほど公爵家は教会を信用していない。
イェーガーは「はい」と頷き、
「テレサ・ロッテという人間は既に死亡しております」
水を打ったようにノクスは沈黙した。
驚きを隠し、落ち着いた口調で確かめる。
「……テレサは隣ですやすや寝てるが?」
「別人ということでございます」
ノクスは口元に手を当てた。
「ミシェルの調査報告と一致するな」
「こちらが資料です」
イェーガーは神の束をノクスに差し出した。
元王室騎士団長の伝手を頼って得た貴重な情報だ。
ノクスはぺらりと羊皮紙をめくって詳細を確かめる。
ーーテレサ・ロッテ。享年二十五歳。
南方のバーテンベルク地方に生まれて王都へ出稼ぎに出るも、働き口から日常的な暴力と嫌がらせに遭い、辛い時期に心を救ってくれたルナテア教会の修道女になる。巡礼の旅を経て各地で見聞を広めた彼女は人手不足だったランデリス領都でシスターを務め、民衆に愛されながらも、アリア事件の火に呑まれて帰らぬ人となった……。
「ランデリス領……」
ノクスは顔を上げた。
「テレサ・ロッテとアリア・ランデリスの関係は?」
「そこまでは分かりませんでした」
イェーガーは首を横に振った。
「ただ、アリア・ランデリスは信仰心の薄い女性でしたから」
「教会に出入りして知り合う可能性は低いか。先輩は知っていたらしいが」
「催事などで出逢う可能性もありますがね」
死んだテレサに成り変わった何者かがテレサとして生きている。
普通に考えて、同時期に居なくなった女がそうだとするのが妥当だ。
アリア・ランデリスは五年前のアリア事件以後、世界の目を欺いて行方をくらました。
「まさか、今のテレサこそが……アリア・ランデリスなのか?」
この情報がなければ馬鹿馬鹿しい情報だと一笑に伏していた。
まず顔が違う。声も違う。髪色も体格も何もかも違う。
今のテレサはアリア・ランデリスとはかけ離れた容姿をしている。
ただ一つ、瞳の色だけが同じだがーー雨色の瞳などこの国では珍しくもない。
だが、可能性がある以上は。
(放置してはおけない。確かめずにはいられない)
もしも消えたアリアがテレサなのだとすれば。
特務騎士団の隊長として、自分は彼女をーー
「問題はどうやって確かめられるかですが」
「……魔力紋だ」
ノクスは椅子を軋ませて言った。
「この国の貴族は洗礼を受けた時に魔力紋の保管されている。王都の教会に頼りアリア・ランデリスの魔力と今のテレサの魔力紋を照合しろ。一致した場合は、彼女はアリア・ランデリスだ」
「ですが魔力の抽出には奥様の協力が必要です」
「それは俺がなんとかする」
「承知いたしました。もしも一致した場合は?」
ノクスは無言だった。
それが彼の答えだった。
「ミシェルが帰国するまでに調べろ。話は以上だ」




