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苦手な方はご注意ください。

ビクトリアス王女殿下の物語

『ビクトリアス王女殿下の宣下』 決断の重圧と懊悩

作者: 龍槍 @ リハビリ中

かなりの長文ですので、お気を付けください。

 





 それは、まさしく、『青天の霹靂』。








 ―――― 『婚約破棄』だと? 王命による、婚約だぞ?







 ようやく掴み取った、『染み一つない青空』の下に居るような『状況』に、轟音が響き渡る『雷鳴』の様な ”無様(・・)”な  『 報告 』。 





 ―――― これは良くない。 非常に宜しく(・・・)ない。




 困惑と、混乱に心かき乱されたが、同時に腑に落ちる感覚があった。 近年の王国に於いて、不穏な動きが、其処彼処で見られた。


 同母弟の学習意欲の低下。 それに伴い、貴族序列を無視するかの様な動き。

 国務尚書と外務尚書の不穏な動向。

 貴族院議会が、妙に強硬に様々な『法案』を提案し、その幾つかが実現してしまった事。

 貴族院議会の要望により、貴族学院の理事、教師陣から大公家、公爵家の有識者(教育者)が退いた事。

 王都に於ける、外貨の交換比率に大きな変動が有った事。

 更には、獣人達の国との国境沿いで、小競り合いが頻繁に起こっていた事。



 何かが、深く静かに進行しているのは、王家に籍を置く私には感じられた。 上奏される報告は、当然の事ながら私も閲覧する事が出来る。 モヤモヤした形無き危機感が、無様な『報告』により、一気に『絵』となり、私に幻視を見せる。


 ――――王国が崩壊する、そんな幻視を。


 ” 王国が崩壊する ” この、強烈な幻視に関して、私は納得の想いの方が強い。 何故ならば、今、王都に存在する王族は、この報告書の主要人物にして、未だ成人とは成って居ない、第二王子だけなのだ。


 まるで、これからの起こる国家を揺るがす『騒動』のプロローグの様な…… 王国崩壊が、現実となる『序曲』の様な…… 愚弟(第二王子)の愚行は、その開催を告げる、高らかになるファンファーレの様なモノだ。


 そうなのだ。


 これ(・・)を画策したモノは、相当に頭がキレる。 王国の虚を突く為に、慎重に時を計っていたとしか思えなかった。


 しかし…… 一つ疑問が残った。 なぜ、第二王子が『婚約破棄』などと云う愚行を犯さねばならなかったのか。 行動の原理原則が、第二王子の『心』だと、そう言い切れないモノを感じてしまう。


 そう仕向けられていた(・・・・・・・・)かのように、感じてしまうのだ。


 いつもの癖で、間抜けで愚鈍な『表情』を浮かべ、微動だにしない私に対し、近習の者達は静かに時を待っていてくれる。 そう、この表情を浮かべている私は、忙しく頭の中で思考を巡らしている時だと熟知しているからだった。


 深く思考の深淵に、私は取り込まれてしまった。 


 考えろ。 考えろ。 事象をなぞり、その裏側にある真実を見極めろ。 王国に仇成す者、民に苦しみを齎す者が、何処に居るのか炙り出せ。 心の奥底に棲んでいる『本当の私』が、鋭い爪を研ぎ始め、(あぎと)から生える牙が、獲物を寄越せと、唸りを上げる。


 ……私も王族なのだ。 古い血の継承者なのだ。 この血を厭い、恐れるのは、今に始まった事では無い。 しかし、国家存亡の危機と成れば、私個人の意思など、無視できる。 ええ、無視するのよ、今は。



 考えろ、考えろ…… 行きつくところまで、考え抜け。



 まずは、状況を明確にしよう……




        ――――  § ――――





 ――――― 愚弟が愚行を成した時




 というか現在も尚…… 父、アレキサンドル国王陛下は現在王妃殿下と共に東の隣国にて、この国の安全保障の中核となる、周辺八か国が参加する『フェローズ同盟』の締結に全力を注がれておられている。


 王国南方巨大帝国、『ガングリオン帝国』とのキナ臭い国際情勢を鑑み、締結を急ぐは、『フェローズ同盟』。 帝国北部に位置する我らが祖国を含め、帝国北方域の八ヶ国の安全保障は極めて微妙な国際的均衡の上に存在している。


 国民の安全と安寧を国是とするは、我が国の『誇り』。 しかし、我が国一国では、巨大帝国に単独で対峙する事など、無理筋にも程がある。 我が国の国土は、帝国の五分の一。 精強なる国軍は、帝国でも一目を置かれているが、国力を鑑みれば、全面戦争とならば、その結果は火を見るよりも明らか。


 よって、帝国と国境を接する国だけでなく、その周辺国や衛星国、自治領なども含め、強固な同盟関係を構築し、帝国の侵攻を心理的に押し留める『錘石(重圧)』とせねば成らない。 痛いほどの現実的な思考の結果、アレキサンドル国王陛下は、多くの国々を巻き込み、『フェローズ同盟』の締結に邁進されている。


 王国の…… いや、もっと多くの国々の民の平安を願っての事。 輝かしく、華々しい戦争よりも、泥臭く、薄汚れた『国際協調』を重視されているのよ。



 そして、その時間を稼ぎ出されているのは、兄上…… ビョートル王太子殿下その人だった。



 ビョートル王太子殿下は、南方国境沿いの、対帝国軍の最前線の砦に於いて、近衛第一軍を率い、軍事衝突の回避に奮闘されておられる。 精強なる我が国の、それも近衛第一騎士隊、王国 第一軍団 全師団と云う、精鋭中の精鋭を以て、帝国軍の戦意を挫き、南方諸卿の暴発(・・・・・・・)を止める為に、全精力を傾けられている。


 あちらから手を出させないような、強面の外交(軍事力の展開)と、此方から手を出させない様に、ビョートル王太子殿下が強権(藩屏たる臣下への手綱)と、二つの力を以て、国境の安寧に邁進されているのだ。 『フェローズ同盟』締結の発表まで、ビョートル王太子殿下の…… 兄様の『決断』と『懊悩』は続くのだ。





 ―――― そして、私は……





 ビクトリアス第一王女(・・・・)たる私は、クラピカ王弟殿下と共に王国西北部に位置する、獣人達の国との国境沿いに居た。 両陛下、ビョートル王太子殿下の動きが取れない時に限って、平穏であった彼の地にて、戦乱の火の手が上がりかけたのだ。


 対処できた王家の者は、私一人。


 愚弟には荷が重すぎる。 私とて、余りの出来事に目が眩むのを感じた。 よって、クラピカ王弟殿下に合力を求め対処に走ったのだ。 王国北西域からの『一報』は、突然王宮に届いた。 曰く……


 『獣人王国、公式に宣戦布告を宣言。 最後通牒は、二週間後に通告す』


 その報に、王宮の心ある者達は心底震える。 戦争が勃発してしまえば、『フェローズ同盟』の締結など吹き飛ぶ。 ビョートル王太子殿下の奮闘も無に帰する。 なにより、無辜の民の生命と財産が脅かされ、我が国は安寧より程遠い、塗炭の苦しみを味わう事に成る。


 しかし、報告には、一縷の望みが記されていた。 そう、最後通牒までには、まだ(・・)二週間の猶予が有ったのだ。 時間は無い。 拙速を以て事に当たるしかない。 私だけでは、大きな権能を振る事を良しとはしない、貴族院議会面々を黙らす為にも、クラピカ王弟殿下(公爵閣下)の御出馬を願い出た。


 クラピカ王弟殿下は快く申し出を受け取って下さった。 取り急ぎ、手持ちの兵を編成し、親征の形を無理矢理作り、私とクラピカ王弟殿下は、王国西北部に向かって走り出したのだ。


 王国西北部に位置する堅固な要塞『グランバルト砦』は、戦人(いくさびと)たる、軍人たちであふれかえる事となる。 『焦点の地』の周辺の領地の者達、つまりは王国西北部に所領を持つ諸侯達へ、クラピカ王弟殿下の命令として『疎開』と『撤退』を指示しているので、国境沿いの領地は、『無人の荒野』となりつつあった。


 民の命は、何にも増して護らねば成らない、この国の『宝』だったからだ。


 無論、西北部諸侯、及びその家族には、グランバルト砦に伺候させている。 事情を聴くためにだ。 急ぎ入城した、グランバルト砦に於いて、早速 彼等に対し、聴取を執り行う。 幾人もの領主たちの言葉に、私は不信感を覚える。 


 彼等の『言』には、至誠が無く、状況判断をするべき『事実』が薄いのだ。 有体に言えば、『言い訳』と『隠し事』を、多分に含んでいた。 


 クラピカ王弟殿下も、苦り切った表情を浮かべている。 年若い王族のビクトリアス第一王女である私を、あからさまに蔑んだ表情で見るモノすら居る。 明確な不敬を成していると云う判断すら出来ていない。 所詮は遠い場所から来た、『愚かで愚鈍な姫』であると、そう言外に言われたも同然だった。


 私の中で、一つの決断を下す。 諸侯とその家族達に斟酌する必要性が皆無であると。


 急ぎ編成したグランバルト砦の将兵は、大きく分けて二つ。 私が指揮権を持つ僅かな近衛騎士達、並びに王国軍 第四軍団の一個師団。 私が、アレキサンドル国王陛下より分権(・・)された、軍事力の全軍(すべて)。 それに加えて、王弟閣下公爵領の領軍遊撃部隊の全兵力。 この二つを合わせた軍勢にて、不穏な状況下にある王国西北部の状況を制圧せねば成らなかった。




 ―――― そして、獣人族の代表の者達との折衝が、開始された。




 彼等(獣人達)が何を求め、何を嫌い、何を以て、王国に軍事侵攻を決断したかを『正確(・・)』に見極める為に。


 彼等の主張は、いたって簡単なモノだった。 彼等の領域たる、王国北西部の国境外に広がる、『黒い森(シュバルトバルト)』の、『無断開拓』に関しての『怒り』だった。


 王国の国境外に人族が進出し、彼等の『聖域』とも云える、『黒い森(シュバルトバルト)』を伐り開く事に我慢が成らなかったとの事。 そして、そんな人族を襲撃すると、国境の諸侯が有する私兵により、戦闘(小競り合い)が始まったのだと云う事だった。


 この国の開祖たる、偉大なガングリフォン大王が獣人達と交わした、古き約定を未だ彼等は堅守している。 どう考えても、我が国の落ち度である事は、間違いなかった。 獣人達の国々との国境は、北西部を流れるエルデ川。 その向こう側は、獣人達の国と定められている。


 にも拘わらず、エルデ川に橋を架け、向こう側に集落を開き、さらに『黒の森(シュバルツバルト)』を、伐り開かんとする事は、全くもって開祖の『誓約』を反故にするかの暴挙。


 ―――― 彼等は云う。




「親交や交流は必要な事は、我等も理解している。 しかし、領土的野心を顕わにし、我らが『聖域』を侵す事は、看過し得ない。 よって、我らが鉄槌を以て『此れ(誓約違反)』に対処する為に、聖戦の宣戦を布告する予定である」




 ……と。


 私は直ぐに、クラピカ王弟殿下と諮り、開祖が『誓約』を遵守する事を決定した。 当然の事だ。 国際的な『約定』を軽んじる事は、この国の歴代の『王』達の意思(・・)を軽んじる事に同義。 王の王たる権威を蔑ろにする事なのだ。




 そんな事を、看過する事(・・・・・)など出来はしない。




 エルデ川向こうの村落は撤収()し、伐り開いた森に対しては、王国が責務として『植林』を行い森に還すと、新たな約定を交わした。 ビクトリアス第一王女として…… いや、この国のアレキサンドル国王陛下の代理人(・・・)としてだ。


 後は、こちら側の処罰が厳重に行われたかどうか、あちら側に伝えると云う事で、取り敢えず全面的な戦端を開かずに終わった。


 獣人達からの ” 多くの猜疑の視線 ”を向けられて、領主達の多くは不快に思ったかもしれない。 私…… ビクトリアス第一王女(国王陛下の代理)が頭を垂れ、謝罪した事に、貴族の者達や、将兵すら『怒り』を覚えたかもしれない。 しかし、『非』は我が国にある。


 何よりも、全面戦争と成れば…… 国際条約を簡単に反故にする国と云う事が、周辺国に認知され、アレキサンドル国王陛下懸案の『フェローズ同盟』も、ビョートル王太子殿下が懸命に維持している南部の状況も、何もかも同時に吹き飛ぶ(・・・・)。 


 そうなれば、この場所を起点とした『戦禍』が国中を覆い、幾多の無垢な命が奪われる。 軍は痩せ細り、取り返しのつかない人的消耗が、諸外国のつけ入る隙となり、やがては周辺各国をして、我が国土に野心を持つ事は自明の理。


 豊かな農地も、有望な鉱山も、高度な冶金術を有する街も、各国の流通の拠点となる交易都市も…… 何もかも、無くなってしまい、国体はバラバラになり、安寧も平和も無く、我が王国は闇に沈む。 周辺国にとって、我が国は『蜜と乳の流れる国土』なのだ。 周辺国の野心は間違いなく、この国に流れ込み……



 ―――― 幾許の時も経たず『巨大な戦役(・・・・・)』に、この国は沈む。



 ……たとえ、この首が落ちようとも、何としても、ここで戦端を開いてはいけない。 この首一つで、それが阻止できるならば、喜んで差し出そう。 その覚悟と矜持無くして、何が王家だ。 王家の一角を担う私の判断を、クラピカ王弟殿下は支持して下さった。 そう、『武』の人である、クラピカ王弟殿下も戦争は、良き事を生み出すはずも無い事を、重々理解されている。 人の命は、たった一つなのだと、心の底から理解されている……


 断固として、確固たる『 私の意思(・・・・) 』で、この局面を抑えた。




 ――― 『是は是』。 『非は非』。




 なにも難しい事は無い。 そして、この国の安寧を願うのは、王族として当たり前の事なのだ。


 クラピカ王弟殿下との話し合いで、北西部諸侯の内、この様な事を引き起こした家門は断絶。 またその寄り親となる、外務尚書である ”カラメリアル侯爵 ” に対しての『叱責』と『監視』が決定された。 また、この地は要衝となる土地である事から、クラピカ王弟殿下がアレキサンドル国王陛下に対し、自身の公爵領との領地替えを奏上する事とした。




「誠に申し訳ございません。 優良な公爵領と、辺境たる『この地』を交換するような事態になりました」


「なんの、王家の者として、国の安寧を願うのは同じよ。 ビクトリアス第一王女が見せた『矜持』には感服した。 戦いを嫌う軟弱モノと云われようと、断固として我が国の非を認められたその心は、まさしく開祖が血筋と。 また、王家のビクトリアス第一王女の『言葉』は重い(・・)と、あちら側も認めた。 是々非々とよく云ったモノだ。 ならば、私も漢を見せねばならぬよ」


「しかし、辺境を領地とされるならば、その階位も……」


「『公爵』から『辺境伯』ならば、良いでは無いか。 わたしも堅苦しい王都の生活は、性に合わない。 我が妃も同様よ。 子供達には、自然豊かな場所でのびのびと成長させたい。 更に言えば、兄、アレキサンドル国王陛下の私に対する存念も払拭したい」


「……それは」


「思い浮かんだ『言葉(・・)』は心の内にな、ビクトリアス第一王女殿下。 兄上は、素晴らしい国王陛下なのだ。 側妃肚の生まれなど、取るに足らない、豪胆で英明なる、我らがアレキサンドル国王陛下なのだ。 何が正当な高貴なる血筋だ。 所詮は、王都に巣喰う『有象無象(高位貴族の者達)』が言う、自尊の思念からの『言葉(・・)』では無いか。 兄上も、それは理解している。 だから、諸卿を丁重に遇している。 しかし、兄上の宸襟(本音)は伺い知れない。 が、私は兄上の忸怩たる思いも知っている。 その上で、兄上の側を護りたる『補佐たる者』である事を誇りとしている。 よって、兄上の足元を掬うような、馬鹿者達を許してはおかない。 『公爵』を返上して、『辺境伯』として、この王国西北域に安寧と和平の礎を置くのだ。 善き事では無いか?」


「はい…… 左様に御座いますね、クラピカ王弟殿下」


「……また、叔父上と呼んでは呉れまいか? ビクトリアス」


「幼少の頃ならいざ知らず、成人し夫を迎える事を考える歳に成った私ですので、やはり無邪気には……」


「では、貴女が王都を出て、辺境領を訪ねられた時の楽しみにしておくか」


「……王籍から離れ、一臣下の『妻』としてならば」


「ハハッ! お前らしいな。 しかし、あの者がビクトリアス第一王女の『()』となると、少々問題があろうな」


「貴族院議会にての要望に御座います。 アレキサンドル国王陛下は、お認めになられては居りませんが、強く否定もされては居りません。 王国の藩屏たる重臣達の肝煎と云う事も御座います。 私自身『熟考』しては居るのです。 国の為なるならば、是非も御座いますまい」


「そうか…… しかし、まだ、お前は王位継承権を持つ第一王女。 その者に、あのような言動をする者がお前の『()』か。 有り得んな。 いや、いい…… 忘れてくれ。 お前の幸せを願う、叔父としての想いだ。 お前ならば、そうは酷い事には成らないと思うが、困った事があれば、私を訪ねるがいい」


「有難き御言葉です、クラピカ王弟殿下」



 古き約定を、反故にしない。 我が国は、「法治国家」なのだと云う事を、コレで示せたと思った。 獣人族達の国とのいざこざの根本的問題が判明し、その問題に対処できる筋道が出来たと、安堵した。






         ――― § ――― § ―――







  ―――― 思考は続く 





 そうだ、丁度その時、王都よりの緊急便が、私の手元に届いたのだ。


 差出人は、王宮総侍従長。 連名で、王宮総女官長。 緊急連絡用にと、使用制限を設けた、王家の封緘付きの伝書筒に入れられ、王家の鷹便で私の手元に届いた。 発信は本日午前。



” 王城内で行われている、貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)の冒頭にて、第二王子が『王命』を宣下し、自身の婚約を破棄されました。 更には婚約者である侯爵家の長女(継嗣)を罪に問い、その身柄を拘束捕縛し、収監せしめた…… ” と。




 愚弟の婚約に関しては、様々な思惑が重なり、なかなか決まらなかった。 貴族院議会からの『要請』や、各高位貴族の政治的均衡。 更には、海外勢力との交渉も有り、ようやく決まったのが、五年前。 見事に嵌った御相手であった。 王家からの要請として…… 最後には、『王命』を以てやっとの事で結んだ、『婚約』であった筈だ。


 いずれ妹となる彼女は、大人しく控えめな性格では有ったが、知能は高く評価される女性だ。 周辺五ヶ国の言葉を自由に操り、各国の時勢も瞬時に読み取るだけの見識を持ち、音楽に、詩歌に、造詣の深さを見せる、優秀なる女性でもあった。 


 愚弟にはもったいないと思う程に。


 王子妃としての教育も進み、既に全課程を修了していた筈。 また、政務には興味を示さない愚弟の代わりに、私の政務の補助さえしてくれた。 ビョートル王太子殿下が登極される頃には、次代の王弟妃として、十全にその役割を担うであろう事は、想像に難く無かった。


 それ程の女性に対し、婚約破棄だと?


