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第16話 逃走

 長吉は薄っすらと瞼を開けた。同じ調子の上下の揺れに目が閉じそうになる。

 思わず、頭を振った。

「目が覚めたようですね」

「……俺は、なにを……」

 言葉を切っ掛けにして意識が急浮上。容子に背負われていることに気が付いた。

「俺は相撲に、負けたのか」

「張り手、一発でした」

「そうなのか。全く見えなかった。いつも以上に速い飛び出しで、決まったと思ったのだが……」

 長吉は下唇を噛んだ。容子は黙って歩く。

「俺は相手に呑まれて、いつも以上に速い飛び出しとなった。勇む心とは別物で」

「気持ちはわかります」

 容子は言葉を被せた。長吉は出そうになった言葉を呑み込んだ。

「容ちゃん、悪かったな。なんの役にも立てなかった」

「相手は桁違いの化け物でした。さすがに天邪鬼の話を鵜呑みにはしませんが」

 穏やかな夜だった。人通りは少なく、二人を気に留める者はいない。

「それでもなぁ。完敗だぞ? この俺が相撲で。あり得ねぇよ」

「私も長吉さんの勝利を大いに期待していました。玉藻様に丸薬を与えられなかったことが、本当に悔しいです」

「それなんだが、九尾はどのような状態なんだ?」

 訊かれた容子は少しの間を空ける。

「九尾の力の象徴である尾を全て失いました。そのせいなのでしょうか。以前の姿を維持できず、今は童女になっています」

「その見た目が幸いしたって訳か」

「そうなりますね。玉藻様の全身の痣を私による虐待と受け取られたことも、結果的には良かったのかもしれません……気掛かりなのは」

 容子の頭が僅かに下を向く。

「天邪鬼か」

「……彼女は気分屋で、とても利己的です。自分の利益の為ならば残忍な行為もいといません。気付かれる前に玉藻様に丸薬を与えないと」

「焦る気持ちはわかるが、どうするんだ?」

「正面突破は無理でしょう。玉藻様が一人になった時を狙う、というのも現実味がありません。今回の件で警戒心を強めたと思います。あとは隠れて連絡を取る方法が……ありました!」

 容子は背筋を伸ばす。後ろに回していた手が離れた。文句を言う間もなく、長吉は落下して路面に尻を強かに打ち付けた。

「いってぇー! なんだよ、急によぉ」

 尻を摩りながら容子を睨む。本人はスマートフォンの画面に向かって指を走らせていた。画面に完了の文字が表示された。続けて登録された名前に電話を掛ける。

 糸目で微笑み、スマートフォンを耳に押し当てた。

 繋がった瞬間、容子は早口で喋り出した。

「玉藻様、これから言うことをよく聞いてください」

『妖狐、しつこいって』

 不機嫌な声を耳にして息を呑む。

「……その声は天邪鬼ですね」

『そうだけど』

「タマモちゃんに代わって貰えないでしょうか」

『なんでよ。あ、はい?』

 声の調子が変わった。容子は期待感で目を細める。

『クリームシチューが焦げる前に手短にお願いするわ』

 酷く冷たい声が耳に入り込む。容子はスマートフォンを引き剥がし、深呼吸をした。微かに震える唇を引き結び、再び耳に押し当てる。

「どのようにお呼びすればよろしいでしょうか」

『時田翠子よ。好きなように呼んでいいわ』

「では、時田様。今回はこちらが言い出した条件を聞いていただき、ありがとうございました。勝負に負けたことでこちらの希望は叶いませんでした。ですが、どうしてもタマモちゃんに伝えておきたいことがありまして、恥を忍んで」

『隠れて連絡を取ろうとした』

 鋭い言葉が話を寸断した。容子は次の言葉に迷い、開いた目は不自然に揺れ動く。

『タマモちゃんへの虐待の謝罪は?』

「……申し訳ありませんでした。タマモちゃんの両親は不慮の事故で亡くなっていて、私に掛かる負担は想像以上に大きく、幼い子供とわかっていながら強く当たってしまいました。本当に申し訳ありませんでした」

『あんたは妖狐で懸賞金が150万ってところまではわかっている。人間界では油屋容子を名乗っていて、この人物は七年前に亡くなっているって。知り合いの天才児が言っていた。でも、タマモちゃんに該当するデータはなかった。あんた、どこからかどわかして』

 容子は耐え切れず、自ら通話を切った。スマートフォンを路面に叩き付けて粉々に壊し、長吉に血走った目をやる。

「急いでこの場を離れます! 走れますか」

「大丈夫だ」

 長吉は四股を踏んで見せた。

「付いてきてください」

 容子が先頭に立った。長吉は背を見て付いていく。

 直線を嫌い、二人は無秩序に走った。


 容子は小さな鎮守ちんじゅの森の裏手に回った。風雨に晒された雑誌やプラスチック容器が散乱する中を進み、何の変哲もない木と向き合う。手にした札を翳すと鈍色の穴が空いた。

「行きますよ」

 後ろに声を掛けて先に入る。長吉は穴に興味を示しながら後に続く。

 二人は夜の草原に出た。ゆるゆると風が吹いている。長吉は葉先の当たるくるぶしを頻りに掻いた。

「あの小屋です」

 容子は木造の小屋に向かう。建付けの悪い引き戸は力任せに開けた。

 土間の先に囲炉裏があった。容子は板の間に腰掛け、長々と息を吐いた。

「古風な作りだな」

「ここはかなり前に玉藻様に用意していただいた異空間です。人間界と違って切り離された世界なので追跡を振り切ることができます」

「それはいいが、これからどうするつもりだ? 交渉は決裂したのだろ」

 長吉は板の間に背中から倒れ込む。頭の後ろで手を組み、大きな欠伸をした。

「完全に敵と見なされたでしょう」

 容子は口を閉ざす。長い沈黙が今後の困難を物語る。

 長吉は大の字になった。伸びた左手は容子の尻を揉んだ。

「気を揉んでも仕方ないだろ」

「だから私の尻を揉むのですか」

「上手いな!」

「ここには囲炉裏があります。河童の煮込みでも作りましょうか」

 長吉は慌てて左手を引っ込める。上体を起こし、懸命な愛想笑いで言った。

「お、俺は元気にしようとしただけで」

「私もですよ。滋養強壮に良さそうですよね、河童鍋」

 容子は口角を裂いて笑った。

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