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第一話 聖女のお仕事

 



 一年前。


 雑然とした医務室にツンとした薬品の匂いが立ち込めていた。

 末期患者を収容するこの施設は日ごとに住人が入れ替わることも珍しくない。

 今日もまた一人の患者が永遠にこの部屋を去ろうとしていた。


「う、うぅう……」

「大丈夫。アルフレッド。もうすぐ、もうすぐ聖女様がいらっしゃるから……!」


 ベッドの上に寝かされた男には腕がなかった。

 無残にも食いちぎられた腕から血管が露出し、滝のように血が流れている。

 鉄の匂いをまきちらす男は生気が徐々に消失していく。


 そこに──


「お待たせしました」

「聖女テレサ!」


 死を待つ男の下に現れたのは天使だ。

 いや違う。天使にも似た雪色の美女だった。


 ヴェールで顔を覆う肢体は白魚のように細く、手のひらにはあかぎれの跡がある。惨たらしい男を見た空色の瞳が優しく細められる。白い聖衣が血で濡れることも構わず、テレサは男の足元に跪いた。


「頑張りましたね」

「ぁ、ああ。聖女様……」

「もう大丈夫ですよ」


 テレサはにこりと微笑む。

 優しく男のちぎれた腕を持ち上げると、言った。


「《神の祝福があらんことを》」


 聖女テレサの足元に神聖な魔法陣が煌めいた。

 部屋を埋め尽くす燐光。その光は男の腕に集まっていく。

 ぎゅぉおおお、とちぎれた腕が生えた。


「おぉ……おぉおお」

「はい、治療完了です。動かせますか?」


 男が手のひらを握っては開いて、握っては開いた。

 問題なく動くことを確認した男の目から感極まった涙がこぼれる。


「うごく……うごきます。ありがとう、ありがとうございます。聖女様……」

「敬虔な祈りが通じたおかげです」


 テレサは立ち上がった。


「これからも主があなたを導くでしょう。それではお大事に」

「ありがとうございました! 聖女様!」


 テレサは振り返って笑った。


「どういたしまして。お大事にしてくださいね」

「はい! あぁ、なんて心の清らかな方なんだ……天使すぎる……」

「あの方は神が与えてくださった奇跡そのものだ!」


 信徒たちが騒ぐ声を聞きながらテレサはその場を後にする。

 神殿の廊下は司祭やシスターたちが絶えず行き交っており、テレサを見た誰もが軽く頭を下げ、両手を合わせて祈りを捧げていた。そのすべてに微笑みを絶やさないテレサに、御付きの司祭は後ろから言った。


「聖女様。次の予定ですが……」

「貴族議会員のマクファーレン男爵様、次に商業ギルド会長様、次に黒の騎士団の屯所、次にサンセット通りの教会支部でしょう?」

「その通りでございます。さすがですね」

「神の祝福を待つ方々ですもの。一刻も早く治療しませんと」

「どこまでもお供します、聖女様」

「はい。これからもよろしくお願いしますね、マッシュ」


 あ、その前に着替えないといけませんね。とテレサはお茶目に笑う。

 教会の上層部によって分刻みの予定を詰められているのに、彼女は笑顔を絶やさない。


 疲れた様子も見せず、小言すら見せない在り方にマッシュは感動したようだった。やはりこの方は聖女なのだ……そんな呟きが聞こえたがテレサは触れなかった。渡りを廊下を歩き、神殿の聖堂に行こうとすると、


「聖女様っ! どうかお目通りを!!」


 血相を変えた騎士が、後ろから羽交い絞めする司祭たちを引きずって叫んでいた。廊下の向こうから響いた声にテレサは振り返る。


「あの方は……?」

「困ります! 聖女様はいま公務中ですから……!」

「隊長が死にそうなんです! お願いします助けてください!」

「申し訳ありませんが次は貴族の方が……」

「こっちだって貴族だ馬鹿野郎が!」


 聖女の仕事を決めている教会の優先順位は寄進の多寡で決まる。

 隣にいるマッシュが渋い顔をしているあたり、おそらく騎士の『隊長』とやらは寄進が少ないほうなのだろう。「聖女様、行きましょう」と促してくる若手司祭を横目にテレサはため息をついた。


(腐ってやがるわね。どこもかしこも)


 貴族も教会も同じだ、とテレサは思う。

 確か次のマクファーレン男爵とやらはぎっくり腰の治療、だったか。

 医者で治せる程度の怪我なら聖女なんて必要ないだろうに。


「分かりました。行きましょう」

「聖女様!?」

「救いはすべてに等しくあるべきです。あちらのほうが明らかに緊急性の高い上に次の優先度は低い──となれば、神に仕える身共(みども)が救いを与えるべきは必然と決まってきます」

「それでは教会への寄進が」

「寄進? 何のことでしょうか?」

「あ、いや……」


 聖女テレサは何も知らずに神に仕えている凡愚である。

 そう思っていいように使っている司祭にテレサは素知らぬ顔で首を傾げた。


「まさかマッシュ。神に仕える司祭ともあろうものが、俗世の欲に染まり切っているのではありませんよね?」

「そうではありませんが……」

「であれば、身共は参りましょう。命より尊いものはないのですから」


 テレサは騎士を取り押さえていた司祭に離れるように命じた。

 騎士の前に立ち、微笑む。


「さぁ案内してください。身共が救うべきお方はどなたですか?」

「聖女様……感謝します。こちらです。竜車でついて来てもらえますか」

「分かりました」


 騎士についていこうとすると、後ろでマッシュが叫んだ。


「聖女様! このことは教皇様方に報告させていただきますからね!」

「どうぞ、ご随意になさってください。身共は恥ずべきことはしておりません」


 どこまでもお供します、と言ったのはどの口だろうか。

 マッシュは先ほどとは別人のような顔でテレサを睨むと、踵を返すのだった。


(ふん。お前たちの道具になんてなってやるものですか)


 聖女様には秘密がある。

 聖女テレサは教会の下で神の祝福を与える修道女である。


 けれど聖女様は、教会が嫌いだった。




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