 何を考えているのかッ!! 近頃、様子のオカシイ愚弟の事を彼女から聴いて、直ぐに愚弟を叱りつけたのも最近の事。 アレキサンドル国王陛下も王妃殿下もビョートル王太子殿下も苦言を呈していた筈。 それを無視しただと? アレキサンドル国王陛下夫妻、ビョートル王太子殿下不在、更には私の不在時を狙って……


 オカシイ……


 愚弟の突発的行動で、こうも見事に嵌る事など、考えられない。 考えすぎとも思えるが、それより、違和感が拭えない。 愚弟では、このように時を計る事など出来はしない。 その能力すら無い。



 ―――― 後ろで糸を引く者がいる筈なのだ。



 それに、大それた事を成したにしては、行動が遅い。 未だ、三日に渡り続く、貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)は、続行されている…… と、報告書には記載されている。 更なる策謀の香を鼻腔に感じた。 何かある…… 


 王権奪取、王位簒奪も、背後に居るモノが考えたとすると…… 既に何かしらの行動に移って居なければ、オカシイ。 いや、目に見えぬ様に、水面下で粛々と『事』は、進行しているのか?


 しかし、婚約破棄を成した後、第二王子の動きはまだないと、そう続報は伝え来る。 なにかの策謀を練っているのか? それとも手順(段階)を以て、事に当たるか? では、何を…… ふと、思い当たるのが、ビョートル王太子殿下の妃である女性の事。 大事無いように、ビョートル王太子殿下出征の折に、実家に御戻しに成っている。


 王太子妃殿下の御実家は確か…… 王国の『(防諜)』を司る家門の筈だったが……


 不味いな。 あの家の文庫には、表沙汰にしては成らない事がたっぷりと詰まっている。 それを表に出され、声高に広められると、如何なアレキサンドル国王陛下とて国を率いる事は難しくなる。 国内的にも国際的にも、表に出ては成らない文書なのだ。


 しかし、上級伯爵家の彼の家では、王都に並み居る『侯爵家の者達』の横暴に抗う事は難しい。 アノ(・・)上級伯家でも、難しい筈なのだ。



 思考の末の推論に一定の確証を心の中で持った。 周囲に点在する状況を組み上げると、そう考えれば、すっきりと纏まる。 ならば、コレを打破せねば成らない。



            ―――――



 思考の深淵から抜け出した私は、表情を引き締め、近くに侍る近習、侍女たちに次々と命令を下した。 まずは、お願いせねば成らない。


 私は急ぎ、私が滞在する貴賓室を出て、クラピカ王弟殿下の元に向かうと先触れを出す。 なにはともあれ、この状況下。 このままでは、あの幻視(・・・・)が完成するかもしれない。 王国の安寧を預かる、留守居役たる私の使命は、この難局を早急に鎮圧せねばならないのだ。


 急ぎクラピカ王弟殿下の執務室に参じ、私は殿下に願い出る。




「早急に王宮に戻ります。 アレキサンドル国王陛下より預かりし、権威(国権)を振るいこの難局を御さねばなりません」


「ビクトリアス第一王女殿下。 緊急報は私も読んだ。 頼む。 私は、此処をこのままにはしておけぬ。 今動ける王家の者は、ビクトリアス第一王女のみ。 出来るだけ早く、私も戻るが、時間が必要だ」


「承知しております。 では、その旨を我が配下に通達を出します。 いいえ…… ビクトリアス第一王女の宣下(仮王命)として」


「国家存亡の危機と云う事か。 判った、存分にその権能を振るうが良い。 私は、全面的にお前を支持する」


「有難き幸せ。 ならば、寸刻も惜しいです。 直ぐに出立します」



 私は、クラピカ王弟殿下に後始末をお願いして、ほぼ単身とも云える状態で王城に戻ると決めた。 そして、今…… 私の居室に歩を進めている。 思考は、愚弟の暴挙の後ろ側。 何が行われ、誰が一番『利』を得るのか。 辿り着いた、一つの推論。 それは、まさしく国家滅亡への『策謀』とも云えた。


 国内の王権を軽んじる藩屏に甘言を弄し、国の未来に闇を置く、そんな存在が居る事に、思考が収斂していく。 


 そうか。 これも又、『戦』であり、既に我が国は相当に侵攻されていると云う事か。 ならば、戦うまで。 『武』では無く 『智』と『法』を持って。


 国の安寧を願う、”愚かで愚鈍と云う名の衣”を纏った、ビクトリアス第一王女たる私の……



 ―――― 覚悟は決まった。






 ――――― § ――――― § ―――――






 盛大に眉を顰め、声音を高め、王族たる私の決意を込め、ビクトリアス第一王女の命令(仮王命)を宣下する。 成人し、アレキサンドル国王陛下に委託された権能を持つ者しか出来ない『仮王命(・・・)』の宣下を、こんな『無様』で『醜悪』な事実の ” 緊急対応 ” に使う事になるなど、アレキサンドル国王陛下に『この権能』を、委託(・・)された当初は、思いもしなかった。




「可及的速やかに王都に戻る。 途中の視察は全て取り止め。 事は一刻を争う。 王宮魔導士、転移魔法陣の使用を、ビクトリアス第一王女令(・・・・・)として『許可』する。 魔力に余裕の有る者を全て集め、早急に魔法陣を組上げよ」


「御意に」


「随伴は、近衛騎士四名のみとする。 時間が惜しい。 クラピカ王弟殿下、後の取り纏め、宜しくお願いいたします」


「任せておけ、ビクトリアス第一王女(我が姪姫)よ」




 同行していた、外務寮の要人として、『私の夫』となると(うそぶ)く『愚者』は、事も有ろうに私の行く道を塞ぐ。 こちらを蔑んだ、嫌らしい笑みを浮かべながら、私の『ビクトリアス第一王女の命令(仮王命)』に反する言葉を、その口から吐きだし、王権に対する挑戦とも云うべき事柄を紡ぎ出す。




我が妻と成る者(ビクトリアス第一王女)よ、それは如何なモノか。 女性王族が王都の外に出るのは、大変珍しい事。 古来より、その場合は行く先々への御視察は必須なのだ。 また、その為の準備を進めておりますものを無下に……」


「……そなたは、誰に許しを得て言葉を紡ぐか?」


「なんと? 我が妻となるべき女性(・・)が、間違った行いを正すのは、その主人となる私の役目(・・)だが?」


「愚かな…… 近衛、この者を捕らえよ。 我が宣下である『仮王命』に反するが言動、誠にもって許しがたし。 国家存亡の危機と考えられる『状況』に於いて、その対処を妨げんとするモノ(・・)は、此れ、逆賊(・・)と見なす。 追って、衛士により深く詮議が行われるその時まで、牢での拘束を命ずる。 捕縛せよ。 王女の影(レイブン)、今回の事柄に関して背後関係を知るやもしれぬ、我は命ずる、この者の知る ”全て ” を暴け」


「ハッ!」

 〈 諾 〉


「無礼なッ! な、何故(なにゆえ)そのような暴言を? 我は、其方の主人と成るカルメリアル侯爵家の継嗣ぞ。 お、お前は、従順な『私の妻(・・・)』に成るだけの『人形姫(愚鈍な姫君)』なのだッ……」




 愚か者の言葉は最後まで紡ぐ事は出来なかった。 


 ゴキリと云う打撃音。 顔の真ん中を私付きの近衛の()が直撃した。 部屋の端まで吹っ飛ぶ、顔の造形だけは、整った男。 何かにつけて、私の行動を制限しようとする鬱陶しさに、陛下になんど『アノ者』の排除の奏上を行ったか……


 外務尚書カルメリアル侯爵も、そうだ。 アレキサンドル国王陛下が御名御璽を記していない、『婚約の儀』の宣誓書を如何な権力に恋焦がれている『教会』であっても、受理する訳は無かろう? 受け付けはした。 確かに教会は、その『宣誓書』を受け取られた。 しかし、直後にアレキサンドル国王陛下の「御名御璽」が無く、正妃殿下の御名のみが記されたその『宣誓書』に疑義を持ち、王宮に問い合わされた事は、御存じ無かったか……


 陛下が、王妃殿下を連れまわされるのは、王妃殿下の『横紙破り』を、出来ぬ様にする為だと、判らなんだか。 カルメリアル侯爵も、何を視て居ったのだ? よほど、私が愚かで愚鈍と思われていたようだな。 全く…… 王家の教育がどの様なモノか……




 ――――― 知らぬとは言え、呆れ果てるほかあるまいて。




 ビョートル王太子殿下は、王位継承権一位。 そして、私が二位。 万が一の事を鑑み、私は王太子教育を受けているのだよ。 笑顔の裏に、どのような感情を持っていたのかすら、見破れんとは…… 高位貴族として、如何なモノかと…… そう、嘆息せずにはいられない。


 まぁ、いい、後はレイブンに任せる。 しっかりと情報は引き出してくれるであろうからな。 そして、その証言は、時を置かず私の元に届けられる。 罪状は既に確定しているとも云える。 だからこそ、あ奴が『死ぬ事』は無い。 あぁ、死ぬ事はな。 ……今は、そのような些細な事を論ずるべき時ではない。




「姫様。 用意が整いました」


「うむ。 では、クラピカ王弟殿下、後の事は宜しくお願い申し上げます」


「判った。 こちらも出来るだけ手早く、事後処理をしてから私も『(王宮)』に向かう。 無理せぬ様に」


「有難き御言葉。 では」




 王宮魔導士が紡いだ、転移魔法陣に乗る。 随伴は私の周辺警護の近衛騎士四名のみ。 何時も茫洋たる笑みを浮かべている私には珍しく、引き締まった表情をしているとそう思う。 その様子に護衛騎士の面々も緊張感を漲らせて、周囲に鋭い視線を投げていく。



 ―――― 向かうは戦場(王城)。 



 政務もろくに出来ぬ幼子が……、臣と民に慈愛を持たぬ愚者が……、王侯の規範を蔑ろにした者が……、何故に王権の中でも、特に宣下(・・)に慎重を期さねばならぬ『勅令(・・)』を口にしたのかッ! それも『仮王命』では無く、『王命(・・)』だと?


 愚弟よ、お前は何時、ビョートル王太子殿下に成り代わり、そして、アレキサンドル国王陛下を引き摺り落として登極(・・)したのかッ!!


 道理を弁えぬ幼子に、『成人の王族不在』の王都を任せる事など、出来るものか。 その為の貴族院議会の重鎮達では無かったのか。 あぁ、そうか。 諸卿は、井戸(王都)の中しか見て居らなんだのだな。



 ――― 良く判った。 あぁ、良く理解した。 諸卿等にとって、王家とは、それ程に(・・・・)軽いモノだと云う事をな。



 ならば、アレキサンドル国王陛下より分権されし権能を十全に使い、王都(井戸)掃除(不逞の輩の排除)をせねばな。 王家が何を以て、王家たらんとするか、その神髄を身に染みて貰う。


 反逆者は、我が国に居場所は無い。 日和見を決める者達には、覚悟を決めてもらわねば成らぬ。


 慈愛に満ちるが、冷徹で峻厳たる偉大なるビョートル王太子殿下(・・・・・)が、御世に成る(王位に就く)前に、貴族達の均衡を重視した当代陛下迄の政治的『(ぬるさ)』を出し切らねばならぬ。 その為には、例え同肚の弟であっても…… 


 心に痛みが走る。 これは、家族と思えばこその『痛み』。 わたしは、愚弟にも倖せに成って欲しかったのだよ……


 床に刻まれた転移魔法陣がうっすらと輝き、やがて真っ白な光が満ちる。 空間が歪み、その先の見慣れた部屋が視界に飛び込む。 よし、繋がった。



「行くぞ、我が尖兵達よ。 行くは、敵本陣の真っ只中と心得よ」

「「「「 ハッ! 」」」」





      ―――― § ――――




 魔法陣による転移が成功し、王城内の小部屋に直接到着。 極限まで移動時間を排した私は、問題の焦点となる、王城に入る事が出来た。 今から私の『執務室』に向かう。 其処には、私に分与された、『王権の象徴』(国王陛下の名代の証)たる『準王錫(・・・)』が置かれている。


 出征するビョートル王太子殿下より不在の間、この王国を託された。 その証たる『準王錫』が其処に有るのだ。 


 此れから成す事には、しっかりと手元に置いて置かねばならない、王家の秘宝が一つ。 私が正式に、『準王命(第一王女令)』を宣下する為の、準拠たるべく存在するモノだったから。


 コツコツと足音をさせながら、様々に浮かぶ思いに、軽い頭痛を覚える。 愚弟の愚かな行為に対する、全ての対処を成す前の静かな時間。 そして、その背後に存在する、『何者かの』意思を挫く為に与えられた、そんな時間。 


 ――― 思考せよ、深く深く。


 この国の安寧を護るのは、今は私一人なのだと、強く意識せざるを得ない。 既に王宮総侍従長も王宮総女官長も私の執務室に向かっている。 その先触れは出した。 王城の内務は、混乱し始めている。 高位の官吏達が、深夜にも拘わらず動き回っているのが、その証左。


 混乱に乗じ、何かを画策している者が居る筈。 


 王宮の大広間では、未だに豪華絢爛とも云うべき舞踏会が続行されている。 その喧噪は、執務室に向かう私の耳朶にも届いている。 あぁ、愚か者どもの饗宴がな。 三日に渡り続く、その饗宴の第一日目…… だそうだ。


 高々、貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)に、一体何を上乗せするつもりか。 どこまで、この国を混乱に落とし込み、王都に、そしてこの国に(まがつ)を、広げるつもりか。 


 自室の執務机の前に座り、状況を報告させる前に、なぜ愚弟が愚かな行為を成したか、そして、辿り着いた推論の証左を集めねば成らない。 その背後関係を白日の下に曝け出さねば成らない。 王国の現状は、火に炙られた栗の様に、何時爆ぜてもおかしくはないのだ。



 私は執務室に到着すると、整頓された執務机の前に座り、深く深く状況を再確認していた。 王女の影(レイブン)にも、私の推論を語った。 それを確定するにあたる証拠の収集をレイブンが部下に命じもした。 報告は随時私の耳朶に届けられる。


 王宮総侍従長と、王宮総女官長が、私の執務室に入室してきた。 二人とも、顔色も悪く、事態の推移に恐れ(・・)を感じている事は、一目瞭然であった。 


 ともあれ、まず、一番最初に成さねばならぬ事は、婚約を破棄された侯爵家の令嬢(彼女)を保護する事。 当然、貴人の収監施設に強制的に入室されていると思っていた。




「何? いま、何と言ったか、総侍従長」


「再度、言上申し上げます。 あの方は貴人収監室には居られません。 第二王子の断罪(勅命)により、貴族たる身分を剥奪され、殿下の側近達の手により、『第二王子殿下への不敬』を理由に地下牢に収監されました」


「……地下牢。 政治犯確定囚(反逆者達)が、刑の執行まで収監される、あの場所にか」


「はい。 地下牢へ続く回廊は、第三近衛騎士隊が固め、現在は封鎖されている状況に御座います」


「現場指揮官は、第三近衛騎士隊の隊長か?」


「……いいえ。 彼の方は、第二王子へ箴言を呈した事で、その任を解任され、近衛騎士隊の独房に収監されております。 現在、第三近衛騎士隊は、第二王子の御側近である御学友が任命されております」


「状況は理解した。 愚弟は、国権をも不当に侵害したか。 レイブン。 いるか?」


 〈御前に〉


「お前に命令書を託す。 まずは、近衛騎士隊へ。 第三近衛騎士隊の隊長を解放し、職務復帰をわたくしが命じたと伝えよ。 その後、彼を伴い『地下牢』へ向かい、彼女を直ちに保護、収容。 速やかに王宮薬師院 特別室へ」


 〈はッ〉


「護衛騎士。 この場で我が護衛が内の、一人が任を解く。 早急に第四近衛騎士隊に原隊復帰し、隊長職に復帰せよ」


「ハッ!」


「第四近衛騎士隊には、王太子妃殿下の御実家である上級伯家、王都邸に赴き厳重に護りを固めよ。 第四軍、魔法兵部隊を付ける。 ビクトリアス第一王女令(仮王命)として発令する。 時間の猶予は無い。 走れ。 祐筆、この『言』を記録し、アレキサンドル国王陛下御帰還の後に『ご判断』を仰げるように奏上文を作成せよ」


「御意に」


「王宮総女官長。 私と一緒に王宮薬師院へ」


「承りました」




 矢継ぎ早に対処を指示し、私は王宮総女官長を伴い、王宮薬師院へと足を向けた。 あの場所で憐れな令嬢と対峙せねば成らない。 そして、彼女の覚悟を聴かねば成らない。 それが、王族として私に課せられた『使命』でもあるのだ。


    ―――― それを強いるのは、王室典範() ――――


 心内で、王室典範(・・・・)の特別条項を反芻する。 暗澹たる思いが、胸を締め付けた。




              ―――――




 王族男子との婚約は、重責を伴う。 それが、第二王子と、ともなれば、更なる重圧が上乗せされる。 第二王子は、王太子の云わば『予備(・・)』。 万が一の場合、現王太子妃も、その権能を失効する。 つまり、第二王子妃は、『予備(・・)』の王太子妃となる。


 彼女は『重責』と『義務』を、きちんと認識する、素晴らしき女性だった。 


 順当にいけば『 使う事の無い 』王太子妃の教育も受け入れ、さらに優秀さを見せる彼女。 そんな彼女に、『予備(・・)』とはいえ、王妃教育の幾つかも受けさせた王宮教育院の教育官。 現王太子妃の良き理解者として、そして、いずれは王妃の最も近い側近としての役割を、与えたかったのね。 アレキサンドル国王陛下も、彼女の才を認め、教育官の進言を『是』とされて居たと云うのに……


 それ程に優秀な彼女なのに……


 第二王子(あの子)が如きでは、その側に立つ事すら、思いもかけない僥倖だというのに。  重臣を含め、多くの見る眼の有る藩屏達の間で彼女は、王家を離れる予定の私より、余程期待されている。 『愚かで愚鈍(平々凡々)』と云う鎧を纏った私とは違い、才気あふれる彼女は、それはそれは、光り輝いていたのに…… その状況を、私も素直に嬉しく思っていたのに……



     それなのに……

             それなのに……




 護衛三人と、総女官長の四人と一緒に、王宮薬師院に到着する。 もう時刻は真夜中に近い。 元々静かな場所では有るのだが、今日はそれに輪をかけて、静寂が特別室の中を席巻している。 それもその筈、王宮薬師院 薬師筆頭の御老体が、私の内々の想いを忖度し人払いをしていたから。




                ―――――




 シンと静まり返った、薬師院治療室。 それも、アレキサンドル国王陛下が火急の場合に運び込まれるべく設えられた、『特別室』に私達は到着する。 御老体が、施術寝台に寝かされた人物に真摯に向き合い治療を施していた。 この国では、三名しか居ない、上位回復魔法を行使しているのが、御老体の後姿から理解できる。 黄金色の燐光が、御老体の手から発せられ、施術寝台の上を明るく照らし出していた事からも、その事が伺い知れた。


 レイブンは私の意を汲み、誰にも見咎められない様に、彼女をこの場所に運び、御老体に治療を依頼してくれていた。 よく出来た『影』に、心の中で感謝の意を伝える。 もっとも、言葉にする事は無いけれど。


     ――― 問題があった。


 それは、御老体が【上位回復魔法】を行使していると云う事。 つまりは、彼女がそこまでの仕打ちをされたと云う事実。 侯爵家の令嬢が受けるべき敬意や尊崇の念など、その場所には無かったと云う事。 


 愚弟が、彼女の身分を剥奪し、彼女の家族がその言葉をいとも簡単に受け入れ、彼女を侯爵家から放逐した事実。 序列第三位の侯爵家の当主が、その様な仕打ちを ”総領娘(継嗣) ” に対し行うなど、誰が想像できるのか?


