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第九話 聖女様の企み

 

 公爵家の食堂はがらんとしていた。

 床には赤い絨毯が敷かれ、長机が中央に置かれている。

 奥には暖炉があり、壁には風景画、棚には壺などの装飾品が飾られている。


 テレサは壁際にずらりと並んだメイドたちを見回し、机を見る。

 そこにいるべき人がいない。

 代わりにいた初老の執事が慇懃にお辞儀する。


「奥様をお迎えした翌日に申し訳ございません。旦那様は仕事で二日ほど帰れないだろうと仰っていました」

「気にしないでください。公爵様の事情は存じておりますから」


 普通の貴族令嬢なら旦那に冷遇されていると憤るか悲しむところだが、テレサは別に何も思わない。元々が契約結婚だったし、夫婦だからといって毎回食事を合わせなければいけない訳でもないだろう。むしろ、しっかり仕事をしていて感心するくらいだ。


(二日か……それまでに終わらせるべきね)

「それはようございました。昨夜はゆっくりお休みになれましたか?」

「はい。おかげで冷たくて気持ちの良い朝を迎えることができました」


 テレサは改めて執事をじっと見つめた。


 ーーこの男、元は傭兵だったのかしら。


 一見すると初老の執事だが、見るからに体は引き締まっている。

 ふとした時に見せる鷹のような目つきは獲物を観察する捕食者のそれだ。

 元傭兵が訳あって執事に転職した、そう言われても納得する風格がある。


(まぁどうでもいいけど、この男じゃないわ)


 エマに指示をした『先輩』の存在。

 テレサはあえて執事に笑顔を浮かべることで周りの反応を窺ったのだ。

 その結果、明らかに反応しなかった女が一人。


(侍女長、お前ね。確か名前はーーフリーダだっけ?)


 ノクスにそう呼ばれていたことを覚えている。

 テレサは自分の向かい側で表情を動かさない女を観察した。


 年の頃は五十を超えないくらいだろうか。

 肌には威厳のある皺が刻まれ、金色の髪はパサついて色褪せている。

 この女だけだ。テレサの話を聞いて眉すら動かさなかったのは。


(明らかに何かを隠してる女の顔。そういうのは社交界で見慣れたのよ)


 アリア時代のテレサを舐めてもらっては困る。

 人の表情を観察するなんてお手のもの。

 フリーダ以上に腹の読めない魑魅魍魎達と渡り合ってきた。


「……大丈夫ですか?」


 不意に執事が聞いてきた。


「食事が進んでいないようですが」


 大丈夫なわけがない。

 今日の食事は焼きたてのパンに、黄金色のスープ。生ハムのサラダ。

 一見すると何の問題もない料理に見えるが、その中身が問題だった。


(このパンには石が入ってるわね。サラダは砂だらけ。スープはちょっと臭いわ)


 まぁ予想通りだ。可愛い嫌がらせである。

 テレサは微笑んだ。


「問題ありません。まだ公爵家の食事に慣れないだけです」

「そうですか」


 おそらく傭兵執事はテレサの食事に細工されていることに気付いている。

 その上で「大丈夫ですか」と問うてきたのだ。

 それはすなわち、対処の必要はありますか、という意味。


(この男はグルじゃない。むしろノクスから私の様子を見守るように言われてる監視者ってところかしら)


 どちらにしろ、助けなんて必要ない。

 これから楽しい楽しい反撃の時間が待っているのだから。


「エマ。今日の午前中、身共は聖女として教会に行きますが、あなたも来てくれますか?」

「もちろんです! エマは奥様の侍女ですから!」

「ありがとうございます」


 ーーくすり。


 エマと談笑するテレサに周りの使用人達が笑みをこぼす。

 それは明らかに人を馬鹿しているような悪意を含んでいた。

 テレサは地獄耳である。そういう声は大抵聞こえてしまう。


『アーカイム家の公爵夫人が教会だって』

『なんの効果もない説法でも解くのかしら』

『神様を信じたって何にも良いことないのにね』


 ーー聖女なんて、馬鹿みたい。


 くすくす。くすくす。

 悪意を含んだ笑いに傭兵執事が真顔になった。


『対処しますか?』


 視線で問われて、テレサはゆっくりと首を振った。


 反撃の手立ては、ある。


 テレサは口元に弧を描いた。


(それじゃあ、調教(しつけ)の時間と行きましょうか?)



 ◆◇◆◇




「つ、疲れました……」


 夜。

 諸々の仕事を終えて私室に帰るとエマが限界を迎えた。

 椅子をすすめると、彼女はへなへなと座り込んでため息をつく。


「はぁ〜〜〜〜……奥様って毎日あんなに仕事してるんですか?」

「今日は少なかった方ですよ?」

「マジですか……エマちゃんショックです」


 テレサは今日、教会で聖女の仕事に従事していた。

 午前中は毎日行われるミサでルナテア神の教えを説き、重病患者を癒す『奇跡』を披露。それが終われば支援者たちとの会談だ。既に公爵と聖女の結婚は国中に知れ渡っているらしく、何かと問い詰められるのが面倒臭かった。会談を終えると昼食をゆっくり取る暇なんてないからパン一つで済ませ、続いて教会を頼ってきた病人達を治療する。今日だけで治療したのはざっと三十人ほどだろうか。そうして仕事を終えて、ようやく今に至るーー


「正直、聖女様ってもっと(らく)してると思っていました」

「ふふ。誤解は解けましたか?」

「もちろんです! というかあんなに大変な仕事ないですよ! 他の人はよく知りもしないで奥様を馬鹿にして……! エマちゃん激おこです! ああいうのは本当にどうかと思います!」


 二つ括りの髪を兎のように揺らしてエマは怒る。

 素直に感情を表すエマに「ふふ」と笑ってテレサは背後に立った。


「ありがとうございます。あなたがそう言ってくれるだけで身共は救われますよ」

「奥様……今朝は本当に……」

「もう過ぎたことです。それに、言ったでしょう? 反撃開始だと」

「本当に反撃を……」

「エマ。女性が戦う時の武器で最も重要なものはなんだと思いますか?」

「え? うーん……可愛さ、でしょうか?」

「当たらずとも遠からず。正確には、美しさです」


 テレサはエマの髪に触れた。

 若々しい茶色の髪はがさがさで、手入れも出来ずに傷みきっている。

 これはエマだけでなく、他の使用人たちもそうだった。


 使える、と思う。

 少しでも綺麗になりたい。可愛くなりたいと思うのは女の本能だ。

 うふふ。他人には見せられない黒い笑みを浮かべてテレサは言った。


「あなたにはこれから、身共の武器になってもらいます」


 聖女様には秘密がある。

 聖女様は浮気女に男を奪われた過去を持つ。


 だから、女が嫌がることを熟知していた。



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