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第十五話 ふれあいと危機

 


 カチャ、カチャ、カタン……。

 朝焼けの光が差し込む食堂に食器を動かす音が静かに響く。

 香ばしい湯気は食欲をさそい、今にもお腹が鳴ってしまいそうだ。

 季節の野菜を使った色とりどりの料理に目移りして、どれから食べたらいいか迷ってしまうのに──


「……」

「……」


 今のテレサは料理どころではなかった。

 いたたまれない空気に泣きたかった。


(き、気まずい……! さっきから無言だわ!)


 テレサのフォークを持つ手は震えていた。

 朝起きて食堂に呼び出されたはいいが、ノクスはずっと無言である。

 おろおろしている間に席に座らされ、メイドたちが食事を運んでくる始末だ。


 ──あぁ、もう。埒が明かない!


「あの……」


 テレサは意を決して問いかけた。


「公爵様。なぜ一緒に食事を?」


 ノクスとは初日以来顔を合わせることがなかった。

 この公爵家に来てからというもの、テレサはノクスと食事をしたことがない。

 これまでも、これからもそういうものだと思っていたのに。


「……」


 かちゃり、とノクスはフォークを置いた。


「監視のためだ」

「はぁ。監視でございますか」

「先日の……聖水といったか。あんなものをぽんぽん出されては困るからな」


 何がお気に召さないのかノクスはテレサを睨んでいる。

 まるでよくいたずらを起こす子供を見る父親のような目だ。

 一体なんだというのか。


「心外です。身共は身共の為すべきことをしたまでです」

「メイドたちをあんなに磨き上げてどうする」

「メイドの格は主人の格。つまりメイドたちを引き上げることは身共の義務です」

「「「奥様……!」」」


 すっかりテレサに心酔しているメイドたちである。

 ともすればノクスよりもテレサに仕えていると言ってもいいだろう。

 これでもう、テレサは誰に虐められることもなく、一年を過ごせる。

 確実に、やり遂げられる。


「貴族には貴族の事情がある」


 ノクスはフォークを置いた。


「今後、何かをする時は報告連絡相談(ホウレンソウ)を忘れないように」

「ほうれん草を持ち歩くんですか? 貴族様って変わっているんですね」

「それは野菜のほうれん草だ」

「身共はほうれん草が嫌いです。苦いです」

「聖女に好き嫌いがあるとは驚きだ……いや違う。そうじゃない」


 ノクスは深く長い息をついて首を振った。


「もういい。食べ終わったら治療を頼む」

「かしこまりました」


 朝食後、テレサたちはノクスの私室に場所を移した。


「では服を脱いで背中を向けてください」


 ノクスは言われた通りにした。


(相変わらず、痛々しいわね)


 黒に近い紫色に変色した毒々しい肌。

 背中の刃傷は数知れず、筋肉質な身体が痛々しい。


「では、始めます」

「頼む」


 テレサは息を吸い、聖なる力を手に纏わせた。

 ノクスの背中に触れる。

 その瞬間、微量の瘴気が黒いオーラとなって噴き出してきた。


(前も思ったけど、これだけの瘴気を溜めこむのに、一体どれほどの……)


 テレサは余計な考えを振り払い、意識を集中させた。

 大事なのは円環。瘴気を空気に溶け込ませること。

 濃厚な瘴気は人体に害をもたらすが、ごく微量の瘴気は毒にも薬にもならない。

 ノルドが纏う瘴気をテレサの魔力を通じて世界の魔力(マナ)に溶け込ませ、自然に還す。絶えず浄化の聖術を使いながら焼けただれる手を再生し、魔力を操作する難しい治療だ。


(やっぱり一年くらい時間をかけないと無理ね)


 ノクスを治す前にこちらの身体が持たないだろう、と判断。

 テレサは表層的な瘴気を和らげて、今日の治療を終えることにした。


「はい、今日は終わりです」


 治療時間にして五分にも満たない。

 白光を送り込むのを止めたテレサはノクスの背中を叩いてみた。


「身体の調子はどうですか?」


 ノクスは手のひらを眺めて頷いた。


「……痛みが消えた。やはりお前の力だったのか」

「信じてなかったんですか」


 テレサは呆れたように言った。

 治療のために契約結婚を申し込んだのになんて言い草か。


「信じていないわけではなかったが……改めて目にするとな」

「そうですか」


 テレサはため息を吐き、机にあった銀のスプーンを差し出した。


「これに素手で触れてみてください」


 ノクスはおそるおそる、スプーンに触れる。

 彼には人の身体を腐らせる恐ろしい力があったが──


「ぁ」


 今はもう、腐らない。


「こんな感触をしていたのか……ずいぶん、久しぶりな気がする」


 感動したように銀器をもてあそぶノクスにテレサは微笑んだ。


「まだ完全には治っていません。この症状改善は一時的なもので、放置していればまたぶり返すでしょう。ですが時間をかけてしっかり瘴気を取り除けば、いずれ肌の色も改善されますし、物に触れただけで腐らせるようなこともなくなるかと思います」