 いや、あの会場に居た連中は、それを想定していたのだろうか。 愚弟が何者かによって踊らされている上に、周辺の者達がその愚行を後押しし、その愚行に対し正当な忠言を口にした彼女を、徹底的に排除した…… のか?


 光の粒が徐々に昇華され、収束する。 治療をしている間は、御老体の精神統一を邪魔せぬ様に沈黙を守っていたが、それも終わり。



「薬師院、アレクトール筆頭、夜分に済まない。 事は緊急にして秘匿する事を伴う為に、このような仕儀になった」


「姫様…… あの方は……、姫殿下の弟君は、何という事をされたのでしょうか」


「愚弟には、相応の報いが訪れる。 その事に関しては、陛下の裁量に任せて貰う。 王室典範(・・・・)にそう規定されている。 ……アレクトール筆頭、彼女に言葉は届くだろうか?」


「身体の傷はわたくしが癒しました。 が…… 『心の傷』は…… 治癒魔法では癒せぬモノでして…… 『確たる』とは、云えません」


「理解している。 ……休んでくれ。 ご高齢のアレクトール薬師院筆頭には、辛い治療で有ったであろう。 彼女と話したい」


「御意に。 この特別室は、何時もの通り厳重な結界により封鎖されております。 ……今夜、ココには誰も来なかった。 それで宜しいでしょうか」


「それで…… 良い。 ……アレクトール筆頭(爺ィ)


「はい、何か御用に御座いましょうか?」



 暫し瞑目し、言葉の外側にたっぷりとした意味を纏わせ、小さく謝意を示す。 王族が…… 王位継承権を保持するビクトリアス第()一王女が、頭を下げるのは…… そう云う意味だ。



「……ありがとう」


「勿体なく」




 御老体が特別室を退出する。 その後ろ姿を確認してから、護衛達を壁際に下がらせ、王宮総女官長と共に、治療寝台の側に歩みを進める。 そこで私が目にしたモノ。 もう、この先に人生に於いて、忘れる事は出来ないであろう『惨状』に、目を背けたくなった。


 流れるように、美しく輝いていた長い銀髪は、誰が切ったか斬漸(ざんざん)に切り飛ばされて、見るも無残な状態だった。 侯爵令嬢として、気品のあるドレスを纏う、彼女を知る者としては、今、彼女の身体を覆う襤褸(囚人服)は、なんなの(・・・・)だと声を大にして言いたい。


 囚人服から見える、表面上の傷や欠損は、アレクトール筆頭の治療で治癒されているのだが、白い肌はどことなく『くすみ』、青白く血管が浮き見るモノを不安にさせる、そんな様相だった。


 辛うじて、隠されている身体。 上下する胸元。 それだけが、彼女が生きている証だった。




        見慣れている筈の顔からは……




 全ての表情が抜け落ちていた。 (もぬけ)の空…… すでに、壊れてしまったのかもしれない。 ”女性として大事なモノを全て奪われていた”とのレイブンの言葉が私の耳朶に響いていた。 同じ女性として、胸が潰れるくらい辛い言葉だった。 もう言葉は、届かぬかもしれない。 しかし、私は自分の責務を放棄する事は出来なかった。




「……婚約破棄を受け入れたか」




 私の言葉に、焦点の合わない瞳を治療室の天井に向けたまま、彼女は小さく応えを紡ぐ。




「はい…… もう、なにも…… なにも、ありませんから」


「そうか。 家門については」


「わたくしに、家門はありません。 継ぐべき家も、慈愛を向ける民も、栄光に浴した我が家名も、なにもかも取り上げられました」


「そうか」




 未だ、彼女は完全には壊れていなかった。 その事に歓びを覚えるも、もう少し早く、こんな問題が起こる前に行動を興せば、彼女にこんな過酷な運命を背負わせる事など無かったのに、と、忸怩たる思いが募る。


 つくづく、私は平凡なのだと、自責の念を覚える。 しかし、わたしはこれでも王族なのだ。 その身分に等しい『責務(・・)』が有るのだ。 だから…… だから、問わねば成らない。




「王国 王室典範(・・・・)の特別条項の適用を望むか。 全てを奪ったモノは、その権能を持たぬ者。 その『勅令(・・)』が不当なモノだと、私が証しよう。 がしかし、王家の一員に成る事が出来ぬようにされてしまった。 が、私は認めぬ。 貴女が何者でも無く、ただ歴史の闇に没するなど認めぬ。 私は、貴女が王国の藩屏たる人物だと知っている。 その矜持の高さも、崇高で英邁たる魂の持ち主なのだと云う事も。 貴女はアレキサンドル国王陛下が定められた準王族(・・・)(淑女)なのだ。 よって、王室典範(・・・・)の特別条項 の適用を望む事が出来る。 そなたの『希望(・・)』が聞きたい」




 つぅと涙が彼女の翡翠色の両の眼(りょうめ)に浮かび、頬を流れ落ちた。 茫洋とした表情が一気に、気高く染まる。 虚空を見詰めていた視線が、私に向かう。 そして、呟く様に、しかしはっきりと彼女の意思を言葉にした。




王室典範(・・・・)の特別条項を行使したく存じます、ビクトリアス第一王女殿下。 黒瑪瑙の間に於いて、玉杯を賜りたく」


「そうか…… あい、判った、承知した。 気高く誇り高い侯爵家の継嗣たる貴君の意思を尊重する。 立てるか」


「有難く…… 立てます。 自分の道を歩めます」


「宜しい。 その姿は、今の貴方には相応しくない。 黒瑪瑙の間に行く前に、装いを整えよう。 私の部屋を使う事を許可する。 王宮総女官長。 第一級礼装を彼女に」


「承りました」



 特別寝台から身を起こし、とても高貴なる令嬢とは言えぬ身形(みなり)の彼女はそれでも、彼女の内側から発せられる『貴族の矜持』を発していた。 襤褸(囚人服)を纏った彼女は、それでも崇高で美しく、私の前にカーテシー(淑女の礼)を差し出した後、王宮総女官長に続き、私の部屋に向かう。 


 私は、そんな彼女の後姿を見遣りつつ、次にするべき手を打つ。 王宮宝物庫に向かい、王宮総侍従長を同時に呼び出す。 王宮宝物庫に入室するには、護るべき手順があり、それを行使するには、『王命』が必要なのだから。 祐筆も呼び、私が新たなビクトリアス第一王女令(仮王命)を告げる事を、記録に残す。


 宝物庫の重結界を緩め、自身が護るべき法令を遵守し、内部に入る。 片隅にある、薬品棚から二種類の薬品を手に取った。 表情が引き締まる。 広い宝物庫の中を歩み、多くの鍵が下がる棚の前に到着する。 一番右…… アレキサンドル国王陛下と、王宮魔導院筆頭が施した、特に厳重な封印をされている『鍵』の封印を、ビクトリアス第一王女の権限で破り…… 手に取る。 これは、此れから、アレキサンドル国王陛下、又は、ビョートル王太子殿下が御帰還されるまで、私が厳重に保管し、彼等の帰還と共にお返ししなければならない。



 煌びやかな宝物に一瞥も投掛ける事無く、私は宝物庫を出る。 どんな宝石、財宝であろうと、今の私の心になんの安らぎも齎す事は出来ないのだから。


 正規の手順を踏んでの、宝物庫への訪問は、私が宝物庫から出た時点で、再度重結界が施され硬く封印される。


 ビクトリアス第一王女の権限とは、アレキサンドル国王陛下とビョートル王太子殿下が居られぬ今、この国での最高権力者の入室権限と同一と、王室典範(・・・・)の条項に記載されている。 不正規にこの部屋に入ろうとしても、そして、出ようとしても、どちらにしろ命は無くなる。


 王の名代…… その責務の、なんと重い事よ。 望んでこの重みを得ようとする輩の気が知れない。


 宝物庫で必要な『モノ』を得る為に、時間が取られた。 急ぎ王宮侍従長を連れ、黒瑪瑙の間に向かう。 長く王家と共に有った、王宮薬師院 薬師筆頭の御老体は、既に私が彼女と何を語り合ったかは理解している筈。 ならば、彼も『黒瑪瑙の間』に向かうだろう。  短くレイブンに問う。




「レイブン。 アレクトール筆頭は既に傍部屋に入られたか?」


 〈御意に。 既に付属の小部屋に居られます。 教会の教皇猊下への文を(したた)められていると、報告が有りました〉


「ふむ。 準備は…… 終えたと云う事か。 流石だな、老獪な薬師筆頭は。 ……彼女は」


 〈王宮総女官長殿と御一緒に黒瑪瑙の控えの間に待機されておられます〉


「そうか。 そうだな。 あぁ、そうだ。 王室典範が強いる王太子妃の教育(知識)を習得したモノに課される『義務(・・)』を、果たさんが為に……な」




 陰鬱となる心を奮い立たせ、私は黒瑪瑙の間に向かう。 何事も、王国の為。 国民の安寧の為に成さねば成らないのだ。 たとえそれが、非情の決断であったとしても。 


 黒瑪瑙の間に入るには、先程の『鍵』が必要となる。 そして、わたしはその行使に戸惑う事は許されない。 鍵を鍵穴に入れ、大きく回す。 扉に仕込まれた、数々の魔法結界が次々と解放され、やがて大きく重い軋み音と共に、重厚な扉は開いた。


 窓も無いその部屋は、真夜中と云う事も有り、漆黒の闇が包み込んでいる。 一歩、私が部屋の中に入ると、『鍵』を持つ私に反応して、魔法灯が点灯される。 調度は極々質素なモノ。 寝椅子が一つ、ローテーブルが一つ。 足下の絨毯には、【防音】と【隠匿】【重結界】の魔法陣が織り込まれており、『鍵』を持つ私の魔力に反応して起動し、十全にその効果を発揮している。




「レイブン。 彼女をここに。 アレクトール筆頭も入室して貰え。 見届けは、王宮総女官長、王宮総侍従長に」


 〈御意に〉




 遂に時が来てしまった。 黒瑪瑙の間に入室した侯爵令嬢は、王宮女官長の手で美しく整えられていた。 彼女の身を包む第一級礼装は、きっと別の良き日の為に、王宮にて仕立てられていたモノ。 金糸、銀糸で象られた王家の紋章を地模様に、光沢のあるシルクレードの礼装は、誠に王族に相応しい。


 既に覚悟を決めたのか、彼女の表情には憂いは無く、真っ直ぐに私を見詰めてから、カーテシー(淑女の礼)を捧げてくれた。 私が現状、王都に存在する唯一の王権保持者と認識してくれている。 ならば、もう、云うべき事は無い。




「何か、誰かに伝える事は?」


「いいえ、何も…… いえ、一つだけ御座いました。 ……ビクトリアス第一王女殿下、王国に安寧を。 もう、何もかも失ってしまった、わたくしからの、”唯一(・・)”の願いに御座います。 伏して、お願い申し上げます」


「そうか。 貴君の望みを最大限叶える様に努力しよう。 わたしから、貴君に一つだけ云うべき言葉が有る」


「はい」


「これまで難しい立場をよく全うしてくれた。 王国を代表し、王権保持者として感謝している。 訪れなかった未来を、残念に思う」


「勿体なく」


「済まなかった……」





 王宮女官長が用意してくれたのは『玉杯』。 注がれるは、『シャトー ゲテスバーグ 王国歴227年モノ』。 深い色合いの特別な赤。 その特別な赤の入った『玉杯』が銀のトレイの上に置かれ、私に差し出される。 王宮宝物庫から持ち出した秘薬の小瓶を『二本(・・)』を、玉杯に入った赤ワインの中に注ぎ入れた後、エミリーベル=フェスト=グリュームフェルト侯爵令嬢に差し出した。




「かくも麗しき玉杯を、この身が頂戴できる事に感謝を」


「エミリーベル。 貴君の王国に対する『献身』と、矜持高き為人に、感謝を。 この国の安寧を誓約しよう」


「ビクトリアス第一王女殿下の御心を嬉しく思います。 では、ご機嫌麗しく、御前…… 身罷らせて(・・・・・)頂きます」




 彼女は、玉杯を持つと、一気に(あお)る。 馥郁たる芳香が、彼女の口から漏れる。 美しく、華麗で、凛とした笑みを浮かべ、寝椅子に座し、その身を預けた。


 ゆっくりと目を閉じ、穏やかな表情を浮かべたまま……


 静かに……


 呼吸が止まる。



 傍らにアレクトール筆頭が近寄り、永遠の(深き)眠りに付いた彼女の脈を取る。 ゆっくりと立ち上がると、私に相対し重く言葉を紡ぐ。




「鼓動が止まりたるを確認。 身罷られました。 誠、見事な最後に御座います」


「アレクトール筆頭。 後は、良しなに」


「はい。 教皇猊下も既に大聖堂にて、お待ちに成っておられる筈。 この後、大聖堂にて遺体を安置、葬送の儀を始めるとの事」


「その様に。 丁重に準王族として遇して欲しいと、私が ”強く希望している” と、そう伝えて欲しい」


「御意に。 あの…… 姫殿下」




 探る様な目をするアレクトール筆頭。 勿論その意味は理解している。 アレクトール筆頭が見ている前で、わざわざ(・・・・)見せ付ける様に、玉杯に二種類の『王家の秘薬』を、注ぎ込んだのだ。 普通ならば、判らぬその行動。 しかし、王宮薬師院の筆頭であるアレクトール筆頭(古 狸)に、その意味を理解できない筈は無い。





「 ……私は、『我儘で愚かで愚鈍な』ビクトリアス第一王女。 茫洋とした、掴み処の無い、毒にも薬にもならぬ、王家の御荷物。 でもね、欲しいモノは、何としても、手に入れるの。 それは、『爺ぃ(・ )』が、一番よく知っているでしょ?」





 幼少の頃からの気安さで、私はアレクトール筆頭に語り掛ける。 私の表情は、さぞかし『苦い笑みが』張り付いている事だろう。 そして、王宮の古狸たるアレクトール筆頭も、私の言を(あやま)たず理解する。


 彼なりに、私の想いを形にしてくれると、私は信じている。 まだ、無邪気でお転婆であった私を、優しく厳しく慈しんでくれた、『爺ぃ(守役)』は、きっと…… 全ての禍つ事を、この手で成した私は、重く言葉を紡ぐ。




「エミリーベル=フェスト=グリュームフェルト侯爵令嬢は、その身に受けし責務を果たした。 家門の名誉と矜持を行動で示したのだ。 祐筆、記録せよ。 紋章官を呼べ。 明朝の朝議に於いて、全てに決着を付ける。 この国に暗雲を齎す者共に、その行いに相応しい報いを受けて貰う」




 成すべき事が脳裏に流れる。 王国『法』に殉じた者の無念は、王国の『法』に依って報いられねば成らない。 現状、その役割(・・・・)を果たさせるのは、わたくし、ビクトリアス第一王女のみ。


 ……明朝の朝議は荒れるな。 きっと、荒れる。


 まずは軍務尚書、そして、内務尚書、国務尚書、及び、法務尚書を納得させねば成らない。 王家の『強権(・・)』を使うのはまだ先だ。


 この国の『法』に照らし合わせ、罰する者は罰せなくてはならない。


 既に、レイブンが王国西北部に位置する堅固な要塞『グランバルト砦』の地下土牢に収監されている、私の婚約者候補(・・)だったモノに対する尋問報告書を、私の執務室に届けている筈。 概要は大体判る。 度々、私の耳朶に耳打ちをしてくる王弟殿下の『(王国の影)』の声は、届いている。 


 ―――― 罪状は確定済み。


 クラピカ王弟殿下は苛烈な方だけど、その身柄は生かされたまま(・・・・・・・)王都に帰る事に成るわ。 国家反逆罪に外患誘致罪。 罰は、問答無用で処刑となる罪状が『確定』と成っている。 勿論、侯爵家の継嗣として、高位貴族としての特権は有るが、事が事だけにそれすらも斟酌されない事は、クラピカ王弟殿下の御気性から火を見るより明か。


 つまり、断頭台か縛り首、 その骸は遠くない未来に、王都の広場にて晒される事に成る。 最も重い罪状を背負った者として、断罪される。 そして、その咎は家門に及ぶのは決定事項。 なにせ、あの愚か者は侯爵家の継嗣なのだから。


 あの愚か者の証言から、繋がりの有る別の侯爵家の家名が有った。 その家の『養女』たるものが、第二王子が執心している ”女性 ” にして、自らが『妃』にと願う者であると云う事が、私の耳朶に響いて来る。


