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第二十一話 悪女の痕跡

 

 一方その頃。

 王都騎士団特別機動隊副隊長ミシェル・アートンは南国の港町にいた。

 白い石造りの街が階段状に連なる街は風光明媚な街として有名で、諸外国から多くの観光客や商人たちが集まっている。人種の坩堝と呼ばれるこの街では、他国の犯罪者がまぎれたところで探しようもない。


「ここか……」


 ミシェルが訪ねたのは街で評判の街医者だった。

 五年前から住み着いたという街医者はスラム街の荒くれ者たちを叩きふせ、貧民たちに医療の知識を与え、私塾まで開いているのだとか。かねてから問題だった貧民街の治安は劇的に改善され、この街の領主は彼に勲章を送ったとかなんとか。


(どこで聞いたことがある話だ)


 どうしても重なる。

 親友の妻になった『彼女』の足跡と。


「ごめんください」


 こじんまりとした治療院は清潔で整えられていた。

 受付には一人の女性が座っていて、隣には花瓶が生けられている。

 ミシェルが入ると、受付の女性はにこやかに笑った。


「いらっしゃい。怪我ですか? それとも家族が病気?」

「いえ、今日は先生を訪ねてきたんですが……」


 受付の女性が警戒心をあらわにした。


「……失礼ですが、どちらさまですか?」

「怪しい者じゃ……とっても信用ねぇか。とにかく、先生の知人です。王国の者と言えば分かるかと」

「……少々お待ちください」


 受付の女性は渋々といった様子で立ち上がり、奥へ入って行く。

 ほどなくして現れたのは精悍な体つきをした赤髪短髪の青年だ。


「俺を訪ねてきた奴ってのはお前か。どこの誰で、何が目的だ」


 歳のころは二十代後半だろうか。

 実際の年齢はもう少し高いが、年齢よりも若く見える。

 それはきっと、彼の醸し出す活発な雰囲気のおかげだろう。

 騎士学校時代から、この人はちっとも変わっていない。


(あぁ、やっぱり)