「……人間に触れても平気なのか」

「もちろん。触ってみますか? あ、その前に上着を羽織ってください」

「なぜだ」

「目の毒だからです」


 ノクスは上着を羽織り、テレサに向き直った。

 にっこりと手を差し出すと、彼はおそるおそる震える手でテレサに触れる。


 彼の手はひんやりとしていて冷たい。

 けれども、じんわりと染み込んでくる温もりは彼が人であることの証左だ。


「お前は……」


 ノクスはゆっくりと口を開いた。


「怖くないのか、手が、腐るとは思わないのか」

「身共は自分の治療に自信を持っています。怖くも、腐るとも思っていません」

「この呪いを前にそんなことが言えるとはな……さすがは聖女か」


 何かを考え込むノクスにテレサは続けた。


「あなたはこれを呪いだと言いますが、わたしはそうは思いません」


 テレサの言葉にハッと顔を上げるノクス。


「これは勲章ですよ。あなたの強さの」


 ノクスを治療している時、テレサの胸中に湧き上がったのは驚嘆と畏敬だ。


 身体の芯まで染み入るほどの夥しい瘴気。

 一体どれほど魔獣を狩れば、これほどに瘴気を蓄積できるのか。

 どれほど強ければここまで生き延びられるのか。


 身体に激痛を覚えながら、平気な顔で立つ気力と胆力。

 周りに恐れられながら、それでも魔獣を狩り続ける職務意識。

 人知れず地界を守り続ける彼を、一体誰が褒めてあげたのだろう。


「あなたはこの勲章をもっと誇っていいと思います」

「……勲章」


 ノクスは噛みしめるように呟いた。 


「他人を傷つける……人と関りを持てなくなることが、勲章だというのか」

「関りを持ちたいのですか?」

「……」


 今、分かった。

 分かってしまった。


 彼は他人を傷つけまいとしていたのだ。

 テレサに近付くなと言ったのも、触るなと言ったのも。

 自分に触れれば傷つけてしまうから、自ら拒絶したのだろう。


「旦那様は優しいですね」

「……っ」


 バっ、とノクスは飛び退いた。

 目が逸らされる。口元に手の甲を当てた彼の耳は真っ赤だ。


「俺が優しい? お前の目は腐っているようだな」

「身共の目は腐っていませんが」

「甘い言葉で俺を篭絡しようとしてもそうはいかん」


 ノクスは自分に言い聞かせるように言った。


「今後は朝食と夕食は一緒に取る。お前がおかしな真似をしないか監視する」

「え? いや治療は続けますが食事は別に」

「これは当主命令だ。異論は認めない」


 ノクスは食堂から去り際、振り返った。


「見ているからな」


 ──バタン。


 独りになったテレサは呆然と呟き、


「つまりこれからずっと一緒に食事をとるってこと……?」


 別に彼を治療をするのは構わない。

 元よりそれは自分が望んだことだ。

 高貴なる者には大いなる義務を。

 病人や怪我人を放置するのはテレサの矜持に反する。


 だが、テレサの正体は悪女だ。

 医者と患者だけならまだしも、彼とは契約結婚。

 出来るだけ距離を取ろうとしていたのに……


(なんか、計画が狂っているような……?)


 疑問に思うテレサの隣で、傍に居たエマとイェンツォがくすくすと笑うのだった。





 ◆◇◆◇





 ノクスの病状が発覚してからというもの。

 テレサとノクスは共に食事をとるようになった。

 最初こそ互いに何も喋らなかったが、最近では変化も出てきている。


「今日は変わりはなかったか」

「はい。屋敷の皆さんに良くしてもらっているので」

「そうか」


 このように、毎日調子を聞いてくるようになったのだ。

 今日は何をする予定なのか、どこへ出かけるのか、何か作るのか。

 今朝も同じような質問がきてテレサはお腹いっぱいである。


「旦那様のほうこそ、今日はどういったお仕事を?」

「いつもと変わらない。騎士団の雑務、訓練、領地の決済……それから捜索だな」

「捜索?」

「あぁ。聖女のお前も名前くらい聞いたことがあるだろう」


 夜色の瞳が剣呑な光を帯びる。

 テレサは嫌な予感がしたが、その予感に従う前にノクスは言ったのだ。


「アリア・ランデリスを探している」


 ドクン、と心臓が脈を打つ。

 テレサは動揺をおさえて、


「今。なんと?」

「アリア・ランデリス。五年前、領民百人を火炙りにした悪女だ」




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