 我が国の未来に無くてはならない女性を失わせるに至った 『策謀』 に、私は怒りを感じている。 そう、怒りだ。 『愚かで愚鈍なビクトリアス第一王女』は、もう要らない。 この身に受けし『権能』の恐ろしさに震えるような、気弱な事では、到底彼女(エミリーベル)が私へ抱いた『信頼』と『期待』には、応えられない。 


 大人しく、情勢を見詰め、必要な手を打つだけでは、居られなくなった。 『責務の重さ』に喘いでいる様な、凡庸な私だからこそ、彼女を失ったのだ。 ビョートル王太子殿下を補佐し、アレキサンドル国王陛下の藩屏である事だけを念頭に、個性を殺し埋没した私など、必要無かった。



 ならば、私の奥底に眠る(・・)本当の自分を、呼び起こさねば成らない。



 自己封印した、碌でも無い性格の私自身を、今夜中に覚醒させねば成らない…… 策謀には策謀を。 真に国の安寧を脅かす者の目論見(もくろみ)は、粉砕させて頂く、……この手で。 例え、血塗られようとも、我が矜持に掛けて、この国の安寧を破らせる訳には行かない。



 王族として、ビクトリアス第一王女として、王位継承権者として…… 

       この国を『統治する者』として。




 酷く頬が歪む。 身体から強い『鬼気』が漏れ出す。 周囲に居たモノ達が若干怯むのが見て取れた。 隣を歩む王宮総女官長の表情が歪む。 さらに私の前を歩いていた王宮総侍従長が振り返り、深く嘆息を吐きだした。



「ビクトリアス第一王女殿下」


「なにか」


「酷く悪い笑顔(・・)を、御浮かべに御座います。 まるで……」


「歴代の国王陛下にそっくりか?」


「……御意に」




 声色が変わる。 まるで、その場を支配するかのように。 まるで、金の(たてがみ)を持つ獅子のように。 この難局を何としても凌ぎ、そして、反撃に移ると宣言するかのように。



「それは、至極当たり前の事。 私は、現状、唯一の国王代理(・・・・)である。 アレキサンドル国王陛下の執務室に入る。 全ての(はかりごと)を暴く。 わたしは誓ったのだ。 この国の安寧を護ると」


「御意に」



 その夜、『執務室(・・・)』の魔法灯火の光を落とす事は無かった。





              ―――― § ――――




 ―――― 翌朝。




 朝の支度は、自室には帰らず、王の間を使用した。 王宮総女官長に通達を出し、身に着けるは大喪の礼装を指定した。 黒を基調とした質素なドレスと、顔を覆うベールも黒紗のモノ。 手には準王錫を持ち、首にはビクトリアス第一王女たる私のクラバットを付けている。


 誰が見ても、王の名代としての正装であり、大喪を象徴する姿。 この装いをする王族は、近親者を亡くした者である事を示している。 誰が死んだのか。 私の姿を見た者達は、まずそれを考える事に成る。



 王か王妃か? それとも、王太子か?



 何方も国内外で、危険な場所に赴いている。 何時、どうなっても、なんら不思議では無い場所。 私はそれについて一つの賭けに出ているのだ。 誰が、何と言うのか。 はたまた、何を ” この国の未来 ” に、織り込んでいるのか。 その見極めをする為にも、この装束を着用する意味が有る。


 朝議の間に着く。 朝議開始の少し前。 既に皆は揃っている筈。 もし、何らかの事情により朝議に参列しない者有らば、その旨は先だって通告しなくてはならない。 それも、(王族)が入室する前に。 そう『法』で、規定されている。




 ” ビクトリアス第一王女殿下御入室 ”




 侍従の言葉が、朝議の間に響く。 此処まで、誰も欠席の通知をする者はいなかった。 この国の中枢たる、四家の大公家、六家の公爵家、そして、政務の中枢を担う十家の侯爵家の当主達が集って居る筈。 公爵家が一家である、クラピカ王弟殿下の家は当主不在により、その御妻女が出席すると、通知があった。


 故に、朝議は各尚書を担う十家の侯爵家を含む、ニ十家の当主達が出席して居る筈。


 大きく息を吸い、重く重厚な扉を開く。


 椅子の横に立ち、恭しく臣下の礼を捧げる王国の藩屏たる者達。 朝議の間を見渡す。 参列している貴人、その数十七人。 ふむ、やはりそうか。 ならば、斟酌する必要も無し。


 朝議の間の玉座に静かに座り、『準王錫』を床に二度打ち付ける。 それが、朝議開始の合図に成る。




「着席せよ。 直言の許可を与える」




 予定では、居る筈の無い私。 本来ならば、まだ、王国西北部の堅固な要塞『グランバルト砦』にいる筈の私が、『朝議の間』に現れようとは、思っていなかったのだろう。 それに…… 普段とは違う私の声色に、出席者に動揺が走る。


 動揺を見せた者達は、侯爵家の当主達。 アレキサンドル国王陛下の藩屏たるを誓い、王に任命された各職の尚書達も居並ぶ。


 まぁ、そうなるな。 それは、想定済み。 此処まで『鬼気』を纏った私をこの者達は知らない。 愚かで愚鈍と思っていた、ビクトリアス第一王女がここまでの『鬼気』を、その身に纏う事が出来るなど、思いもよらなかったのだろう。


 頭を上げ、着席する一同。 そして、目に入るのは私の装い。 『大喪の正装』 訝しがる幾人の藩屏。 思案気に目を宙に浮かせる数人。 卑しい笑みを浮かべる者が居なかったのは、幸いと云うべきか。 クラピカ王弟殿下の御妻女が、如才なく私に問う。




「ビクトリアス第一王女殿下。 その装いは、どなたか王家に連なる方が身罷られたのでしょうか? 寡聞にして、そのような事に関しての報告は、我が公爵家には届いておりませぬ」


「王家に連なる者の死を此処に公表する。 王家に迎える筈の、高貴な魂を持った者を、私が『天上の楽園』へ、玉杯を以て御送りした。 王室典範の求る所に、逍遥と首を垂れ、粛々と自らの道と受け入れられた。 グリュームフェルト侯爵家が御継嗣たる、御息女エミリーベル=フェスト=グリュームフェルト侯爵令嬢。 昨晩遅く、我が与えし玉杯により身罷られ、永久となられた。 既に、大聖堂にて葬送の儀は執り行われている。 準王族として、葬られるよう、わたくしが命じた」


「グリュームフェルト侯爵令嬢! 第二王子殿下の御婚約者では無いですかッ! 何故!」


「昨日、貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)に於いて、第二王子自らが『王命(・・)』を宣下し、自身の婚約を破棄し、彼女を罪に問うた。 それをグリュームフェルト侯爵は追認し、地下牢へ収監された。 この暴虐を知った私は、急ぎ『グランバルト砦』より、転移魔法陣にて帰城し、彼女を地下牢から保護した。 が、彼女も又この婚約破棄を受け入れ、さらに王室典範の求る所を所望された。 よって、その意志を汲み、わたくしが王室典範の求むる所を『行使』した」


「ぐっ…… そ、それは……」


「エミリーベルは、王妃教育も受け、王家の秘事、秘儀を余すところ無くその身に付けた。 準王族とは言え、王族と…… ”王妃殿下”と変わらぬ知識を持つ者。 その者が王家以外に嫁げるか? 王家の秘事、秘儀に関する見識を、王家以外の者が持って良いのか? 王室典範はそれを厳しく禁止する。 彼女はその才を以て、自身の道を狭めてしまったのだ。 それを強いたのは、王家でもある。 彼女の冥福を祈るのは、これ、王家が責務である。 なにか、質問は」


「「「御意に」」」




 沈痛な面持ちの諸卿。 未来ある若く才豊かな女性を失った事に、大きな衝撃を受けているのが見て取れた。 そして、私は彼等に問う。




「この朝議は、アレキサンドル国王陛下御列席の重要な儀である。 緊急時を除き、国王不在時は、王太子。 王太子も不在ならば、わたくしが列席するが手筈。 獣人国との折衝の為に、わたくし自身が征かねばなりませんでした。 国法の緊急避難条項を適用し、諸卿に国政の運営を一時移譲したのは、ついこの前。 ……見るに、三卿が出席されていない。 誰か、三卿の欠席申請を受けた者はいるか」


「「「…………」」」




 ほらね。 此処まで、私は軽く視られて居た。 愚かで愚鈍な王女の言葉など、誰も聴きはしない。 しかし、その愚かで愚鈍な王女が、本当にそうだとは、誰が保証した? 私の『鬼気』に誰もが下を向き、冷や汗を流している。




「ならば、彼等の決議権は私が一時預かる。 これに異議ある者は?」


「「「 ……………… 」」」


「沈黙は、是と受け取る。 では、緊急動議だ。 紋章官。 我が問いに応えよ」


「ハッ」


「グリュームフェルト侯爵家の継嗣は誰だ」


「はい、グリュームフェルト侯爵家御当主様より、継嗣変更の届けは出ておりますが、血統管理上受理しておりません。 『誓約の書』を受け継ぐには、その血に宿る血統が必要となりますので、未だグリュームフェルト侯爵家の御継嗣様はエミリーベル様ただお一人」


「永遠と成った者が、家を継ぐことは出来ない。 これを以て、グリュームフェルト侯爵家は血統断絶により家名は王家預かりとし、現グリュームフェルト侯爵家の実権を持つ者をこれを『改易』とし、領地は王家が管理する。 法務尚書、これについて法的に問題はあるか」


「…………ご、御座いません」


「財務尚書。 王都内のグリュームフェルト侯爵家の財産、及び領地の保全の為、管財官を送れ。 領政に関する『書類一枚』、その領の懐にある『鉄貨一枚』、見逃す事の無きように」


「承知いたしました」


「宮内尚書。 現グリュームフェルト侯爵はその地位を出自の家に戻す。 たしか…… ワリントン伯爵家だったか。 グリュームフェルト侯爵家の血統を奪うような『決断』を下し、あまつさえ、その資格無き者を『継嗣』にと望んだのだ。 致し方あるまい。 家人の従爵位も剥奪せよ。 この時点より、グリュームフェルト侯爵の家門に依る連枝一同の優遇は、これを撤廃破棄する」


「「 御意に 」」


「この動議に異議ある者は、挙手の上 意見を述べよ」




 静まり返る『朝議の間』。 これほど簡単に、序列三位の侯爵家が消滅するとは誰しも思っていなかったのだろう。 国法には何ら抵触していない。 当代国王陛下ならば、如何にか家門を残せるように、尽力したかもしれない。 しかし、私は別だ。


 今の私を支配するのは、『怒り』だ。


 この国の滅亡を望む輩への、強い怒りなのだ。 私の鬼気に圧倒され、誰もが口を閉じている。 大きく一つ頷き、諸卿の賛同を得たと云う形に持って行けた。 第一王女令では、賛同なくば成立し得ない。 大きく、一歩を踏み出したという訳だ。  




「異議無きを確認した。 祐筆、コレを記録せよ。 国王陛下への奏上文と成せ」


「御意に」



 朝議の間は静けさを以て、私の決断を支持してくれた。 私の『鬼気』に()てられたとはいえ、 この者達は、まだ、「汚染」されて居なかったと云う事か。 成程…… 間に合ったのか。 ならば、良し。


 一番の懸念を今から払拭せねば。 壮年の偉丈夫に対し、私は語り掛ける。 今から発令する『第一王女令』は、私がこの国の統治者代理である事を示す。 納得してくれると良いが……




「軍務尚書」


「はい」


「わたくしは『発令(・・)』する。 王国軍、王都周辺の将兵の綱紀を正せ。 貴族子弟の指揮官の横暴は、目に余る。 職責を全うできぬ者に、指揮官の重責は担えぬ。 兵は精強にして忠実。 故に中級、高級指揮官の能力が国軍の精強さに直結する。 病巣は摘出せねば成らない。 尚、そこに家門は勘案せぬ様に。 王都が落ちれば、国は瓦解する。 我が国が敵対するは、なにも南方のガングリオン帝国だけでは無い。 潜在的な敵は、其処此処(そこここ)に存在する。 それが故に、アレキサンドル国王陛下懸案の『フェローズ同盟』が、停滞しているのだ」


「御意に。 力無き者の言葉には、裏付けが無いと…… そう云う『意味』に御座いますか」


「ビョートル王太子殿下が何故、南方領域に『ご親征』せねば成らなかったか。 軍務尚書には理解していると、私は思う。 南方諸領の跳ね返り共の愚行(・・)に、王家は『王族の威光』を以て当たらねば、何が起こるか…… そう云う事だ。 王国は危機に瀕していると、私は理解している」


「帝国の姿なき侵攻…… と、云う訳ですな」


「『武』では無く『謀』にて、王国を弱体化せしめ、更には王権の失墜を狙っている。 思考の末、導き出した推論だ」


「成程。 王家、王国の藩屏たる軍務尚書の役割が、全軍の綱紀の引き締め。 つまりは、襟を正せと。 承知いたしました」


「王国の『武』は、卿の手腕に掛かっている。 民の安寧を護るのは、高貴なる者の使命だ」


「御意に」




 よし。 厳つい顔の偉丈夫は、深く頭を下げて、王国の藩屏たるを誓ってくれた。 これで、王都内の『武』の統制は取れる。 よしんば、暴発した跳ね返りが何かを画策しようとも、軍務尚書の手持ちの優れたる(つわもの)により、排除される。 それだけの実権を彼に与えたのだ。 


 次に出すべき命令は、不逞の高位貴族の身分の剥奪。 今、この朝議の場に出ていない、三侯爵家の当主達。 一家は既にその身分を失った。 残り二家。




「私の婚約者と嘯く輩が、『グランバルト砦』に於いて、国家反逆の疑いにより収監された。 また、クラピカ王弟殿下の指揮の元、彼の者に対しての尋問が行われた。 祐筆、皆にその報告書を配れ」




 祐筆が王宮の下位侍従と共に、皆に纏め上げられた報告書を配る。 其処に記載された内容は、あの愚か者が口にした様々な『策謀』。 国体を弱体化し、ビョートル王太子殿下を排除する。 更には、第二王子の婚約者を変更後、アレキサンドル国王陛下懸案の『フェローズ同盟』を粉砕し、国王の権威を失墜せしめ、第二王子を次代に登極させ、傀儡と化す。 その、一連の動きが示されている。



 ――― 今朝方、愚か者が口にした『詳細』な情報の報告書が、王弟殿下によって、私の元に届いたのだ。 推測が形を取り始めた。



 あの愚か者の家が、外務尚書の家柄なのだ。 朝議出席者達に更なる動揺が走る。 そうなのだ。 私の『配』と云われていたあの男…… 外務の尚書である カラメリアル侯爵の継嗣なのだ。 つまり、外務はこの国を売った。



「宜しいか。 これは、明確に国家反逆罪に当たる。 証言の内容から、カルメリアル侯爵もこの事を知っている。 と云うよりも、侯爵自体からこの計画がアレに語られていると云う事だ。 つまり、カルメリアル侯爵家は、明確に国家反逆を企てている。 法務尚書。 この場合、証言が真実だと証せられるまで、彼の家の者達はどのような処置をする?」


「公判が始まるまで、カルメリアル侯爵家門に連なる者達の全ての公職を解き、家門、連枝は閉門。 一族郎党は収監施設の中に一時収容…… が適当かと」


「収容施設は有るか」


「軍の捕虜収容所が適切かと。 なにせ、罪が罪ですので」


「宜しい。 軍務尚書、捕虜収容所の準備は?」


「速やかに」




 これで、我が国の外務は一時機能を失う。 一時的にだが、それは王国の危機に違いない。 その間、どうするか。 難しい事は無い。 その為に、『予備』が存在する。




「ガールデン大公閣下。 その知見を持ち、諸外国の事情に精通する卿に、外務尚書の職について貰いたい。 国家存亡の危機に於いて、緊急避難的な人事ではあるが、その旨は王国法にも記載されている。 どうか、お願いしたい」


「慣習的に…… ……大公家は、政治は関わらない。 アレキサンドル国王陛下の良き相談役として、王家の血統の予備として規定されている。 が、国家存亡の危機ならば、致し方あるまい。 諸卿、それで良いか?  ……諸卿の承諾が条件にて引き受けよう」




 王家の氏族。 遠い昔に枝分かれした、王家の分家たる大公家。 王家の血脈途絶える時の『予備』と、そう認識されている彼等四大公家には、其々別の役割も与えられている。 王家の独断が過ぎぬ様に、平素はアレキサンドル国王陛下の相談役。 別の言い方であれば、政治には関りの無いように政権運営には距離を置く存在なのだが、国家存亡となれば、その知見を持ち、『国務』、『外務』、『財務』、『軍務』の各尚書に任命される。


 それが、この国の『国法』でも有るのだ。


 諸卿はその事を、今、思い出したようだ。 法務尚書も虚を突かれた。 直後、鋭利な表情を、(かんばせ)に浮かべ、思考の海に沈んでいた。 王権の ”一部 ”の行使なのだ。 『尚書』の罷免権と任命権は、王だけが持つ。 その王が不在ならば、王太子。 王太子も不在ならば……


 私がその権能を持つのだ。




「「「 御意に 」」」



 さほど、大きな声では無いが、諸卿の『諾』が下される。 過去例が無い、この決断は、いかな胆力が優れている諸卿にしても、重き決断となる。 よく許してくれたものだ。 しかし、これで、カルメリアル侯爵は、全てを失った。


 この場に居ないカルメリアル侯爵には、反論する事すら出来ない。 そして、今、彼の発言権は、私が代理で持っている。 つまり、朝議の全会一致で彼の職は解かれたと云う事。 これで、終われば良いのだが、もう一人いるのだ。 



 ―――― 多分、コイツが今回の騒動の、『王国側の首謀者』と目されるのだ。



 王国内の重鎮にして、その血にわずかばかり王家の血筋を取り込んでいる、侯爵家筆頭、アンサンブレラ侯爵。 国務尚書にして、国内の政務の大半を支配する者。 内務と宮内も、国務の発言力には及ばない。 何より、国務は外務と共に、国外の大使(アンバセター)との折衝を行う。


 戦争状態でも紛争状態でも無い、王国と帝国。 王都内には、各国の大使館も存在し、そこに赴任している各国の大使(アンバセター)もいる。 いずれも海千山千の狡猾な者達なのは言うまでもない。


 その中で、一際 ”異彩 ”を、放つ者がいる。 それが、帝国から赴任してきた 『 セリオン 』 と云う名の帝国大使(アンバセター)だった。 青年貴族で、柔和な雰囲気と、人のよさそうな性格。 裏側にある『思惑』を、気取られない様に行動するだけの「狡知(・・)」を持つ者。 更には、高貴な者と相対しても、ブレる事の無い対応。


