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第二十五話 再会の裏で

 


「まぁ。なら聖女様はずっと教会で過ごしていらしたの?」

「えぇ、お恥ずかしながら」


 テレサはこみ上げる憎悪と怒りを笑顔の裏に隠すことで必死だった。

 挨拶をして終わりかと思いきやクリスティーヌは甲斐甲斐しく話しかけてくる。


「それで公爵様に嫁入りするなんて、聖女様は大変な人生を送られているんですね。聖女とはいえ、平民から貴族になるのは色々と大変でしょう?」


 公爵夫人が務まるのかと探りを入れられて、不快感しか覚えない。

 誰が好き好んで公爵夫人になりたいと思うのか。

 お前たちが五年前にあんなことをしなければ、今頃は……


(おっと、いけない。笑顔よアリア。今はまだ、こいつらを相手にすべきじゃないわ)


 怒りも憎しみも蟠りも、笑顔の裏に隠して毒にする。

 毒の使いどころは使用者次第。見誤れば身の破滅は待ったなし。

 テレサが居るのは、権謀術数と数多の欲望が渦巻く、社交界という名の毒壺だ。


(こいつらがここに来たのは想定外。でも、このチャンスを利用しない手はない)


「屋敷の皆のおかげでなんとかやっていますわ。でも、貴族の方のやり方にはまだ慣れなくて……」

「まぁ、そうなの?」


 クリスティーヌが笑顔の裏で目を光らせる。

 ほろりとこぼした弱音。

 それが策略であるか、ただの考えなしであるか確かめるために。

 テレサは慌てたように手を前に振って見せて、


「あ、もちろん、ノクス様には大変よくしてもらっていますので!」

「えぇ、えぇ。そうでしょうとも。かの有名な公爵様ですものね」

「とはいえ、アーカイム卿は色々とあらぬ誤解を受けているようだ。その辺は大丈夫なのか?」


 テレサは一拍の間を置き頷いた。


「もちろんです。誤解を受けがちですが、ああ見えてお優しい方ですから」


 テレサは笑顔の裏で冷静にジゼルたちを観察する。

 無邪気で、貴族のやり方に戸惑い、夫に思うところはあるものの黙っている聖女。

 そんな印象を植え付けた二人は顔を見合わせて何かを通じ合わせていた。


 ──どう思う?

 ──大丈夫そうですわ。


 彼らの視線の意味はそんなところだろう。


(こいつらは今、わたしを派閥内に引き入れたがっている)


 この国の社交界は第一王子派と第二王子派で二分している。

 ジゼルは正妃の息子であり母の家柄は申し分ないものの、いかんせん能力不足だ。貴族院の生徒会運営や領地の運営などの実務において第二王子に勝るところはない。


 五年前のアリア事件も『下級貴族を守る勇気ある青年』と捉える者と、『婚約者の手綱を握れない無能』とする意見に分かれている。


 その反面、第二王子は有能だが、家柄不足で婚外子だ。

 王が侍女に産ませた子供で、母親の生まれは下級貴族。

 執務では幼くも文官を驚かせる才覚を発揮し、領地の運営に長け、荒れ地を豊かな領地に変えた実績もある。武術方面にも明るく、魔獣との戦いに出かけた先で自ら部下を守るなど王たる器量も持ち合わせているものの、彼の足に嵌められた婚外子という枷は大きい。


 近年王権が弱まっているということもあり、三年前、とうとうジゼルが王太子に任ぜられてしまった。

 それに反発する貴族たちが第二王子派で、少数の有力者が彼を支持している。


(第一王子派はまだ万全じゃない。ここらで大きな勢力を取り込みたいといったところね)


