5. 因果応報? その1 校長
大川高校の校長である勅使河原幸信(55)は小心者である。
上からの指示には絶対服従で愚直に従い、下に対しては横柄な態度をとるものの面倒事が嫌いであるためハラスメントの類は絶対にやらない。大川高校に校長として赴任してからも、地域二番手の進学校を一番にするための施策を考えることなど無く現状維持の方針を貫く。
これまで運良く生徒教師共に問題を起こす人物は居なかったが、仮に生徒がいじめによる自殺でもしようものなら、教育委員会からの指示に従って隠ぺいするだろう。その後、隠ぺいがバレても『いじめがあったことは認識しておりません』とお決まりのセリフで誤魔化し、炎上すると教育委員会の上司に切り捨てられる。
そんなどこにでもいる冴えない男性、それが勅使河原という人間であった。
このまま何事も無く定年を迎えたいと強く願う勅使河原の元に、ある日運命を変える電話がかかってきた。
「はい、大川高校の勅使河原です」
自分と懇意にある上役はみなスマホに電話をかけてくるため、校長室の固定電話に直接電話がかかってくることは珍しい。セールスの類かとも思ったが、横柄な態度をとって仮に偉い人だったら問題だと思い直し、勅使河原は丁寧に電話に出た。結果として、この思い直しが勅使河原を破滅から救った。
『私、瀧川女学院の理事長秘書の佐久間と申します。いつもお世話になっております』
『いつもお世話になっております』
反射的にテンプレ挨拶を返した勅使河原だが、相手の役職名があまりにも信じられないものであったため聞き直す。
『申し訳ございません。もう一度役職の部分をお聞かせ願えませんか?』
『はい、瀧川女学院の、理事長秘書の、佐久間と申します』
『瀧川女学院の……え……あ……はい、失礼ですが、こちらは大川高校です。かけ間違いではないでしょうか』
いくら近くにあるとはいえ、天下の瀧川女学院が大川高校のような一般高校に電話をかけてくることなどありえない。勅使河原がかけ間違いだと勘違いするのも当然だ。
『いえ、大川高校様に用件がございます』
『そ、そうですか……』
校長は少ない脳みそをフル回転させて、電話の理由を考える。小心者の勅使河原だ、まず最初に思い浮かんだのは、何かこちらが失礼を働いたのでは、ということだ。もしそうだとすると、勅使河原どころか大川高校ごと潰されてもおかしくない。そのくらいの権力を瀧川女学院の理事長は持っている。
『も、もも、もしかして、当校の生徒が御校にご迷惑を!?たた、大変申し訳ございません!』
本来は勅使河原が頭を下げる程度でどうにかなる問題ではないが、即座に低頭平身で謝罪することで案外権力者相手でも許されることがあると、勅使河原は経験から知っていた。開幕即土下座で楽勝でした、が彼の必殺技なのだ。
『いえ、むしろ逆でございます』
『逆?ですか?』
だが彼の必殺技は効果が無かった。そもそも謝る必要のない案件だったからだ。
『恐らくまだそちらには連絡が行ってないと思いますが、実は先ほど、我が校の理事長が交通事故に遭われるところでして、それを御校の生徒に助けて頂いたのです』
『はぁ……え?』
『理事長としても当校としても大変感謝しております。後程、理事長の方から改めてご挨拶に伺わせて頂きますが、取り急ぎお礼の連絡をさせて頂きました』
『そんなことが……ございましたか(え?理事長が来るの?)』
長い長い教員生活の中で、生徒が良いことをして外部から褒められると言った経験が無いため、勅使河原は何と答えれば良いか分からない。しかも教育機関トップを遥かに超える権力を持つ瀧川女学院の理事長が会いに来るとまで言っている。内心パニックになりかけていた。
『そして、重ね重ね申し訳ないのですが、この事故により御校の生徒の登校を妨げてしまいました。差し出がましいお話ではございますが、その生徒に最大限便宜を取り計らって頂けないでしょうか』
『も、もちろんございます!人助けをした生徒が困るようなことは当校では絶対に致しません!』
校長がこの申し出を断るはずがない。相手の『お願い』の内容がなんであれ、偉すぎる人の言葉は勅使河原にとって絶対であるからだ。むしろ全力で応えなければ、自らの命に関わるとさえ感じ、焦っていた。
これこそが、奏が異常なまでに校長に褒められた裏の事実である。
遅刻取り消しや補講などは些細なことで、出席しなくても内申点最大で卒業扱いにし、コネがある大学に簡単な面接のみで入学出来るよう斡旋し、好みの同級生が居れば学校ぐるみで付き合えるようにフォローする、など無茶苦茶なことをやろうとしていた。教頭をはじめとした他の教諭たちに全力で止められたため、奏がその異常な便宜を受けて困ることは無かったが、教頭が対案として出した『表彰するくらいで良いでしょう』を過大解釈したがゆえに、羞恥プレイを受ける羽目になってしまったのだ。