 特に、その存在を危惧していたビョートル王太子殿下が、自らの権能である『我が国の諜報組織』を動かし、綿密に調べ上げた。 出自不明の『青年大使』、その実態は帝国の第六皇子セリヌンティス=グスト=ガングリオン殿下であった。 帝国の皇子が、その身分を韜晦して、大使(アンバセター)として、我が国に赴任していたと、判明していた。




 ―――― 私が熟考の末、到達した推論。 黒幕が、帝国の第六皇子であるというモノだった。




 諜報組織の長は云う、我が国の外務、国務の者達が、影で帝国大使館に出入りしていると。 ビョートル王太子殿下にその報告も上がっていた。 アレキサンドル国王陛下も、ビョートル王太子殿下も、それらの者達の尻尾(犯罪の証拠)を掴む為に、四苦八苦していたのは、この私ですら知っている事実だ。


 しかしだ。 有力貴族であり、筆頭侯爵家であり、財豊かな家であり、策謀智謀に長けた者達の巣であるのだ。 一筋縄ではいかないのは、明々白々。


 これは、天が与えたもうた、配剤なのだ。 この時を王家(この国の支配者)は、待っていたのだ。 しかし、現在、アレキサンドル国王陛下は国内には居られぬ。 ビョートル王太子殿下も南方の不穏な情勢を抑える為に、親征を切り上げる事は出来はしない。 多分に南方諸卿の横槍が入るに違いない。 なにせ、その多くがアンサンブレラ侯爵家の連枝に当たる家系の者達なのだから。


 残る王族は私、ビクトリアス第一王女と、未成年の第二王子。 凡庸で愚鈍なビクトリアス第一王女は、傀儡として役に立たない。 せいぜい身内の妻と成して、大人しくさせておいて、その血脈を侯爵家に取り入れる位の意味しかない。 そして、元来素直で真っ直ぐな性格をしている第二王子に目標を定めたと云う事か。


 その判断は、私の予測の範囲内に収まる。


 貴族達の見識では、それが例え王城城内でも、私の『表の顔(愚鈍な王女)』しか知らぬのだ。 ビクトリアス第一王女(この私)がビョートル王太子殿下と同様の教育を受けている事さえ、知らぬのだ。


 更に言えば、教育を与えた者達は、全て大公家に属する者達で、その誰もが私の性格を祖父、先のパレアードル国王陛下の再来と云わしめているとは…… 藩屏の大半が知らぬ事なのだ。 よって、この朝議に於いて、重臣たちが困惑と動揺に心つかまれるのだ。


 是非も無し。



「残念な事に、もう一家この反逆に力貸す者が居る。 いや、主犯と云うべきか」


「誰に御座いましょうや? ……まさか、朝議に出席していない、あの方でしょうか?」



 宮内尚書が苦し気にそう問う。 ゆっくりと私は頷き、祐筆に別の資料を持ってこさせた。 配られる資料には、外務尚書と国務尚書が帝国の大使と頻繁にやり取りを成し、綿密な打ち合わせを成している事が記されている。



「アンサンブレラ侯爵は、国権を自儘にする事をお望みの様だ。 ビョートル王太子殿下は事故として弑する。 アレキサンドル国王陛下は、王太子妃殿下の御実家の家業(・・)の所業に関して、過去の伏せたる事実(醜聞)を以て排除する。 そう、策謀を巡らせているらしい」


「それは…… しかし、現状、それが判っていても、後手に回っているのでは? カルメリアル侯爵の継嗣が語った計画が「真」とすれば、既にその成就は、目前と云わざるを得ない。 姫殿下、如何なさいます?」


「軍務尚書。 王太子妃殿下に関しては、御実家にその身を寄せられておられる。 そして、既に我が命(準王命)として、周囲を近衛第四騎士隊と第四軍魔法兵により、厳重な警備を敷いている。 あ奴等には手出しできぬ様に。 さらに、近衛第三騎士隊の面々も指揮権を取り戻した隊長により、合力。 現状の不安は払拭した。 また、ビョートル王太子殿下に於かれては、我が影より至急便にて、此方の状況を逐一報告している。 近衛第一騎士隊の精鋭と第一軍の精鋭達は第一級(戦時)警戒態勢に入ったとの事」


「つまりは…… 間に合ったと。 それだけの手を既にビクトリアス第一王女殿下は打たれたと仰るか」


「軍務尚書。 国権に於ける軍事の最高責任者はアレキサンドル国王陛下。 そして、私はその代理となっている。 法務尚書。 法的に問題はあるか?」


「御座いません」


「軍務尚書、卿にはわたくしよりも、” 大きな視点 ”で、『国家(・・)』の安寧を護って頂きたい。 わたくしが成したは、ある意味 ” 緊急避難的 ” 行動。 ビクトリアス第一王女令(準王命)の範囲内での最善を尽くしたまで。 これ以上の権限は、国王陛下より、わたくしには移譲されておりません。 ですから、諸卿の合意が必要なのです。 それが叶うならば、もう一段上の『権限』を『行使』する事が可能となります」


「貴族院議会の取り纏めですな」


「内務尚書、その通りです。 あの者達(中、下位の貴族)の意思を牛耳る アンサンブレラ侯爵の権能は、一時的に凍結されます。 その間に、貴族院議会の総意を以て『国家反逆者』に対する特赦の否決、あの侯爵の、不逮捕特権の停止を決めて頂きたい」


「排除されると。 成程。 法に則り、法を護りつつ、法が求める所により、厳罰に処すると。 承知いたしました」


「法と慣例と貴族特権に護られてきた者達から、その分厚い衣を剥ぎ取り、罪に対して正当な罰を与えるのです。 我が国が法治国家である事と、表向きでも清廉さを維持していると諸外国に示さねばなりません。 ひいては、アレキサンドル国王陛下の思い描く『フェローズ同盟』締結への、側面強化となります故」


「成程。 その上、帝国の思惑を挫き、ビョートル王太子殿下の安全も護れる。 更に、我が国内の不逞の輩を炙り出し、排除する事により、南方国境沿いの憂いを払う…… どこまで見据えて居られるのか、ビクトリアス第一王女はッ」


「その様に教育を受けました。 王家に生まれし者は、男性女性に関わらず、このような思考を強いられるのです。 その過程において、貴族学院の教育は害悪に成る事は有れど、有益となる事は無いと見ます。 王権の軽視や貴族の序列を軽んじる教育は、必要ありません。 ”古き因習を排し、新たな価値観や状況に対応できる者を生み出す ”との、貴族院議会の申し出により、あの学院から大公家、公爵家の者達は排除されました。 しかし、このような事態を鑑みるに、あの決議には罠が仕掛けてあったと見てもおかしくは無いでしょう。 そうです。 もう、何年も前から『(いくさ)』は、始まっていたのです」




 朝議の間にいる『大人達』を見る。 中には唇を噛みしめるモノも居た。 忸怩たる思いを表情に浮かべるか。 アンサンブレラ侯爵の『遠謀』に、言葉巧みに踊らされていたのが理解できたか。 まぁ、仕方あるまい。 あの者達は、深く静かに行動したのだ。 決して表に立たぬ様に、何かあっても、下位の者達の仕業として、自身の保身は成せるように、そう行動していたのだ。


 法務尚書が口を開く。




「アンサンブレラ侯爵の処遇は、カルメリアル侯爵家同様に?」


「勿論、アンサンブレラ侯爵に対しても『国家反逆罪』の疑義が有る故、そうなる」


「御意に。 アンサンブレラ侯爵家が保持する公職と特権はこれを全て停止すると。 ビクトリアス第一王女令(準王命)の発令と受け取っても?」


「即時発効のビクトリアス『第一王女令(準王命)』として記録せよ。 祐筆、その旨を上奏文に起こせ。 この決断は、わたくしの意思であり、わたくしの責務として」


「責務の遂行と、王族としての矜持しかと。 一つ……」


「なんだろうか、法務尚書」


「暫定的ながら、国務尚書がその任を解かれたと、そう認識しております。 国務尚書の職務を遂行するべき者が居ない場合、王国全土の統治が一時的に停止致します。 国務尚書の職責は、幾度かの王国法改定により、より強大なモノと成っております。 当該職務を継続して遂行する為の人事についてはどうお考えか」


「公爵の一人に…… と云う訳には行かぬな。 王国法改定に伴い、様々な権能が国務尚書の職責に追加されている。 その職責に耐えうる人物と云えば…… ブレーバス大公翁。 彼の尊き方ならば、任せられると思うが、諸卿はどう思われるか。 他に推薦出来る人物はいるか?」




 ブレーバス大公翁は、先々代バハルサンドル国王陛下の弟君。 王国四大公家の中でも、一番に古い家柄で、その祖先を辿ると、遠く王国開祖の血脈にまで遡る。 姫君ばかり生まれれし、先々代バハルサンドル国王陛下が御世、先々代の王弟殿下が臣籍降下され、『配』となられた。 血統管理上も、是非とも必要な婚姻であった。 幸いな事に夫婦仲は極めて良好で三男二女を設けられた。


 既に、老境に至るも、その見識と王国の国法に関しては、現アレキサンドル国王陛下も頼りにされておられるほど。 微に入り細を穿つ、統治に関する『知識』と『知恵』は、王国法の整合性を保つ上で無くてはならない人でもあった。 ブレーバス大公家としては、次代に譲爵され現在は大公翁として、半隠居状態ではあった。 が、私が獣人国の対処の為、王都を出た際、”王族不在の朝議 ”に、錘石として『御出席』して頂いていた。


 各尚書を任じられている侯爵家当主達は、顔を見合わせ、頷きあう。




「異論御座いません。 ブレーバス大公翁ならば、全幅の信頼を置き、共に王国の危機に立ち向かって頂けると、確信しております」


「無論、無茶をされるような方では無い事は、此処に集う皆は存じて居るし、儂も同意出来る、この上なき人選だと思う」


「乱れた国務の綱紀を改めつつ『国家運営』を担える方と、そう考える。 勿論、我等とて、只、見ている事はしない。 合力が必要な場合や、要請あらば『人』、『物』、『金』ならば、幾らでも。 ブレーバス大公翁閣下の、『人望』『為人(ひととなり)』については、高々侯爵家の人間が、とやかく云う事は御座いませんからな」




 内務、外務、財務の各尚書が口々に『賛成の意思()』を言葉にする。 私は、ブレーバス大公翁を見詰め、是非ともとの、内意を視線に込める。 


 偉丈夫で、年齢をものともしない、溌溂な印象を周囲に与える、グラハム=ドワイアル=ブレーバス大公翁は、その端正な表情を少々曇らせながら、白くなった顎髭を撫でつつ言葉を紡ぐ。



「妻との茶の時間が減るな。 ……後で、陳謝せねば。 しかし、彼女ならば、此処で受けねば叱責しよう。 行くも引くも、妻の怒りを買うか。 仕方あるまい。 この国の貴族にして、王家に近しい家柄ならば、国家存亡の危機に立たねば、祖先に顔向けできまいて。 良かろう、ビクトリアス第一王女。 其方の願いを受け、国務尚書が職責を全うしよう。 各々方、宜しいか?」


「「「諾」」」




 アンサンブレラ侯爵の国務尚書罷免に伴う、臨時の国務尚書指名は決まる。 なんとか…… なんとか、間に合った。 しかし…… このままでは、あ奴等に対し、決定的な罪を確定する事が出来ない。 まだ、証左となるべき事柄自体が弱いのだ。 『言』を左右に言い逃れされ、法的に見てそれが許容されるならば、彼等は命運を繋ぐ。 結果、王国内部に巨大な不穏分子を抱え込む事となる。


 決定打が必要なのだが、それが、難しい。


 現状の私が下す事が出来るビクトリアス第一王女令(準王命)では、此処までが限界だった。 別の手立ての算段は、ついてはいるのだが、命令権の限界がココに来て障害となった。 アレキサンドル国王陛下により託されている権能では、これ以上は如何ともし難い。


 法的に正当性を保ちつつ、ビクトリアス第一王女令(準王命)を可能な限り使用しても、どうしても時間(・・)が掛かる。 そして、『時間』は、王国にとって最大の敵と成り得る……


 さて、どうしたモノかと、思案に暮れる。 軍務尚書が、そんな私を見詰め、言葉を紡いだ。




「……ビクトリアス第一王女殿下は、『王位』をお望みに成られるか?」


「はっ? 何をふざけた事を。 我が国には、偉大なるアレキサンドル国王陛下と、慈愛深いビョートル王太子殿下が居られる。 わたくしとは、次元が違う『王器』を持つお二方。 王国の光にして、国土の隅々にまで威光を漲らせておられる陛下と、未来の光とならんが為に懸命に『努力と研鑽』を積まれているビョートル王太子殿下を差し置いて、わたくしが、王位を狙う? 戯言も大概にして貰いたい、軍務尚書」


「…………失礼、つかまつった。 並み居る重臣をその『王家の威圧』とも云うべき『王気』で圧倒されたビクトリアス第一王女殿下でさえ、そう思われるか。 陛下と王太子殿下に全幅の信頼を置かれますか。 ならば、一つ考えが有ります」


「……その発言、意図が判らぬ」


「ビクトリアス第一王女殿下に於かれましては、先程から何やらお悩みの御様子。 その一端は、政治に疎い私でも理解出来ましょう。 内務尚書、法務尚書、そして、国務尚書。 ビクトリアス第一王女殿下として、宣下される御命令は、アレキサンドル国王陛下、ビョートル王太子殿下の御命令と比べては、いささか権威に重みが足りないのではないか。 『王命』であれば、可能な命令も、ビクトリアス第一王女令(準王命)では不可能な事も多々ある。 国事に於いて、最後の決定権はアレキサンドル国王陛下ただ御一人にのみ『行使』できる権能である。 ビョートル王太子殿下であっても、アレキサンドル国王陛下の御命令には背けぬ。 が、只一人、アレキサンドル国王陛下の御命令に『否』を唱え、更には、別命を『宣下』する事が可能な職責がある。 我が国の『不磨の大典』には、そう記載されている。 その権能の大きさゆえ、常設はして居らぬが、アレキサンドル国王陛下が職責を全う出来ぬ状態であらば、重臣達一同が揃う『朝議』に於いて、重臣たち総意の元に、その任を『誰かに(・・・)』推挙出来ると、ある」


「つまりは……」


「ビクトリアス第一王女殿下。 ビョートル王太子殿下が御帰還、又は、アレキサンドル国王陛下が御帰還の際には、その職責を返納しアレキサンドル国王陛下の御裁量に任せられると云うのであれば、わたくし軍務尚書は、ビクトリアス第一王女を『冢宰(ちょうさい)』に御推挙いたします」



『冢宰』は、常設の官職では無い。 至高の官職とも云える。 本来ならば、幼い王子、若しくは王女を残し、国王が不治の病や重傷を負って、国政を担える状態に無い場合、若しくは、崩御された場合に、大公家、公爵家、及び十大侯爵家の当主達の信任の元、年若き王位継承権者(王子、王女)が王太子、王太女と成るまで、国政を司る為の職位。


 つまるところ、アレキサンドル国王陛下の身代わりと云う事。


 もし…… もし、私が軍務尚書の推挙を受け、『冢宰』とならば、その時点でこの国の頂点に立ったも同じ。 アレキサンドル国王陛下は遠く、ビョートル王太子殿下は南方から離れられない。 つまりは…… 王家の中では立場の弱い、王位継承権第二位の私を、暫定的に至高の座に着かせると云うのだ、この御仁はッ!


 その為に、私の中にある『野心』を問い質したのだ。


 もし、その問いに言い淀んだり、王位に対し興味を持っていたら…… きっと、このような提案と推挙はしなかったであろうな。 真摯な瞳を私に向けた軍務尚書の心の中に、様々な思いが去来したのだろう。 そして、王国存亡の危機と何か(・・)を天秤に掛けた結果、紡ぎ出した、『発言(・・)』なのだ。



 重い……

      なんとも、重い『決断の言葉』なのだろう……



 断罪を待つ囚人の様に、俯き瞼を閉じる。 皆、私の言葉を待っている。 まるで、固まったかの様な『朝議の間』の空気。 そんな中、朗々たる低く通る声が、響き渡った。



「老体を政に引き摺り出し、妻との時間を奪った責任をお取りなされ。 『冢宰』に御自身を任ずると、そう云えばよい。 此処に居並ぶは、この国の手足。 頭が無ければ、頭を亡くし『無明』に彷徨うデュラハンの様に、周囲に害悪を垂れ流そうぞ。 それこそ、この騒動を起こした者達の思う壺。 避けたいのでしょう? ビクトリアス第一王女が心を砕く『民草の安寧』を、損なうような……  そんな乱れを。


 ――― 『王族たる者の使命(・・・・・・・)』じゃ、御覚悟、召されぃ!!」



 ぐっと、口元を引き絞る。 『諾』を言えば、私が『冢宰』として、全てを掌握できる。 出来るが、私の様な矮小なモノが、この国の『()』であって良い物か? 深く思考を巡らすのは、嫌いでは無い。 しかし…… 『愚かで愚鈍』と噂される、この私で本当に良いのか。


 いまだ、王家に連なる者として『覚悟』が足りなかったのか。


 運命を呪いたくなる。


 しかし…… 此処まで言われても尚、グズグズとしている事は、私には出来ない。 心の中を駆け巡る『幾つもの想い』が、私の身体を熱くする。 躊躇している暇も無い。 アレキサンドル国王陛下が保持する『王権』と同等のモノを私が行使する。 


 思考が急速に加速する。 


 幾つもの思考の流れが統合され、紡ぎ合わされ、惑いや畏れが急速に収斂していく。 大きく息を吐く。 しっかりと閉じ合わされた瞼。 この瞼が開いた時……




 ―――― 私は、この国(全て)を統べる者となる。




 ふつふつと燃え上がる様な闘志が湧きあがり、私の中の古き血が叫び出す。 ”王国に仇成す輩に、鉄槌を下せ ” と。 連綿と続く王家の血が、私を突き動かすかの如く。 震えが身体の中心から起こり、全身を駆け巡る。 指先に震えが到達し、そして私は……


 祈るような形に手を組む。


     両手の掌と拳が一つに成ったかのような感覚がある




          ――― やがて震えは止まった ―――




 ゆっくりと顔を持ち上げる。



     一挙手一投足が、果てしもなく重い。




 重圧が身体を締め上げる。 それが、『王国の至高』と云う事。 しかし、私の身体の中を駆け巡る血潮は、それを撥ね退けた。 もう、惑いも畏れも無い。 澄み渡った、清冽な感覚が身体に漲る。 全てを見通し未来に光を齎すのだと云う『使命感(・・・)』だけが、身体に満たされて行く。


