第十九話 義母との面会
公爵家の応接室にその女性は座っていた。
華やかな金髪には蝶をあしらった紫色髪飾りが付いている。
(まっっったく似てないわね。この親子)
ノクスをちらりと見たテレサは女性に視線を戻した。
穏やかな顔立ちにくるりとしたアーモンド形の蒼瞳。
二重でぱっちりとした目は惹きつけられるような目力があった。
「あなたが聖女テレサね。お会いしたかったわ」
「公爵夫人にご挨拶申し上げます。テレサ・ロッテと申します」
歳のころは四十後半を超えている、とノクスには聞いた。
けれども、とても四十を超えた女の若々しさではない。
二十代後半と言われても納得してしまうような美しいひとだった。
「これはこれはご丁寧に」
レイチェル・アーカイム公爵夫人。
彼女は『麗しき淑女』と呼ばれる社交界の重鎮だ。
優しげな瞳が、不意に気まずさを帯びて横を向く。
「あなたも……元気そうね」
「……あぁ」
「そう」
親子の再会というに素っ気ない会話だった。
ノクスも必要以上に言葉を発しないようにしている。
互いに目を逸らし、何も話さないまま一分が過ぎた。
じれった空気に痺れを切らしたテレサが口を出す。
「えっと……とりあえず座りましょうか?」
「え、えぇ。そうね」
テレサの前だとニコリと笑みを浮かべる夫人である。
優雅にソファに座った彼女は膝の上に手を置いてテレサを見た。
「それにしても驚いたわ。二人がいきなり結婚するだなんて」
「はい。運命と申しますか……これも神のご意志かと」
「まぁ神だなんて。テレサさんは本当に神様がいると思っているの?」
「もちろんです。身共は神と会ったことがありますから」
「さすがは聖女様。熱心なルナテア教徒なのね」
レイチェル夫人は疑うでもなく頷いた。
「幼い頃から修道女になっていたんでしょう? 慣れないことで大変じゃない?」
「はい。ですが公爵家の方々がサポートをしてくださるので問題ありません」
「そうね。久しぶりに来たらすごく変わっていたんだもの。びっくりしちゃった。あれもテレサさんがやってくれたの?」
テレサが頷くと、レイチェル夫人は嬉しそうに顔を輝かせた。
「やっぱりそうなのね! あぁ、あなたみたいな人が来てくれて本当に嬉しいわ。もちろん教会にとっては損失だろうけど、でも……」
レイチェル夫人はノクスに視線を送った。
「ノクス。テレサさんのような方がお嫁に来てくれてよかったわね」
「あぁ」
「ちゃんと気遣ってあげてる? あなたは不器用なんだから、もっとーー」
「無理に話しかけなくてもいい」
水を打ったようにその場が静まり返った。
和やかになりかけていた空気が一気に氷点下まで冷え切ってしまう。
「公爵家としての義務は果たしただろう。聖女の見極めは済んだか?」
「ノクス。私は別にーー」
「あなたが出て行かないなら、別にいい。俺が出て行く」
レイチェル夫人は何かを言いかけて、結局何も言わなかった。
先ほどの暖かな態度とは違う、諦めたような笑みが口元に浮かぶ。
「そう。仕事で疲れてるのね」
「……」
「無理に来てごめんなさい。明日、ちゃんと帰るから」
「そうして貰いたいものだな」
「……」
黙り込むレイチェルを見てノクスは踵を返した。
「では失礼する」
「旦那様っ!」
テレサが止める間もなく、ノクスは応接室から出て行った。
「恥ずかしいところを見せてごめんなさいね、テレサさん」
レイチェル夫人は自嘲するように言った。
「ノクスのこと、悪く想わないでちょうだい。仕方ないことなのよ」
「身共は別に構いませんが」
テレサは遠慮がちに問いかけた。
「一体、お二人の間に何があったのですか?」
「テレサさんも、アーカイム家に伝わる呪いのことはご存知でしょう?」
「それは、もちろん」
その呪いを治療するためにテレサは契約を結んだのだから。
社交界の華であるレイチェルもテレサの治療のことは聞き及んでいるのだろう。
テレサの言葉に一つ頷いて、彼女は息を整えた。
「あの子が呪いを発症したのは、七歳の頃なの」
「……ずいぶん早いですね」
「そう。元々三十歳を超えて生きることが難しいアーカイム家の中でも、あの子は特別に呪いの発症が早かった……それも、歴代で最も強い呪いよ。私たちはね、恥ずかしながら、持て余したの。あの子の強すぎる呪いに対して、離れに閉じ込めるという手段しか取れなかった」
「……なるほど」
テレサはおおよその事情を察して目を伏せた。
「そういうことですか」
七歳の子供が、実の両親によって閉じ込められる。
その心境たるや、いかほどだろう。
テレサはノクスが独りで離れにいるところを想像した。
孤独。
周囲から恐れられ、避けられ、忌み嫌われても……。
幼いノクスには頼る者すらなく、一人で耐え忍ぶしかなかったのだ。
「実際、呪いが発症してから私があの子と話したのは数えるほどしかないわ」
「声をかけにも行かなかったのですか?」
テレサは咎めるような声音を隠せなかった。
もちろん、離れに閉じ込めるしかなかった事情は分かる。
