前編
――貴族令嬢なのに、料理するなんてよっぽど貧乏なんだわ。
――お可哀想に。なんて惨めですこと。
――貧乏貴族にはメイド服がお似合いですわねぇ。
身分が高い令嬢たちは、皆が口を揃えてそんな風にわたしを馬鹿にする。
わたしは確かに、貧乏だ。弱小子爵家の一人娘で、見た目も地味で華やかさの欠片もない。使用人は侍女のリタだけだし、貴族らしい贅を尽くした家具なんてものはわたしの屋敷には一つもなく、あるのは簡素なベッドと机。
領民たちが必死に働いて頑張ってくれているのは知っている。
でも、先代子爵――わたしの祖父が領地運営に失敗し、大量の借金を抱えてしまったせいで、父の代になってもなかなか取り返せない。おかげで領民は皆貧困に喘いでいる。
そんな皆のために役に立てることを考えて、始めたのが料理だった。
少しでも元気になってくれるように、願いを込めてわたしは料理を作る。作り方は全てリタに教えてもらった。
煌びやかな夜会に出れば、貴族令嬢らしくないと嗤われる。
夜会用のドレスは安いものしか買えないせいで真っ黒なお仕着せのように見えた。それに普通、貴族令嬢は料理なんてしない。料理は使用人に全て任せていればいい。――それが貴族界の常識だ。
それくらいわたしだって知っているし、古風な考え方を持つ両親には反対されたりもしたけれど、わたしは料理を作り続けた。
喜んでくれる領民の笑顔が、それに何より料理をするのが好きだったから。
そんなわたしは十五歳になり、子爵領を離れて王都にある貴族学園に通うことになった。
できる限りの料理道具を鞄に詰めて、オンボロ馬車に乗り込む。見送りはたくさんの領民たちが来てくれて、嬉しかった。
「必ず戻って来るからね! その時はまた、ご飯一緒に食べようね!」
わたしは領地を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
貴族子女が学園に通う意味は三つある。
一つ、学業。二つ、他の貴族たちとの交友関係作り。そしてもう一つが婚約するに相応しいお相手探し。
王族や公爵家、侯爵家など地位が高い家の令嬢令息は幼い頃に婚約している場合もあるが、基本的には学園で婚約者相手を見つけるのだ。
そしてわたしも例外ではなかった。
……でも、貧乏子爵家の娘のわたしになんて寄り付いて来てくれる殿方はいないらしい。
一方で貴族令嬢はわたしを馬鹿にするばかりで、友達になってくれるわけもない。
その上学業の成績もてんでダメで、踏んだり蹴ったりな毎日だった。
だからわたしは考えもしなかった。まさかこの学園で、素敵な出会いがあるなんて。
それは、例によって料理のことで馬鹿にされていた時のこと。
昼休み、お金がないので学園の食堂で豪華なランチを買うことができず、こっそり作っておいたスコーンを食べているところ、男爵令嬢、子爵令嬢、伯爵令嬢の三人組に絡まれたのだ。
「スコーンなんて持ち込んでいらっしゃいましたの? お茶もないのにスコーンだけ貪るだなんて、品がないですわねぇ」
「品がないのは当然ですよ。だってソフィー嬢ったら、メイド志望なんでしょう? そのスコーンだって手作りですものね?」
「あらあら、つまり一度平民になるおつもりかしら。勇気がおありなんですね、ソフィー様は」
わたしはスコーンを食べる手を止め、なんと答えようかと思考を巡らせた。
メイド志望なんかじゃない。わたしはただ、料理が好きなだけ。
そんな風に言ってしまえればどれだけ楽だろう。でも強気に出たら、さらに酷い目に遭わされるかも知れない。
だからわたしは、仕方なく謝ろうとして――。
「何をしているんだ、君たち」
しかしその時、そんな聞き覚えのない声が割り込んできた。
令嬢三人衆の背後から姿を現したのは、わたしより頭二つ分は背の高い少年だった。
わたしはこの人を、知らない。でも伯爵令嬢たちは知っているようで気まずそうな顔をした。
「ち、違うんですのよテオドール様。彼女がスコーンをお食べになっていたので……」
「嫌がらせなどしていたら、なかなか良縁が見つからないぞ」
少年は、氷のような鋭い視線で令嬢たちを睨みつける。
「「「ご忠告、ありがとうございます……」」」
そう言うなり、彼女らはそそくさとその場を逃げ出し、姿を消してしまった。
呆気に取られるわたしに少年が近づいて来て、言った。
「見かけない顔だな。俺はテオドール。テオドール・ディクタンだ」
「……え、ええと、わたしはブラウト子爵家の、ソフィーです」
慌てて黒いドレスの裾を摘んでお辞儀するわたしに、少年――テオドール様は「ふぅん」と唸った。
「な、何か失礼がありましたか……?」
「いいや、何でも。ソフィー嬢、あの令嬢たちの言いぶりは気にするな」
「……? は、はい」
戸惑いつつも頷くと、テオドール様は何も言わずにその場を立ち去って行ってしまった。
何なんだろう、あの人は。
わたしは首を傾げつつ、彼の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
その時のわたしはまだ知らなかった。