 ゆっくりと瞼を開く。


 各尚書、そして、大公家、公爵家の面々。 眼前に広がる皆の顔が緊張に引き絞られる。 わたしの口から、声が発せられる。 意思を持ち、『言葉』を紡ぐのだ。 この国の未来の為に。 光を未来に置く為に。




「我、ビクトリアス第一王女。 推挙を受け、我に(・・)冢宰を任じる。 尚、任期はビョートル王太子殿下、若しくはアレキサンドル国王陛下が、王城に御帰還に成られるまで。 疑義あらば声を挙げよ。 このビクトリアス第一王女令は、朝議の間に居るモノ達、全員の賛成でのみ可決される」




 シンと静まり返る『朝議の間』。 




「沈黙を以て、我が『冢宰』となる事が信任された」





 皆が席を立ち、一礼を以て私が『冢宰』に就く事を承認してくれた。 私も又立ち上がり、手に持って来た『準王錫』を水平に掲げ持ち、その承認に感謝を捧げる。 依って、私は名実ともに、『仮初の王(冢宰)』となった。 アレキサンドル国王陛下が保持する、国権の全てが私の手中に有るのだ。


 私の中に内包される、熱い何かが歓喜の声を挙げていた。


 気を付けねば成らない。 この高揚感と、全能感に飲まれては成らない。 これは、あくまでも、仮初(臨時)の処置なのだから。 アレキサンドル国王陛下、ビョートル王太子殿下が王城に御帰還されるまでの、限定的な処置なのだ。


 自身を律し、我が国の平安を護る為の『代役(・・)』が、主たる目的なのだ。 刮目すべきは、眼前に有る国家存亡の危機なのだ。 至高の階を登るなどと云う思考は廃棄する。 わたしには……


 私には、()を、どうにかする事しか出来ぬのだから。 依って昨晩から考え続けていた事を実行に移す。 『冢宰(・・)』が権能が有るならば、容易にそれは達成できるのだから。




「諸卿。 『冢宰(わたくし)』より諸卿に、提案したい事柄がある。 特に法務尚書。 貴方にだ」


「はい、冢宰殿。 何なりと」


「臨時で『仮初の王権』を手にした私ではあるが、それも又『法』の許す事。 法の意思を逸脱するつもりは無い。 そこで、今回の騒動…… いや、国家転覆の『策謀』を押し留め、更にはその企てを逆手に、『策謀を巡らした者達』を、一網打尽とする為の策を模索した」


「はい。 それで、如何なる『()』をお使いに成るか」


「罪状も不確かなまま、不逞の輩を捕縛する事は、王国法に叶わず。 『冢宰』が権能を以てしても、『法』には逆らえぬ。 この騒動を画策した者は、未だ表立って動いていない。 よって、罠を仕掛ける。 初動として、冢宰の『勅命』を下す」


「宜しいかと。 法の求る所を逸脱せねば、如何様にも」


「宜しい。 諸卿に宣下する。 冢宰が『初勅』として、『限定戒厳令(・・・・・)』を発令する。 場所は、グラリオン尖塔を含む、王宮西側全域の建物。 現在、王宮内のルピナス広間に於いて挙行されている貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)の会場も含む。 封鎖区域から人員の出入りは勿論、情報の遮断も同時に行う。 また、欺瞞情報を流し『不逞の輩』の炙り出しを行う」


「……『欺く』のですな。 混乱が波及する場所は、国務寮かと」


「グラハム=ドワイアル=ブレーバス大公翁にお願いしたい。 国務尚書(・・・・)として、国務寮の綱紀粛正、反駁する者達の拘束、及び、国軍『捕虜収容所』への移送も」


「御意に」


第一王女の影(レイブン)。 封鎖部分への情報の遮断はお前に。 さらに、カルメリアル侯爵の継嗣が陳述した『王権簒奪』の計画が、恙なく遂行されている様に偽造(・・)し、あちら側に情報を流せ。 流す情報は、昨夜『策定』した通り」


 〈 承知いたしました。 速やかに 〉




 ビクトリアス第一王女令(準王命)では、こんな風には命じられなかった。 法の網の隙をついて、様々な方策で成そうとしていた事柄が、軍務尚書の決断で、一気に進める事が出来た。 対処に『遅滞』は出来ない。 今が、その機会(チャンス)なのだから。 井戸(王都)の掃除をする、絶好の機会(チャンス)を、天命が下したのだと…… 


 ――― そう、認識した。


 あちら側の思惑では、三つの事柄が同時進行している筈。 あちら側は、私が帰城している事を未だ掴んではいない。 そして、私が『冢宰』に就いた事も、彼等自身の権能が停止されている事も。 反撃の下準備は整っているのだ。


 依って、流す情報は三つ。



 一つ、南方国境領域に於いて、ビョートル王太子殿下の行方が判らなくなり音信不通となった。 状況的に、死亡 乃至は 重傷を負い、王太子として存続する事は難しいと考えられる事。


 一つ、獣人国との交渉が決裂。 本格的な戦闘は未だ始まっていないが、それも時間の問題。 ビクトリアス第一王女は、北西所領に於いて、逃げ出し『王家の権威』は失墜したと考えられる事。


 一つ、王太子妃の御実家に保管されていた、大量の機密文書の奪取に成功。 王家、歴代の国王陛下達が、周辺各国との密約や、王家が成した『後ろ暗い』事柄を白日の下に晒し、連綿と続く王家が保持する『王の権威(・・・・)』そのものが瓦解した(霧散した)との証左を押さえたと、考えられる事。



 この三点を以て、ルピナス広間に集う不逞の輩は、『事の成就(王位簒奪)』を確信し、次なる行動に出ると考えられる。 貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)は、三日に渡り執り行われる。 今日は二日目。 王城西側は、アンサンブレラ侯爵の庭とも云える。 その各小部屋に於いて、様々な密約が多くの貴族との間で交わされる事だろう。


 更に言えば、帝国の大使 ” セリオン殿 ”。 いや、帝国の第六皇子セリヌンティス=グスト=ガングリオン殿下と云うべきか。 愚弟を傀儡と成し、この国を帝国の属国と成す。 それが、きっと、あの男の見詰める先にある風景。 姿なき侵略はそれで完成する。 その功績を以て、彼は自身の政治的基盤を強固にする事を夢想していると思われる。


 軍事国家であるガングリオン帝国も一枚岩ではない。


 高齢に差し掛かったガングリオン皇帝にも、譲位の時が迫っている。 故に帝位の継承権者は、自身の価値を『証明』せねば成らない。 セリヌンティス殿下は、第六皇子。 身分の低い側妃が母。 余程の功績を挙げねば、帝国に居場所は無い。


 そして、目を付けたのが我が国。 軍事力によらず、『策謀』にて、我が国を屈服させ、” 属国 ” として、征服できれば、それこそ、第一級の功労者として、帝国は大いに持て囃される事となるだろう。 


 ……帝位すら、狙えるほどに。


 粉砕させて頂く。 我が国は、それ程、脆弱では無い。 高々、二、三の侯爵を、『利』を以て篭絡しようとも、それが、強大な『権』を保有している者だとしても、そして、愚かで目の見えぬ愚弟が居ようとも……


 王国は揺るぐ事は無いのだと、証明せねば成らないのだ。




「事は緊急を有する。 各尚書は、直ちに行動に移れ。 情報は国王執務室に。 祐筆、全てを記録しろ。 アレキサンドル国王陛下御帰還時に、全てを報告せねば成らない。 わたくしが、何を考え、何を命じ、その結果何が起こったか。 余すところ無く、全てを記録し奏上に備えよ」


「「「 ハッ 」」」




 ―――― § ――――




 朝議は終わった。



 王家の一員のただの姫として入室し、冢宰として出るか…… 人生とは、なんと劇的に動くモノなのだろう。 王国の安寧を双肩に乗せて私は朝議の間を退出する。 行く先は、アレキサンドル国王陛下の執務室。 考慮に入れる事柄は、多岐にわたる。 その全てを組上げ、最善を目指し、奮励努力するのみ。


 性差など、考慮に入れない『王太子教育』の神髄を、この国の者達だけでなく、ガングリオン帝国の者達にも見せ付けようぞ。 目が座り、身体を覆う漲る『王気』を振りまきつつ、私は国王執務室に向かったのだ。


 密やかに、そして、大胆に。 行動は国体の維持と、国民の安寧を念頭に置き、速やかに運ばれる。 各尚書の動きは素早く、軍、国務、外務は、表向き沈黙を守ってはいたが、その実、暴風雨の真っ只中に放り出されたような有様となった。


 その混乱は推して知るべし。 それも又、わたしの頭の中では、予定調和から少しも外れてはいなかったのだから。


 国王執務室に続く回廊には、多くの文官が犇めきあい、その夜も魔法灯火を落とす事は無かった。



               ―――



 国務、外務の両方の役所は、一夜の内にガールデン公爵、ブレーバス大公翁、両尚書に依って封鎖管理が徹底された。 『限定戒厳令下』に置かれている王城西側区域の全域に於いて、軍務尚書が完全に掌握しており、アリ一匹這い出る隙間も無い。


 王族のみが使用できる、緊急脱出経路に関しても、王城奥深くに設置してある『宝玉』に、王宮魔導院の担当者と共に赴き、第二王子の使用権限を凍結した。 これで、愚弟が秘密通路を使用しようにも、設置してある結界解除鍵は彼の魔力を認識しない。


 つまり、王城西側から誰も我らの目を盗んで出られる者はいないと云う事。


 私の(レイブン)は、情報管理を一手に引き受け、王城西側に ”外からの極秘の知らせ ” として、例の欺瞞情報をばら撒いてくれた。 


 貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)の出席者達は、貴族学院の卒業生とその親。 なにか良からぬ事が起こるのでは無いかと『危惧』していた者達は、愚弟の「婚約破棄宣言」を聴くと同時に王都の自宅に、学院を卒業した子弟共々、戻っている。


 更に、他国の大使たちも又、愚弟の愚行に眉をひそめた者達は、早々に大使館への帰路に着いた。 その方々に対しては、ガールデン外務尚書から、連絡が入り今後の動向を見守って下さる約束を取り付ける事が出来た。


 ガングリオン帝国の北方に位置する、八ヶ国の大使達。


 我が国が『法』を順守する『法治国家』である事を、改めて認識して下さった。 これで、『フェローズ同盟』の対象国が押さえられたと云う事。 我が国は、何よりも結んだ約束、制定した『法』を、重視すると云う、いわば当たり前の事を、認識して頂くに至る。


 そうなのだ。 これも又、遠く国外に於いて、懸命に努力され、諸外国を含めた安全保障の締結に邁進して居られる、アレキサンドル国王陛下への援護となる。 


 そして、未だ封鎖区域に居られる六つの国と地域の大使達。 これは、既に何らかの密約を、帝国と結んでいるとそう考えても不思議では無い。 たかが三日。 されど、三日。 情勢は急激に動き始めていた。


 王城に勤める、下級役人や侍女女官達も又、監視対象となる。


 封鎖区域から出て来たモノ達の代わりに、内務寮、調査部、諜報部の者達が送り込まれる。 内部の情報や遣り取りは、これでこちらに筒抜けとなる。


 封鎖区域から出て来た者達については、その時点で、軍、内務、国務の『手』の者達が彼等を拘束。 現在は、王宮東側の大広間にて、待機状態となっている。 単に王宮での仕事で、あの場所に居た者達は、出自と背後関係を調査された後、アンサンブレラ侯爵一派では無い事が証明された。 


 彼等については、国務尚書が自ら、その大広間での休息を命じられた。 


 そうでない者達。 アンサンブレラ侯爵一派の手下に成っていた者達については、もう少し強硬な手段を適用する。 容疑は国家反逆幇助。 罪状が確定すれば、厳罰が処せられる罪状なのだ。 彼等は出自と背後関係、及び、何らかの使命や命令を受けた者達。 彼等は今、王城地下の土牢の独房に収監されている。 軍捕虜収容施設の準備が整うまでの仮の処遇だ。 


 上意下達の身分制度が確立している我が国では、主人の『言』は、違える事の出来ない、まして、反駁など考えられないと、そう身に沁みついている。 少々、情状酌量は必要か。 死罪は免れぬ罪状であったとしても、それが、個人の感情の発露で無い場合は、減刑が考えられる。


 如何に重要な『法』とて、柔軟に運用されなくては、国家の運営など行えない。


 その辺りの解釈と運用は、その道に長けた法務尚書の管轄である。 『冢宰』として、任せる事は任せねば成らない。 私の役目は、大本を叩き潰す事のみなのだから。


 長々と続く貴族学院の最終学年舞踏会(シニアプロム)も、佳境に入って来た。 外から厳選した情報が内部に送り込まれ、その情報を信じた者達が動き始めた。 前国務尚書、前外務尚書、そして、あの憐れな淑女の父親である代理侯爵等が、帝国の大使(セリオン大使)…… 第六皇子セリヌンティス=グスト=ガングリオン殿下との『 折衝 』を、王城の小部屋に於いて実施。


 相当突っ込んだ内容の合意に至ったと、そう報告があった。


 愚弟は、自身の愛する者と近習の者達と一緒に、相当 ” 浮かれている ” と、報告にある。 頭の痛い所だが、公務もまともにこなせぬ未成年の王族ならば、致し方なし。 これが、ビョートル王太子殿下ならば、内部から断罪するだろうけれど……


  アレには無理だ。 同腹の弟とはいえ、なんとも情けない。


 次々と、小部屋から主だった者達が出て来て、ルピナス大広間には一種異様な熱気が渦巻いているらしい。 此れから重大な事柄が発表されると、そう通達があり、大広間に残る皆が一堂に集められている事が報告に有る。


 何よりも驚いた報告が有った。 アレキサンドル国王陛下が頭上に戴く宝冠が、何故かルピナス大広間に有ると云うのだ。 勿論、それは、レプリカである事は間違いない。 本物は遠く国外におわすアレキサンドル国王陛下の頭上に有るのだから。


 では、何処から? 


 誰かが、作った? 禁忌とされる事柄の中でも、一級に重い罪。 また一つ、罪を重ねたと云える。 ルピナス大広間には、文武百官を一堂に会し、節目の日にアレキサンドル国王陛下が御言葉を発せられる場所でも有るのだ。 広間の特性上、玉座が置かれている。 よって、広間には一段高い場所が有り、その上に二脚の玉座、アレキサンドル国王陛下 及び、王妃殿下がお座りに成る場所が設置されている。


 あそこに座らせる気でいるのか? 我が愚弟を? 正気を疑いたくなるな。 


 国王執務室に内務尚書、国務尚書、軍務尚書が居並ぶ。 私の顔を見詰め、鋭く深い視線を投掛けて来る。 その視線を受け、私は宣する。




「反逆者の排除に乗り出す。 これより、ルピナス大広間に向かう。 護衛は四名。 王宮総侍従長、王宮総女官長は、この場に待機。 祐筆三名を同道の事。 尚、不測の事態に備え、三卿にもこの場で待機して頂く。 わたくしがこの場に戻るまで、国務尚書、貴方に王国の全権を委任する。 『冢宰』として、命令する」


「御意に。 冢宰殿」


「なんだ、国務尚書」


「御身お大切に。 貴女が居らずば、この国の国体は瓦解してしまいますからの。 良いですか、荒事ならば、声を上げられよ。 さすれば、内部に送った者達、そして、此方で厳選した四名の護衛騎士が貴女の安全を保障致すのですからの。 希望が潰えた馬鹿は、何をしでかすか判らぬ。 軍務尚書、準備は?」


「既に整っております。 移送の馬車も大量に準備いたしました。 軍捕虜収容所は稼働状態に有ります。 宣下あらば、すぐさまに国軍の将兵が封鎖地区に突入致します。 捕縛が法的根拠は、『冢宰』が その眼で見、その耳で聞いた事柄が、反逆者の『自白』と成りますでしょう。 法務も認める所となります」


「あい判った。 済まぬな、不甲斐ない王族が居た事で、このような出来事になってしまった事、三卿には深く陳謝する」


「「「 コレも王家の藩屏たる我らが力不足。 陳謝を 」」」




 深々と頭を垂れる三卿。 それを抑え、同じように頭を下げる私。 王族の姫では無く、王家に属する一人の人として、どうしても謝罪しなくてはならない思いで一杯だった。 同時に頭を挙げる私達。 互いに真摯に見つめ合い、頷きあう。 そして、『傲然』と『超然』と…… 私は言い放つ。




「敵地に乗り込み、逆賊に引導を渡す。 護衛騎士、ついてこい」





       ――― § ――― § ――――





 ……騒がしい。 非情に騒がしい。 ルピナス大広間に続く大回廊には人影は無くなっていたが、焦点であるルピナス王広間の閉ざされた扉から漏れ出るは、盛大な歓声と歓喜の雄叫び。 それが意味するところは、ただ一つ。 そう、封鎖地区に居る全ての貴族とその子弟令嬢がルピナス大広間に入室していると云う証左。


 我が世の春を満喫しているかのような、そんな騒めき。


 話にならんな。 コツコツと足音をさせつつ、周囲を護衛騎士四名と祐筆たちに囲まれて、私はルピナス大広間に続く大回廊を突き進んで行く。


 扉前に侍している警護の騎士は…… 既に私達側のモノにすり替わっていた。 私の存在を認知した途端、騎士の礼を以て、深々と頭を下げ膝を付いている。 警護の護衛騎士が、その者達に言い付け、大広間の扉をそっと開けさせる。 


 入室に当たり、先触れの声は出さない。 その必要も無い。


 扉を抜け、ルピナス大広間に入室する。 広いフロアに高い天井。 燦燦と輝く巨大なシャンデリアと、周囲の壁には、建国から連綿と続く王家の偉業を描いた絵画が私達を迎え入れてくれた。 文武百官が同時に入室出来るそんな大広間で有るので、現在この大広間に居るモノ達では埋まり切る事は無い。


 前方上座に集中している為、私達が入室しても気取られる事すらない。


 ホールの周囲に敷いてある分厚い絨毯に足音は消される。 豪華な食べ物が乗った広いテーブルが壁際いたるところに設置してあり、中には滅多にお目に掛かれない様な高級食材を使った料理すら存在していた。


