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第十六話 疑念と変化

 


 心臓が嫌な音を響かせていた。

 額から冷や汗が流れる。表情筋が硬直して視界が狭くなる。

 まさかこんなところに、自分を探している人がいるなんて……。


「これはまた……懐かしい名を聞きました」


 テレサはくちびるを湿らせて言った。


「なぜ彼女のことを? 旦那様に何か関係がありましたか?」

「当時、上から圧力がかかってな。捜査が不自然に打ち切られたんだ」

「へぇ……五年前から騎士団にいたんですね。知りませんでした」


 アリアは雨色の目から光を消して問いかけた。


「それにしても、どうして今さら彼女のことを? 五年も前の事件ですよね?」

「まだ解決していない事件だからだ。アリアが捕まっていない」


 アリア・ランデリスは国際指名手配犯だ。

 領民百人を虐殺した彼女の悪行は世界中に轟いている。


「……巷ではアリア・ランデリスは賊に襲われて死んだと言われていますが」

「俺はそうは思わない」


 ノクスは即座に否定した。


「アリア・ランデリスは茨魔法の使い手だ。自領の騎士団にもたびたび出入りしていて、彼女に負かされた騎士は多いと聞く。そんな彼女がそこらの賊に負けるとは考えにくい……まぁ、何事にも例外はあるが」

「旦那様は、アリアが生きていると?」

「確信はないがな」


 食事を終えたノクスが口元を拭いて頷いた。


「必ず捜し出す。それが公爵位を授かった俺の義務だ」

「捜して、どうされるのですか?」

「……決まっているだろう?」


 ニィ、とノクスが嗤う。

 テレサは震撼した。


(この男……殺る気だわ……! 殺意を感じるわ……!)


 ただでさえ女嫌いのノクスがアリアに温情をかけるはずがない。

 騎士団が不自然に調査を打ち切った怪しい女。

 その正体を探るべく、どんなことだってやるに決まっている。


(やっぱり、絶対にバレるわけにはいかない!)


「さすがは旦那様。職業意識の塊ですね」

「別に」


 また胡散臭いものを見るような目になった。

 この人は演技を見抜く魔眼でも持っているのだろうか。


「ところで、調査の進展のほうは──」

「なぜそんなことを知りたがる?」


 夜色の瞳に見つめられ、テレサはギクッとした。


(踏み込み過ぎた)


 胸に手を当て、悲壮感を漂わせながら俯く。


「それはもちろん、心を痛めているからです」


 大丈夫だ。バレることはない。

 テレサは名を変えて五年も生き延びた悪女である。

 嘘も建前も真実も、飴と鞭のように使い分けて生きて来た。


「先ほど旦那様は上の圧力で捜査が打ち切りになったと言いました。つまりそれは、真実を隠そうとする動きが国の上層部で起きたということ。身共は心が痛いです。そのような者達が未だに不真実の中に身を隠し、のうのうと息を潜めていること──それは神への冒涜に他なりません」

「……」


 ノクスは数秒、こちらを見ていたが──


「そうだな。その通りだ」

「えぇ、そうです」


 諦めたように息を突いたノクスにテレサは微笑んだ。


「さぁ旦那様、人生は短いです。時間を無駄にせずいってらっしゃいませ。玄関まで見送りましょう」


 食事を共にとっているテレサが見送らなければ使用人たちに夫婦仲を怪しまれる。心なしか微笑ましそうな使用人たちに見守られながらテレサはほがらかに笑う。


「お仕事気を付けてくださいね。あまり魔獣と戦わないように」

「分かってる」

「あなた一人戦っていても後進が育たないんですからね」

「あぁ」


 ノクスはためらうように間を置いてから言った。


「お前も、何かあればイェンツォを頼れ。もしもの時は飛んでいく」


 テレサは驚いた。


(この人って、人を心配出来たのね。どういう風の吹き回しかしら)


 夜色の瞳は相変わらず何を考えているか分からない。

 テレサは微笑みを浮かべながら肩を竦めた。


「ここにいて『もしも』の時がありますか?」

「暗殺者がどこに潜んでいるか分からんだろう」

「王族じゃないんですから」


 テレサは苦笑し、


「とにかく家のことはお任せください。身共は旦那様がいらっしゃらなくても全然平気ですから!」


 ノクスが真顔になった。

 テレサは首を傾げる。


「旦那さま? いかがされました?」

「いや」


 心なしかむすっとした様子でノクスは踵を返した。


「何でもない。行ってくる」

「はい。いってらっしゃいませ」

「あぁ、そうだ」


 扉に手をかけたままくるりと振り返り、


「来週、公爵家の親族を集めた夜会が開かれる」

「はい?」

「服飾職人とデザイナーを呼んでおいた。自分のドレスは自分で見繕うように」

(すごい早口……)


 バタン、と扉を閉めたノクスにテレサは呆然となる。

 初日には妻の服なんて気にすることもなかった男があんなことを言うなんて。

 ……って。


「来週ってもうすぐじゃないですか! 身共は何も準備していませんよ!?」

(なんでこんな急に言うのよ! もっと早く準備出来たのに!)


 人知れず憤慨していると、笑い声が聞こえた。

 歴戦の執事であるイェンツォだ。

 元傭兵じみた体格の彼は慌てるテレサに言った。


「大丈夫です、奥様。我々が準備していますから」

「公爵城で開かれるんですよね?」

「さようでございます」

(城で開かれる夜会に妻を関わらせない夫……)


 テレサの物言いたげな目に気付いたのかイェンツォは咳払いした。


「準備を始めたのは奥様がここへ来られる前のことですから……」

「いつでも言えましたよね」

「まぁ、それはそうです」


 イェンツォは「旦那様が悪い」と同意してから、


「ですが、最近の旦那様は変わってきています。以前までの旦那様なら前日にお伝えしていたでしょう」

(うわぁ、ありそう……)


 イェンツォは深くお辞儀した。


「奥様に感謝を。旦那様が抱えた痛みを和らげてくださった」

「呪いのことですか? あれは身共じゃなくても治せましたよ」

「いいえ、奥様でなければ旦那様は痛みを抱えたままでした」


 イェンツォの眼差しには敬愛があった。


「あなたが救ってくれたのは、旦那様の心です」

「……身共は何かしましたっけ?」


 治療したことに恩を感じてくれているなら儲けものではある。

 ただ、イェンツォが言っている『心を救った』というのは大げさではないだろうか。


「それが分からないことが聖女様の聖女様たる所以かもしれませんね」


 そう、イェンツォは微笑んだ。



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