触れたものを腐らせる呪いなど、そのまま放置してはおけないからだ。
けれども、だからといってまったく会えないかというとそうではないはずで。
「……当時、アーカイム家ではノクスを殺すべきだという意見があったの」
「え?」
「危険すぎる呪いは周囲に危害をおよぼす。この呪いが明るみになれば、アーカイム家そのものが断続の危機に陥る……当時、アーカイムの分家当主はそう考えた。そして、私は分家当主の娘だった」
「それで……意のままに従おうしたのですか?」
「そんなわけないじゃない!」
レイチェルは大きな声で言った。
まなじりに光る粒をためた彼女はゆっくりと首を振る。
「どこに子供を殺そうとする親がいるの」
はぁーー……と息をつき、彼女は続けた。
「当然私は反対したわ。でも夫は……あの人はノクスを殺そうとした。それを止めようとした私は実家に連れ戻され、軟禁されたわ。我が子が殺されるんじゃないかって気が気じゃなかった」
「でも、旦那様は生きてる」
「あの子は剣の天才だった。何人もの暗殺者が追い込まれたけど、返り討ちにされたわ。実の父親すらもね」
ーー実の父親にすら殺されそうになったのか。
テレサはいつも目の下にクマを作った男を脳裏に思い浮かべた。
気軽に聞くべきじゃなかった、と思う。
ノクスの幼少期は想像以上に過酷で、残酷すぎる。
安易な慰めの言葉などかけられないほどに。
「私がようやく公爵家に帰れたのはあの子が閉じ込められて五年が経った時だった」
「……五年も」
「今でも思い出すわ。あの子の、あの時の目を」
すべてに憎まれ、すべてを恨み、親に殺されかけた子供の目。
夜色の目はこの世のすべてを憎悪していた。
「怖くなった」
「……」
「あの子に拒絶されるのが怖くなった。今さら、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。離れに閉じ込めて五年も音沙汰なかった女が、今さら母親面なんて出来ると思う?」
レイチェルは自嘲するように笑った。
年齢に不釣り合いな容姿の彼女が見せる、それは年相応の笑みだった。
苦労を眉間に刻んで、子供を想うただの母親の笑みだった。
「だからね、あなたが嫁いできてくれて嬉しいの。あなたがあの子の呪いを解いてあげられると聞いて、私がどれだけ喜んだか分かる? ようやく、あの子にも幸せが来たんだって……嬉しくて、油断しちゃった。あの子は私の顔なんて、見たくもないのに」
テレサは唇を開いた。
「このこと、旦那様は知っているのですか?」
「いいえ。知らないはずよ」
「だったらーー」
「言えっていうの? 私は父親の命令に従っておめおめ軟禁された母親で、お前の父はお前を殺すほど憎んでいたのだと」
その気になれば脱走出来たのに、レイチェルはそうしなかった。
自分が躍起になって反対すればするほどノクスへの攻撃が苛烈になっていたから。
(まぁ、それだけじゃないでしょうけど)
彼女もまた、恐れてしまったのだ。
熟練の暗殺者すら跳ね除け、周囲に呪いを振り撒くノクスを。
最愛の息子に拒絶され、自分が傷つくことを恐れたのだ。
「それでも身共は」
テレサは言った。
顔を上げたレイチェルと目が合う。
「身共は、仲直りをすべきだと思います」
「……テレサさんは優しいのね」
レイチェルはまなじりを指で拭った。
「変ね。こんな話をするつもりじゃなかったのだけど」
レイチェルは苦笑した。
「でも、あなたの前だと何というか……話を聞いてもらいたくなっちゃう。これも聖女であるが所以なのかしら?」
「お話ならいくらでも聞きますよ。お二人には仲直りしてほしいので」
「……あの子は、私の顔なんて見たくないと想うけど」
「身共はそうは思いません」
たとえ本人の自覚があろうとなかろうと、子はどこかで親の承認を求めているものだ。ノクスも冷たい態度を取ってはいるが、わざわざ母親に会うあたり、そこまで根は深くないのだと思っている。
「テレサさんは優しいわね」
レイチェルはきつく目を閉じ、開いた。
悲壮感を消した彼女は温かい眼差しでテレサを見つめる。
「あなたには感謝してる。本当にありがとう」
「お礼を言われるようなことは……」
「ノクスの呪いを治療してあげてるんでしょう?」
「……まぁ、はい。大したことではありませんが」
「アーカイム家が代々治療できなかった呪いよ。それが大したものじゃくて何なのですか」
レイチェルのカップにエマがお茶のおかわりを注ぐ。
「屋敷の雰囲気も変わっていたし」
エマを見たレイチェルは羨ましそうに呟いた。
「ほら、侍女の髪まで……これは社交界が変わる革命よ?」
「大げさですよ」
「大げさじゃありません。まったく、少しは自覚を持ってもらわないと」
「ところで、この聖水を売り込む気はない? 何なら私の商会で取り扱わせてほしいのだけど」
「商売をする気はありません」
テレサは微笑んだ。
「身共は悪女で、聖女ですから」
(どうにかこの二人を仲直りさせられないかしら)
他愛もない話を続けながらテレサはずっとそのことを考えていた。