 フッと溜息を漏らす。


 王が国外に出て、王太子が南方に出征している現在、豪奢を極めるような舞踏会を開催するなど、何を考えているのか。 もう、既に王国を手中にしたと、そう思っているのか。 自身が何もかも支配できる『王者(・・)』だと、言うのか。


 度し難い。 誠にもって度し難い。


 傀儡にされる事を全くわかっていない愚弟は、玉座(・・)に座って、精一杯の虚勢を張って、僅かばかりの「王気」を巡らせている。 アレは…… 無い。 無いな。 周囲を圧倒する鬼気も、知性に裏打ちされた聡明さも、なにも無い。


 ただ、人形の様にそこに座っているだけ。


 さらに、王妃の玉座には、マナーもまま成らぬ女性が座している。 プラプラと足を揺らし、扇で顔を覆う事も無く、無駄に表情を歓喜に揺らし…… これが、王妃だと云うのか。 私達の実母でもある、元側妃の現王妃殿下でも、王妃の体面は保てると云うのに……


 それも、まぁ、想定内。 『恋』と云う名の、名状しがたい感情に、何もかも飲み込まれ、それまで施された王子教育を忘れさせられた、愚かな王子。 愚弟を見る三侯爵の視線の、生暖かい(・・・・)事。 此れから、自分の為に存分に踊って貰うために、高々と掲げた神輿は、単なる『道具』でしかないのだから。


 そんな視線を愚弟に投掛けている他の者達も居る。


 他国の大使、公使達。 とりわけ蔑んだ視線を向けているのは、そう帝国の大使である、『セリオン卿』。 いや、第六皇子セリヌンティス=グスト=ガングリオン殿下だったのだから、内心笑いが止まらない。 愚物を傀儡に置き、我が国を帝国の『属国』と成せば、自身の価値は帝国内で高く高く評価される。


 軍事侵攻により疲弊した国を幾らとっても、税収は上がらず、内政に強い者が統治者に成らなければ、お荷物に成るしかない。 国土を増やしても、それを経営する能力が有る者達が急に増える事は無いのだから。 荒廃した土地を幾ら国土と成しても、国は幾らも豊かには成らない。


 それに比し、傀儡政権を樹立し、『乳と蜜の流れる土地』を宗主国として接収できれば、幾らでも財貨を集める事が出来る上に、経営は我が国の者達が司るので、帝国は何も損はしない。 反抗すれば、武力で潰す(侵攻する)だけ(・・)なのだから。


 腐った上層部にこの国を任せてしまえば、いずれ立ち行かなくなる。 民草無くば、王国など直ぐにでも瓦解する事など、自明の理なのが、『蒼き血(貴族の血)』を尊ぶだけの者達には見えてはいないと云う事か。 それが、国務尚書に任ぜられて居たとは…… なんとも、云えぬ徒労感が身体を駆け巡る。


 歩を進め、集う者達の最後尾に就く。


 見回せば、中、下位の貴族も多々、其処に姿を見せている。 中には、此れからの世で躍進を約されたモノだろうか、興奮に顔を赤らめ、キラキラとした視線を愚弟に向けていた。 思わず溜息が出そうになる。 もう一度、しっかりとした視線を愚弟に向ける。 当然、視線には『鬼気』を載せて。



「おおぉ!! 姉上!! 御帰還に成られましたか!!」



 玉座に座ったまま、愚弟がそう私に声を掛けた。 私と玉座の間に、瞬く間に『道』が出来る。 蔑むような視線が周囲から私に向けられる。 壇上に居た三侯爵も同じようなモノだ。 対獣人国に対しての折衝に失敗し、逃走した第一王女がここに居るのだから。


 僅かに私の装いに、違和感を感じたのは、元国務尚書アンサンブレラ侯爵。 そう、私は未だ大喪の礼装を着用している。 また、王権の証としての準王錫も手にしていた。


 通常の装いとは程遠いその姿と、私の視線に違和感を強く感じたのだろうな。


 私の舅と自認している、元外務尚書カルメリアル侯爵、そして、あの憐れな淑女(エミリーベル)の父である、グリュームフェルト侯爵は、自身の栄達に酔って私の装いには気が付いていない様だった。 アンサンブレラ侯爵と同じような視線を向けているのは、もう一人だけ。



 ガングリオン帝国の第六皇子セリヌンティス=グスト=ガングリオン殿下だった。



 黒のベールの下、不敵な笑みを頬に乗せ、私は愚弟が座る玉座に近寄る。 周囲の者達は、私が愚弟の登極に対し『言祝ぐ』モノだと思っている。 流した偽情報が、上手く機能しているらしい。 獣人国との開戦やむなしと。 そう愚弟に奏上して助けを求めると思われている。 所詮は『人形姫(愚鈍な姫)』だったのだと。


 蔑みの視線を送るのがその証左。 ヒソヒソと、揶揄するような言葉の数々が、我が耳朶を打つ。 陰ながら侍る『レイブン』の殺気が先程から途轍もなく大きくなっている。 抑えて貰いたい。 今は、まだ、その時では無いのだ。




「姉上! 兄上は残念な事となりました。 が! この私が、帝国と折衝いたします故ご安心ください! また、獣人国とのいざこざは、帝国の強兵と連携してこれを鎮定いたします! あの森に関しても、これから開墾し、良き材の宝庫と成りましょう! 王国が富むのです!! …………父上や先代が成した、悪しきことは残念でなりません。 しかし!! この国をわたくしは! 清浄で清冽な国と成す事を誓いましょう!!」




 屈託のない笑みを浮かべ、そう足下に居る私に伝える愚弟。 何を吹き込まれていたのか、おおよその事は理解できた。 成程な。 甘言を並べ立て、上辺は敬うような振りをして、その実、獣人達の聖域や、民草からの搾取を成し、王国中枢に財を貯め込むと云う事か。


 その上、帝国兵の駐屯を許し、王国兵をその下に置くか。


 父王に連綿と続く王家の闇に関する罪を一身に背負わせ、退位したものとし、自身が玉座に座ったか。 なにが清浄で清冽な国か。 そんなモノ、この地上には一国たりとも有りはしない。 ムーリア聖王国と云う、神に仕える事を国事と成している国でさえも、その内情は『清冽』とは対極のドロドロした人の思惑で成り立っていると云うのに……


 なにも見えてはいなかったか。 青年期特有の正義感と自己肯定感を見事に肥大させてくれたな、愚物共は……




「あ、姉上には、次代の外務卿の妻として、私を支えて頂きたいのです。 王国の…… 王家の血筋はもう、私たち二人きりになってしまったのですから! そ、そうだ!! 私が見初めた、姫を御紹介いたしましょう!! とても素直で優しくて、わたしの苦悩を癒してくれるのです!」




 視線は愚弟から外さない。 しきりに愚弟の隣に座る者が、何やら声を掛けてきているが、そんなモノ私の耳朶には届かない。 直言の許可さえ出していない。 誠に無礼である。


 冷ややかに愚弟を見詰める。




「ソフィアが姉上に……」




 そう、愚弟が何か言いかけた時、アンサンブレラ侯爵が間に割って入った。 蔑みの視線は今もその双眸に乗せたままにして。




「ビクトリアス第一王女殿下。 その装いは、ビョートル王太子殿下への『大喪の礼装』でしょうか? 未だ、玉体が見つかっておらぬのに、もう葬送の装いですか? それは、なんとも早い。 ビョートル王太子殿下の葬儀は、国務の重要な仕事。 如何な御身内でも、礼儀は護って貰わねば」




 慇懃に、そして、無礼にもそう言葉を発するアンサンブレラ侯爵。 いや、もう既に侯爵では無い。 言質を取らねば成るまい。




「アンサンブレラ。 お前に聞きたい事がある。 直言は許す。 応えよ。 愚弟オスマンドが、玉座に座る事は、王室典範で禁じられている。 が、眼前にてオスマンドは玉座に座している。 あまつさえ、王妃の座に、見知らぬ淑女が座っている。 オスマンドの行動は別にして、この座に座るには、強固な後ろ盾が必要な事は、国務尚書を担っていたアンサンブレラには、よく理解して居るべき事柄。 さて、オスマンドが座るに足る、強固な後ろ盾は誰か」


「ビクトリアス第一王女殿下。 その様な虚勢を張るのは、およしなさい。 貴女は女性。 そして、王位継承権二位とは言え、貴女の様な凡庸な方に、王位は継げません。 ええ、ええ、熟考した結果、オスマンド殿下がこの国の王に相応しいと、『わたくし(・・・・)』がそう、判断いたしました」 


「そうか。 確認する。 オスマンドが後ろ盾は、アンサンブレラ、貴様か」


「そ、そのような…… 強い御言葉を発せられるのは心外の極み。 エレミレート卿の伴侶たるに相応しくありませんぞ」


「エレミレート?」




 耳朶にレイブンの声。 私の婚約者を騙る、あの愚物の『名』だと、その時初めて認識した。 フッと笑みがこぼれる。 なんとも、こ奴は私の事を何も知らぬ小娘と侮っているようだ。




「何にしても、オスマンド殿下には国務尚書のわたくしが付いております故、ビクトリアス第一王女殿下にはゆるりとこの『慶事』を、楽しまれては如何でしょうか」


「そうか…… まぁ、『慶事』には違いない。 其方がオスマンドの後見となったと理解した」




 流し目を祐筆の一人に贈る。 顔色も変えず、そのモノは必死にペンを進める。 巻紙に現状の会話を全て記録しているのが見えた。 宜しい。 コレで公式記録となる。 貴様、自身が処刑執行命令書に署名したのだぞ。 この、愚か者めッ!




「アンサンブレラ。 先程、貴様が問うた、我が装い。 この大喪は誰が対象かと云う問いに応えよう」


「はッ? ビョートル王太子殿下では無いのですか?」


「葬儀はもう行われている。 二日前、オスマンドが自身の婚約を破棄した時に、この結末は確定したのだ。 大喪の礼装を捧げるは、エミリーベル=フェスト=グリュームフェルト侯爵令嬢。 グリュームフェルト侯爵家の嫡子である」




 未だ、玉座の下に立つ私がそう云うと、何故か一人の漢が絶句し、呆然とした表情をその美しいとも云える顔に浮かべた。 アンサンブレラ侯爵の背後、玉座と同じ場所に立つその男。 ガングリオン帝国の大使である、第六皇子セリヌンティス殿下だった。


 戸惑いつつ、そして、驚愕と悲嘆に満ちた声音で、私に問うてきた。




「な、何故……」


「エミリーベルは、この国の侯爵家が継嗣。 そして、吟味に吟味を重ねた結果、オスマンドが婚約者となった。 さらに、彼女はその高い見識と知識を存分に王子妃教育で研鑽し、さらに高みを目指す事になった。 つまり、彼女は王太子妃教育はおろか、王妃教育までも履修し終えている。 さらばこそ、オスマンドが婚約破棄を言い出した時、彼女は王室典範の求る所に応えねば成らなかった。 そうだ、王国の秘儀、秘密をその身の内に入れてしまった故。 その根本原因は、オスマンドお前にある」


「あ、姉上…… 私は…… そ、そのような事は望んでは…… 」


「お前の王子教育は、いまだ履修完了とは言えぬ。 よって、お前は公務を担う事は出来ぬ。 また、王家に属する ”成人王族 ” とも、云えぬ。 しかし公務は待っては呉れぬ。 エミリーベルは、その高い見識と知識を以て、お前の代役(・・)にと準王族が資格を以て、わたくしの公務の補助、そして、お前が成さねば成らなかった公務を担っていたのだ。 当然、貴族学院の卒業資格は何年も前に取得済み。 学院へは、要所要所の日にしか登院して行かなかった。 王宮に於いての、準王族としての公務を優先する為にな」


「そ、そんな…… え、エミリーベルは、『死の玉杯』を…… 飲んだと云うのか……」


「それが、王室典範の求める所である。 王族の『配』として、予定されて居た者が、家門から排除され、その身を穢されては、如何ともしがたい。 『黒瑪瑙の間』に於いて、わたくし自らがエミリーベルに玉杯を渡した。 そして、彼女の『死』をこの目で確認している」




 第六皇子セリヌンティス殿下(ガングリオン帝国大使)は、私の言葉を飲み込むまで、暫し、呆然とした表情だったが、キッと鋭い表情に替えると、アンサンブレラ侯爵に問い質す。




「彼女はグリュームフェルト侯爵邸にて、留め置かれる手筈では無かったのか」


「そ、それは…… その筈なのだが…… お、オスマンド殿下ッ!」


「わ、私は、その様な事を命じていない。 ただ、エミリーベルの悪行が許せず、ソフィアに謝罪を求めただけだ。 しかし、エミリーベルは謝罪する理由が無いと言うでは無いか。 証人が多々いると云うのに、悪びれもせずッ! よって、グリュームフェルトでの謹慎を求めたのだ。 頭を冷やし、自身の悪行を認めよとッ! アレの兄に…… タイラント=グエム=グリュームフェルト小侯爵に、そう言い付けたのだッ」




 冷めた目で、そう云うオスマンドを見遣る。 もう、何もかも遅いのだ。 どう言い繕うとも、エミリーベルは帰っては来ない。 


 成程、そう云う事か。 


 エミリーベルが何故、あんな場所に収監されたか。 タイラントがグリュームフェルト侯爵の継嗣であるとの認識で、罪を認めないエミリーベルを断罪したのか。 オスマンドの側近として幾人かの貴族家の男児が居たな、そう云えば。 そいつらが共謀してエミリーベルを排除したか……


 そして、第六皇子セリヌンティス殿下は、エミリーベルに執心していたと云う事か。 オスマンドが婚約を破棄し、侯爵家の淑女としては傷のついた彼女を手に入れようと画策したか。 埒も無い…… この国と、この国の最上級の淑女の両方を手に入れようとしたと…… これは、欲の深い男だな。 しかし、その両方とも、貴様の手には入らん。




「そちらでも、何やら齟齬が有ったと見える。 しかし、最も大きな齟齬は、此れから判明する。 オスマンド、その頭に載っている宝冠は何処から手に入れた」


「ハッ? 姉上?! え、ええ、これは、国務尚書より私が戴きました。 アレキサンドル国王陛下や先代陛下達の隠蔽したる悪行があまりにも酷い為、それを清算する為に宝冠を私に託されたと」


「ほう、アンサンブレラ。 真の宝冠は、今も陛下の頭上に有る。 国外に有るモノが、何故この場にある?」


「それは…… 国王自ら私に託され……」


「うつけ者! 王錫と宝冠は、アレキサンドル国王陛下の証。 それを持たずば、国外に於いて王と称する事は出来ぬわ。 何故、お前に渡すか? 朝議の記録に於いてもそのような事実は無い。 それに、その宝冠…… 姿形は似せてはいるが、本物では無いな?」


「な、何を証拠に!」


「オスマンド。 宝冠を手にせよ。 そして、頭頂部の宝玉を右に三度回せ。 それが本物であれば、中に魔晶石が入って居る筈だ。 その魔晶石に王家に連なる者が自身の魔力を注ぎ込まば、歴代の国王陛下の名が浮かび上がる。 王太子教育で履修する、『登極』の時の秘儀でもある。 勿論、秘された場所にて行われる儀式だがな。 お前が、王太子教育を受けていれば、その事は知っていた筈だが、及ばなかったか……」




 目を白黒させたオスマンドは、おずおずと宝冠を頭から降ろし、宝冠の頭頂部を握り廻す。 が、そこは、ピタリと張り付いており、一向に廻る気配を見せない。 顔を真っ赤にしながら必死に力を入れるが、びくともしないそれを…… やがて呆然と見るオスマンド。


「王家の秘宝は、複製を禁じられている。 重大な禁忌の一つ。 アンサンブレラ。 重大な法律違反だな。 これ一つをとっても、国家反逆罪に問える。 オスマンド、お前が其処に座る資格は何処にも存在しない。 席を立て。 隣に座る者も一緒に。 そして、壇下に降りよ」



 王の代理としての『王気』を孕ませ、声を張る。 途端に蒼くなり、弾かれる様に玉座から飛びのくオスマンド。 なにか、良く判らない顔をした、隣の淑女らしき何かの手を引き、壇下に降りる。 冷ややかにその姿を見つつ、私は壇上へ向かう。 周囲を護衛騎士に囲まれたまま、大喪の礼装の裾を捌き、壇上の玉座に座る。


 大きく準王錫を二度打ち鳴らす。




「これより、この場に集う者達に宣下する」




 正式な宣下の所作。 本来ならば、首を垂れ臣下の礼を以て宣下を受け入れなければならない筈なのに、どいつもこいつも突っ立ったまま。 呆れ果てる他ない。 その様子を見た護衛騎士が声高に『命じる(・・・)』。




「頭が高いッ! 膝を折れ、反逆者共ッ!!」




 大音声に、ビクリと肩を震わす多くのモノ。 一人、また一人と、膝を折り臣下の礼を取り始める。 が、問題の三卿は、その首を垂れず。 また、集う外国の大使達も。 そちらの方は、別に構わない。 国柄も習慣も違うのだ。 しかし壇上からは降りて貰う。



「まず、グリュームフェルト。 エミリーベルの死により、グリュームフェルト侯爵家は継嗣を失った。 また、グリュームフェルト侯爵家の近親者で、家門の血統を継げる者が存在しない。 これを以て、グリュームフェルト侯爵家は血統断絶により家名は王家預かりとし、現グリュームフェルト侯爵家の実権を持つ者をこれを『改易』とし、領地は王家が管理する。 お前たち家族(・・)は、生家ワリントン伯爵家の貴族籍に戻る事となる。 が、家人を含めたお前たち家族には、『侯爵家乗っ取り』と、『国家反逆罪』の容疑が掛けられている。 直言の許可は与えぬ。 反論あらば、収容施設に於いての取り調べ時に述べよ」


「そ、それは!! み、認めません! そんな横暴!! な、なんの権限を以て、ビクトリアス第一王女は……」



 ゴキュっと、派手な音が鳴る。 護衛騎士の一人が、私に向かって飛び掛からんばかりに近寄るグリュームフェルトを殴り飛ばした。 冷ややかに、冷静にその様子を見詰め、次に移る。



「カルメリアル侯爵。 卿の継嗣である、エレミレート=ウルス=カルメリアル小侯爵が、グランバルト砦に於いて、ビクトリアス第一王女令(準王命)に抗命。 『不敬』を成した罪で逮捕拘禁。 その取り調べが内、カルメリアル侯爵が外務尚書の職務を涜職している事が判明。 更に、外患誘致を行い、この国を売るがごとき行動をしていると、告白した。 昨日の朝議に於いて、カルメリアル侯爵一門の公職 及び 貴族籍を、解職 及び 凍結した。 後任の外務尚書は既に決まり、その者による調査が進んでいる。 既に、多くの証拠が判明しており、カルメリアル侯爵家は『改易』と決議される。 直言の許可は与えぬ。 反論あらば、収容施設に於いての取り調べ時に述べよ」


