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第十三話 変化の始まり

 


 ──ノクスが帰宅するより遡ること八時間前。


「この絵画はあっちの応接室へ移してくれますか? それからここの魔石灯も変えましょう? なんだか寒々しいと思います。それとあっちの壺は……」


 朝食を終えたテレサはノクスの妻としての立場を利用して模様替えにいそしんでいた。ノクスは気にしていないようだが、今の公爵家は寒々しすぎる。こんな居るだけで陰鬱になりそうな場所にいたら気が滅入って、聖女云々どころではなくなってしまう。


 幸いにも使用人たちは模様替えに乗り気で、楽しそうに作業をしてくれている。


(旦那様にバレた時が恐ろしいけど)


 念のためにイェンツォという執事に許可を取ったから、ノクスも許してくれるだろう。そもそも、あの血なまぐさい男が家の模様替え程度に心を動かされるかは疑問だが。


「旦那様はどう思われるでしょうか」


 使用人たちに聞いてみると、彼女たちは顔を見合わせて言った。


「あんまり気にされないような気がします……」

「家のことに興味を持たれない方ですから」

「そうですよねぇ……怖い顔をして『どうでもいい』って言いそうですよね」


 エマが噴き出した。


「ぶふッ、奥様、声真似やめてください。ちょっと似てます……!」

「うふふ。そうですか?」


 使用人たちと和気あいあいとしながら模様替えを済ませていく。

 みんなで一緒に食事をとり、休憩をはさんで作業を続行。

 公爵夫人なんてなりたくなかったけど、この時間は少し楽しいとテレサは思った。


(ふぅ。かなり作業が進んだわね)


 もう窓の外はすっかり夕方で、夜が近づいていた。

 そろそろ作業を終わらせて使用人たちを解放しよう。

 テレサがそう考えていると──


「奥様、大変です!」


 血相を変えたエマが私室に飛び込んできた。

 テレサは目をぱちぱちと瞬かせる。


「エマ? どうかしたしました?」

「旦那様が帰ってきました!」

「えぇ……もう?」


 遠征に行ったノクスとは初めて出会った日から一度も顔を合わせていない。

 彼の治療をする約束は果せていないままだ。


「奥様、お出迎えに……」

「そうですね」


 テレサはメイドたちに呼びかける。


「みんな、作業は中断して、旦那様を迎えに行きましょう」


 大階段を下りてメイドたちがノクスのための花道を作る。

 テレサは自分の斜め後ろに控えるイェンツォに問いかけた。


「今日はどうして早くなったんですか?」

「仕事のしすぎで部下に帰らされたようです。たまにあります」

「たまにあるんですね……?」


 仕事中毒、ということだろうか。

 テレサにも覚えがあるものの、帰ってくるなら先に連絡すればいいのにと少し思う。そもそも遠征帰りに詰め所で仕事をする必要があるのだろうか。


 重厚な音を立てて玄関が開き、黒い男が現れる。

 メイドたちが一斉にお辞儀した。


『おかえりなさいませ、旦那様』

「──は?」


 ノクスは立ち尽くしている。

 シャンデリアの魔石灯をみて、左右を見て、大階段を見て。


「なんだこれは……」


 最後にテレサを見たノクスは眉を顰めて言った。


「これはお前が?」

「おかえりなさいませ、旦那様」

「これはお前がやったのかと聞いている」

(ただいまの挨拶くらい返しなさいよ……!)


 偽装妻とはいえ、いい加減に腹が立ってきた。

 かりそめとはいえ挨拶も出来ない男を旦那なんて呼びたくはない。

 テレサはにこりと笑ってカーテシーした。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「おい」

「おかえりなさいませ、旦那様」


 ノクスは眉間の皺を深くして言った。


「俺は聞いているんだが」

「おかえりなさいませ、挨拶も出来ない旦那様」


 目が笑っていない笑顔のテレサにノクスは気圧された。


「………………………………ただいま」

「はい。お疲れさまでした」

「これはお前がやったのか?」

「えぇ。家のことは自由にしてよろしいのでしょう? もちろん領地の運営に関することは何も手を付けていませんわ」

「なぜ?」

「なぜと言われましても」


 テレサは首を傾げた。


「こちらのほうが明るくて気持ちがいいでしょう?」


 テレサは自分がお飾りの妻という自覚がある。

 ノクスから妻として求められることはなく、ただ生きていることが仕事のようなものだ。

 けれども、そんな状態だからこそ住んでいる家の雰囲気は明るいほうがいい。

 あと一年しか時間は残されていないけれど、一年も我慢するなんて耐えられない。


(家のことを放置してるあんたに文句なんて言われたくないわよ!)


 子猫を守る親猫のような気持ちで警戒心を強めるテレサ。

 ノクスはぐるりと周りを見渡し、感情を窺わせない息をついた。


「……家具を変えるだけでずいぶん変わるものだな」

「そうでしょう?」


 テレサは微笑んだ。

 なんとなくだが、悪い感触ではない気がする。


「ほら、ご覧になって。こちらの花瓶なんて──」


 テレサがノクスの腕を引いて花瓶を指差そうとした時だった。


「俺に触るなっ!」

「え?」


 勢いよく腕を振り払われ、テレサは驚いて尻もちをついてしまった。


「……ぁ」


 ノクスが「しまった」と言いたげに口を開ける。

 手を伸ばして、やはり引っ込めて、彼は目を逸らした。


「奥様っ」


 心配したエマが駆けつけてくる。

 テレサは「大丈夫よ」と微笑んで立ち上がった。


「失礼いたしました。無礼をお許しください」

「…………いや。呪いのことがあるから……」


 ノクスは申し訳なさそうに顔を背けている。

 手袋をしているから問題ないかと思ったが、人に触れられることにトラウマでもあるのだろうか。


 なんだかムカついた。

 お飾りの妻として仲良しアピールをしようとした気持ちを返して欲しかった。


(ふん。この程度で私が負けるとは思わないことね!)


 構わず、ノクスの手に触れた。


「おい」


 今度は振り払われなかった。

 ノクスは戸惑ったように瞳を揺らしている。


「身共は平気ですよ。何せ聖女ですから」

「……」

「だから、身共の前では力を抜いてもいいんです」

「…………悪かった。だが触れるな。危ないから」


 ノクスはやんわりとテレサの手を離す。


「今日は疲れたから、もう休む」

「あ、でも治療は」

「今日は必要ない」


 ノクスはテレサの手を振り払って去って行く。


(ずいぶん疲れてるのね。今日はそっとしておこうかしら)


 なんてことを思っていたテレサだが──

 その姿は傍から見れば、夫に歩み寄ろうとして拒絶された妻そのものだ。


「奥様……」


 エマを始めとしたメイドたちが顔を見合わせ、頷き合っていたことに。

 メイドたちの心をつかんでしまったがゆえに起こる弊害を、彼女は知る由もなかった。




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