 教会の代表である聖女を取り込めば敬虔な信者たちが第一王子を支持する。

 また、神に代理人に選ばれた自分たちこそが正統であると示すこともできるだろう。国王が奴らをこの場に派遣したのは、テレサたちを取り込めと指示があったからかも。


 アーカイム公爵家の立場は中立。

 どちらにも表立って味方してはいない。

 つまり、今自分がすべきは奴らを調子づかせることで。


「クリスティーヌ様は下級貴族でありながらジゼル殿下と結ばれ、洗練された仕草と佇まいをお持ちです。よろしければ、不勉強なわたしに上級貴族の心得をお教えいただけませんか?」


 クリスティーヌは目を見開いた。

 その一瞬、彼女の口元が吊り上がったことをテレサは見逃さない。


「そうね。わたくしでよろしければ、喜んで」

「ほんとうですか!? わぁ、嬉しいです……」

「よろしければお友達になりましょう? これからいい関係を築いていきたいわ」


 クリスティーヌが手を差し出してくる。

 テレサは躊躇した。

 ここで自分が手を取るのは第一王子派につくと公言するようなものだ。


(さすがにここで手を取るわけには……でも、こいつらを泣かすためにはっ)


 ええい、ままよ!

 テレサが思い切って握手を交わそうとしたその時だった。


「──挨拶が遅れて申し訳ない。殿下」

「え」


 テレサとクリスティーヌの間に割って入ったのはノクスだ。

 黒い男の背中はテレサをクリスティーヌの視線から隠している。


「この度は私たちの婚約披露宴にお越しいただき感謝します」

「……アーカイム卿か」


 ジゼルはたじろいだように感じる。

 眼前に立つノクスは黒い巌のようだ。

 なんとかどかそうとしても決してどかさない威容を放ってる。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。殿下。壮健なようで何よりです」

「あ、あぁ」


(あら? 旦那様、なんか怒ってる?)


 ノクスの顔は見えないが、声色は硬い。


「妻は体調が悪いようです。申し訳ありませんがこちらで失礼します」

「体調? だが……」

「体調が悪いようです」


 ノクスに勢いよく肘を突かれた。

 テレサはお腹をおさえて悶絶する。


「う、痛い……」

「大丈夫か」

(誰のせいよ、誰の!)


 失礼、とノクスが膝をかがめ、テレサは持ち上げられた。

 お姫様抱っこである。急に視界が高くなりテレサは顔が熱くなった。


「ちょ、自分で歩けますから! 降ろしてください!」

「このままベッドまで行く」

「べべべべ、ベッド!?」

「それでは殿下、失礼します」


 最後までクリスティーヌを無視したノクスである。

 まるで居ない者かのように扱っている態度はぞんざいにすぎる。

 さすがに納得いかないのか、歯噛みしたクリスティーヌがテレサに声をかけた。


「テレサ様、またお会いしましょうね。お茶会に招待しますから」

「あ、はい。また……って早く降ろしてください!?」

「黙れ。それとも塞いでやろうか」

「黙ります!」


 大階段を歩く二人の姿は大勢の親族たちに目撃された。

 ノクスの腕の中で暴れるテレサと、それを抑え込むノクス。

 傍からみた二人はいちゃちゃを我慢できずに寝室に向かおうとしている風にしか見えなかった。


「気のせいか? 当主様が笑ってるような……」

「まぁ、大変仲がよろしいのね。あのアーカイム卿があんな顔をするなんて」

「女性嫌いだったはずなのに、ずいぶんと……あぁ、私も唾をつけとけばよかった」

(どこをどう見たらイチャイチャしてるように見えるんですか、これが!)