 懐かしさが込み上げてきたミシェルは口の端をあげた。


「こんな所にいたんですね……エンシオ先輩」

「ぁ?」


 じろりと雨色の瞳が怪訝そうに細められ、彼は目をひん剥いた。


「お前……ミシェルか?」

「お久しぶりです、先輩」


 エンシオ・ランデリスはつかつかとミシェルに歩み寄った。

 眼前に立つミシェルに、エンシオはニカ、と笑い、


「ははっ! ほんとにミシェルだ。懐かしいなおい! 久しぶりだなぁ!」


 気安くミシェルの肩に手を回し、がしがしと頭を撫で回し始めた。

 旧友に出会った彼は快活に笑った。


「どうしたんだよこんなところで! 元気にしてたか!?」

「行方をくらました先輩が何を言ってんすか。先輩のせいで尻拭いが大変だったんすよ? 飯でも奢ってくれなきゃ割に合わないっす」

「生意気な口も相変わらずだな! 飯くらい奢ってやるよ!」


 エンシオはミシェルから離れ、ぽんと肩を叩いた。


「まぁ入れ。ちょうど休憩しようと思ってたところだ」

「それじゃあ遠慮なく」


 エンシオに案内されたのは平民の街医者にしては清潔な応接室だ。

 品よく調度品が整えられ、上等な革張りのソファを置いている。


「しかし、いつかは誰かが来るかと思っていたが……まさか五年も経って初めて見る顔がお前とはな。人生分からないもんだな、ミシェル」

「こっちだって、まさか王国一の騎士として名を馳せた先輩が連絡の一つも寄越さず家族ごと消えるなんて思いませんでしたよ。思ったより元気そうで安心しました」


 エンシオ・ランデリスはかつて王国騎士団に身を置いていた騎士だった。

 出場する闘技大会では優秀な成績を収め、後輩指導に力を入れて人望も厚い。

 妹の婚約者が王子ということもあり、一時は近衛騎士団への内定が決まっていたほどだ。

 先ほど廊下を歩いた時も、隙のない佇まいと歩き方は健在だった。


「まぁ色々あったからなぁ。ノクスのやつは元気か?」

「あいつ結婚しましたよ」

「マジで!? 誰とだよ!?」

「聖女様です。聞いたことは?」

「あー、小耳に挟んだことはあるな。故郷に神の声をきいた聖女が現れたとかなんとか」


 どさりとソファに座ったエンシオは背もたれに体を預ける。


「あのノクスが結婚か……相手は大丈夫なのか?」

「あいつの呪いを治療できる唯一の人間です。大丈夫かと」


 エンシオはノクスの呪いを知っていて、彼を恐れなかった数少ない人物だ。

 周囲から恐れられ、忌み嫌われるノクスを何かと気にかけていた。

 今も順調に回復に向かっている。

 そう聞いたエンシオは目を見開いた。


「そうか。治るのか!」

「はい。間違いなく」

「そうか……そうかぁ」


 エンシオは感慨深そうに頷いた。


「よかった。本当によかったな」

「はい、本当に」


 変わらず後輩思いの先輩に会えてエンシオの胸も熱くなる。

 こうして語り合えていることこそが一つの奇跡だった。

 彼ら家族を襲った理不尽はそれほどに大きく、抗えないものだった。


「先輩はどうしてここに?」

「お前も知っての通りだよ」


 エンシオは肩をすくめた。


「あのことがあってそっちには居られなくなった。だから逃げた。そんだけだ」

「あのこと……アリア事件のことですよね」

「そう呼ばれてんのか」


 アリア事件。

 王国に住む貴族なら誰でも知る伯爵令嬢と第一王子の婚約破棄騒動だ。

 第一王子の婚約者であるアリア・ランデリスが貴族院で王子が目をかけていた男爵令嬢を虐め抜き、ひどい怪我を負わせた。かねてから王子とアリアの仲は不仲だったから、そのことをきっかけに王子は婚約破棄を決意。不幸のどん底にある男爵令嬢を救い、悪女を断罪したーー。


 それだけならばどこの国でもありそうな話だが、この話には続きがある。

 悪女アリアは、婚約破棄された腹いせに領地の村人百人を焼き殺したというのだ。


 人としての尊厳を軽視し、貴族の品位を貶める愚劣な行為に王家はランデリス家の取りつぶしを決定。家族全員の公開処刑が決まり、王国騎士団が出動しランデリス家全員を捕縛した。そしていよいよ処刑といったところで、ランデリス家の脱獄が発覚。面目を潰された王家はランデリス家の代わりに死刑囚を代理に立てて公開処刑をやり過ごしたーー。


 これが、事情通の間で知られるアリア事件の顛末。


(だがありえねぇ。ランデリス家の人間が領民を焼き殺すなんて)


 周囲の評価によれば、アリアは気が強くて曲がったことを心底嫌う人間だ。

 高貴なる者には大いなる義務を。

 ランデリス家の掲げる精神を信条とし、領民から深く愛されていた。


(俺たちは知りたいんだ。本当のことを)


 ノクスもミシェルも消えたランデリス家の行方をずっと追っていた。

 そこで五年前に流れ着いた赤髪の男が街医者をしているという情報を掴み、ここまでやってきたのだ。


「あの時、本当は何があったんすか? 先輩たちはどうやって五年間も行方を眩ませたんすか? 公爵家の情報網を使っても、足取り一つ掴めなかった……」

「色々あったよ、と言っても引き下がらねぇよな」

「はい」

「なぜ知りたい? ただの興味本位ってわけじゃないんだろ」

「近頃、我が国ではアリア・ランデリスと名乗る者が貴族たちを零落させています。彼らがひた隠しにしてきた弱みが明るみになり、醜態を晒し、アリアの亡霊を見たと狂ったように騒いでいる」


