とんちの一休さんが、希代の怪僧だった件
久方ぶりにエッセイを書きましたよ。
有漏路より 無漏路に帰る 一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け
室町時代の怪僧、一休宗純の詩である。
僕ら世代にとっては、テレビアニメの、とんちの「一休さん」として馴染み深い。
現世を生きるっちゅうことは、ガチャガチャした煩悩の世界から、なーんもない悟りの世界へと向かう帰り道の途中で、ちょいと一休みしているようなもんだ。人の一生なんて、所詮はそんだけのことじゃねえっすか。雨が降るなら、どうぞ降ってくれっつーの。風が吹くなら、どうぞ吹いてくれっつーの。こちとら、全然平気だっちゅーの。
かなりQ輔チックな解釈ですが、だいたい、たぶん、きっと、こんな意味っす。ははは。ちなみに、この詩が「一休」という道号の元になったとのこと。
僕は、常々、ピュアに生きるということは、何事にも囚われず生きることでは決してなくて、ピュアに生きるということは、要するに、モノゴトの複雑に絡み合った糸を、懸命にほどく努力をすることではないか、なんて漠然とそんな気がしているのだけれど。そういった点からして、この一休宗純、ぼかあ、好きだなあ。なんちゅうか、モノゴトを、考え過ぎるほどに考えてしまい、うっかり糸を解き過ぎてしまった坊主の滑稽さが、その作品や逸話に多く残っていて、すんげ~面白い。
高校生の頃に、市立図書館で、一休さんの「狂雲集」という詩集を読んだ。みずからを「狂った雲」と号するあたり、どだい世間の常識では計り知れぬ坊主なのだが、その内容が、号に恥じることなきハチャメチャさで、数百年早過ぎたパンクロックって感じで、ちょっとここでは紹介出来ないような、女性との交わりを謳ったスケベな詩も山ほどあって、興味のあるかたは、自己責任のうえ、是非お調べになってくんなまし。
地位も名誉も捨て、寺を出て、修行の旅に出てからの一休さんは、これ見よがしに、酒を呑み、肉を喰らい、女と交わり、まわりが困惑するような奇行を続けたそうですが、これは、当時、形式ばかりで内情は腐敗しきっていた僧たちへの、反骨心からであったとされています。
他にも、高僧が集まる厳粛な場に、あえてズタボロ泥まみれの姿で現れたりなど、一休さんは生涯を通じ、こういった行動癖のある人だったようですね。
ツッパることが坊主の~、たった一つの勲章だって~、この胸に信じて生きてきた~。そんな、反骨心の人だったのかな。
そんな一休さんの人柄がよく分るエピソードがあります。
門松や 冥土の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
一休さんは、とある正月の朝に、棒の先にしゃれこうべ(人の頭蓋骨)を差して、この詩を詠みながら、新年に浮かれる町を徘徊したという。
新年をむかえるっつーことは、またひとつ歳を取り、またひとつ死に近づいたというこった。あんたらが、玄関先に飾っている門松は、つまりは、あの世への案内標識なのだぜ。正月なんてよ、めでたいようで、ちっともめでたくねえんだ。
……奇行にもほどがある。
そら見たことか「縁起でもない!」と民衆に石を投げつけられた一休さんは、
にくげなき このされこうべ あなかしこ
目出たくかしこ これよりはなし
民衆に向かって、棒の先のしゃれこうべを、ずいと突き出しこう言い放ちます。
なるほど、みなさまのおっしゃるとおり、お正月たあ、おめでたいもんだ。ほら、この頭蓋骨を見やがれ。肉も毛もなく、目ん玉が飛び出し、穴だけになっているぜ。ああ、目ん玉が飛び出た頭蓋骨は、お目出たい。死んで骨になるよりおめでたいことはない。なあ、そうだろう?
そう言って、世の無常を説いたそうですが……。
もう少し誤解されんパフォーマンスが出来るとよかったね、一休。そういうとこだぞ、一休。ははは。
ちなみに、アニメでは、あのかわいい一休さんが、人の頭蓋骨を掲げて歩き、「気味が悪い坊主め!」と民衆たちに石をボコボコぶつけられながら、迫りくる死に「ご用心あれ!ご用心あれ!」と連呼しながら歩いていたな。あれ、幼少期に見て、けっこートラウマになった。
では、最後に僕の一番好きな一休さんの詩を紹介します。
濛濛として三十年
淡淡として三十年
濛濛淡淡六十年
最期の糞をさらして 梵天に捧ぐ
借用申す 昨月昨日
返済申す 今月今日
借り置きし 五つのものを 四つかえし
本来空に いまぞもとづく
ここまでくると、ロックの歌詞のようなものなので、読んだ人の感じかたが、この詩の意味であり、全てだと思うのですが、まあ、あえてね、あえてQ輔チックに訳します。
ぼんやりと生きて三十年
たんたんと生きて三十年
ぼんやりと たんたんと 六十年生きたぞ
この命の尽きるその瞬間に でっかいウンコを漏らして ああ 神様 それをあなたに捧げます
昨月も昨日も 借りものでしたよ
今月も今日も ぜんぶお返しします
お借りしていた五つのうち 地と 水と 火と 風を お返ししたら
今の私には 空だけが残りました
すんません 空だけはもらって逝きますんで そこんとこヨロシクどーぞ
晩年の詩だそうです。
そして、その死の間際。
高僧と呼ばれ、沢山の素晴らしい詩を残し、とっくに悟りの境地にいたであろう一休宗純の最期の言葉は……
死にとうない
ぎゃはははは! 言うかね~。でも、もしこれが事実であれば、こりゃ、わざとだと思うな。一休さんは、最期の反骨心をふりしぼって、「みっともないこと言いいながら死んでいく高僧」を、わざと演じて見せた。さぞや、まわりは困惑したんじゃねーかな、あはははは。ツッパリ通す坊主の人生、ここに極まる!って感じい。
てかさあ、実は、さっきから、「おーい! あんたも少しは手伝ってよー!」なんつって、妻が一階から叫んでいるのよね。今日なんて日は、長女の小学校の卒業式でさ。僕も会社を休んで参列をするんだけどさ。な~んか、朝っぱらから、下ですんげーバタバタと準備をしているの。
「おーい! 返事をしろー! どうせまた、わけのわからん文章をかいて、わけのわからんサイトにアップしているんでしょう! こらー、さっさと手伝えー!」
雨降らば降れ。
風吹かば吹け。
妻叫ぶなら叫べ。
慌てない、慌てない。
ひと休み、ひと休み。