この話が奏を通じて金城理事長に伝わってしまい、バッドエンドを迎えるはずだった勅使河原だが、実は運良く生き延びることが出来ていた。
奏を褒め讃えたその日の夜、勅使河原は帰宅後に気分転換に近くの公園に散歩に出かけた。未だかつて一度も散歩になど行ったことが無いにも関わらず、不思議とそういう気分だったのだ。
公園内を歩いていると、ふと空き缶が落ちていることに気が付いた。いつもなら無視するのだが、これまた不思議と無性に気になってしまい、拾って近くのゴミ箱へと捨てた。
勅使河原の性格上、散歩も空き缶拾いも絶対にありえない行いだ。まるで何かしらの力に導かれたかのような行動だった。
翌朝、出勤した校長の元に、教頭が慌ててやってきた。
「校長!」
「なんだね騒々しい」
「これを見て下さい!」
今日は理事長襲来への対応を考えなければならないのだ。朝くらいはゆっくりしたいと思い慌ただしい教頭に向けて険しい顔をしていた勅使河原は、差し出しされたスマホの画像を見て驚愕する。
「なんだこれは!?」
そこに映っていたのは、空き缶を拾う校長の姿だった。
『偉そうな人が空き缶拾ってて感動した』
このコメントが添えられて投稿された写真がバズり、しかも好意的な意見だらけが並べられていた。
そしてタイミングを見計らったかの如く、学校中の電話が鳴り響く。
『私、草影社のものですが、御校の校長に是非インタビューを……』
『夕陽テレビですが、取材を……』
『林新公園の美化委員会ですけれども、感謝状を……』
結局この日は、次から次へ鳴り響く電話の対応に精一杯であり、理事長対策など考える暇が無かった。また、対応は電話だけでは無く、大量のメールも届いている。その中には教育委員会からの呼び出しの指示も含まれていた。
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「やあ、よく来てくれたね、勅使河原くん」
「は、はい!」
「すまないね、どうしてもみんなが君と話をしたいと聞かなくて。まま、そんなに緊張せずに座りなさい」
「し、失礼します」
懇意にさせて頂いている上司からの呼び出しに慌てて向かった勅使河原を待っていたのは、多くの偉い人の視線であった。いずれも勅使河原にとっては逆らうことなど出来ない神のごとき存在であり、会う機会を得ることすら難しい人物も多く含まれていた。
「いやぁ、それにしても素晴らしいことをやってくれたな。君をずっと見守って来た私としても鼻が高いよ」
「きょ、恐縮です」
上司の自慢の声をきっかけに、勅使河原を褒め讃え、奪い合う政治的な駆け引きが始まった。
「本当に羨ましいことです。こんな素晴らしい方なら是非ともうちの学校に赴任して頂きたいものです」
「おいおい、目の前で引き抜き行為は止めてくれないか」
「良いじゃないですか、もうそちらの学校で三年程勤めているのでしょう。多少早くはありますが、時期的には申し分ない」
「ちょっと待ってくださいよ。うちだって彼が欲しいです。勝手に決めないでくださいよ」
「そちらの高校は昨年校長が変わったばかりじゃないですか」
「あいつ全然使えなくて、たった一年で荒れかけてるんですよ。勅使河原さんみたいな素晴らしい方に是非立て直して頂きたいと」
誰も彼もが満面の笑みを浮かべて勅使河原を褒め讃え、求めようとする。社会的に好感度が爆上げとなった勅使河原の知名度を利用したいという意図はもちろんあるものの、実は勅使河原の人柄についても好感度が高かった。上には絶対に逆らわないという都合の良い人間であり、今回も外部からの取材依頼に全て教育委員会を通してくれと回答したことで、教育委員会としても実に都合よく自分達を本件に絡めることが出来た。最高の駒であり喉から手が出るほど欲しい人材なのだ。
「(ひいいいい!なんでこんなことにいいいい!)」
一方、勅使河原はそんな裏事情など知る由もない。ほんの気まぐれで行った散歩で気まぐれに空き缶を捨てただけ。たったそれだけのことなのに偉い人や世界中の人など、『多くの人の視線に晒されて褒められるなんて恥ずかしい』
これこそが、奏を異常なまでに褒め称え、羞恥に染め上げた勅使河原への報いである。
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「くっくっくっ!これは傑作だ」
そんな勅使河原の事情を秘書から伝えられた金城は愉快そうに大笑いする。
「これならお仕置きは免除してあげようかねぇ」
「よろしいのですか?」
金城は奏を辱めた罰を勅使河原に与えるつもりであったが、それを撤回して当初の予定通りに感謝を伝えに行くことに決めた。
「よろしいも何も、この状況であの男を虐めたら世間が黙っちゃいないさ。それに」
「それに?」
「ちゃんと『報い』を受けたんだ。これ以上私が何かやるのは野暮ってもんでしょう?」