セオドール様がディクタン侯爵家という古い歴史を持つ、名門貴族家の令息であり、貴族令嬢たちの憧れの的であるということを。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
テオドール様はそれ以降、ちょくちょくわたしの前に姿を現すようになった。
初めて出会った時は気が動転していて気づかなかったが、テオドール様は信じられないくらいの美少年だ。
身長は理想の高さだし、手足はスラリと長く肌は色白、髪は輝く美しい銀髪。
深い藍色の瞳に少しの間見つめられただけで――もちろんそれは単なるわたしの勘違いで、実際はわたしなんて気づかれてすらいなかったのかも知れないけれど――心臓がドキリとなる。
――なんてかっこいいんだろう。
わたしは気づけば、テオドール様の虜になっていた。
学園の中で彼の姿を探し、テオドール様の近くに行こうとしてしまう。
しかしそんな時は大抵、名も知らぬ令嬢たちに妨害された。
「あなた、そんな身なりで『氷の貴公子』に近づいていいとでも思っていて?」
「正気じゃありませんわ」
「とっとと帰ってくださいまし。今日こそディクタン侯爵令息に声をかけていただくんですから」
令嬢の一人を捕まえて、この状況が何かを問いただしてみると、この令嬢集団全員がテオドール様狙いなのだという。
テオドール様は女性に冷たい態度で接することで有名で『氷の貴公子』と呼ばれているのだとか。
今まで十人以上の令嬢からのプロポーズを断っているらしいが、それでも人気が落ちないのだからすごいことだった。
話を聞いた令嬢は、「貧乏子爵令嬢ごときが、ディクタン侯爵家の嫡男でいらっしゃるテオドール様と顔を合わせようだなんて烏滸がましい」と忌々しげに吐き捨て、さっさとテオドール様の方へ行ってしまった。
「テオドール様が、嫡男……?」
後には呆然とするわたし一人が残された。
侯爵家の嫡男ということはつまり、未来の侯爵様だ。わたしは、そんな人に恋をしてしまったというのか。
テオドール様はまさに高嶺の花。
話しかけることすらできず、遠目に眺めているだけしか許されないのだ。
彼を諦め、さっさと別の適当な令息を婿候補として見つけておいた方がいいのはわかっている。
「でも……」
他の令息たちを見る。
文官気質の伯爵家の三男。剣を好む騎士志望の子爵家の五男。はたまた、商才に溢れていると有名な成金男爵家の次男。
それぞれ魅力的な人ばかりだ。しかしその誰を見ても、わたしは心を動かされなかった。
――やっぱりわたしは、テオドール様がいい。
顔が好みだとか地位が高いとか、わたしはそんなことはどうでも良かった。
わたしは彼の優しさを確かに見たのだ。彼自身はもしかするとわたしを助けるつもりなんてなかったかも知れないけれど、あの時きっと、わたしは恋に落ちてしまったのだ。
そんな風に一度思い始めると、もう引き返せなかった。わたしなんかには不相応だとわかっているのに、テオドール様が欲しいと心の底から願ってしまった。
なら、どうしたらテオドール様を振り向かせられるのか?
わたしは考えた。一晩中考えて考えて考えて、出た答えは……。
「女子らしい魅力がないから色仕掛けはダメ。そうなるとわたしには料理しか残らない。
最初は嫌な顔をされるかも知れないけど、とにかく食べてもらうしかないよね。料理でテオドール様の胃袋を掴むのみ!」
そうと決まればやることは簡単だ。
わたしが作れる最高レベルのものをテオドール様に食べてもらって、わたしにメロメロになってもらうだけ。
ただそれが険しい道のりだろうことはわかっている。
テオドール様は侯爵令息。家ではわたしと比べ物にならないくらい大層なものを食べていただろうし、自分の料理がそれに勝れる自身はない。
それでも、やってやるのだ。
わたしはそう決めて、拳を固く握った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あぁぁ……こんなんじゃ全然ダメ! テオドール様にはもっと完璧に美味しい料理を作らなくちゃいけないのに、なんで出来損ないばっかりなの!?」
料理道具が散らばった机で、わたしは突っ伏しながら呻いていた。
机のすぐ横には、試作品のパンがある。堆く積まれたそれは、わたし一人では食べ切れないほどの量だ。
わたしがテオドール様に食べてもらう料理に選んだのは、パンだった。
パンはわたしの得意料理の一つ。食堂の料理人たちに頼み込んで小麦粉とイースト、その他にもパン作りにあたって必要な材料をいくつかもらった。
パンなら色々な工夫ができるし、絶妙な味の具合も追求できる。わたしは甘いフルーツが盛りだくさんの菓子パンから歯が折れそうなほどに硬いパンまであらゆる種類を焼きまくっていた。
食べてみると、我ながらどれも美味しい。美味しいけれど、これがテオドール様のお眼鏡に叶うかというとまるで自信が持てない。
何が正解かなんてわからない。もうパンを作ると決めて焼き始めてから五日を超えていて、疲れていないかと言えば嘘になる。
それでもわたしはすぐ飛び起きると、新しいパンを作り始めた。