第十二話 ノクスの憂鬱
──王都、ルナテリス。
石造りの堅牢な建物には通りまで掛け声が響く騎士団の詰め所があった。
修練場が併設された詰所の事務所には、鬼も逃げ出す恐怖の怪物が住んでいる。
玄関から入ると、ロビーがあり、カウンターの奥で騎士たちが事務仕事をしている。普段なら年頃の女性事務員が迎えてくれる、独身男性曰く『お得』な場所であるのだが。
「すいません、隣の住民とトラブルになって……」
「トラブルだと?」
「ひっ」
──運が悪い時には、騎士団に住む怪物に食べられてしまう。
住民の間でまことしやかに囁かれる噂を、訪れた男性は体感したようだ。ぬぅ、とカウンターの奥から立ち上がってやってくる怪物から後退り、がたがたと震え始める。
「場所と名前を言え。それからトラブルの内容と経緯を──」
「な、なんでもありませんっ!! 失礼しました~~~!」
「……」
怪物の威容に恐れをなした男性が脱兎のごとく逃げていく。
カウンターの奥から紙を取り出していた怪物──ノクスは立ち尽くす。
「ぎゃーっははははは! 逃げられてやんの、ぎゃははははは!」
そんなノクスを腹を抱えて笑うのは、彼の幼馴染であるミシェルだ。
金髪で見目が整った顔立ちなのだが女性問題のせいで出世できない軟派野郎である。
「だーからお前がそこに立つなって散々言われてるだろうが! びびって逃げ出すんだよ馬鹿!」
「……いつものように捕まえておけ」
「もう誰か行ってるだろ。ったく」
苦情も多い騎士団のカウンターは誰もやりたがらない。
だからこそノクス自ら立っているのに、ノクスがカウンターに立つと住民たちは逃げ出す始末だ。面倒な、と吐き捨てたノクスはすごすごと執務室に戻り、書類にサインを始める。ミシェルが執務机に腰を乗せ、からかうように言った。
「つーかお前、もう帰らなくていいのかよ。仮にも新婚だろ」
ノクスは第一特殊部隊隊長の身分を持つ。
本来なら遠征帰りの事務仕事は彼の領分ではなく、定時はとっくに過ぎている。
「構わない。互いの職務には口を出さない契約だ」
「カー! 聖女様も可哀そうだねぇ、まったく。お前みたいなのに嫁ぐなんてよ」
「聖女にも利益があることだ。お互い、愛し合っているわけでもない。気遣いは不要だ」
「わぁってるよバーカ。つーかこんなとこでそんな話すんじゃねぇ」
「貴様が聞いて来たんだろう」
「わぁってるよバーカ!」
舌打ちしたミシェルが目を逸らした。
「教会嫌いのお前が聖女と結婚なんてなぁ、問い詰めたら契約結婚だ。聖女も聖女だぜ。なんだってお前みたいなのを選んだんだか」
ミシェルは葉巻に火をつけて煙を吐き出した。
ノクスは顔を顰めた。
「詰所内は禁煙だぞ」
「ちっとくれーいいだろ」
ノクスは手元に置いてあったカップの水をぶちまける。
突然濡れ鼠となったミシェルは額に青筋を浮かべた。
「てめーなにしやがる!」
「禁煙だと言っただろう。消火活動をして何が悪い」
「だからってやることなすこと極端なんだよテメーは! えらそーに!」
「実際、公爵だからな。敬うがいい」
「くそ腹立つ……! テメーも帰れ! 上司が帰らねぇと部下が帰れねぇから!」
「貴様が定時に帰りたいだけだろう」
「いや別に。俺はテメーが帰らなくても帰るが?」
新人のためだよ、とぼやくミシェルは意外と面倒見がいい。
とはいえ、
「今月になってもう二件だ」
「アリアの事件か? もう現場検証は終わってんだろ」
「だとしても、調べることは山ほどある」
ノクスが調べているのは、王都を賑わせている貴族の不祥事事件だ。ここ最近、貴族たちが居る場でなぜか不正の証拠が露見し、不正に関わる者達が騎士団に出頭する。そして不正を犯した当人は後日、必ず謎の不審死を遂げていた。
その場に残されていた証拠は一つ。
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貴様らの罪は残らず告発する。
──アリア・ランデリスより
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「被害に遭った貴族たちに同情の余地はないが、奴らがアリア事件に関わっていることは明らかだ。いまここで調べなければ……」
「その調査も行き詰って、今はお手上げの状態だろ。俺が出張して答えを出してくるから、それまで待ってろって。お前、働きすぎだから」
「……」
二人はしばし睨み合い、ノクスは仕方なく立ち上がった。
「分かった。今日はもう帰る」
「おー、そうしろ」
あぁそうだ、とミシェルは思い出したように言った。
「俺は来週から出張でいねぇんだから、問題起こすなよ」
「俺がいつも問題を起こしているように聞こえる」
「さっき起こしてただろうが!」
「だとしても、責任を取るのは俺だから問題ないな」
「関係各所に走り回されるのはこっちなんだよ……お、アイダちゃーん。ちょうどいいところに来た。今ノクスがさー」
ミシェルは休憩から戻って来た女性事務員たちと戯れ始める。
ノクスは外套を羽織り、竜車に乗って公爵城への帰路についた。
(……家、か)
夕暮れを眺めながら、ノクスは眉根を寄せてため息をついた。
彼にとって家とは、あまり近付きたくない場所だった。
公爵令息として背負う重圧、暴力的な父親と殺意が染みついた嫌な場所。
廊下は寒々しく、無駄に豪華で品のある調度品や温もりを感じない無数の部屋……どれだけ豪華であろうと、金をかけていようと、何を食べても味のしない食事。
まだしも騎士団にいるほうがマシだと思える。
(だが治療の件もある。頻度は考え直したほうがいい、か?)
聖女からどの程度の頻度で治療をすればいいのか聞いていない。
今回は遠征で二日ほど空けたが、それは治療に影響するのか。
出来るだけ早く治したい。帰ったらそこを詰めておこう。
つらつらと考えながらノクスは公爵家の屋敷に帰還する。
玄関から入ると、左右に居並んだ使用人たちが一斉に頭を下げた。
『おかえりなさいませ、旦那様』
ノクスは立ち尽くした。
「──は?」
大階段の横には花瓶が飾られ、青白い魔石灯の色が温かみのある夕陽色に変わっている。無駄に豪華だった絵画は取り外され、赤い絨毯が大階段までまっすぐ伸びていた。
「なんだこれは……」
公爵邸の内装は、様変わりしていた。