 断固として抗議したい気分だったがそうもいかない。

 テレサはノクスの荷物となって私室に連れ戻されるのだった。

 私室に入ると、ノクスはまるで荷物のようにテレサを投げ捨てた。


「ふぎゃ! あの公爵様、もう少し優しくですね……」

「お前は何を考えてるんだ」

「え」


 ベッドの上に乗り、ノクスはテレサを組み伏せる。

 互いに息遣いすら感じられる距離で、夜色の瞳がテレサを射貫いた。


「えっと、明日の朝食のことを?」

「ほざくな。奴らと握手することがどういう結果を生むか分からないとは言わせんぞ」


 テレサは内心でむっとした。

 こちらから握手をしたかったわけじゃないのだから、仕方ないではないか。


「申し訳ありません。分かりませんでした。何分、夫が妻を放置するもので」

「……」


 嫌味を言ったつもりなのに、ノクスは意外そうな顔をした。


「傍に居て欲しかったのか」


 テレサは顔が熱くなった。


「は!? ち、違います! 公爵様が居なくても全然へっちゃらです! 身共は聖女ですから!」

「ふぅん」

「なんですかその気のない返事は!」

「だんだんお前の演技と本音が分かって来た。この調子で観察していく」

「人を実験動物みたいに!」

「それに近いものがあるな」


 ノクスはテレサの顎に指を当てて、くい、と上に持ち上げる。


「言ったはずだ。お前のことは見ていると」

「……じゃあ、さっきの会話も全部見てたんですか? 趣味が悪くないですか?」

「お前が公爵夫人としてどう振る舞うのか見ておきたかった」

「では、結果は合格ですか?」

「どうだろうな」


 ノクスはテレサから離れてベッドの淵に座った。


「所作や仕草は問題ない。だがあの女と仲良くするな」

「あの女……クリスティーヌ様ですか?」

「そうだ。奴はきな臭い。お前以上に臭う」


 思わず自分の服をくんくんと嗅いでみるテレサだった。

 よかった。フローラルな良い香りだった。


「アリア・ランデリスはあの女と関わったせいで破滅した」


 テレサは息を詰めた。

 彼が指しているのが自分のことではないと分かっていても緊張を覚えてしまう。

 いや、あるいは何か勘付いているのだろうか?


 静かな室内に二人きり。

 月明かりを背に受けるノクスの顔は影になっていて見えない。


「他にもあの女と関わって破滅した者は少なくない。アレは魔性の女だ」

「そうでしょうか」


 テレサは静かに答えた。

 振り向いたノクスに天使のごとき微笑を送る。


「すべての人間は神から賜った善性を宿しています。きっとクリスティーヌ様も旦那様と同じように、誤解を受けやすいだけで本質は善い人なのだと思いますよ?」


 ノクスが虫を見るような目になった。


「思ってもないことを言うな」

「まぁ、本音ですのに」


 チ、とノクスが舌打ちした。


「勝手にしろ。ただし第一王子の派閥に加わることは許さん」

「まぁ。それでしたら両方の派閥のお茶会に出席しなきゃいけませんね?」

「契約書には社交活動を最低限にするよう書いたはずだが?」

「これは最低限でしょう? それとも旦那様はアーカイム家が教会派とみられてもよろしいのですか?」


 ノクスは苦虫をかみつぶしたような顔になった。


「……分かった。だが必要以上に近付くなよ。さもなければお前の首が飛ぶぞ」

「さすがに妻を手にかけるのはどうかと思いますがっ?」

「そうじゃない。ただ……」


 ノクスは何か言いかけたが、何も言わなかった。

 諦めたような彼はテレサのベッドに仰向けになって目を閉じる。


「もういい。俺は寝る」

「はぁ…………あの、ここわたしの部屋ですけど」

「夫婦なんだから、別にいいだろう」

「いや良くないです」


 テレサはノクスを部屋からぽーんと放り出した。

 目を丸くするノクスを見下ろして、にっこりと笑う。


「愛する気がないのに同衾するのは神の御心に反しますよ、旦那様♪」

「……」

「それではおやすみなさいませ。よい夜を」


 バタン、とテレサは扉を閉める。

 足音が遠ざかっていくまでじっとして、力が抜けたように座り込んだ。


「はぁ──……疲れた……」


 思わぬ仇敵との再会。あふれだした憎悪。

 心を偽るのには慣れていたつもりなのに、こんなにも疲れるなんて。


 それに……。


「契約婚なのに、距離が近すぎるのよ……」


 膝に顔をうずめるテレサの顔は、ほんのり赤かった。




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