 ミシェルは静かに言った


「俺はその正体が、アリア・ランデリスだと考えています」


 エンシオの探るような視線をミシェルは静かに受け止めた。

 雨色の瞳に感情の色は見えない。

 面倒見のいい性格だが、彼は自分の心を探らせない術に長けていた。


「お前は、犯人がうちの妹だというのか」

「はい」

「それは絶対にあり得ない」


 あるいは居場所を知っているのではないかーー。

 一縷の願いを賭けたミシェルの言葉をばっさり切り捨てて。


「アリアは……俺の妹は死んでるはずだ」

「は?」


 エンシオは口惜しむように唇を噛んだ。


「病気だったんだ。医者には余命一年と宣告されて……どこからか元々不仲だった王子に伝わり、あの騒動に至った。あの事件で領民たちを殺したのはランデリス兵になりすました王子の私兵だったんだ」


 真実の展望が開かれ、その全容にミシェルは息を呑んだ。

 自分は今、王家の闇に触れようとしている。


 ーー王国の民を、王族の兵士が殺した。


 こんなの、一介の騎士が聞いていい話じゃない。

 これが明るみになれば、現王権すら揺らぐ大事件になる。


「俺たちが王子に捕まった時、アリアは牢屋の中で発作を起こした。俺たちは必死に叫んだ。なんでもするから助けてくれと。親父もお袋も、大変な取り乱しようでな……アリアはもう限界だった。血を吐いたせいで服が真っ赤に染まって、だんだん温もりが消えて、今にも事切れそうだった……その時だ。あいつが、第二王子がやって来た」


 そして、第二王子は言ったらしい。

『最後の時をベッドで過ごさせてやる。その代わり君たちは国外へ逃げろ』と。


 アリアの死に目に会うことは許されなかった。

 公開処刑が始まる前に逃げなければ、家族もろとも共倒れになる。


「親父もお袋も残ろうとした。俺が連れ出した。俺が……」


 エンシオは顔を両手で覆った。


「俺がアリアを見捨てたんだ。世界一大切な妹を……」


 ミシェルは気軽に聞いてしまったことを後悔していた。

 アリア・ランデリスに繋がる唯一の手がかり。

 旧知の先輩を訪ねて聞けた真実は、あまりにも重い。


「すみません、嫌なことを話させてしまって」

「いや、いい。お前も仕事だからな」

「……うす。あとでノクスの奴をぶん殴っときます」

「はは」


 エンシオは笑った。

 その場の空気がわずかに緩んだ。


「やめてやれ。あいつはもう結婚してる身だろう」

「それはそうすけどね」

「それにしても、偶然だな」


 鼻を啜り、エンシオは笑った。


「ノクスの妻……聖女テレサ・ロッテだったか? 確か、ランデリス領の修道院にも同じ名前のシスターが居たはずだ」

「はい?」

「最も、五年前に病気で亡くなったと聞いたが……名を継ぐ風習でもあるのかな」


 ミシェルは思わず口元を抑えた。


(ーーいや、本当に偶然か?)


 聖女テレサの過去は公爵家でさえも掴めていないと、ノクスから聞いている。

 教会に残っているという記録は、捏造の匂いがするのだと。

 過去のない聖女、死んだシスター、同じ名の聖女……。


 ばらばらの情報()が光陰のごとく繋がり、一本の推測()が生まれた。


「先輩。ちょっと休暇を取る気はありませんか?」

「なんでだ」

「会わせたい人がいるんです」


 テレサ・ロッテとアリア・ランデリスの繋がりはまだ出てこない。

 顔写真も違うし、エンシオとは似ても似つかない。


 情報をつぎはぎにして答えを出しただ。

 馬鹿げた推測だと思う。

 アリアを探している自分が無理やり答えを出そうとしているだけだろう。

 しかし、ただの可能性と切り捨てるには聖女に怪しいところが多すぎる。


 もしもアリア・ランデリスが何らかの手段で生き延びたとして。

 それを隠す必要があって、死んだシスターの名を借りて生きていたら?


「あなたの妹は、生きているかもしれない」





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