「グッ! それは、まさか、何故、オカシイ…… あ、アンサンブレラ卿! これは!!」


「発言を許可した覚えはない。 次に、アンサンブレラ」


「だ、ビクトリアス第一王女には、その様な権限は無い!! これは、明らかに国法違反だ!! 即座に貴族院議会を招集し、き、貴様の権能を停止する!!」


「ほう、その権能がまだ、貴様に有ると思うてか? 貴様も昨日の朝議に無断で欠席したな。 朝議の様子を知る術が無かったのが何故か、その明晰な頭脳で少しは考えてみるがいい。 直言の許可は出さぬ。 不敬である」


「な、何を!!」




 ズカッ と、音がする。 アンサンブレラの腹の中央に、護衛騎士の拳が突き刺さる。 身体をくの字に折り、口から吐瀉物を撒き散らしながら崩れ落ちる。 さて、続きだ……




「アンサンブレラ。 貴様は、詰め切れなかった。 その視点は、正に王国の弱点を突き、今一歩で王国を売れる所だったな。 が、その野望は潰えた。 其方もカルメリアル侯爵と同様に、家門の者達一同と共に、国務尚書の職は、解かれている。 また、重大な国家反逆罪、外患誘致罪、王権侵犯、等々、重罪の嫌疑がその身に掛かっている。 そして、貴族院議会に於いて、貴様の侯爵特権と不逮捕特権の停止、恩赦の対象外は決議されている。 その後、貴族院議会は全員は議員辞職し、再度選出されるまで、当面の間、議会は凍結される」




 苦しい息の元、アンサンブレラは、言い募る。 私の言葉が、何の根拠も権威も無いと。




「だ、ビクトリアス第一王女には、その様な権限は御座らん! こ、国法を! 『不磨の大典』を無視するような暴挙、断じて許し難し!!」




 私は…… 怒っているのだよ、アンサンブレラ。 この国に乱を引き入れ、民草に塗炭の苦しみを与えるような所業をしたお前に。 何も知らぬ子供らを、思考誘導した、その悪辣さに。 冷たく見下ろした先に、憎悪に憤るアンサンブレラ。 睨みつけるその視線で、人を殺せるような鬼気が乗っている。 


 しかし、そんなモノは、怒りに燃える私には通用しない。 大きく『王気』を孕んだ私は、周囲を威圧しつつ、最後通牒をアンサンブレラに言い渡す。 紡ぐ言葉に、絶望(・・)を味わうがいい。



「そうだな、ビクトリアス第一王女たるわたくしには、その様な事を命じる権限は無いな。 しかしな、アンサンブレラよ。 ビクトリアス第一王女には無くとも、ある『官職』には、有るのだよ。 昨日の朝議に於いて、お前たち三人が、貴族籍を凍結された後に、朝議出席者全員の賛意を得て、わたくしが、その官職についたのだよ。 頭の良いお前ならば、気が付いたであろう? お前が、喉から手が出る程『欲した』官職なのだからな」


「……『冢宰』かッ!」


「判っているでは無いか。 ならば、わたくしの持つ『権能』が、アレキサンドル国王陛下と同等と云う事も理解したであろう? 昨日より、王城西側全域に於いて、『冢宰』が勅命により『限定戒厳令』が敷かれている。 外側の情報は、全て遮断。 お前達が思い描いた通りの情報を広げさせた。 そして、お前はその情報を信じた。 私がこの眼で見、そして この耳で聞いた事は、全て祐筆が記録している。 お前は、罪科を告白したのと同じだ」


「く、クソッ!!」


「善き事を聞かせてやろう。 王国の民と藩屏たる貴族に取って、とても善き事を。 ビョートル王太子殿下は健在。 王太子妃殿下の御実家は、第四近衛騎士隊によって護り抜かれている。 また、第三近衛騎士隊もそれに合力。 街中の不穏分子に関しては、軍務尚書が手勢でこれを捕縛拘禁。 帝国大使と昵懇の間柄と成っている他国大使に関しては、アレキサンドル国王陛下へお知らせした。 フェローズ同盟締結に向けて、かなり前進したとの事。 さても、さても、喜ばしい事であろう?」



 玉座から見下ろし、這いつくばるアンサンブレラに対し、冷たい視線を投掛ける。 半狂乱になっている、アンサンブレラは、破れかぶれになりつつ、大声で騒ぎ立てる。




「衛士! ビクトリアス第一王女はご乱心だ!! 捕縛せよ! 抵抗するならば、切り捨てて構わぬ!!」


「ほう、まだ云うか。 これで、王族の殺害示唆も罪状に積み上がったな」




 準王錫を三度、床に叩きつける。 カン カン カン。 動き始めようとした、アンサンブレラの手の衛士達は、その場を動けなかった。 私の影(レイブン)が、多数の影を引き連れて、ルピナス大広間に姿を顕わし、衛士達を昏倒させたからだった。 準王錫の音は、拡大され大広間だけでは無く、その外側にも広がっている。


 広間に続く扉が次々と開かれ、国軍の兵士が流れ込んで来た。 先頭立って、捕縛の指揮を執るのは、軍務尚書。 何故、貴方がココに来たのかと、視線で問えば……




「姫殿下の宸襟と御身体の安全の為に御座います。 学院の卒業生の中には、魔法をよく使うモノも居りましょう。 王宮魔導院より、魔導士を借り受けております。 玉座周辺に結界を張ります」


「大層な事……」


「大公翁の御命令に御座いますれば」


「過保護な……」


「なにせ、姫様は 『冢宰』に在らせられますからな」




 豪快に笑う 軍務尚書。 そうか。 頭が消えれば、荒野を彷徨う首を失ったデュラハンの様になってしまうものな。 私が失われる事が、今、一番の問題となるのか。 理解した…… 


 壇下にぺたりと座る愚弟オスマンド。 目の前で起こった事に、未だ理解が及ばぬ様だった。 次々と捕縛拘禁され、連れ出される人々をただ、ぼんやりと見ていた。 しかし、傍らの女性が、女性兵士に拘禁された時に、突然、声を荒げた。




「そ、ソフィアに何とする!」


「国家反逆罪容疑にて逮捕拘禁致します殿下」


「そんな訳は無い! ソフィアは! ソフィアは、無実だ!!」




 情けなくも、そんな事を言うオスマンドに、私は言葉を紡ぐ。




「オスマンド。 エミリーベルも、そう云った。 誰も、信じなかった。 そして、彼女は地下の土牢に、尋問も無しに放り込まれ、その身を穢されていた。 お前が思慮深く、甘言に乗せられず、研鑽を続けていれば、エミリーベルは永遠とは成らなかった。 彼女には本当に申し訳なく思う。 彼女の死は、お前を含む王家の罪なのだからな」


「そ…… それは……」


「その女も、アンサンブレラの一味だ。 そのつもりも何も、そうやってお前を篭絡する為だけに用意されていたのだ。 人の心など、容易く揺れる。 それを律するのは、王家の者の使命でもある。 お前には、その気概と覚悟がなかったのだ。 残念だ。 オスマンド。 お前は王族だ。 依って、あ奴等とは別の場所に収監する。 王城北側、『黒の塔』最上階へ。 アレキサンドル国王陛下御帰還の際に、お前の処遇を決しよう。 それまで、お前が何を行い、その結果何が起こったかを考えよ」


「あ、姉上……」


「今は、お前の姉では無い。 『冢宰』と呼称せよ。 アレキサンドル国王陛下御不在時の、王の代理だ。 オスマンド。 我が愚弟よ。 よく考えて、言葉を口にせよ。 今は黙れ。 何を聴かれても、沈黙を守れ。 ……そうしなくては、お前を救えない」


「…………冢宰……様」





 オスマンドも又、国軍兵士により逮捕拘禁され、幽閉先の『黒の塔』へと誘われた。 



 コレで……



 これで、やっと……



 国家動乱の始末はついた。 壇下の玉座足下に第六皇子セリヌンティス殿下(帝国大使)が呆然と成り行きを眺めていた。 そうだ、コイツにも引導を渡さねば。 全ての元凶たる、コイツの心をへし折らねばならぬ。 『策謀』にその身を浸し、他国を蹂躙しようとした責は重いぞ。




「帝国大使。 いや、ガングリオン帝国 第六皇子セリヌンティス殿下」


「なにか…… そうか、私の出自を知っていたか」


「元より、王国の諜報を舐めないで頂きたい」


「ならば…… 我が『(はかりごと)』も、お見通しと云う訳か」


「尻尾を出さぬ手腕は見事としかいう他ないな。 が、組んだ相手が悪かった」


「あれほどのウスノロとは、思いもしなかった」


「自身の『蒼き血』に酔いしれて居ったのよ。 そして、至高を夢見て居った。 その始まりは、きっと、皇子の『存在』か、それとも、皇子の『言葉』か。 どちらにしても、踊ったのは、あ奴の選択よ。 ……栄達の道を失ったな」


「目障りな大使は、帰国を命ぜられましょうな。 そして、大言壮語を語った、力無き第六皇子は闇に没する。 貴国にとっては、喜ばしい事だ」


「……いや、そうでもない。 此処で皇子をガングリオン帝国へ還すのは、悪手であるな。 武を以て鳴るガングリオン帝国に於いて、『智』によって領土を拡大すると豪語した第六皇子が、完全に失敗したとあちらが判断すれば、我が国に対して武力侵攻を成そうと画策し始めるやもしれぬ。 そう考えるのが自然だ。 我が国は、ガングリオン帝国にとっては、目の上の瘤の様な存在。 国土の大きさは遥かに下回るが、経済力は引けを取らぬ。 その上、『フェローズ同盟』を締結せしむれば、簡単には手を出せぬ状況に落ち込む。 ならば、対処は早い方が良いと考えても、何ら不思議は無い」


「よく我が帝国の国情を理解されている。 そうだな。 万が一、帰国の暁には、他の皇子の誰かの参謀に就き、この国に武力侵攻も考慮に入れていた」


「死か隷属か……か。 わたくしはな、民草が無益に命を散らすのは、天の意思に反すると思っている。 生を謳歌し、十全にその能力を発揮するならば、国力は自ずと増大する。 人無くして国は無い。 戦争など、愚か者の考える事。 それしか知らぬ戦闘民族と対せねばならぬならば、それも又致し方ないとは思うがな」


「帝国の南方領域の事を揶揄されるか」


「それは、帝国の事情。 我らは文化も花開いている開明的な法治国家だ。 皇子、死か隷属のどちらに天秤が傾いていると御考えか。 帝国の情勢や経済を鑑みるに、かなりの確率で帰国すれば命は無いと思われるが?」


「…………そうだな」




 昏く冷たい視線が下を向く。 第六皇子セリヌンティス殿下には、後がないのだ。 ならば、帝国と第六皇子の双方に恩を売る事は可能。 黒い笑みを頬に浮かべ、私は一つの提案を行う。




「我が国は、第六皇子セリヌンティス殿下に帰国命令を下す事は無い。 このまま、帝国の大使『セリオン』として、滞在して頂いても問題は無い。 貴国にとっては、厄介者を我が国で『大使』として遇されるのは、悪くない事であろう? あちらは厄介払いが出来、此方は帝国のまともな外交官を得る事が出来る。 どうだろうか」


「貴国を我が物にしようとした者を、その身の内に飼うのか?」


「勿論、監視も付ける。 別の策謀を弄せば、問答無用で『病死』して頂く。 奇しくも、皇子が言われた様に、皇子は我が国で『飼う』のだ。 首輪に付いた紐は、長くするつもりは有るがな」


「そうか…… 死か隷属か…… 若しくは、飼われるのか。 一番自由なのが、この国で『大使セリオン』として生きていく事か」


「死にたくば、それで良い。 我が国はいささかも痛痒を感じぬからな。 これは密約では無い。 皇子の生殺与奪の権を、我が国が持つと云うだけだ」


「成程…… ビクトリアス第一王女が噂は、全て間違っていたと。 思考を巡らし、『策謀』を一撃で打破出来るだけの知能を持ち、そして、何よりも胆力(王気)が有る。 『王家、侮りがたし……』 と云う事か。 理解した。 私の失敗は、ビクトリアス第一王女の為人(ひととなり)を見誤った事に尽きる。 王位継承権第二位は、伊達では無いと云う事か。 ……貴女は、王位を望まないのか?」


「笑止ッ! 我が兄、ビョートル王太子殿下は、わたくしよりも、ずっと賢く、偉大で、慈愛に満ち、冷徹なのだ。 平凡なわたくしが、ビョートル王太子殿下に成り代わろうとは、烏滸がましい。 冗句でも、その様な事を言うな。 今すぐ縊り殺したくなる」


「……そうか。 成程。 我が国の帝室とは大きな差だな。 王家は、一枚の巨岩。 貴国はそうであると、そう云う事か。 第二王子だけか、『隙』が有ったのは」


「残念な事にな。 一つ確かめたい事がある」


「……何なりと」


「オスマンドに婚約破棄を示唆したのは、エミリーベルを手に入れる為にか?」


「あの方は…… この国で出逢った、最上の淑女。 この国の至高たる存在の横に侍るは、彼女でなくては成らない」


「傀儡にはもったいないと考えたか。 愚かな事。 そのせいで、彼女は永遠となったし、もとより帝国の皇子には心は開かぬよ。 たとえ、至高たる存在となってもな。 彼女の爪と牙は、王家も認めるところなのだ。 高々、第六皇子には御せぬ淑女よ」


「…………そうか。 獅子が心を持つは、なにも第一王女殿下だけでは無いと云う事か」


「この国を侮るな。 セリオン大使殿」


「御意に…… 王国、まさに侮り難し……」


「で…… 心決めたか?」




 ガングリオン帝国 大使セリオンは、真っ直ぐな眼で私を見詰めた。 真摯に誠実に、自身の職務を遂行する、大使が其処に居た。 彼は、他国の国王陛下に対する、最大の礼節を以て、私に対峙する。


 彼は、『叩頭』した。




「帝国大使 セリオン。 御前に。 幾久しく、帝国と貴国の仲介を勤めましょうぞ」


「うむ。 そうか。 帝都へ、その旨の『親書』をお送りいたそう。 帝国大使セリオン殿は、またとなき外交官であると」


「有難き幸せ」




 へし折ったかな? セリヌンティス殿下の心の中の野心はまだ潰えていないかもしれない。 この私にあのような言葉を吐くならば、いずれ私を懐柔しようとするかもしれない。 しかし、今は、その時では無い。 いずれ…… だろうな。 


『犬』に成った訳では無い。 首輪付きの、『餓狼』を一匹飼ったのだ。 その牙は鋭く、爪は長い。 ビョートル王太子殿下ならば、上手く飼いならせそうだがな。 アレキサンドル国王陛下の嫌そうな顔が思い浮かぶ。 実利を取る為には、目を瞑らねば成らない事など幾らでも有る。


 多分……


 アレキサンドル国王陛下が、此度の事を収められても……



 同じような決断に至るであろう事は、想像に難くない。




 それが、『王』と云う者なのだから。




 皆が去ったルピナス大広間の玉座に座ったまま、疲れを感じ立ち上がる事も出来ず、広間を睥睨する。 いつもの茫洋とした表情を浮かべているのだろうな。 


 もう懲り懲りだ。 こんな重圧に始終耐えているアレキサンドル国王陛下は、正に化け物だ。


 『冢宰』などと云う、疲れるばかりの役職など…… 必要無い。 こんなモノに成りたがる奴が居るとは、本当に驚きしかない。 神ならぬ者が、国権を有し、国の舵取りをせねばならぬとはな。 



   私は……


 

 怠惰で、驕慢で、愚かで、愚鈍な王女の方がいい。



 思い出すのは、疲れた時に優しく微笑んでくれた、エミリーベルの笑顔。 あの、笑顔が、今猛烈に欲しい。 癒されたい。 疲れ切った心に慈雨の様に染み入る、エミリーベルの存在がどれ程のモノだったか骨身に染みる。


 ふと、頬に笑みが乗る。 アレクトール爺ぃが、どのように、大切な人を返してくれるのか。 その方法や、時期がとても楽しみで…… アレの絡繰りを知る、アレクトールならば、きっと、どうにかして、彼女をまた、王宮に戻してくれると信じている。 あぁ、爺ぃは、私には、とても甘いからな。



 今の私には、唯一心の底から『待ち遠しい』と感じられる事柄なのだ。 





  ――――― § ―――――





「冢宰殿。 まだ此方に居られたか。 大公翁以下、尚書等が待っておられる。 先導しよう。 アレキサンドル国王陛下御帰還までまだ時は掛かる。 ビョートル王太子殿下も事態の収束に大わらわだ。 よって、王国の舵取りは、姫殿下の双肩に掛かっていましょう。 呆けている暇は御座いません。 さぁ、さぁ!!」



 軍務尚書が、煩く云う。 成程、頭無ければ、この国は立ち行かぬ。 もう一踏ん張り。 声を張り、自身を奮い立たせる。 そうでもしなければ、本当に立ち上がれそうにも無かったから。




「今行く。 『朝議の間』に皆を集めよ」

「御意!」




 終わりの見えぬ『 決断の重圧と懊悩(・・・・・) 』。 耐えて見せようか。 逆賊共の暗躍で、足元がふらつく王国を、如何にか立て直さねば成らない。 国王陛下、王太子殿下が御帰還に成られるその日まで。 わたくしが、この国の『冢宰』なのだから。




 それが、ビクトリアス第一王女 の『責務(・・)』。



 そして、王家の者としての『矜持(・・)』でも有るのだから。





                                  fin

                               2023.9.26.

                              © 龍槍 椀

最後まで読んで下さった皆さんへ。 お疲れさまでした。 色々とフワフワな設定でしたが、楽しんで頂ければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
話に引き込まれて、気がつけば2時間! 目がショボショボしますが面白いかったです!
[良い点] 長かったけど、読み応えあって面白かった。 龍槍さんの長い短編は、毎回面白くて楽しみに待ってました。文字数の分だけ重みがあると思うので、多ければ逆に嬉しい読者がここにいます。 [気になる点]…
[良い点] 重い。 尊さが、重い。 故に得られる面白さもまた、重い。 [気になる点] 見落としていました。 半月余りも! [一言] 投稿ありがとうございます。 『エバレット嬢の物語』に比肩するヘビ…
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